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001.わたくし、手加減は苦手でしてよ-01

 ――もし、あの子に見つかったら、なんて言われるかしら。


 うら若き乙女“フロル・フルール”は、身分に不相応な泥棒という行為のさなか、そんな心配をしていた。


 大きな両開きの扉の陰から中を覗くと、衛兵が二名ぽっち。

 あるじ不在中のイレギュラーとはいえ、彼らは槍とモップで武装している。


 宝物殿の最奥に行くには、彼らは避けて通れないだろう。

 フロルは、彼らが顔見知りでありませんようにと祈って、プラチナブロンドのポニーテールを弾ませ飛びこんだ。


「出たぞ! “怪盗ブラッド・ブロッサム”だ!」

「セリシールお嬢さまのおっしゃっていたとおり、破廉恥(はれんち)な衣装の女だ!」


 ――は、破廉恥ですって!?


 自慢の自作衣装をこき下ろされた娘は言葉を呑み、顔右半分だけを覆った仮面の顔で男たちを睨んだ。


 ちょっと聞いて欲しい。怪盗の衣装は破廉恥ではなく、実用的なものだ。

 高い伸縮性を持ちつつも、薄くて丈夫な漆黒蝶の繭糸の生地で肢体をぴったりと覆ったもので、とても動きやすい。

 それでも、闇夜に紛れて仕事をするのに最も適したそれが、ボディラインをあらわにして煽情的(セクシー)なのは承知していたため、深緋(ふかきあけ)色の花のようなスカートをあしらって臀部は覆い隠している。


 ……むしろ、これがあることで跳躍するたびにスカートの下が、ひらりちらりと覗き、警備の目を引くのだが、フロルはそれが好きだった。


 ――衣装に細かくこだわるのには、重大な理由がございましてよ。


 兵たちが破廉恥娘を捕らえようと、得物を構えた。

 しかし彼女は、男どものあいだを難なくすり抜けてしまう。

 間際にレイピアをふた振りし、彼らの槍とモップをまっぷたつにしておいた。


「鋼鉄の槍だぞ!? あのつるぎは神工物(アーティファクト)か!」

「待て、ブラッド・ブロッサム!」


 がくん、と腰が引っぱられ、つんのめりそうになる。


「お触れにならないで!」


 思わず、回し蹴りを一閃。

 腰から伸びたリボンをつかんだ男の顔面を、ヒールで打ちつけた。

 相手を倒さずに素通りしようとすると、大抵はこうなる。この衣装の弱点だ。


 つかまれたのは今回の侵入で五回目だったが、やはり、ちょっと聞いて欲しい。


 メイド長が、これを「可愛い」と褒めてくれたのだ。

 たなびく長いリボンは、二本の尻尾のようになっており、飛んだり跳ねたりすれば、プラチナブロンドのポニーテールとともに華麗な軌跡を残すのだ。


 ゆいいつ、衣装に手を加える余地を挙げるならば、顔面の右半分を覆うまっしろなマスクだ。当初は素顔のまま活動をする予定だったが、執事が「お顔を晒すのだけはご容赦ください」と無理矢理つけさせたものだった。もっともである。


 一所懸命デザインした衣装なのに! と娘がリボンを気遣うと、月明かりが照らす床面に血液がぼとぼと滴るのが見えた。


「は、鼻が折れた……」

 小間使いの男が顔を押さえてうずくまっている。

 

「よくも非戦闘員を!」「そんなことおっしゃられても!」


 鎧を着こんだ衛兵が、折れた長槍を捨て剣を抜く。

 相手は兵士。武器の専門家とはいえ、力量差は明らかだ。

 怪我人は出したくないが、手加減は苦手。

 不名誉な通り名である「血を咲かせる」(ブラッド・ブロッサム)は、フロルの意図するところではなかった。

 今宵の仕事場は特に、顔見知りの多い場所でもある。


 ――だいたい、殺して奪うつもりなら、わざわざ怪盗になんて扮しませんわ。


 彼女はレイピアの刀身にくちづけ、短きことばをつむぐ。


()の願いは()の願い」


 誓いの言葉に女神の作りし芸術品が応え、黒鉄色の刀身がしなやかな鞭へと変じた。

 風切り音が衛兵の手を叩き、立て続けに鎧や兜を打ちつける。

 兵は手首を押さえ、呻き声をあげて座りこんだ。


 ――やはり、わたしくは手加減が苦手。


 落胆。衛兵の手首は折れてしまった。鎧も、鞭で打った箇所がすべて変形。

 軽く撫ぜただけのつもりだったのに。

 ここのところ、女神の授ける力が急に増幅しつつあった。

 このままいけば、何か恐ろしいことが起こるのではないか。


 怪盗の娘は、不吉な予兆を夢に見ていたのだ。


 “破壊の女神サンゲ”が微笑み、おのれに世界を滅ぼすように命じる夢を。

 フロルは神意になすすべもなく従い、破壊の限りを尽くすのだ。

 両親から継いだ屋敷も、召使いたちも、友情も、この王国さえもすべて。

 夢であって妙に現実感のあるもので、目覚めるたびに震えと焦りに襲われた。


 ――ですが、悪夢も本日で終わりに致しますわ。


 この先、アルカス王国いちの財を誇るスリジェ家の所有する宝物庫には、多くのアーティファクトが納められている。

 スリジェ家は代々、“創造の女神ミノリ”と心をかよわす血筋である。

 破壊神と相反する力を持つ女神の作った宝であれば、自身の力を抑える助けになるはずだ。

 だから、家宝でもなんでもパクる予定だ。


 ふと、フロルは首をかしげた。

 そろそろ最深部に到達するはずだが、殿内の警備があのふたりだけ?


 疑問に思った矢先に、前方が明るくなった。次いで、熱風が左頬を撫ぜる。


「ひーっ!? 髪が焦げちゃう!」


 廊下いっぱいの巨大な火球が、床や天井を焦がしながら、こちらへと急接近してきていた。

 女神の鞭で迎え撃つと、火球は赤黒い霧となって弾けて消える。


「私たちのファイアボールが掻き消された!」「信じられない!」


 あどけなさを残した少女の声が、ふたつ響いた。

 宝を隠す巨大な鉄門の前には、おとぎ話の絵本から飛び出て来たような紺色の三角帽子とマントの小魔女がふたり待ちかまえていた。


「さすが異世界、油断できないわね」

「お姉ちゃん、作戦Bで行こ!」

「オーケー、セリシール嬢にいいところ見せるわよ!」


 このそっくり瓜二つの顔には、なんとなく見覚えがあった。

 先月、アルカス王陛下が開いた「世界間無礼講ぶんちゃかパーティー」に国賓として出席していた、“魔導の世界”の主要国“マギカ王国”の大使姉妹だ。

 ふたりは弱冠十歳にして、魔術のエキスパートだと聞いている。

 恐らくは同盟世界に恩を売るために、名門たるスリジェ家の警備を買って出たというところだろう。


 小魔女たちが背丈ほどの杖を正眼に構えた。

 すると、周囲の空間に頭ほどの大きさの火球がつぎつぎと現れた。


 ――異界の技術、魔術。うちのキッチンにも欲しいわね。


 魔法とはいえ、火は火に過ぎない。すべての破壊と創造をつかさどる女神たちの願いを宿した神具には及ばず、怪盗が鞭打てばあっさり霧に変じて消える。


 ――でも、どうやってふたりをやり過ごそうかしら。


 さすがに、異界の要人の幼女を鞭打ったりレイピアでつついたりはできない。

 勝手知ったる旧友の屋敷とはいえ、ノープラン過ぎたかもしれなかった。


 火球が襲来するテンポが上がり、次第に鞭も追いつかなくなる。

 フロルはリボンや大切な髪が焦げないように細心の注意を払い、しなやかに身をかわし続ける。


「丸焦げになりなさい!」「増量サービスだよ!」


 火の雨が一旦やんだかと思えば、次の瞬間には空間を埋め尽くさんばかりの大玉のファイアボールが現れた。


 一抹の不安を胸に、女神への“第二宣誓”を検討する。

 あの扉の向こうの宝物が、喉から手が出るほど欲しい。


 ――いえ、ダメよ。頭を使いなさい。


 かぶりを振り、腰のポシェットから一枚の“カード”を取り出した。

 美女の横顔が描かれた札は、女神にささやかな願いを叶えてもらえる使い捨てのアーティファクトだ。


()の願いは()の願い! ……ごめんあそばせ!」

 怪盗の娘はカードにくちづけ宣誓し、「破局」の願いをこめて双子のあいだへと目掛けて投げた。


 ……すると、おもむろに火球が消え、魔女の娘たちは鏡合わせのように向かい合い、それから、そろって眉間にしわを作った。


「お姉ちゃん、今朝はどうして私のプリン食べちゃったの?」

「あなたのおねしょの身代わりになってあげたお礼だったでしょ!?」

「でもあれ、本当に私がやったのか怪しいよ!? お姉ちゃんがしたやつかも!」


 双子は言い争いを始めたようだ。

 以下の内容は彼女たちの名誉を著しく傷つけるものだったために、喧嘩を招いた張本人は聞こえないふりをしてやった。


 ――魔法使いとはいえ、小さな子どもですわね。


 涙目で罵倒し合うふたりを見て、怪盗の娘は手でしなをつくり、「おほほ」と笑う。双子は、杖でお互いの頭をぽかぽかやっている。


 ――ああ、可哀想。

 フロルは、何やら背筋がぞくりとし、咳払いで誤魔化した。



『面白い。破壊の力をこう使うか。やはり、わらわが見こんだだけのことはある』



 ……頭の中で、女の声が響いた。撫でるような、誘うような甘い声。


『フロル・フルール。可愛い娘。わらわはそなたが遊ぶところが、もっと見たい』


 フロルは、警備どころではなくなった双子をぼんやりと眺めた。

 今はああやって喧嘩をしてはいるが、「願い」の効力は一時的なものだ。

 関係性の根本を曲げたわけでないため、ふたりはきっと明日の晩には同じベッドで同じ夢を見るだろう。


 ――さだめすらも同じくする姉妹。羨ましいですわね。


 だが、この絆が元に戻らなくなったらどうだろう?

 永久に壊れてしまったら、遺されたほうはどうなるのだろうか?


 流される雫はきっと、女神の至宝にも勝るとも劣らない価値を宿すだろう。


 フロルのくちびるの隙間から、吐息が漏れた。

 彼女はいつの間にか、鞭から元の姿へと戻った黒色のやいばを構えていた。


 ――どちらが姉で、どちらが妹かしら? 襟から覗く首筋が可愛らしいわ。

 


「お待ちなさい! 怪盗ブラッド・ブロッサム!」



 凛と響いた女性の声。フロルは我に返り、振り向く。


 黒髪の、黒き瞳の知った顔。

 スリジェ家が総領娘の“セリシール・スリジェ”だ。

 彼女が一歩踏み出すと、長き髪が静かに揺れた。


「当主の不在を狙った姑息な犯行。そのうえ、幼いふたりの仲を引き裂く卑劣な謀略の行使……」


 セリシールは「キモノ」の袴の帯へ手を差し入れると、カードを取り出した。

 女神の符を指に挟み、袖で口元を隠してなんぞ呟き、虹色の光を呼び起こすと、輝くカードをこちらへと向かって投げてきた。


 フロルも女神への宣誓をつぶやき、赤黒いもやをまとった符を投げて応じる。

 二枚のカードが宙でぶつかり、音もなく消えた。


「セリスお嬢さま、お下がりください。賊も第ニ宣誓まで使うと聞いております」

 キモノの娘の前に、黒い燕尾服姿の若い男が、かばうように立ちふさがった。


「ザヒル、おどきになってください。わたくしだって第二の文言まで賜っております。それに、次期当主のわたくしには、留守を守るという使命があります」


 ふたりのやり取りをよそに、フロルは仮面で隠されていない側の顔を手のひらで覆っていた。

 やはり執事の言う通り、顔の全部を隠しておけばよかったのだ。

 正体がバレてしまえば、フルール家の信用は失墜してしまうだろう。


 ため息をつく。ああ、わたくしは何もかもをぶち壊しにする女なのですわ。


「もういや! お姉ちゃんなんか丸焦げにしてやる!」

「やってみなさいよ! 私の火炎耐性はレッド・ドラゴン並みなんだから!」

「私だっておんなじよ!」


 ひときわ大きな罵倒が聞こえたのち、執事の男を押しのけたセリシールが指輪をかざすのが見えた。

 指輪から虹色の膜が広がり廊下を塞ぎ、令嬢たちがおぼろげになる。

 同時に、強烈な光と熱気がフロルの背中を押した。


「しまった!」


 振り返れば、魔女姉妹が互いに杖を向け合いながら劫火に消える姿。

 とっさにしゃがみ顔を背けるも、肩がじりじりと熱線に舐められるのを感じた。


 大爆発。鼓膜は無音の震動だけを拾い、素肌が熱風の激しさを教える。


 ……。


 フロルが立ち上がると、魔術を発動した双子は、まっさおな顔になって石床で伸びていた。恐らくは酸欠だろう。鉄の扉は赤熱してひしゃげており、石の壁も崩れて静かな庭園が覗いている。


 ――まともに喰らったら死んでたわね。


 衣装の端々に焦げは見られるものの、身体には痛みを感じない。

 その代わりに、フロルの胸には「黒焦げの人間」が抱かれていた。


「フロルお嬢さま、ご無事ですか」

 それ(・・)がささやいた。深い海色の瞳と、聞き慣れた女の声。

 

「あなた……」「お静かに。今宵は退却なさってください」


 フロルは小さくうなずき、身代わりとなった女の額にキスをする。

 苦い味のする女はこともなげに自身の足で立ち、あるじの手を取った。


 怪盗の娘は、結界への籠城を決めこんだ家主たちを一瞥すると、女とともに壊れた壁から飛び出した。


 ――セリス、酷く怒っていたわ。今度からどんな顔をして会えばいいの?


 もう一度、手を繋げればと思っていたのに……。

 思い返すはこちらを睨む黒い瞳。

 幼馴染の非難に満ちた表情は、フロルも初めて見たものだった。


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