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『……ふむ、当然の報いだな。流石は知の神、メティス様』
神力を利用して遠く離れた地で起きた事の顛末を見守っていたラディウスは、そっと目を開けると金色の瞳を細めたまま独りごちた。
星の数ほども存在する世界の中で、もっとも重い罪。
それが神殺しだ。
あの日、本当にオフィーリアが死んでいたら。
オフィーリアの魂が壊れてしまっていたら。
あの者達の処分はこの程度では済まなかっただろう。
それこそ冥府の最下層へ連行され、終わりの見えない拷問を受け続けることになっていたはずだ。
そう考えればあの者達は運がいい。
オフィーリアが生きていたお陰で、この程度の処分で済んだのだから。
まあ、自尊心の根源である称号を剥奪された当人達にとっては生き地獄だろうが……。
冥府のそれと地上のそれ。どちらがより残酷なのだろう、とラディウスは思う。
「ラディウス様? どうかなさいました?」
『いえ……あ、いや。何でもないぞ、オフィーリア。それより、島は順調に進んでいるようだな』
ラディウスはパタパタと飛翔してオフィーリアの肩に着地をすると、目の前に広がる光景を眺めながら満足気に頷いた。
「はい。本当に奇跡のような光景ですね……」
あれから二月が経った。
神力によりローザの病を癒し、正体を隠すことを止めたオフィーリアは、その意志と力でもってあっという間に島の環境を改善していった。
この島の問題点は大まかに三つあった。
一つは痩せた土地により植物が育ち難いこと。
自給自足が難しいせいで食糧を本国に頼らざるを得ず、ノークス領はこれまで国からいいように利用され続けてきた。
しかし、広さと人手は十分過ぎるほどあるため、食糧問題さえ解決出来れば本国に頼る必要もない。
そのため、オフィーリアは島全体に神力を注ぐことによっていとも容易く豊かな土壌を作り上げた。
ラディウスの助言により、神力の練習も兼ねて多めに力を注いだところ、一夜にして緑豊かな島へと変貌を遂げたのだ。
何なら少々育ちすぎてしまったほどで、現在も領民達は仕事そっちのけで収穫や伐採に勤しんでおり、嬉しい悲鳴を上げている。
すっかり復調したローザも、元来の人並外れた魔力量と術技の数々を遺憾なく発揮し、率先して領民の作業を奪っ……手伝っている。
付き合わされているマーサやヘクターは少々大変そうだった。
二つめは、島周辺の特殊な海流によって本国としか交易が出来なかったこと。
この点に関しては悩みの種であると同時に、ある意味、他国から守られていた面も否定出来ない。
九百年間枯れる気配もなく魔石を含む鉱石を大量に産出し続けている島は、他国にとっても非常に魅力的だろう。
下手な国にその存在を知られれば、資源目当てに攻め入られることは想像に難くない。
オフィーリアとラディウスの力を持ってすればどれだけの大軍が来ようとも撃退は容易いが、それでは根本的な解決策とは言えなかった。
海流の操作自体は神力を使えばあっという間なのだが、防衛に難のある現状で安易に海流を変えるわけにもいかない。一先ず保留となったこの点は、三つめの問題点を解決することにより解消された。
その三つめというのが、日照時間が短い点だ。
オフィーリアがどれだけ土地を豊かにしようとも、植物が自力で育つために十分な日光を得られなければ元の木阿弥である。
島中の植物が枯れる度にオフィーリアが神力を注がなければならないようでは、島に未来はないのだから。
とは言え、ノークス領の日照時間が短いのは座標によるもの。人の力ではどうしようもなく、これこそまさに神の力でしか解決出来ない問題点であった。
もっとも単純な解決策として、ラディウスいわく、神力で島を移動させることは可能らしい。
しかしそれは、神力の扱いに慣れている場合。
単純に島だけの移動であれば今のオフィーリアでも出来なくはないらしいが、人や動物など生物が存在する場合は難易度が上がるようで……移動に失敗すると大変なことになるのだそう。
移動に失敗して海に放り出される、なんて例はまだ良い方で、次元の狭間に置き去りにされたり、体の一部だけが次元の狭間に置き去りにされて――なんて例もあり得るらしい。
怖すぎて絶対に出来ないと思ったオフィーリアだった。
そんなわけで、一番切実な問題にも関わらずお手上げ状態だったオフィーリアだが、そこは師匠の出番。
人間では思い付かないアイディアでもって、アッサリと解決策を提示してくれた。
神力の扱いが未熟であるオフィーリアでも、無難に解決する方法。
それが、神力で大地と島を切り離した後、海に生息する【アイランドタートル】という巨大な魔物を呼び出し、好きな場所まで島を運んでもらうという方法だった。
他にも、中級神である太陽の神を呼び出して擬似太陽を作ってもらう案や、これまた中級神である大地の神を呼び出して新たな島を造ってもらい、そこへ移住する案など幾つかあったが……畏れ多かったのでどれも却下した。
例え自分の方が位が上だったとしても、私情で神々を呼び付けるなど小心者のオフィーリアには絶対に無理だ。永遠に出来る気がしない。
そんな対案の後に聞かされただけに、アイランドタートル案は一番お手軽かつ目から鱗だった。まるで庭の木の植え替えに業者を呼ぶような気軽さである。
神々と比べてお手軽とか思ってしまったアイランドタートルには申し訳ないが……。
しかし、日照時間は一番切実な問題。
結局、アイランドタートル案を採用することとなり、ラディウスのコネで魔物を紹介してもらい現在に至る。
それに伴い島を縛り付けていた海流も変えたのだが……何とこの海流、ラディウスの部下でオフィーリアを救ってくれた海龍が作り出していたものだった。
何でも初代クラルティ国王がこの海龍と契約をして、現ノークス領であるこの島を他国から守っていたらしい。
国王の死により契約はとうに切れており、その後再契約出来る器の者はいなかったが、戻す理由も特になかったためそのままにしていたのだそう。
話を聞いたグレイスが、そんな理由で島が縛られていたのか……と、項垂れたのも無理はなかった。
ノークス領の現状を知らなかった海龍は、お詫びにと全領民で分け合っても暫くは保ちそうな量の海産物をくれた。
その上で、グレイスならばと契約をしてくれて、現在はアイランドタートルと共に島の移住に協力してくれている。
海の中にも魔物はわんさかいるため、彼の露払いのお陰で旅路は極めて順調だ。
また、目的地に到着した後も彼に海流の操作を頼めば防衛面も心配はないだろう。
島は目的地に向かってぐんぐんと進んでいる。
そんな奇跡のような光景を目に焼き付けるため、グレイスとオフィーリア、そしてラディウスは屋敷二階のバルコニーから海を眺めていた。
「アイランドタートルって本当に凄いですね」
『フフン。我が目をかけている位だからな』
オフィーリアに頼み込まれて素の口調で話すようになったラディウスは、つられて態度まで素になったようで、小さな胸を張って言った。
アイランドタートルはドラゴン同様高い知性を持ち、人の言葉を解する。それでいて魔物の掟である弱肉強食から外れず、生き延びるためには強き者に従う柔軟さもある。
ラディウスが呼び出してくれたアイランドタートルは、子供でありながら途方もない巨体を持ち、島を悠々と押し運んでくれている。
目的地は元の場所から遥か東に位置する穏やかな海域だ。
移住先に関しては当然、領民達も含めて何日も話し合った。
候補先はいくつもあったのだが、閉ざされた環境にいた住人達に選定は難しく、最終的にはオフィーリアが挙げた場所に落ち着いた。
知識だけは豊富なオフィーリアがそこを勧めた理由は、主に二つ。
これからノークス領が独立国家としてやっていくためには、安定した環境と良き隣人が必要となる。
穏やかで職人気質な人々が住まう島国、月出国――その近海ならば、ノークス領も平和に過ごせるはずだと思ったことが一点。
そしてもう一点は、ノークス領の資源が枯れることのなかった理由である【龍脈】。それが丁度月出国の側を通っていたという点だ。
龍脈とは大地に流れるエネルギーの通り道である。
ノークス領はその龍脈の真上――龍穴に位置している影響で、採っても採っても資源が枯れることはないのだとラディウスに教えられた。
鉱物資源はノークス領最大の武器だ。
正直、それを失っては立ち行かなくなる。
仮に龍脈から外れたとしても資源は数百年は保つだろうとラディウスは言うが、やはりその恩恵を手放すのは惜しい。故に条件のピタリと合う月出国の側へ移住することにしたのだった。
まあ、所詮オフィーリアの知識も本によるものでしかない。
実際に月出国を訪れたことのある者は一人もいない(ラディウスはこれまで人の世にそこまで興味がなかったらしい)のだから、向こうでは何かしら問題も起こるだろう。
それでも、薄暗い檻を抜け出して新天地へ飛び立てるだけで、領民達の瞳は、表情は、心は、希望に満ち溢れていた。
ちなみに、領民にはこれらの奇跡を【神獣】であるラディウスが行ったものとして話している。
オフィーリアは神獣と契約をした神子であり、オフィーリアの望みでラディウスが島の環境を改善してくれているのだと。
そのため、オフィーリアは領民達に【白の神子】と呼ばれるようになった。白き神獣の寵愛を受ける、心清らかな乙女として。
オフィーリアとしては領民に嘘を吐くのは些か心苦しかったのだが、ラディウスとグレイスの二人にオフィーリアの安全と負担を考えた上でそうした方が良いと提案されては断れず、そのような形に落ち着いた。
客人ではなく一領民となった今も、相変わらずグレイスはオフィーリアに対して過保護で、優しくて、特別扱いをしてくれて。
それが少々心苦しくもあり、嬉しくもある。
心配性な保護者が増えたことで、どちらかと言えば厄介になりつつあるが……。
そのグレイスは、と言うと。
オフィーリアの隣で嬉しそうに景色を眺めていたはずが、いつの間にか何故か肩を落とし、どんよりとした空気を醸し出していた。
理由が分からずオフィーリアはおろおろする。
「あ、あの、グレイス様……? どうなさいました?」
「ああ、いえ……済みません。あの薄暗い空の下から解放された島を見られて、とても感慨深くて……」
「では、何故落ち込んで……?」
「それは、……俺が不甲斐ないからです」
「?」
言葉と態度がまるで裏腹なグレイスに、オフィーリアは首を傾げる。そんなオフィーリアにグレイスは少しばかり力なく微笑んで、続けた。
「この島が王国から解放されたのは、全てラディウス様とオフィーリアのお陰です。本当はノークス家の子孫であり、次期領主である俺がどうにかしなければならない事だったのに、全て任せきりでしたから……少し、情けなくなってしまって」
「! それ、は……」
グレイスの本音を聞いた瞬間。
オフィーリアは頭を殴られたような衝撃を覚えた。
グレイス達はオフィーリアの命だけではなく、心をも救ってくれた。
その恩返しがしたい一心で神力を惜しみなく使い、この二ヶ月、島の環境改善に取り組んできた。
少なくとも、反応を見る限り領民達は喜んでくれていた、と思う。島が豊かになるのなら、本国から解放されるなら、思う存分太陽の光を浴びられるなら、と。
事実、反対する者は一人もいなかった。
しかし、こと今更になってもっとも配慮すべき領主――グレイスの気持ちを蔑ろにしていた事実に気付いたオフィーリアは、愕然とした。
オフィーリアは療養中、この島の真実についてグレイスから教えてもらっていた。
オフィーリアが城の書物で学んだ限りでは、誰も手を上げなかった島の管理に、唯一ノークス公爵が自ら名乗り出てくれたのだという旨が書かれていた。
しかし、事実は全く違った。無実の罪で島流しも同然に放り込まれ、何代にも渡って厳しい生活を余儀なくされてきたのだ。
その無念たるや察するに余りある。
それでも公爵家は、領民達は、諦めることなく島と向き合い続けてきたのだ。いつか豊かな暮らしが出来る日が来ることを信じて。
だからこそ、この島は子孫であるグレイスの力によって解放されるべきだったのだ。
安易に全てを神力で解決せず、グレイスに力を貸すことで解決可能な問題もあっただろう。
――特に本国との関係は。
だというのに、オフィーリアは自分が祖国と縁を切りたい一心で、グレイス達も同じ気持ちに違いないという勝手な思い込みから強引に解決してしまった。
心優しいグレイスのことだ。
領民のためを思えばこそ、手段を問わず島の解放を優先したのだろう。全てが落ち着いた今だからこそ、ポロリと本音が漏れたに違いなかった。
「ご、ごめん、なさい……。私、なんて出過ぎた真似を……っ」
『!!』
俯き肩を震わせるオフィーリアを見て、ラディウスは一息にグレイスの顔面へ詰め寄ると、その鼻先を小さな足でゲシゲシと踏み付ける。
『グレイスお前、我の前でオフィーリアを泣かせるとは良い度胸だな? おう?』
「ああ、違いますオフィーリア! 君を責める気など毛頭ありません!!」
オフィーリアの様子に慌てたグレイスは、顔面にほぼほぼ張り付いていた竜を引き剥がしペイっと放り捨てると、オフィーリアの前に跪いてその手を優しく取った。
そして、『お前最近我に対する態度が酷くないか……?』と零すラディウスを華麗に無視して、俯くオフィーリアの顔をそっと覗き込む。
「そうではなくて……この島を王国の呪縛から解き放つには、人の力でどうこう出来るものではなかったと分かっています。分かっていながらも己の無力さについ落ち込みましたが……だからこそ、今後は俺に出来る事を全身全霊で全うするつもりです」
「……それは、」
「二人が生まれ変わらせてくれたこの島と、オフィーリアを守る事です」
「!」
グレイスの言葉に、オフィーリアはハッと顔を上げた。
そうして浅葱色の澄んだ瞳を見詰める。
「オフィーリア。俺の過去と未来は、君のお陰で救われました。これまでも、これからも……島という監獄の中で生きるしかなかった俺達に、自由と希望をくれた。だから今度は俺が、過去からも、未来からも君を守りたい」
「グレイス、さま……」
ほんの少し熱を帯びた、この上なく真摯な眼差しに射抜かれて、オフィーリアは動けなくなる。目が、離せない。
「――愛しています、オフィーリア。隣で君を守り続ける権利を、俺にくれませんか?」
真っ直ぐで優しいその言葉に、オフィーリアの胸は苦しいくらいに甘く締め付けられる。
それと同時に、言葉には出来ないほど色んな感情が込み上げてきて、気付いた時には涙を零していた。
「……っ、はい……! 私も、ずっとずっと、グレイス様を守ります……!」
「オフィーリア……!」
すっくと立ち上がったグレイスは、感極まったようにオフィーリアを抱き締める。力強くも優しいその抱擁に、オフィーリアは益々涙が止まらなくなった。
そんなオフィーリアの涙を、グレイスは何度も優しく指で拭っていく。
『…………おい、グレイス。オフィーリアにベタベタ触れるなんて百万年早いぞ。離れろ』
バルコニーの手摺に腰をかけ、一応空気に徹していたラディウスだが、先ほど投げ捨てられた恨みもあるのか。
二人の元まで飛んで来ると、愛おしそうにオフィーリアの頬を撫でるグレイスの背中をゲシゲシと蹴る。
まあ、グレイスは全く意に介していないのだが……。
そんな時だった。
「!」
「この声は……」
村の方から、「神子さまー!!」「オフィーリア様ー!」「グレイス様ー!」「神獣様バンザーイ!」という歓声が届いて、二人は顔を見合わせる。
恐らく、この奇跡のような光景を肴に遊宴をしていたのだろう。何とも賑やかな村人達の声に二人は笑みを零した。
せっかくの祝い事だ。
村に顔を出すべくバルコニーを出ようとしたところ、
『乗れ、オフィーリア! …………と、グレイス』
肩乗りサイズから優に大人二人が乗れる大きさへ変化したラディウスが、バルコニーに背を向けて停空飛翔をしていた。
ラディウスが自在に大きさを変えられることを知ったのは、割と最近のことだ。
本来の姿は体長十数メートルを超える巨体らしいが、オフィーリアを怖がらせないよう鳩サイズになっていたのだという。
謝罪に来て怖がらせては本末転倒だから。
そうでなくとも小さい方が何かと都合が良いようで、基本的には小さめの姿をとっているらしいけれど。
神力を使えばこんなことも可能なんだなぁと、改めて感心したオフィーリアだった。
二人は顔を見合わせ、頷き合う。
グレイスが風魔法を使用して自分達をラディウスの背中へ運ぶと、ラディウスはその重みを受けて大空へと舞い上がった。
とうに元の海域を抜け出した島には、眩しいほどの日差しが降り注いでいる。
そんな陽光の下で村人達は海を眺めながらお祭り騒ぎをしていたが、二人がラディウスの背に乗って現れると一際歓声が大きくなった。
「神子さまー、神子さまー!」
「ありがとう、神子様ぁ!!」
「グレイスさまー!」
「また遊びに来てくださいー!」
「わー! ラディウスさまカッコいー!」
グレイスでさえ初めて見る領民達の底抜けに明るい笑顔に、二人は肩を寄せ合って手を振り応える。
そんな様子を見て一部の領民は「グレイス様やっと告ったんですかー!?」と盛大な野次を飛ばし、人々の笑いを誘っていた。
『フフン。さっさと求婚すれば良いものを、随分とうだうだしていたからな。いい気味だ』
「ちょ、ラディウス様……!!」
「ふふっ……」
随分と仲良くなった(?)様子の二人に、オフィーリアはつい笑みを零す。
グレイスに愛され。
ラディウスに導かれ。
領民達に見守られ。
なんて幸せなのだろうとオフィーリアは思う。
あまりに幸せすぎて、もしかしてこれまでの出来事は全て夢なのでは――? なんて考えたりもしてしまう。
しかし、ひび割れて、欠けて、砕け散りそうだった心がこんなにも温かく感じられるのは、確かな温もりが隣にあるからだ。
それがどれだけ幸運で、奇跡的なことなのか、今のオフィーリアには良く分かる。
昔、確かに母であったあの人は、最後の最後に大切な気付きを与えてくれたのだ。オフィーリアはそっと目を閉じて心の中で感謝と、そして別れを告げた。
『このまま島を一周するぞ! 掴まれ!』
領民達の歓声に応えるように村の上空をぐるりと一周したラディウスは、徐々に高度を上げて行く。
見る見る内に変わってゆく世界に見惚れていると、グレイスがオフィーリアの肩をぎゅっと抱き寄せて言った。
「オフィーリア、俺の手を離さないでくださいね」
「……はい。グレイス様も、離さないでくださいね?」
「――ええ、絶対に」
幸せそうに微笑み合う二人を乗せ、ラディウスは大空へ羽ばたいた。