108.リセット・アンド・リスタート-03
フロル・フルールいわく。
ものごとには、勢いに頼らなければならないときがある。
魔族との婚礼……異世界交換留学生……噴水での告白。
アコのやってきた大きな行動はみんな、お姉さまがたの後押しがあったからこそできたことだ。
しかし、今回ばかりは、普段通りのフロルを見てしまったせいで、かえって問いかける意気地をくじかれてしまった。
――フロルお姉さまの、バカ。
また人のせいである。これが逆に、お姉さまたちに覗き見られているというシチュエーションなら、できたかもしれないが。
「言いにくいこと?」
「い、言いにくいといいますか、今聞くことじゃないといいますか……」
しどろもどろになってしまう。
アキラは黙って待っている。アコはやきもきしてきた。
彼のほうでは気がつかないのだろうか。
告白されたら普通、その先があるものじゃないのか。自分は世間のそういったことには明るくはないが、書物だの友人との会話だので知識くらいはつけている。
すでに付き合ってる判定?
彼の眼中にはない?
そもそも、あのときの返事自体が、あたくしの妄想だったのかも?
これだけ面倒なことを現在進行形でやらかしているのに?
「にゃーーーっ!」
アーコレードは両腕を振り上げてファイアボールを生み出し、その辺にいた船員にぶつけた。
彼はやられポーズを取ったあと引っくり返り、フェードアウトしていった。
「きゅ、急にどうしたの!?」「アキラさん!」
ずいっと、顔を近づける。勢い。勢いが大事だ。
まだ言えない。もっと近づけ。息が掛かる。
頭の中のフロル・フルールが「キッスですわ~」と言った。違う、そうじゃない。
「あ、あたくしたちって、その。つ、つつつつつ付き合っ」
「スタァァップ!」
男の声が割りこんできた。
「おまえは法を犯した!」
全身を丸みを帯びた銀色の鎧に身を包み、同色の剣と盾を持った兵士。
彼は背筋を伸ばした、とてもいい姿勢で駆けてくる。
「街のキャラクターに攻撃をしたら、衛兵が来るんだ!」
「ど、どうしましょう!?」
「大人しく逮捕されるか、罰金を払うか、倒すかしかない。罪を清算するまでは、お尋ね者として衛兵に追われ続けることになるよ!」
「おいくら払えば?」
「殺人は五〇〇〇ゴールド!」
初期の所持ゴールドは七〇〇だったはずだ。
というか、それすらも自分たちは持っていない。
「とりあえず逃げましょう!」
アコは青年の手を引いて走り出す。
それを見たプレイヤーだか住人だかも数人、逃げ始めた。
「罰金が五〇〇〇以上になると、善人キャラクターからクエストが受けられなくなったり、商店や施設の利用ができなくなったりするんだ」
「今はゲームのルールのお話はいいですから!」
波止場を走るふたり。街に入れば巻けるだろうか。
見物していたふんどし姿の鳥人が「課金プレイヤーのヒマつぶしだ」などと言った。
「スタァァップ!」
街のほうからも衛兵。
「もうお尋ね者に!?」
「リンクしてるんだ。アコは下がってて、悪人プレイはしたくなかったけど……!」
アキラが剣を抜き、衛兵の剣を弾く。
彼の背後から、もう一人の衛兵。
アキラはすぐさま振り返って剣を引いたが、反撃せず敵の斬撃を受けた。
「アキラさん!」
「……マズいな。アコ、いったん逃げよう!」
今度は、アコが手を引かれての逃走劇。
「衛兵はそんなにお強いんですか!? お怪我はありませんか!?」
「怪我はない。逆なんだよ。ぼくたちの力がそのまま反映されてしまってるんだ。だから、マズい。クールタイムもスキル条件も関係ないんだよ」
「どういうことですか!?」
「研究会の連中よりも厄介なのが来るかもしれない!」
「ど、どんな相手ですか!?」
「説明はあと!」
ふたりは宿場街に入り、さらに大勢の衛兵を引っ掛けながら走った。
「くそっ! 町の構造なんて、どこも同じかと思ったけど!」
「迷路みたいです!」
出口が見つからない。
曲がり角から現れた衛兵に問答無用で斬りつけられ、アコも彼らが自分たちに対して無力なのを知る。
それでも逃げている理由は分からないが、余裕が出てきた。
「空を飛んで逃げましょうか? あたくしなら、アキラさんもつれて飛べます!」
「魔法はまだダメだ。とにかく、衛兵のターゲットを外さないと」
「具体的にはどうするんですか?」
「設定次第だけど、距離を離す、時間経過、別のマップに移動するとか。とにかく、人目のつかないところに逃げこもう。ああ、マズいぞ。この先は市場だ!」
――人目のつかないところ。
ぴくり、アーコレード嬢の中の乙女、もといフロル・フルールが言った。
「愛の逃避行ですわ~!」
「へあ!?」声のするほうを見ると、本物のフロルご一行がいた。
フロルがセリスの手を引いて走り、そのあとを衛兵が複数人、それからシリンダとレクトロが追いかけている。
「さすがわたくしの相方……と言いたいところだけど、まさかあなたが泥棒をするなんて!」
「商品を手に取ってみただけですの! 本当ですの! 信じてくださいまし!」
隠れなきゃ。アコは衛兵のことをすっかり忘れ、青年の手を引いて屋台の中に潜りこむ。彼は「アコ、マズいって!」と言っているが、もう必死である。
……どたばた。フロルたちは、またもこちらに気づかずに走り去っていった。
魔導で気配を探りながら、息を殺して耳を澄ませる。
聞こえてくるのは、せまっ苦しいスペースにいっしょに収まったアキラの呼吸。
屋台のNPCの足は見えているが、ふたりきり。
――今、言うことじゃないけれど……。
恋する少女は勇気を振り絞った。
「スタァァップ! おまえは法を犯した!」「ああん、見つかっちゃった!」
ところが、慌てて屋台から出ると、銀色の鎧姿は背中を向けて遠ざかっていっていた。自分たちを追っていたと思われる衛兵たちも、それに続いていく。
「どうやら、フロルさんたちのほうにターゲットが移ったらしい」
「お姉さまがた、いったい何をやらかしたのでしょうか……」
「屋台のアイテムを触ったんじゃないかな。所有権が設定されてるアイテムを手に取ると、それだけで窃盗あつかいになるみたいだ」
「なるほど……」
アコは目の前に並ぶ果物からそっと身を離した。
屋台に立つ店員は無言で、首だけを動かしてこちらの手の動きを追っている。
「ちょっと待てよ……」
アキラが言った。
「彼女たちがどうやってここに来たのかも謎だけど、そもそも、この世界がゲームの世界だって、気づいてないんじゃないか?」
「そっか、直接入る方法があるなら、サンゲ神の開いたゲートがここに繋がった可能性もあるわけですね」
「だね。ちょっと、彼女たちに警告してくるよ」
「警告?」
胸に暗雲が立ち込める。自分たちは調和の眷属だ。
「アコの心配するようなことはないよ。でも、もっとマズいかも。さっき、説明するって言ってたことだけど……」
アキラは“ゲーム・マスター”と“サーバーのシャットダウン”についての説明をした。
ゲーム・マスター、GMとはゲーム世界における神のような存在で、著しくルールを乱したり、外部のツールを使うなどして不正をおこなったプレイヤーを処罰しに現れるという。
「ぼくたちは、チートプレイヤーみたいなものだからね。
ゲーム内に存在しないような、通常ありえないような力を使うと通報される。
でも、GMの権限が強いとはいえ、ぼくらにどのくらい通用するか分からない。
問題は、GMが対処しきれない場合にメンテナンスになってしまうことだ。
サーバーの電源が落とされると、プレイヤーはこの世界から追い出される。
キャラは電子的に保管されるけど、生身の場合はどうなるかは分からない。
最悪、消滅ということもありうるよ」
「消滅……」
イミューは、たましいを捕まえて転生させられるとは言ったが……。
「フロルさんたちを探してくるよ」
「あたくしも」
「アコは待ってて。会いづらいんでしょ?」
苦みの混じった笑いだ。アコも同じように笑う。
「プレイヤーに干渉されなくて、衛兵の目が届かない場所。かつ、街からは出ない感じで」
「でしたら、どこかに隠れてます」
「あ、それじゃダメか。プレイヤーに干渉されなくても、目につくところがいい」
「なぜですか?」
「すっかり忘れてない? ユリエさんのこと」
「あ!」
「ぼくも忘れてたけど、さっきのキャラクターとは別の姿になって来るから、こっちからは見つけづらいよ。サーバーのシャットダウンは事前にプレイヤーへ告知が行くし、彼女といれば安心だ」
安心。ちょっとした言葉尻だが、今からこっちは独りぼっちなのだと不満を言いたくなった。
アコはアキラと別れ、市場の隣の広場にある賢者の像で待つことになった。
灯台のように大きな像の足元には池があり、アコは池と足のあいだのわずかなスペースに腰かけて待つ。
「さっき、見たことのない装備をしたプレイヤーがいたぞ。ああいう、ドレスっぽい鎧もあったんだな。和服装備も見た。知ってたら近接職でやったんだけど」
「丈の長い装備はモデルの挙動がおかしくなるからなあ」
プレイヤーたちだろうか。
男声で話すエルフ美女とネコ科の獣人から、フロルたちの噂が聞こえてきた。
「そういや、白い毛皮が安くなってたから買っといたけど、要る?」
「要る要る。いくらだった?」
「五〇〇〇ゴールド。転売しようかと思ったわ」
「マジで? アーマードホワイトベアーのスポーン率直したのかな」
「せっかくだったらサブキャラ用にも欲しいし、狩りに行かね?」
狩りとは気軽に言ってくれる。アコはため息をつく。
魔導の世界では、魔物の狩りはハンターたちの生業であり、領地を守る大切な仕事であり、何よりいのちをベットしているのだ。
アキラが言うには、プレイヤーキャラクターは死んでも生き返れるらしい。
彼らは痛みも感じない。生命力も数字やゲージで表現されていた。
きっと、戦いのさなかに敵や味方のいのちが潰えたかどうかで不安になることも、生温かな血が冷え固まってはりつく感触も知らないのだろう。
独り、しょんぼりと空を眺める。
このゲームを運営する世界は文明が進んでおり、都市はドームに守られて平和で戦争や侵略もなく、恋愛も自由だと聞いた。
じわじわと動く太陽を、うらめしく見つめ続ける。
ゲーム内は一日がやたらと短いらしかったが、アコは永遠の中に閉じこめられた気がした。
「お待たせ」
アキラが戻ってきた。
「おかえりなさい」
顔を見た安堵に加え、おかえりなさい、なんてさりげない挨拶にときめく。
仮面から覗く青年の口も「ただいま」と言ったあと、はにかむように笑った。
「もう少し目立つところに行こうか」
アコはいきなり抱き上げられた。
「えっ、えっ!?」
風を切る感触、景色が、人々や屋根を下へ置き去りにする。
「ほかのプレイヤーが壁蹴りで屋根に上ってるのを見たんだ。ここなら波止場側から入ってすぐに目につくし、誰にも邪魔されないよ」
賢者の像、老人は片手で杖をかざし、もう一方の手には開いた書物を携えている。アコたちはその本のページの上に着地した。
「おっと」「ご、ごめんなさい」
謝るもふらつき、抱きとめられるアコ。
エレベーターを思い出して、すっかり足がすくんでいた。
「フロルさんたちには伝えておいたよ。それから、ヘドレの端末も預けてきた。今のぼくたちには人脈がないから、彼女たちのほうがきっとうまく使えるはずだ」
「そ、そうですか。あの、お姉さまがたは、お帰りに?」
「サーバーやGMの件はレクトロさんが理解してくれたけど、フロルさんは帰る気はないみたいだ」
フロルたちは、シリンダの故郷の熱き霧の世界の雪山を経由してきたという。
そのゲートはイミューによって塞がれていたが、最近になって何者かに壁が破壊されていたらしい。
シリンダも、アコと同様に宇宙の長旅をして帰界をしていたが、戻ると同時に「愛と憎しみのエネルギー研究会」の噂を聞くようになったという。
熱き霧は女神の枕の「隣の世界」でもある。
両女神と王の命によりフロルたちは敵を追いかけ、ゲートの監視には熱き霧の軍隊や、破壊の神殿の力までも借りているという。
「そうそう。お姉さんたちが言ってたよ。きみのことは王様に取り計らってもらってるって」
「それって……」
「イミューのことは任せましたわよ、だって」
アキラの伝言を聞き終わらないうちに、夕陽はぐちゃぐちゃににじんでしまった。
作り物の太陽は、まぶしいけれど温かくはない。
いつか明け方の噴水でそうしてしまったように、夕暮れのここでも、アコは青年の胸へと顔を埋めた。
すると不思議なことに、ふたりを包む光までもが暖かく感じられるようになっていく。
彼は優しく背を叩いてくれた。
よかったね。大丈夫だよ。ぼくも手伝うから。
けれども、少女は自分はやはり卑しいのだと感じた。
でも、それでもいい。
お姉さまがたがついてくださっている。それも信頼してくれているのだ。
「あの、アキラさん。この前に言ったこと、憶えていますか?」
彼は何も言わない。アコはこれを肯定と決めつけた。
「あたくし、あなたに好きだって言いました。アキラさんは、どうですか」
もう一度沈黙。空は斜陽のピークを迎え、世界そのものが情動を持っているかのように輝き、激しくも美しい光景を作り出していた。
だけど……。
「ごめんね」
肺や心臓が無くなったかのように、呼吸が止まる。
宵闇に消えゆく日差しの抱擁。
「ぼくは転生して間がないから、まだ混乱してるんだ。それに、憶えてるぶんを合算すると、きみのお父さんくらいは生きてきちゃってるし」
こころの中のフロル・フルールが「押しが足りない」とこぶしを振り上げている。
ラヒヨも加勢して、ふたりして「くちびるでも奪え」とけしかける。
反対に師であるセリスは「それはお断りの言葉かと思いますの」と告げた。
――……。
「だったら、もう少し落ち着いたら、あらためて考えてくれますか。あたくしと、恋人同士になってくれますか?」
青年は答えない。困っているのか照れているのか、身じろぎをした。
アコは逃がさんと抱擁を強くし、両足をしっかりと賢者の本に踏ん張る。
「答えてください」
「じゃあ、もし、そのときになっても、きみの気持ちが変わってなかったら……」
彼が言い終わらないうちに身を離し、アーコレードは小指を突き出した。
「約束、してください!」
「きみたちの世界でも、そんなふうに約束するんだね」
「この前もあなたとやりました!」
あくまでかわす気か。今度は腹が立ってきた。
「それに、あたくしたち、の世界です! アキラさんだって、今は魔導の勇者の身体です! 若くも見えます! あたくしのお父様は、もっとよぼよぼです! それからあたくしは、もうおとなです!」
めいっぱいの背伸び。おあつらえ向き、彼の仮面はくちもとを覆わない。
アーコレード・プリザブは、この世界が創りものだとしても、自分たちは本物で、この感触が本当で、自分の想いが紛れもない真実なのだと識った。
彼のくちびるはそれに相応しくないように抵抗したがやめてやらず、押し倒すようにし、いよいよ身体が重力を感じても構わなかった。
ふたりは賢者の本からこぼれ落ちる。
彼がどう思ったかは分からない。それは単に落下から守ろうとする優しさかもしれなかったが、落ちていきながらも、アコは自分の身体がしっかりと抱きしめられたことに満足した。
それから、どぼん。盛大に池へとはまる。
生意気にも、水はしっかりとふたりをびしょ濡れにした。
「だ、大丈夫!?」
遅れて身を起こすアキラ。アコはすでに、小指を突き出しなおしていた。
「分かった、降参だよ」
落ちた衝撃で仮面が外れていて、彼の顔の全部が見えた。
「約束しよう」「約束です」
結ばれる小指。
彼は笑っていた。アーコレードも笑っていた。
それから、
「みーちゃった、みーちゃった! アキラとアコが、ちゅーしてたーっ!」
見知らぬピンク色の髪の女の子も、満面の笑みでぴょんぴょんと跳ねている。
ふたりは顔を見合わせたまま、お互いの瞳を通して自分たちの表情が硬直するのをよーく理解した。
「調和の女神の眷属が、破局するとか離婚するとか、絶対に許さないからね!」
女の子はこちらを指差し、にやりと笑う。
そんでもって、「えーっ、私も見たかったーっ!」と、女の子からは別の声も聞こえてきたのであった。
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