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107.リセット・アンド・リスタート-02

 アコが目を覚ますと、そばにはユリエ・イヌヤマがいた。

「おはよう、アコちゃん。イミューの世界は楽しめた?」

「あ、は、はい」

 出迎えが彼女だとは思わなかった。同胞だというのに身構えてしまう。

 目覚めたのは、狭いが清潔感のある部屋だった。

 無個性なパイプベッドに棚やテーブル。電子文明のモニターも置かれている。

 お約束の世界のホテルの一室に似ているが……。

「ここは私たちの隠れ家。といっても、異世界嫌いの法治世界だから絶賛違法滞在中だけど」

「あの……」

「アキラさんは隣のお部屋だよ」

 思わず視線を落とし、頬を熱くしてしまう。

 別に、彼のことを訊ねようとしたわけではない。

「あたくし、イミューの世界から出た記憶がないのですが。入ったときはゲートだったのに」

「あの子の世界は少し変わってて、ゲートに入る夢を見るところから始まるの」

「夢!?」

「夢の中だけど、確かに彼女と干渉できてるよ。夢の中で起こったことは、本当に起こったこと」


 アコは胸をなでおろし、「よかった」と呟いた。


『約束したものね。夢だと思って忘れたりしたらイヤだよ!』

 イミューの気配だ。見上げてうなずく。

 ユリエが「仲良くなれたんだね」とベッドのふちに手をかけ、弾むように勢いよく立ち上がった。


 渡された朝食のパンを封切りながら、ユリエから状況の説明を聞く。

 ヘドレから端末を奪ったものの、持ちぬし本人と認証できなければ機能が制限されるらしく、こちら側には解析する手立てもないため、敵の本拠地は今のところつかめてないらしい。


「生体認証はゲート開門とかの重要な機能だけで、ほかはロックが掛かってなかったの。メールとか予定表とかは見放題だったよ。連中は最近、ゲームをしてるみたい」

「ゲームですか?」

「遊んでるってわけじゃないんだろうけどね。でも、内容がロールプレイングゲームのことを言ってるみたいで」

「ロールプレイングゲーム?」

「説明するより、見てもらうほうが早いかな。食べたら、隣の部屋に行こう」


 ユリエは「アキラさんのいる隣の部屋ね」と繰り返した。

 パンをのどに詰まらせるアーコレード。

 ユリエが笑って、ストローのささったパック飲料を勧めてくれた。


 隣の部屋に行くと、何やらアキラが電子機器らしいバイザーを頭に装着して立っていた。手首や足首にも小型の装置が巻き付けられており、両手にはボタンや小さなレバーのついた道具が握られている。

 ディスプレイには、どこかの世界の港町が映し出されていた。


「アコちゃん起きたよ。元気みたい。ご飯も食べさせた」

「そっか、それはよかった。もうちょっと待って。切りのいいところでやめるから」


 アキラは白いシャツに黒いズボンという、さっぱりした服装で、半そでの腕が肌を覗かせていた。

 彼の親指がステックを倒したり、腕が何かのジェスチャーを示すたびに前腕の筋肉が動く。なぜだか目が離せない。アコは挨拶も忘れて見入った。


「よし、ログアウト完了。フリーの回線を借りてるから、たまにラグって困るよ」

 バイザーを外す青年。彼はこちらを向いて笑顔を見せた。

「おはよう、アコ」

「お、おはようございます」


 アコは、顔がほったらかしにしたパンのように固くなっているのを感じる。

 にやけてしまうから、しかたがない。


「あれれ~? いつの間にか呼び捨てにしてるぞ~?」

「この前もそうだったけど? 彼女の希望通りに呼んでるだけだよ」


 ユリエは「ふーん」と、いぶかしげに青年に顔を近づけている。

 ちょっと近くないですか。どういう意図の「ふーん」ですか。

 アコは、ユリエのことを無理矢理にでもアキラから引っぺがしたく思った。


 ――そんなことより、使命!


 気持ちを強引に引きもどし、彼に何をしていたのか訊ねる。

 ユリエは「わ、まじめっ子だった」と、意地悪にも思えることを口にしたが、聞こえないふりをしておく。


 アキラによると、ヘドレの率いる研究室は、バーチャル・リアリティー・ゲームと呼ばれる、電子的に再現した世界へ「生身で入りこむ研究」をしていたという。


「ぼくも理屈はよく分からないのだけど、こんなふうに公式のガジェットを使ってアクセスするとか、肉体を電子データに変換するとか、そういうことをしないで侵入しようとしていたみたいだ」

「そんなことが可能なんですか?」

 ユリエが首を傾げた。

「メッセージのやり取りから判断すると、すでにできていたらしい」

「ゲームの中に入って、何がしたかったんだろ? ここは私たちの生まれた世界よりは技術が進んでるみたいですけど」

「どう思う、イミュー?」

 アキラが頭上を見上げる。

『世界征服に決まってるよ。だって神様ごっこをしたがる悪の組織なんだし!』

「人間が創ったゲームの世界に征服も何もなくない? どうしてもっていうなら、運営を乗っ取ればいいような?」

『それが何か世界征服の役に立つことになるに違いないよ!』


 アコは黙って三人のやり取りに耳を傾ける。

 電子ゲームについてはさっぱりだし、「アキラとユリエの世界」についても知らない。今更になって、やっぱり自分の居場所はここではない気がしてきた。

 だが、怖気づいていてもしょうがない。

 アコは自分にもゲームを体験させてくれないかと申し出た。


「移動は右手のスティック、上半身はトラッキングしてくれてるから、現実と同じように動いてみて」


 ガジェットを身に着けたアコは、仮想空間を見ながらアキラの声に耳を傾けた。

 確かに、現実とそっくりに再現された世界に見える。景色は本物と同じ。

 町を行き交う人は、実際のものよりも少し、絵に寄った見かけをしている。


「ちょうどそこに空き瓶が置いてあるから、拾ってみて。普段通りに瓶に手をかけて、コントローラーをホールドすればつかめるよ」


 指示通りにするも、プレイヤーキャラクターは、なかなか瓶を握ってくれない。


「もう少し、こっち。それで、スティックの先のほうを軽く握って」

 耳元で彼の声。それから、手首が捕まれて誘導され、手のひらも包まれてこぶしを握らせられた。

 手伝ってもらえば貰うほど、ヘタクソになってしまう。


「アキラさん、ゴルフを教える昔のおっさんみたいですよ」

「失礼な。イヤだったら言ってね」


 アコが慌てて顔を振ると、ユリエが笑った。

 イミューまでもが『仲良しだね!』と煽ってくる。

 瓶をつかんで、鞄に入れる。それから町を出て、一番弱い敵キャラのベビースネークや、それよりも少し強いらしいヒルハウンドと戦う。


 なるべく集中してプレイしたつもりだったが、けっきょく何度もアキラに手ほどきをさせてしまった。キャラクターの操作には徐々に慣れてきたが、そばにある体温と優しい声が、アコの全身を温め、反対に脳を凍てつかせていた。


 ――フロルお姉さまのバカ!


 ここにきて姉役への悪態。

 アコは着の身着のまま、戦場から飛び出してきていた。

 つまりは、ブラッド・ブロッサムのおそろいの衣装を着たままだ。

 腕はほとんど露出しており、短すぎるスカートやカットの大きい背中が、熱やら汗やらを発している気がしてしょうがない。

 自分と彼の発する体温と魔力が交じりあっている。空気を吸いこむ肺や、感じ取る身体の表面が、なんとも罪深い震えに支配されてしまう。


 ギャラリーが「チャー・シュー・メン!」(ってなんだろう?)だとか、『あたしもやりたいなあ』などと、横から口を挟んではいたものの、もはやアコには、彼女たちがいないような、あまたの世界すべての中で、アキラとふたりきりになってしまったかのように思えた。


「あっ、アイテムが消えてしまいました!」

 敵のイヌの死骸から、拾いそこなった毛皮を回収しようとすると、イヌの姿がゆっくりと透明になって消えてしまった。

「今、横切ったプレイヤーが持って行っちゃったみたいだね」

「プレイヤーということは、あたくしと同じ人がやったってことですか?」

 町のほうへと草原を駆けていく男の背中が見える。

 アコは「泥棒!」と声をあげ、見知らぬプレイヤーを追いかけ始めた。


「このゲームのマナー的にどうかは知らないけど、追わなくてもいいよ」

 アキラが笑う。

「それよりアコ、彼やほかのNPCから、魔力は感じたかな?」


「いいえ、さっぱりです。リアルに再現されているとはいえ、魔力はもちろん、嗅覚や触覚もありませんね」

「アコほど敏感に察知はできないけど、ぼくも魔力は感じないね。ほかに、気づいたことは?」

「えっと、個人的なことですけど、あたくしって、人や物の出す魔力の感覚に無意識のうちに頼ってたみたいで、なんだかずっと違和感があります」

「ぼくの世界では、脳に電気的に働きかけて触覚にフィードバックする技術も研究されてたけど、このゲームはそこまではやってないみたいだ」


 ユリエが「そんな不完全な世界に入ってもしょうがないですよね」と口を挟む。

「やっぱり、暇つぶしに遊んでただけ?」

 すると、頭上から『ちぃっちっちー』と楽しげな声が降ってきた。


『人が創ったものでも、意思を持った存在が集まれば、立派な世界だよ。女神が人を創り、女神が世界を創りける。しかし、人が人を創りても人たりえて、世界が世界を創りても世界たりえり!』


 舌ったらずな女神の声が、歌うように語っている。


「人がいれば、女神様的にも世界って呼べるってことですか?」

『人間だけじゃないよ。ゲームのキャラクターでも、人間じゃなくて動物でも植物でも、ロボットでもおんなじ!』

「ロボットや植物でも?」

『認識さえされていれば、世界は世界でいられるの。それがあたしたち神が創ったものでも、人間が創ったものでも、そのゲームのキャラクターがまたゲームを作ったとしても、おんなじ!』

「目の回る話。だったら、ゲームの世界を征服して満足してればいいのに」

 ユリエは投げるように言った。


「ねえ、イミュー」

 アキラが言った。

「イミューの次元にも、ぼくらと同じように世界がある?」


 女神はしばらく黙ったあと、『秘密』と、こわばった声で言った。


「イミューの次元にも、ぼくらにとっての女神様のような存在がいたりは?」

 またも『秘密。言っちゃダメだから』。今度は、どこか泣きそうな声にも思えた。


「シミュレーション仮説、あるのかな」

 アキラのひとりごとのような問い。

 アコは女神から、強い当惑と震えのようなものが伝わってくるのを感じた。


「あの、アキラさん。イミューが怖がってます」

「そうだね。ごめんね、イミュー」

『気にしないで。神様にも神様のルールがあるの。意地悪じゃないよ。秘密にしてるからって、キライにならないで』

「あたくしには、難しいことは分かりませんけど、大事なことは仲良くなれるかどうか、だと思います」

 アコはバイザーを外し、青年の顔と神の気配を交互に見た。

 彼はほほえみ、気配も柔らかくなる。


「それで、けっきょく私たちはどうしたらいいの?」

 ユリエがぼやく。ベッドに腰かけて仰向けに倒れこんだ姿勢だ。


『連中を追いかけて捕まえて、ぎゅう! って言わせようよ! ユリエちゃんの力を使ったら、ゲームの世界にも入れると思う!』

「正確には、私の借りてる肉体の力だけど。入れたとしても、ゲーム内の世界で私たちの法則がどれくらい通用するか分からないし、帰れないかも」

『でも、あいつらは出たり入ったりしてたっぽいんでしょ?』

「その手段が、私たちにも使えるかどうか分からない」

『じゃあ、ユリエちゃんは行かないの? 女神のあたしが創った世界の人間が創った世界よ? ビビることはないよ!』

「そこまでしてゲーム内に入る意味が分からないって話ですよ。今まで通り、あっちこっちの現実世界を旅して探しても同じでしょう?」

『でも、ゲートを開く装置はダメだったし、あいつらはどんどんすごくなってるよ。サンゲやミノリの力も勝手に使って。この前は、世界のルールを書き換えたなんて言ってたし……』

「ビビッてるのは女神様のほうじゃないですか」

『ビビッてないもん!』


 アキラが手を上げ、「じゃあ、こうしよう」と提案する。


「ユリエさんにはこっちに残ってもらって、ぼくが行くよ」

「アキラさんだけで?」

 問いかけに首を振る青年。

「ユリエさんにはプレイヤーとして同行して貰っていいかな? ゲーム中で次元を切り裂く力が使えなくても、外から開いてもらえるし」

「確かに。でも、往復ができるかどうかは、ちゃんと確かめないと。そもそも入れないかも。アコちゃん、ちょっとそれ貸して」


 ユリエはガジェットを身に着けると、ディスプレイに向かって武器を振り抜く仕草をした。

 すると、ディスプレイ装置を横断するように青く縁どられた裂け目ができあがり、その内側には映像から続いてゲームの世界――始まりの港町――が覗いていた。


 アキラが物を投げこんだり手を差し入れたりして確認をする。

「出入りは可能そうだ。それじゃ、行ってくるね」

 アキラは剣を携えて黒コートを羽織り、わざわざ仮面をつけた。


 それから、ほんの少しだけこちらに目配せをした……気がする。


「ほら、アコちゃんも早く行きなよー」

 バイザーをした女は口元が笑っている。


 アコは裂け目の向こうから伸びる手を取り、新たな世界へと飛びこんだ。

 さっきまでガジェットで触れていた景色と同じ光景が広がってはいるものの、確かに自分の意思と手足で動き回れる。

 港の桟橋が返す足裏の感触。遠くの海鳥の声。貿易船のきしむ音と圧迫感。


「はい、ふたつ報告です!」

 ユリエの声をした若い男のキャラクターが言った。

「この世界は小さすぎて、イミューには入れないって。それから、私はキャラメイクしなおしてきます。ヒューマン男より、女がいいので」

「ヒューマンでいいの? ビースト・ブラッドやバード・ソウルもあったけど?」

 アキラが訊ねると、プレイヤーキャラクターは「ちぃっちっち」と指を振った。

「アキラさんは分かってませんねえ。私は人間の女として獣人のオスに愛されたいの! 秒でキャラクリしてくるんで、待っててくださいね!」


 ぱっと、プレイヤーキャラが消滅した。


「さて、ユリエさんが戻ってくるまで、どのくらいかかるかな。チュートリアルのスキップは無いっぽいんだよね」


 アキラはそう言うと、積まれた樽に腰かけた。

 アコも、こちらに向いて棒立ちの船員NPCの目を気にしつつも隣に座った。


「ヘンな世界です。触ってる感触はあるのに、魔力を感じませんし、海なのに潮の香りもしない」


 ――!?


 いや、潮の香りがする。

 アキラも気づいたらしく、ふたりは顔を見合わせた。


「イミューの言ってた、認識のせいかな? でも、魔力は……」

 お互いに顔を見合わせる。

 NPCや地形から魔力を感じなくとも、自分たちの魔力は感じる。

「でしたら、もしもここに生身の人間がいれば、すぐに分かりますね。プレイヤーはどうなんでしょうか?」


 ゲームのキャラクター、人間や獣人のようなものは行き交っているが、どれがプレイヤーでどれがNPCなのか、アコには区別がつかなかった。


「プレイヤーはたくさんいるよ」

「でしたら、プレイヤーキャラには魔力は無いみたいですね」

「だね。そのうち、見れば区別がつくようになるよ。でも、人としては部分的な接続だし、この世界にいるホントの人間は、ぼくたちだけかもね」


 ――あたくしと、アキラさんだけ。


 この世界でもしっかりと頬は熱くなる。

 はたと気づく。ユリエとイミューが不在の今がチャンスだ。


「あ、あのアキラさん」「ん、なんだい?」

「この前のお話の、続きですけど……」


 噴水前の告白。

 アコはアキラに「好きです」と伝え、「嬉しいよ」という回答をもらっていた。

 しかし、アキラから見てアコはどうなのか、それで恋人同士なのかということは聞けていない。あのときは完全に舞い上がっていて、そのことに気づいたのはずっとあと、イミューにチョコレートの地面を食わされていたときだった。

 ユリエの立ち位置が分からなかったために、彼女の存在を知って以降は、ずっと対抗心を燃やしている。


「あの、あたくしたちって、その……」


 ……アキラが樽から降りた。

 拒絶かと思い、ひやりとするも、彼の意図が読めた。

 彼の気にしている先。交易所の建物のある方角から、生きた魔力の気配。


「誰かがいる。行ってみよう!」

「ちょっと待ってください!」

 アコはアキラを積まれた樽の陰へと引っぱりこんだ。

「ごめん、話はあとで聞くから」「そうでなくって!」

 アコは顔の前で人差し指を立てた。「お静かに」

 ある意味では、自己都合で彼を引き留めたともいえないが、アコには感知した魔力の感触に覚えがあったのだ。


「お待ちになりなさい! わたくしから物をスリ盗ろうなんて、一億万年早いですわ!」

 擦り切れた布の服を着た男のキャラクターを追う、プラチナブロンドの女。


「よっしゃ行けーっ、フロルーッ!」

 それを追いかけるのは、ツナギ姿の女性シリンダだ。

「フロルさん、お待ちになって!」「走るのきっつい……」

 振袖姿の女セリスと、小太り男レクトロもそれに続く。


 彼女たちは波止場を通りすぎて、街の奥へと消えていった。


「なんでフロルさんたちが……。それにしても、よく分かったね。ぼくには魔力だけで誰かまでは分からないかも」

 アキラは樽に腰かけ直した。

「彼女たちが動いてるなら、のんびりやってもよさそうだね」


 アコも同意して座り直す。


 ――お姉さまたちもいらっしゃる。


 フロル、セリス、シリンダにレクトロ。

 今は逃げ隠れしてはいるものの、離れていく魔力を愛おしく感じた。

 アコは全身から力を抜き、ふーっと息を吐き切った。


「それで、さっきの話って何かな?」

「ええっとぉ!?」


 アキラがこちらを見ている。

 アコはむせた。それからフリーズ。

 恋する少女は、安堵の息とともに、勇気まですっかりと吐き出してしまっていた。


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