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010.うら若き乙女は湯気がお好き-02

 フロルたちが防寒具の準備をし終えると、吹雪の中から毛皮をあしらった鎧姿の男が三名現れた。


「ああああ熱き霧の世界へ、よよよようこそ!」


 常雪(とこゆき)の世界の住人とはいえ、寒いものは寒いらしく、彼らはがちがちに震えており、身分の確認もそこそこに道案内を始めた。


 ゲートは崖の上に存在しているらしく、フロルたちが出たのと反対の側は断崖絶壁だった。数歩行けば崖下へまっさかさま。

 吹雪と巻き上がる雪が覆い隠し、天然の殺人トラップになっている。


 ルヌスチャンが「相変わらず目印も立てておらんのか」と苦言を呈すると、毛皮鎧の一人が「落っこちたらすぐ街に着くので近道ですよ」などと陽気に宣った。


 案内に従い、足裏の感覚を頼りに雪道をくだる。

 国賓として招かれたわけではないため、待遇がもうひとつなのは仕方がない。

 それでも、彼らが先頭になって、槍らしきもので雪をかきながら進んでくれているおかげで、ずいぶん歩きやすくなっている。

 少し道を外れれば、フロルのお腹に届くほどの高さに雪が積んでいた。雪慣れしていない異界人にとっては、雪かきだけでも相当ありがたい。


「ヨシノ、今何か聞こえなかった?」「聞こえましたね」


 風の音に混じって、ぐるぐると唸るような音が聞こえた。

 文化的世界でも遺世界でも、常に警戒しなければならないもののひとつ。

 男性陣も立ち止まっており、執事が「獣ですかな?」と質問している。


「右側前方だ!」


 案内人の一人が叫ぶと同時に、彼らは白い闇の中へと槍を突きこんでいた。

 怒りを孕んだ短い唸りとともに、大きな何かが動く。

 景色に溶けこんで敵の姿はほとんど見えないが、出血している箇所だけが赤くちらついた。


「トドメを刺すぞ!」


 何かが勢いよく吹き出す音とともに、焦げ臭いにおいが漂った。


 ――変わった武器ね。


 一見、幅広の穂先を持った槍――ただのグレイブ――だが、やいばが白熱しており、やいばの付け根の筒状の部品から勢いよく蒸気が噴出していた。


 毛皮の戦士たちは何度か突きを繰り返すと、「退治しました」と落ち着き払った声で言った。崖の近道ジョークを言った男だけは「ふふん」と得意げだ。


「あら、もふもふ……」


 案内人たちが倒したのはクマだった。

 フロルの世界でも見かける生き物だ。

 知ってるクマと異なる点は、体毛が長く、色がまっしろなことだ。

 触ってみるともふもふではなく、ごわごわだった。


「では、下山を続けましょう。雪の深みにはまらないようにご注意を」

「槍の蒸気を使って雪かきをなさったらお早いのでなくって?」


 フロルが疑問を呈すると、鼻で笑われてしまった。


「下手に融かすと凍結して危険ですよ。ま、ふもとまで滑って降りるっていうなら別ですけどね」


 態度がなっていない。

 フロルはルヌスチャンから出された忍耐のお題を反芻してこらえた。


「だったら、なぜ、わざわざ熱した武器を?」

 訊ねたのはヨシノだ。彼女は「ずぴ……」をすすっている。


「スチームグレイブを使うのは、獣が焦げた肉のにおいを嫌うからですよ。僕ら人間はさっぱり鼻が利きませんけど、オオカミなんかは嗅ぎつけます。連中は群れでクマも狩ってしまうし、クマなんかより、よっぽど恐ろしいですよ」



 解説した男が、急にぐるんと側転をするように吹き飛んだ。



 再びクマの声。ほかの二名がすかさず武器を突きこむ。

 だが獣の呻きではなく、金属同士のぶつかる音がし、火花が散るのが見えた。

 白熊が雪の中から当て身で返して、ふたりとも弾き飛ばされてしまった。


「援護を!」


 フロルは指示とともにつるぎを抜く。

 クマは倒れた男のどれかに追撃を掛ける気らしく、旋回する様子が見えた。


 その一瞬、クマの顔面の片側が「金属のマスクのようなもの」で覆われているのに気づく。顔だけではない。振り上げた前足も甲冑に覆われていた。


 ぎゃあ。男の悲鳴がフロルの背筋を熱くする。

 フルール家は武力と勇気の一門。

 案内される立場とはいえ、友好的な異界人のいのちを守る義務がある。


 勇者と称されたお嬢さまの跳躍。

 装甲付きのドレスだろうと、足場の悪い中だろうと、確実に距離を詰める。

 それから、雪の中にすっぽりと腰まではまり、スカートの中に冷たい雪をたっぷり抱きこんで、思わずいけない吐息を漏らした。


 咳払いひとつ。


 フロルは発声とともに刺突を放った。

 毛皮部分を狙ったが、クマが激しく動いたために逸れ、火花が散った。


「ひーっ! く、喰われちまう! ()っけてーっ!」


 案内人は地面とクマのあいだにグレイブを挟みこんで持ちこたえている。

 抱きかかえるようにした槍の柄が枝のようにしなって、今にも折れそうだ。


 フロルは「こちらをお向きになって!」とクマを何度も突いた。

 毛皮部分を突いたはずが、皮膚が厚く、冷えも手伝ってやいばが通らない。


 そうこうしているうちにクマが立ち上がったか、押しのけられて雪の中へと尻もちをつかされた。


 ――しまった!


 油断をしていたわけではない。

 フロルだって、危険な世界を何度も歩いてきた実績がある。

 意思疎通の出来ない敵へは先手必勝。

 細剣で倒せそうもない相手には、女神の力で対抗すべき。


 あえて前もって宣誓をしなかったのは、執事の口にした「忍耐」に自信が無く、破壊の衝動を招くのを恐れてのことだった。

 今さら誓おうにも、寒さがくちびるも舌もむしばんでいる。


 フロルは雪の冷たさを背中とお尻に感じながら、クマがターゲットをこちらに変更したのを知り、安堵した。

 案内人は食い殺されずに済んだだろう。


 ――でも、わたくしは……。


 少し未来の我が身を憐れむお嬢さま。

 獣くさい息を感じ、クマが腕を振り上げたのが見える。

 その持ち上がった腕は、一瞬のうちに肩から離れて宙へ舞った。

 クマは悲鳴をあげ、うしろ足で立ち上がり、そのまま背中から倒れていく。


「忍耐が足りないのは、わたくしめも同じですな」


 執事のため息。

 抜き放たれた業物のサーベルには血の一滴すらも見当たらない。

 ルヌスチャンがそばにいる限り、荒事での心配はまずないだろう。


「それは置いて……フロル様、なぜお力を使いにならなかったのですかな? 忍耐というのは、破壊の衝動への抵抗を含めてのことですぞ。破壊神の眷属とはいえ、過ぎた戯れに負けぬようにこころを鍛えて……」


 ほうら、お説教が始まった。

 可哀想なわたくし。終わるのを待っていると全員凍死だろう。

 フロルは無視して立ち上がり、案内人たちの生存を確認した。

 彼らは腰をさすったり腕を押さえたりしてはいるものの、いのちには別条がなさそうだ。


「お、おおお嬢さま。お、お役に立てなくて申し訳ごごごございません。さささ寒くて、ににに荷物も邪魔で……」


 巨大リュックメイドはがちがちに震えている。

 ヨシノは寒いのが大の苦手で、冷えすぎると血肉を操作する力も鈍ってしまう。


「ははは早くここを離れましょう。けけ獣に捕まったら保存食にされてしまいます」

「そうしましょうねー」

 フロルはぶるぶるメイドを進行方向へ押してやった。

 ヨシノは「無限に食べれる晩御飯になるのはイヤです……」と、なんか怖いことを言っている。


「まだ生きてやがった!」


 案内人の一人が叫んだ。

 肩口から先を失ったはずのクマが、立ち上がっていた。

 鉄の仮面に覆われた側の瞳が赤く光り輝いている。

 グレイブが立て続けに刺さるも、甲冑で覆われた片腕がぐわんと持ち上がる。

 正面にいた案内人は、武器を手放し、あとずさった。


 しかし次の瞬間、クマの頭は落としたリンゴのように砕け散った。


 白熊が倒れ、雪煙があがる。


「チャン? 仕留め損なったわけではないわよね?」


 フロルが説教男のほうを見ると、彼はぷいとそっぽを向いた。

 たぶん、わざとか、仕損じに気づいていながら説教を始めたのだ。

 どこまでも当主を鍛えるためなのだろうが、他人のいのちを危険に晒すのはやめて欲しい。フロルも負けずに、ぷいとそっぽを向いてやった。


 それから、攻撃の飛んできた方角に、そりに乗った人物を見つけた。

 全身をフード付きの毛皮で覆い、顔も眼鏡のようなもので保護している。


「鎧熊、また出たんだね」


 彼女はクロスボウのような武器を構えていた。

 あれでクマの頭を射抜いたらしい。

 通常の(いしゆみ)とは違い、筒状の部品が付いていて、そこから蒸気があがっている。


「市長にはあたしが迎えに行くって言ったのに」


 そりから降りた女性はフードと保護眼鏡を外すと、「これはつけたままで失礼」と皮手袋の手を差しだしてきた。


「初めまして。お助けいただき、感謝いたしますわ」

 

 フロルもガントレットのままに握手を交わす。


「どういたしまして。お手紙をくれた女神の枕のフロル・フルールさんね? あたしは熱き霧の“ヘロン市”で蒸気技師をやってる“シリンダ”」


 シリンダと名乗った若い女性。

 彼女は長い茶髪を雪と踊らせて、ちょっと黄ばんだ歯を見せ友好を示した。

 歯列には一本の欠けがあり、快活そうな顔立ちと表情を後押ししている。


「あたしのスチーム・スレイで下まで送ったげるよ。怪我人も全部乗っけてくれてオーケー!」


 彼女は親指で背後のそりを指差す。


「あら? あのそりって……」


 そりは荷車も連結して引いているようだが、それらを引くための動物が見当たらない。


「へへ、やっぱり驚いたね? これ、あたしが作ったんだ。イヌに引かせる代わりに蒸気で走るのさ!」


 シリンダはそりの先頭にまたがると、レバーを操作した。

 すると、そりに上向きにくっついた筒がひと震えし、勢いよく蒸気を吐き出した。


 ルヌスチャンも初めて見るらしく、「ほう」と声をあげている。


 ――くっそ寒いだけかと思ったけど、おもしろいものが見られそうね。

 

 フロルは気分よく怪我人と荷物を積みこみ、運転手の隣に座ると、準備ができたことを伝えた。


「シリンダさん?」


 呼びかけるも、シリンダはクマの死骸をじっと見つめたまま動かない。

 ゴーグルの下の瞳も険しい。


 ――さては……!


 お嬢さまは「仇」というワードを想起する。


 読書好きの頭脳が、「鎧熊に恋人を殺された少女が復讐心を燃料にエンジニアとなり、害獣を殺す研究を続け、最後はその技術で誰かの恋人を殺してしまう」という、悲劇的ストーリーを組み立てはじめた。


 お嬢さまは首を振り、もう一度運転手へと呼びかける。


「……兄貴の奴め。おっと、失礼。ぼーっとしてた。しっかりつかまっててね!」

 シリンダはそう言うと、運転席にくっついた船の舵のような物を手にした。


 ――シリンダさんの、お兄さま?


 またも悲劇的ストーリーを組み始める頭脳。

 妄想や詮索は失礼。

 フロルは、おのれを律しようと腕を組み、ひとりでに「我慢よ」とうなずく。

 それから、そりが急発進したはずみで、うしろに座るヨシノの頭にごっつんこしたのであった。


***

※本日(3/12)はあと二回更新予定ですわ~!

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