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011.うら若き乙女は湯気がお好き-03

「きゃーーっ! もう少しゆっくり、ゆっくりなさって!」


 悲痛な哀訴は、そりのあまりの速さに置き去りにされた。

 顔に受ける風と、臀部に受ける震動で、とにかく速いということは理解ができたが、この視界の悪さがいけない。

 白一色だと思ったら、急に岩石だの樹木だのが現れる。

 枝の下を通るときはぶつかるように思えて首を引っこめてしまう。

 案内人たちの悲鳴も、うしろからがっつり聞こえてくる。

 カーブでそりが旋回したさいは、身体が投げ出されそうになり、はずみで、なんかどこかがじわっとした気がした。


「やっぱりくだりは楽でいいね。もうすぐ街に入るよ!」


 街? と目を凝らせば、ブリキのうろこ屋根や、壁に取り付けられたパイプたちが見えた。

 と、思ったら急に震動が酷くなる。石タイルの道だ。


 あああ! それから現れたのは、慌てて飛び退く毛皮姿の通行人たち!


「ちょっとちょっとちょっと! 人にぶつかりますわ! 早くお止めになって!」


 フロルが運転手を揺さぶると、彼女は歯抜けの笑顔を見せて、なんぞ「レバーのような物」を手渡してきた。


「なんですの、これ?」

「制動装置の制御棒ってやつ? あたしらはブレーキって呼んでるんだけど」


 ……。


 ともかく、フロルは町の完成記念で植えられたという広場の大樹と、普段から身体をしっかり鍛えておいたことに感謝することとなった。


 その辺にぶちまけられた案内人たちも「クマより酷え」と文句を垂れる元気があるようで、よかった。


 ヨシノだけは重い荷物のせいで顔面からいったらしく、石タイルに赤いラインを長く引いていたが、フロルが雪で血痕を消し終えたころには綺麗な無表情を作り直し、起き上がってきた。


 熱き霧の世界は主要都市がひとつ、ヘロン市。

 ヘロン市は街の中央にある雪宿りの広場から東西の区画に分けられている。


「西側を管轄してるのは、うちの工房。東側は引退軍技師の“ボイラン”さんと、そのお弟子さんたちが見てる」


 シリンダの蒸気技術工房は、彼女の一家の住居を兼ねた大きな屋敷だ。

 ホールには万力のついた作業台が並び、壁際ではパイプと圧力計のついた装置が、しゅっしゅと音を立てている。

 数名のツナギ姿の技師が仕事に励んでいて、ふたつの金属板を見比べながら設計図を書いたり、パイプを細い棒で叩いて音を確かめたりしている。

 お客らしい女性は鍋を持ちこんできたらしく、困り顔で鍋のふたを指差して何かを言っていた。


「鍛冶屋、道具屋、あとは……暖房設備がいちばん大事だし、建築家の仕事なんかをまとめてやってる感じかな」

「みなさまがたは、シリンダさんのお弟子さん?」


 フロルが訊ねるとシリンダは「まさか」と笑った。


「うちの親の代からの職人さん。圧力計無しでも仕事ができるプロだよ。いちおうはあたしが親方だけど、毎日教えてもらってる立場さ」


 シリンダの家は、代々ヘロン市の西側の世話をしてきたのだが、代表技師だったシリンダの父が急逝したために、長女である彼女が継ぐこととなった。


「弟はまだ小さいし、母さんは胸が悪くてね」

「お兄様がいらっしゃるとか、おっしゃってませんでしたっけ」

「さっきの聞こえてた? あいつはダメ。自分のことばっかり。それに、蒸気の技術を悪いほうに使おうとしているんだ」


 シリンダの兄“ピーストン”は、蒸気技術の修行のために東側のボイランのもとに弟子入りをしていた。

 代表が亡くなった以上、彼に西の工房を継ぐ義務があるのだが、ボイランに心酔し、そちらの跡継ぎを目指しているという。


「跡取り問題については、あたしがなんとかするからいいけど、今のままじゃ街の東側が心配だよ」


 ふたつの作業所は、特に仲が悪いわけではない。普段から協力関係にある。

 市から投げられる仕事は共同だし、客の囲いこみもやっていない。


 しかし……。


「技術開発の方針っていうのかな。ボイランさんはもともと軍属の技師だから、武器ばっかり作ってるんだ。この国の首相は、隣の国の雪の少ない土地を欲しがっていて、ずっと戦争の準備をしてるし、このあたりには危険な生物も多いしね」


「戦争……」


 縁の遠い話だ。フロルの住む世界は、アルカス王国を始めとしたいくつかの国家と、小さな部族の集まりであるエソール共和国と、他いくつかの小国で構成されているが、どの国や部族のあいだでも、戦争や大きな紛争が起こった歴史はない。


「何代も前からずっと準備中のままだから、誰も心配してないんだけどね」

「わたくしたちの世界もそんな感じですわね」


 女神の枕における武力は、未開の異世界の開拓や、敵対世界への対策に当てられているが、異世界が相手となると、技術力や生活水準、軍事力に大きな差をつけられていることもざらだ。

 そんな相手が侵略の意思を見せるときに、戦うよりもいい手段がある。

 ゲートを閉じてしまえばいい。関係を断ってしまえば無用な争いは避けられる。

 そうやって、長きに渡る平和と安寧を守ってきたのだ。


「あたしとしては、世の中を便利にする技術を磨いて、それと交換に土地や生産品を手に入れたらいいと思うんだけど。外交を別にしたって、蒸気の技術を鍛えれば、この世界はもっとよくなると思うんだ」


 語る技師の瞳には一転の曇りもない。


「ね、あたしの研究室を見てくれない?」


 フロルは「是非」と、シリンダについていった。


 当主の死去により、なかば強制的に代表となった若い娘。

 どうしても自分と重なる。

 うしろの執事も「おいたわしやフロルお嬢さま」と、勝手にこちらのほうを悼んでくれている。


「あたしの研究室はね、じつはふたつあるのさ」


 ひとつは彼女の私室。質素な木製のベッドと棚、机があるだけだが、物の置けそうなスペースには、動物をかたどった金属製の置物や、小さな置き時計、望遠鏡、ほかにも使途の知れない道具が所狭しと並んでいる。


「他人の作った作品や道具を眺めてると、いいアイディアが浮かぶんだ。ちなみに、机に並べてるのは弟の“タービン”が作ったやつ。あいつ、手先が器用でさ」


 手のひらサイズの馬の置物だ。立ち上がったポーズで、いななきが聞こえてきそうだ。ごく薄い金属の板を張り合わせて……。


「この馬、つなぎ目がございませんわね」

「おっ、鋭いね。一枚の板を切り離さずに加工して作ってるんだ」


 筋肉まで表現された胴体に細い脚。

 この世界の馬の特徴なのか、尾っぽやたてがみはもちろん、ひづめのあたりも豊かに毛が生えており、それらすべてが細かく再現されている。


「タービンは、どっちかというと母さん寄りの才能なんだよね」

「お母様は芸術家でいらっしゃるの?」

「旋盤工の娘。父さんが部品加工を依頼しているうちに、兄貴ができたという」


 歯を見せ笑うシリンダ。


 次は本命の研究室だ。こちらは館の裏に継ぎ足すように増設された大部屋で、そりや馬車までが納められていた。

 かまどや金属の樽が置かれ、火に掛けられた大鍋からはきついにおいがただよっている。


「これは高圧洗浄機、鍋の中身はパッキンのためのゴム。そっちはスチームエンジンの試作品だけど、強度不足で難儀してるんだ」


「あちらはなんですの?」


 人が楽に入るほどの蔓のバスケットがあった。

 そのそばには、てかった布のかたまりのようなものが積まれている。


「それは気球ってやつ。熱くなった空気は上に行くでしょ? それを大きな……」

「存じておりますわ!」フロルは手を合わせ、食い気味に言った。


 小さいころ、王城で異世界の技術の博覧会が開かれたことがあり、気球に乗って空を飛んだのだ。

 国民から危ないとか怖いという苦情があったために、女神の枕の空を飛んだのはその日限りだったが、フロルにとっては代えがたい大切な思い出だ。

 二回も乗った。一度目は両親と。二度目はセリシールと。


 ――あの子、ずっとわたくしの手を握って、目をつぶってたのよね。


「でも、ご存知の通り、こんな天気ばかりの世界じゃ、滅多に飛ばせないけどね」

「でしたら、なんで気球を?」

「たまに覗く青空が好きだから。それだけ」


 そう言ったシリンダは頬を赤くしていた。

 だが、つと厳しい表情になり、「あたしたちは雪に閉じこめられてるんだ」。


「野菜ひとつ育てるにも、よその世界よりもずっと大変だと思う。温室って知ってる? 野菜や家畜を育てるために、わざわざ家を建てるんだ。温めるのにも燃料が要るし、燃料は掘ってるけど、いつかなくなっちゃうし」


 彼女は腰に下げたボウガンから青色の部品を外した。

 宝石のように輝く小さな石だ。


「これは魔導の世界から貰った魔導石。衝撃で熱を発するんだ。これを利用して熱で空気を圧縮して、矢を発射するってわけ。鎧熊の頭も一発だ」


 ――異世界同士の技術の複合。


「でも、これも限りがある。使い過ぎると魔力が無くなっちゃうんだ。向こうの世界のひとなら、石が砕けるまで魔力を注ぎ直せるらしいんだけどね。魔導世界のほかからも、便利な品を借りていて……」


 作業台の上のランプには見覚えがある。

 創造のアーティファクト、永久のともしびだ。


「あの、シリンダさん。お話の途中で申しわけないのですが、見ていただきたいものがございまして」

「おっと、ごめん。つい夢中になっちゃって」


 フロルは、本題である白い壁の向こうで見つけた装置の部品を見せた。


 すると、シリンダは、何か失敗をしたかのような顔で笑い、部屋の出入り口に立っていたルヌスチャンに向かって「扉を閉めてくれない?」と頼んだ。


「これは歯車。単に金属を削ったものだね。材質は鉄と炭の合金、鋼かな」

 シリンダが部品のひとつを指差す。

「わたくしの世界でも作れるものですわ」

「うちでは、これなしじゃ困るくらい。でも、こっちの棒は作れない」

「この棒が?」


 単なる枝状の金属の棒だ。

 洞窟の崩壊が迫っていなければ、回収対象にしなかったであろうスクラップ。


「まず、この合金はうちじゃ作れない。素材のうちのひとつを溶かすほどの炉が発明されてないから。それから、このつなぎ目を見て」


 枝分かれの部分に、溶け固まったような盛り上がりがある。


「溶接って技術なんだけど、この部分だけピンポイントで溶かしてくっつけてるんだ。炉を作るよりももっと高い技術がないと作れない」


 シリンダは言う。電気の技術か、それよりももっと先。

 自然物や物理現象を利用した技術は、積み重ねで高度になっていくという。

 最初は石や土を使った技術から始まり、粘土をこねた炉が作られ、そこから銅や鉄が生まれた。

 蒸気や圧力の技術もその先にあり、電気という技術も同じだそうだ。


「でも、うちのお偉いさんは電気は絶対にダメだって。禁制品なんだよ、これ」

「だから扉を閉めさせたんですのね」

「それからこの線、ケーブルっていうんだけど」


 フロルが拾ってきた残骸にあった赤と青の紐。

 破れた部分には細い銅の線が覗いている。


「電気よりも先の、電子技術用だろうね。被覆してるのは樹脂の一種かな……」

 紐を興味深そうに眺めるシリンダ。


「ふむ、無駄足でしたかな。もっと高度な技術の世界を訪ねるべきか」

 執事がなんぞ失礼なことを言った。


 するとシリンダは不機嫌になり、「技術は積み重ねなんだ。あたしたちの技術だって無駄じゃない。それに、うちにも禁制品のひとつやふたつはある」と返した。


 フロルは謝り、目の端で執事を睨む。


 続いて案内された屋根裏部屋には、いろいろな道具や箱が置かれ、異界の技術について記された書籍も積まれていた。


「これは懐中電灯。電気を貯めておく電池の力で光を生み出すの」


 筒状の物体を振るシリンダ。電池切れらしい。


「こっちはピストル。火薬の力で弾丸を飛ばすの。鉄の盾でも穴が開くよ。仕組みは分かるんだけど、部品の精度や強度が半端じゃない」


 熱き霧の世界でも模造品の製造は可能。

 ただし、この世界では火薬がしけってしまいます。


「ガラクタばかりですな」

「だからしまってあるんだけどね。見栄を切ったけど、役には立てないかも」


 シリンダはしょんぼりしてしまった。

 フロルはもう一度、執事を睨んだ。


「あの、こちらのほうきも何か?」


 興味を示したのはヨシノだ。ただの木製のほうき。


「よくぞ聞いてくれましたメイドさん。そのガラクタは父の仇です!」


 魔力を籠めると宙に浮くという、不思議な木でできたほうき。

 魔導の世界では魔法使いはこれを使って空の旅をするという。

 シリンダの父は酔っ払ったときに自分に魔力があると勘違いをし……。


「二階の窓からぴょんとね」

 そのまま帰らぬ人となったらしい。

「悲しさよりも、恥ずかしさと怒りが勝ってるよ。いまだに墓に文句を言ってやってる!」

 シリンダの顔はまっかで、今にも湯気が出てきそうだ。

「父さんが作った恥をひっくり返せるように、あたしの代で立派なことをやる!」


 彼女はため息をつくと、次の品の案内に移った。

 手のひらサイズの革のケースだ。


「あっ、そちらの品は存じてますわ……」

「まだ中身を見せてないんだけど?」

「中身でなくって、その箱についている家紋です」


 箱の留め具には見覚えのある刻印。

 矢羽根に似た花びらを五枚もつ花の紋様は、スリジェ家の家紋だ。

 この箱は、スリジェ家が贈答や寄付の品を入れるのに使う物だ。


「へえ、フロルさんのお知り合いの? これは爺さんの代で貰った女神様の道具で……」


 中から出てきたのは、破壊のアーティファクトの“太陽の舌”だ。

 小指ほどの筒をひねれば、その先端からすべてを焼き尽くすほどに熱い炎が出る。無宣誓では火は小さいが、フロルが誓いを立てて使えば、小一時間で街を焼き払えるだろう。


「便利だったんだけど、同じ道具を使って電気の領域に踏みこんだ技術者がいて逮捕されちゃってね。それ以来、ここでほこりを被ってる」


「むむむ……」お嬢さまは神工物を睨みつけた。


「フロルお嬢さま、いけませぬぞ」「盗ろうなどと考えてません!」

 執事の釘挿しに首を振る。


 ――セリスのご先祖様の足跡……。


 破壊の眷属は武力、創造の眷属は物質的な提供にて他者に貢献する。

 スリジェ家はいくつもの異世界に、このような慈善の痕跡を残している。

 これはまだ小さなほうだ。

 死に瀕した権力者の治療、貧困者の集まる地区丸ごとへの施し、蛮族ならぬ蛮世界に蹂躙された小世界の立て直しすらも手掛けている。


 ――でも、うちは……。


 もっぱら、壊すことが専門。残すのは爪痕ばかり。

 両親は気に留めていなかったようだが、幼少よりセリシールとべったりだったフロルは、スリジェ家の奉仕の精神に憧れとちょっとした嫉妬をいだいていた。


「ねえ、シリンダさん。わたくしにもあなたのお仕事、手伝えないかしら?」

「ホントに!? じつはそっちのこと聞きたかったんだけど、役に立ててなかったから、言い出しづらかったんだ」

「それから、お母様や弟さんにもご挨拶をしても?」

「是非是非! あたしが友達なんて連れてきたら、母さんきっと咳きこむよ!」


 それはちょっと心配だが……。

 フロルは興奮したシリンダに手を取られ、ほほえんだ。


 ――わたくしも、フルール家の当主として、誰かのためになることを。


* * * *

 * * * *

※本日(3/12)はあと一回更新予定ですわ~!

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