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聖女の娘  作者: 相月志月
7/8

晴れ晴れとした青空の下。

クラルティ王国の王都、その大聖堂には、花を手にした多くの民衆が入れ替わり立ち替わり訪れていた。


今日は二年前に亡くなったオフィーリア第一王女の三回忌だ。


元々体が弱かったそうで、ある時を境に表舞台へ姿を現さなくなったオフィーリア王女。民も存在こそ知ってはいたものの、華々しい生活を送る第一王子や第二王女と違い、その姿を見た者はあまりいない。

ただ、天使のように愛らしい方だったと噂ばかりが残っているのみ。


それにも関わらず盛大な追悼式典が行われ、こうして大勢の人々が集うのは、ひとえに聖女であり王女の母である、マナミ・セラ・クラルティ王妃たっての願いであったからだ。


マナミはこれまで、聖女として多くの民を救ってきた。


右も左も分からぬ世界で聖女という大役を押し付けられたにも関わらず、嘆くことも逃げることもなく、自分の役目を直向きにこなした。

ある時は大地を蝕む瘴気を浄化し、ある時は凶暴化した魔物を仲間と共に鎮め、またある時は怪我や病に苦しむ人々を癒すため各地を巡った。


その御業をもって実に多くの人々を救ったのだ。

彼女が人々に慕われるのは当然の結果であった。


そんな心優しき彼女の愛娘が亡くなったのは、二年前のこと。


療養中であった別邸で起きた不幸な事故だったらしい。バルコニーで風に煽られた王女は海へ転落し、その亡骸は未だに見つかっていない。

マナミは事故の後、ショックのあまり体調を崩し、長らく城で療養をしている。民衆の前に姿を現したのも久し振りであった。


そんな彼女の悲しみを少しでも癒せればと、民は花と共に、口々にマナミへの感謝と慰めの言葉を残していく。

そんな民衆の様子を、大聖堂の一室から伺う者達がいた。



「はぁ……。お母さまぁ、この茶番いつまでやるんですか? 私もう疲れちゃったんですけど」



今日ばかりは大人しく纏めた、マナミ譲りの黒髪を指でくるくるともてあそびながら、第二王女で聖女のアンネリーゼは冷めた表情で尋ねた。

テーブルに溢れんばかりに並べられた菓子を時折つまみ、ソファーでだらしなく寛いでいるその姿に、王女であり聖女としての威厳はまるでない。



「もう暫く我慢なさい。必要な演出なのだから」

「王族ってこういう時面倒ですよねえ……」



同じく、ソファーへ腰を掛けお気に入りの女性神官を侍らせた王太子で賢者のジェイドも、面倒臭そうに金の髪をワシワシと掻きながら呟いた。


本当は三回忌などやる予定はなかったのだ。

それにもかかわらず、この世界にはなかった年忌法要をわざわざ持ち込んでまで行っているのは、ひとえにマナミの立場が悪くなったからに他ならない。


オフィーリアを殺した後、マナミ達は暫く別荘で暮らしていた。外聞を気にして、能力鑑定の日から三月ほど置いてオフィーリアが事故死したということにする予定だったからだ。


子供達が小さい頃は、都会の喧騒を忘れて心穏やかに過ごせる別荘での暮らしが貴重な時間であったが……すっかり欲に溺れてしまったマナミにとって、ど田舎での暮らしは耐え難いものであった。


そのため、オフィーリアを殺して三月経つや否や城へ飛び帰ったマナミ達は、これ幸いと体調不良を理由に公務を放り出し、怠惰な生活を送っていた。


城に帰ってからも一応は、海に面した領地を持つ領主達にオフィーリアの捜索依頼を出したり。捜索に騎士や冒険者を大量投入してみたり。自ら探しに行こうと試みたり(しかし体調不良で断念)と、時折それらしいパフォーマンスは行っていた。


が、出来損ないの娘から解放された高揚感から少々羽目を外しすぎてしまい、ここ最近は大人しかったはずの敵対派閥から目をつけられてしまったのだ。

あまりにも立ち直りが早いマナミ達の姿を見て、オフィーリアは本当に事故死だったのか――と。


結果、マナミ達は不本意ながらもこのような芝居を打つはめになったのだった。娘想いの母を、弟妹きょうだいを演じるために。



「あ〜あ。自分に出来損ないの姉がいたことなんてすっかり忘れてたのに……」

「ほんとそれ。なんであんなヤツのために私達がお金を使わなきゃいけないわけ!? 新しいドレスを買って、今度の舞踏会でみんなにお披露目するつもりだったのに!!」

「俺もカリーナに最新のドレスを贈って他のヤツと差を付けるつもりだったのにさ。まさかこんな無駄な出費をさせられるとはな。死んでからも足引っ張るとか本当にクソだな」

「やめなさい。外に聞こえたらどうするの」



直ぐに感情を表す未熟な子供達に、マナミは溜息を零す。

この場にいる者はみな厳選されたマナミの信者であるため問題はないが、王弟派(・・・)という一番身近な敵に目を付けられている今、いつ何処で間者が潜り込んで来るか分かったものではない。


暫くは大人しくしていなければ。

それに、今回の法要(パフォーマンス)は長らく公務から外れていた三人の顔見せの場でもある。そんな場で問題でも起こせば、それこそ相手を利することになりかねないのだから。



「皆様、ご準備をお願い致します」



ようやく準備が整ったらしい。

扉越しに神官長から声がかかり、マナミ達は民衆の前に出る準備をする。


顔見せと言っても、大してやることはない。

簡単な挨拶をして娘想いの哀れな母を演じるだけだ。オマケに少し体調が悪くなったフリでもすれば、国民の同情も得られて再び休養を得る口実にもなるだろう。

そう考えれば今回のパフォーマンスも悪くない。


部屋を出たマナミ達は、近衛騎士達に守られながら大聖堂前の広場へと向かう。

廊下を進みながら窓の外へ目を向ければ、一帯の空には今にも雨が降り出しそうな黒雲が立ち込めていた。


これからという時に縁起の悪い……。

やはりあの子は自分達にとって災いの種のようだとマナミは思う。


降られる前にさっさと終わらせようと、密かに溜息を零しながら大聖堂から出た、その時だ。空を覆っていた黒雲の中で稲妻が妖しく光ったかと思うと、辺り一帯に雷が降り注いだ。



「きゃあああああ!!」

「うわあああっ!?」

「た、助けてくれえ!!」

「聖女さまぁ!」



ドォォォン! という轟音と、内臓をも揺さぶる衝撃に見舞われ、広場へ集っていた民衆はパニックに陥る。

予想外の出来事にマナミも腰を抜かしつつ、自身と子供達の無事を確認してホッと胸を撫で下ろす。その後で広場に集う民衆へ目を向ければ、



「……に、逃げろ逃げろ! また落ちるぞ!」

「早く建物の中へ!」

「うわーん! ママァ!!」



不思議なことに、負傷者はまるでいないようだった。

みな落雷の衝撃から精神が回復するや否や、この場から逃げ出そうと慌てて行動を再開している。

実際、目の前に聖女がいるにも関わらず救いを求める声が聞こえないのだから、ケガ人は出ていないのだろう。


これだけ人が集まっていれば、奇跡的に直撃は免れたとしても側撃雷により少なくない被害が出てもおかしくはないのに……。

何だか狐につままれたような心地のマナミを現実へ引き戻したのは、護衛騎士だった。慌てたようにマナミ達親子の元へやって来て、膝をつけると言った。



「聖女様、どうか御業を! 民をお鎮めください!! このままでは怪我人が出ます!」

「わ、私はこんな数ムリよっ! まだ広範囲魔法を習得したばかりなのに!!」

「チッ、面倒な……。私が【リカバー】をかけるわ」



何がなんでも称号を獲得させるため、マナミはオフィーリアに過酷なまでの魔法の訓練量を強制していた。

しかし、六歳の時点で称号を得ていたアンネリーゼにはこれまで大した練習量を課してこなかったのだ。


マナミが聖女としての活動を始めて直ぐに使えるようになった広範囲魔法も、アンネリーゼは最近になって漸く習得したばかり。とても実戦で使用出来るレベルには達していなかった。


そのことに少なくない苛立ちを覚えつつ、マナミは立ち上がって杖を掲げると、広場に集う民衆全体に行き渡るよう大量の魔力を練り上げ、状態異常回復魔法の名を唱えた。



「【リカバー】!」



瞬間、民衆に癒しの光が降り注ぐ――はずだった。

しかし、何故かマナミの魔法は発動せず、魔力が虚しく霧散する。これまで何百、何千と使ってきた魔法に起きた初めての現象に、



「――えっ?」



マナミはつい呆気に取られた。



「? お母様、どうしたのですか。早く治癒魔法で民衆を鎮めてください」

「お母さまならこのくらい余裕でしょう? 手本を見せてくださいな!」

「聖女様! 申し訳ありませんがお早く!!」

「わ、分かってるわ!」



子供達と護衛の騎士に急かされ、マナミは再び杖を構える。

初めての現象に言い知れぬ不安と苛立ちを覚えつつ、恐らく落雷の影響で軽い混乱状態なのだろうと自分を納得させた。そして、



「【リカバー】! ……【リカバー】【リカバー】【リカバー】!! ッ、どうして発動しないの!!?」



何度も魔力を込めてその名を唱えたが、魔法は発動しない。

聖女の魔法にのみ現れる、あの美しい銀色の輝きが広場に降り注ぐことはなかった。


苛立ちと屈辱から、マナミは自身の杖を地面へ打ち付ける。

国宝と言っていい聖杖が無惨にも叩きつけられ、護衛騎士達は肝を冷やしたものの、幸いにも杖が破損することはなく心の底から安堵した。


そうしている間にも、民衆の混乱は増すばかり。


 大聖堂から離れるべく民衆が我先にと通りへ詰めかけたせいで、大通りには人が溢れ返っている。

 幸いにも通りの幅が十分あるため、次から次へと人が詰めかけてもドミノ倒しにならないことが唯一の救いであった。


が、素人目に見てもケガ人が出るのも時間の問題でしかなかった。そんな時だ。



『魔法が使えなくなったのは、貴女が聖女ではなくなったからですよ』



まるで天から降り注いだかのように、何処からともなく届いた不思議な声。

怒号の中にあっても耳に届くその声に、マナミはもちろん、民衆も動きを止めた。


混乱状態にあった民衆に、その言葉の意味は分からない。


 しかし、自身の代名詞である【聖女】の名を出されて気付かないはずもなく、名指しされたマナミは反射的に警戒するよう周囲を観察する。

 何者かが混乱に乗じて何かしでかすつもりなのかも知れない。もしくは、この混乱でさえその者の仕組んだことなのか。


 分からない。


 何れにせよ、自分が聖女ではなくなるなど、そんなことは天地がひっくり返ってもあり得ない。戯言だ。

 魔法が使えずつい苛立ったものの、声のお陰で冷静さを取り戻したマナミは、民衆のことは諦めて一先ず建物の中へ避難するべきだと騎士へ声をかけようとしたところで、



『元聖女、マナミ・セラ・クラルティ。貴女はそこに居る子供達と共謀し、自分の娘を殺しましたね。第一王女であった、オフィーリア・セラ・クラルティを』

「!?」

「な、何を!」


  極々身内しか知るはずのない秘密の暴露を受けて、マナミは一瞬肝を冷やした。


 不思議な声の影響で落ち着きつつある民衆も、流石に今の言葉は理解したらしい。幸か不幸か、広場から逃げ出そうとしていた誰しもがマナミを振り返り、驚きに目を見張っている。

 その不快な視線にマナミは眉根を寄せた。


 まさか身内の誰かが裏切ったのか?

 見計らったかのように民衆の前での暴露。明らかに故意だ。

 見るからに動揺している未熟な子供達に内心舌打ちをしながらも、マナミは直ぐに表情を作ると大袈裟なまでの身振りを交えて反論した。



「まさか、そんなっ! 私は決してそのような恐ろしいことはしていません!! お腹を痛めて産んだ可愛い我が子を、どうして殺したりしなければならないのでしょう!?」

『ええ、本当に。理解に苦しみます。『称号を得られなかった』という下らない理由で自分の娘を切り捨てるなど、知性ある生き物の行いとはとても思えません』

「ッ!?」



 図星を突かれ、今度こそマナミは戦慄した。


 マナミ自らオフィーリアを殺したことはもちろん、その理由を知るのは本当に極一部の身内に限られる。

 ジェイドとアンネリーゼが裏切るわけはないし、オフィーリアの側に置いていたのはマナミを崇拝する従者に限るため、やはりこちらが裏切るとも考えにくい。

 普段重用している従者も然り。

 だって、自分達の周りに置いているのは病で苦しんでいた身内を救ってやった者ばかりなのだ。その恩義故に例え大金を積まれたとしても裏切る可能性はないと言っていい。


 であれば、マナミを貶めたい者が単なる憶測を語っている可能性もなくはないが……それにしては的を射ている。

 とすると、一体本当に誰が?

 流石に気が動転したマナミは、取り繕うことも忘れて空を見上げ、問う。



「あ、貴方は誰なの!? どうしてそんな偽りを!?」

『偽りなどではない事を、貴女が一番分かっているのでは? 事実、魔法も使えなかったでしょう。私が貴女の称号を剥奪したからです』

「称号を、剥奪? そんなこと、出来るわけが……」

『無論、人には不可能ですよ。しかし神である我々には権限がありますので』

「……は? 貴方が神だと?」

『ええ』



 恐れ多くも神と名乗ったその人物を、マナミは内心で嘲笑った。


 聖女である自分に神を名乗るなど烏滸がましい。この世界でもっとも神に近い存在は聖女である自分なのだ。

 異世界へ呼ばれた自分ですら、神などという存在には会ったことがないというのに、神がこんな人前に出て来るなどあり得ない。


 言うまでもなくこの人物は人間。

 それも、自分を陥れたい城の人間だろうとマナミは思った。


 昔は単なる聖女でしかなかった自分も、今は一国の王妃だ。当然それなりに敵もいる。

 いざという時に聖女の力を頼れなくなるため、表立って敵対してくるバカはいない。


 しかし、裏ではどうにかマナミを蹴落としてやろうと画策する者が後を絶たなかった。

 王弟派、夫の元婚約者、他国の聖女もどき、諸外国――数えればキリがない。


 マナミを引きずり落とすためにこんな大掛かりな演出をしているのだろう。

 魔法に関してはたぶん、阻害魔法か何かで一時的に使えなくなっているだけだと、マナミはとっさに時間を稼ぐことにした。



「……聖女としての私は、きっと完璧ではなかったでしょう。だから、誰かに恨まれ、誹りを受けたとしても仕方がないことだと思います……。けれど、娘の命日である今日この日にこんな仕打ちをするなんて、あんまりだわ……っ!!」



 マナミは顔を覆って崩れ落ちるように座り込んだ。

 おまけに肩を震わせ泣き真似をすれば、訳が分からないなりにやり取りを見守っていた民衆から同情の声がチラホラと上がり始める。


 狙い通りだ。


 そもそも、マナミがオフィーリアを殺した証拠など何一つないし、残してもいない。

 何と言われようとこの場をしのげばどうとでも出来る。それだけの信頼と権力が自分にはあるのだから。


 それよりも、どうにかして声の主から相手側の情報を引き出さなければ。

 公衆の面前で自分に恥をかかせた報いを必ずや受けさせてやる――と、マナミは密かにほくそ笑む。



『見事な演技力ですね。貴女は聖女より女優になるべきだったようです。ですが、残念。言い逃れは出来ませんよ』



 どういうことだと、声の主の言葉にマナミが顔を上げた瞬間。



「――なッ!?」

「う、うそ!」

「馬鹿な……!?」



 大空という大ビジョンに映し出された映像に、親子は言葉を失う。


 そこには、マナミが娘を――どこか体調の悪そうな一人の女性(オフィーリア)をバルコニーから海へ突き落とした瞬間がハッキリと映し出されていたからだ。

 救いを求めるように手を伸ばしながら暗闇へ吸い込まれて行くオフィーリアに見向きもせず、高笑いをする三人の醜悪な姿。


 衝撃的なその映像に誰もが釘付けとなる。



「な、なんだこりゃ?」

「お、おいおい……これマジか……?」

「あのお優しい聖女様が、自分の娘を……? ウソでしょう……?」

「でも、だったらこれは……」



 あのまま逃げ出していれば良かったのに、すっかり落ち着きを取り戻した民衆は映像に釘付けで、マナミは苛立ちから歯嚙みをする。


 一体どうやってこんな映像を――!


 マナミの故郷である地球(にほん)ほどではないにしろ、この世界でも魔道具により映像を録画、再生することは出来る。

 が、科学より魔法の発展が目覚ましいこの世界では、現時点でこのように空中へ映し出すような技術や、映像を合成する技術などなかったはずなのだ。


 そもそも、あの日別邸にいた者はみなマナミに従順な信者ばかり。裏切るはずはないし、何より娯楽品であるカメラの魔道具は非常に高価な品で、そう簡単に入手出来るものではない。

 もちろん諸外国や王弟派の者の仕業であれば、その程度の用意は容易いだろう。とは言え、自陣にそれらの侵入を許すほどマナミも馬鹿ではない。


 考えれば考えるほどマナミの頭は混乱していく。

 しかし、広場の騒めきから民衆の困惑と疑念が大きくなってきたことを肌で感じたマナミは、とっさに方針転換をすることにした。



「こ、これは……仕方なかったのです! あの子は、そう、悪魔のような子でした!」

『……ほう? どういう事でしょう』

「体が弱い上に自分にだけ称号がないことに劣等感を抱いていたのでしょう……ワガママを言って王家の資産を食い潰すだけでは飽き足らず、大事な国費にまで手をつけていたのです! それだけではありません! 弟妹を虐待し、地位を振り翳して城の者達をいたぶっていたのです!! 私がどれだけ諭してもあの子は変わってくれず、年を追うごとに苛烈さは増すばかりで……このままでは国政にすら悪影響が出兼ねなかった。だから、私が親としてけじめをつけるしかなかったのです……!」



 まるで罪の告白に耐え兼ねたように、マナミは再び顔を覆って泣き真似をする。



『つまり、オフィーリアが人非人(にんぴにん)であったために仕方なく自分が殺したと?』

「そ、その通りです……。だって、人様に自分の子の後始末を押し付けるわけにはいかないでしょう!? 本当は私だって娘に手をかけたくなんてなかったのよ……!」



 マナミの告白に、広場はしんと静まり返る。

 正直、かなり苦しい言い訳である自覚はあるが、ここで何も弁解をせずに逃げれば男の発言を丸々認めたも同然だ。

 逃げ帰ったところで、噂を聞きつけた王弟派がここぞとばかりに糾弾してくるに違いない。


 何としても民衆の支持は保たなければ。

 その一念でマナミは思考をフル回転させる。


 しかし、嘘を吐けば吐くほど矛盾が生じてマナミは追い詰められていく。



『何ともまあ……愚かな言い訳ですね。素直に罪を認めて悔い改めるのであれば、貴女個人の称号を剥奪するだけで終わらせるつもりでしたが……(オフィーリア)を愚弄するとは。やはりそれでは生温いようだ』

「? ……なにを言って、」

『――神罰を受けなさい』



 声の主が淡々とした口調でそう告げた瞬間。

 再び雷が一帯に降り注いだ。


 マナミはとっさに自分達の周囲へ【シールド】を張ろうとするが、やはり魔法は使えず、世界が真っ白な光に包まれる。

 無力にも身を寄せ合い、体を縮こめて嵐が過ぎ去ることを待つより他にない。


 再び落ちた雷に、民衆もパニックになりかける。


 ――が、蓋を開けてみれば今回の落雷でも負傷者は出なかったらしい。広場の民衆は隣人と無事を確認し合い、現実を目の当たりにして直ぐに落ち着きを取り戻し始める。

 その様子を見て、マナミは恐怖で顔を引き攣らせながらも得意気な色を滲ませた。



「こ……この雷が神罰だとでも!? 何も起きないじゃない! 寧ろ誰一人ケガをしていないんだから、私がいかに神に愛された存在なのか――」

『夫、息子、娘』

「……は?」

『その三人からも称号を剥奪しました。そして、今後、貴女達の血族から称号を持つ者が現れることはありません。二度と』

「なっ……!? そ、そんなことあるわけないじゃない! そんなこと、出来るわけが……」

『残念ですが、調べれば分かる事です』



 あり得ない。

 そんなことは絶対にあり得ない。

 頭ではそう理解していても、淡々とした男の声が、言葉が、マナミの不安を掻き立てる。



「ッ、神官長!! 虹水晶の羅針盤(アイリスコンパス)を持って来なさい!」

「へっ?」

「早く!!」

「は、はいぃっ!」



 一度目の落雷直後からマナミの側で呆けていた神官長は、鬼の形相をしたマナミに怒鳴り付けられ慌てて魔道具を取りに行く。


 虹水晶の羅針盤アイリスコンパスは、鉱山でごく稀に採れる貴重な虹水晶を用いて作られた魔道具で、触れた者のステータスを確認することが出来る代物だ。

 能力鑑定時に使用する魔道具はこれで、主にスキルや称号の有無を調べるために使われている。


 通常、スキルや称号は十代の内に与えられ、死ぬまで減ることなどあり得ない。それがこの世界の常識だ。

 だから、男の言うことなど嘘に決まっている。

 そう思うものの漠然とした不安は拭えず、マナミは苛立ちから足をタンタンと踏み鳴らす。



「せ、聖女様! お持ちしました!」

「! リゼ、手を置いて調べなさい!」

「えっ! なんで私、」

「いいから早くなさい!!」



 母に急かされ、アンネリーゼは渋々魔道具へ手を置く。

 途端に魔道具は光り輝き、水晶内にアンネリーゼのステータスを映し出した。


 マナミの突き刺すような視線を浴びて慌てて水晶を覗き込んだ神官長はしかし、「ひッ!?」と小さな悲鳴を上げた。

 何故なら、ステータスにあったはずの【聖女】の称号と、付随する術技(スキル)の数々が跡形もなく消えていたからだ。



「な、なんという事だ……! アンネリーゼ王女の称号が……消えている……!!」

「う、うそ……!」

「〜〜〜ッ!! ジェイド、貴方も調べて!!」

「は、はい!」



 続けてジェイドが魔道具に手をかざせば、やはりそのステータスから【賢者】の称号と付随する術技の数々が無くなっていた。

 魔力もガクンとその量を減らし、今では精々一般人レベルのステータスに収まっている。



「そ、そんなっ……俺の賢者の称号もない……!? う、ウソですよね? お母様! こんなこと、あり得ない……! あっていい筈がないッ……!!」

「そ、そうよ……そんなわけない……。魔道具が壊れてるのよ、きっと……!」



 あまりに突然の出来事で、アンネリーゼは唖然と立ち尽くし、ジェイドは膝から崩れ落ちる。

 アンネリーゼの発言で我に返ったマナミは予備の魔道具も持って来させたが、結果は同じだった。



『だから言ったでしょう、貴方達の称号を剥奪したと。全ては貴方達が招いた事です。聖女や賢者の称号は私利私欲のために娘を、姉を殺すような者が持ち続けて良いものではない。当然の報いです』

「だ、だからあれは仕方なく……!」

『……一つ、教えておきましょう。貴女達が無用だと殺したオフィーリアは、神子――つまり、神の子でした。貴女が過剰な訓練を強いた為に肉体が中々成熟せず、称号を得る時期が遅れてしまいましたが……生きていれば今頃は神子の称号を得て、聖女をも上回る力でもってこの世界をより高みへと導いていた事でしょう』

「神子……? 聖女よりも上、ですって……!?」



 男の言葉にマナミは唖然とした。

 声の主を神だと信じたわけではないが、この期に及んで男の力を、発言を、偶然の一言で流すほどマナミの頭は悪くない。

 神ではないにしろ、自分と同等――あるいはそれ以上の存在であることは認めざるを得なかった。


 そんな相手が言うからには、オフィーリアは本当にそれだけの存在だったのだろう。

 もちろん相手のブラフである可能性も捨て切れないが、やはりという気持ちが強く、マナミは思いの外すんなりとその事実を受け入れていた。


 だってあの子は、この世界でもっとも尊い聖女である自分の娘なのだ。優秀で当たり前。


 あの時すぐに見切りをつけず我慢して生かしておけば、今頃自分の価値はさらに高まっていたのではないか。

 それこそ神子の母として、揺るぎない地位を……いや、世界を手中に収めることさえ出来たのではと――と、マナミは唇を噛み締める。


 そんなマナミとは裏腹に。プライドの根源である称号を奪われた挙句、見下していたオフィーリアが格上だったと突きつけられたアンネリーゼは、屈辱で醜く顔を歪ませながら空へ向かって吠えた。



「うそよッ! 称号どころか術技の一つもないあんな顔だけの女が私より優秀なわけないじゃない!!」

「! 黙りなさい!!」



 慌ててマナミが止めたものの、反応が遅れてしまったためにアンネリーゼの言葉は民衆の耳にも届いてしまい、広場には瞬く間に騒めきが広がっていく。

 対外的には、病弱な姉とそんな彼女を支える健気な弟妹という設定だったのだ。

 だというのに、誰がどう見ても忌々しそうにオフィーリアを語るアンネリーゼの様子は、『仕方なく殺した』というマナミの言葉を真っ向から否定することになってしまう。

 もちろん、マナミのとっさの嘘を信じた者がいたとすれば、の話だが……。


 単純に不出来な姉を厭っていたジェイドとは違い、アンネリーゼは最高位である聖女の称号を持ちながらも、容姿では圧倒的に自分より優っていたオフィーリアを昔から妬んでいた。

 それはマナミも感じ取っていたし、だからこそアンネリーゼのためにもオフィーリアを始末したのだ。下手に国外へやって権力者の寵愛でも受けようものなら、アンネリーゼが爆発することは目に見えていたから。


 あれから二年も経てば心の整理もついているものと思い、油断した。

 アンネリーゼの闇を測り損ねたマナミは、益々追い込まれることとなる。

 現に、固唾を飲んでやり取りを見守っていた民衆のその表情は、恐怖や嫌悪に満ちていて。それはどう見ても、敬愛する聖女へ向ける視線ではなかった。



『おやおや、ボロが出てしまいましたよ? その娘にもきちんと演技指導(きょういく)しておくべきでしたね。オフィーリアにはあんなにも過酷な生活を強いたというのに』

「!!」



 男の、まるで全て知っているかのような物言いに、マナミの苛立ちは益々募る。城の中でならとっくに爆発して当たり散らしているところだ。

 しかし、こんな場所で自分までボロを出すわけにはいかない。どうすればこの場をやり過ごすことが出来るのかと、手の色が白くなるほど強く握り込みながら必死に考える。



『つまり、貴女達は神殺しなのですよ。その深過ぎる業を背負い、残りの人生を歩む事が貴女達の贖罪です』

「贖罪? 私はこの世界を救ったのよ? そんなもの、帳消しに……」

『魂が天へ(もど)るその時まで、徳を積み続けなさい。あの世で娘に会う事も、許しを請う事も出来ずに、冥府の底へ堕とされたくなければ』



 突き放すような言葉を最後に男性の声が聞こえなくなると、空を覆っていた黒雲が瞬く間に散っていき、王都の空に青空が戻ってきた。

 しかし、民衆の表情が晴れることはない。

 それどころか、心の中は嵐に見舞われたかのように吹き荒んでいた。



「な、なんてことだ……。オフィーリア様が神子であったと……!?」



 広場の片隅で零れた呟きが呼び水となり、民衆の感情が徐々に熱を帯びてゆく。



「神殺しだなんて、何と恐ろしいことを……!!」

「こ、この世界は神に見捨てられるんじゃないのか!?」

「聖女だなんてとんでもない、大罪人じゃないか……!」

「あいつらのせいだ……この国が、世界が、神から見放されたら……!!」



 困惑、恐怖、不安、怒り、絶望――あらゆる負の感情が、瞬く間にこの場を塗り潰していく。支配される。

 幼さ故に恐怖で身動きの取れなくなった子供(ジェイド)達とは違い、神を自称する男に好き勝手に場を荒らされ、我慢の限界だったマナミも空気に飲まれ、ついにタガが外れた。



「おい聖女様! 一体どうしてくれ、」

「ッ黙れ愚民が!! こっちがしおらしくしてたらいい気になって……無能なあんた達の代わりに私がどれだけ頑張ってきたと思ってるの!?」

「なっ……!?」

「平和を享受するだけの寄生虫のくせして都合の悪い時ばっかり私のせいにすんじゃないわよ! お前らみたいな無能は! 黙って私の言うことだけを聞いてればいいのよッ!!」



 マナミが発した口汚い言葉に民衆は呆気に取られ、広場に束の間の静寂が戻る。


 しかし、それは火に油を注いだも同然。

 民衆の怒りは猛火となってその身に返って来た。



「な、なによ、偉そうに……! それとこれとは別じゃない!!」

「そうだそうだっ!!」

「大体、自分の娘を殺すなんてどうかしてる! お前は人間じゃない!」

「あなたは本当に聖女様なの!? 私が昔お会いした聖女様は、こんな恐ろしい人じゃなかったわ!」

「こんなヤツらが王族だなんて世も末だ!!」



 敬愛していた聖女の本性を知り、燃え上がった民衆の怒りは留まるところを知らない。

 護衛としてマナミ達の周囲を固める騎士達の元まで押し寄せると、怒気で顔を真っ赤に染めながら口々にマナミを罵倒する。

 あまりの勢いにマナミも僅かにたじろぐが、膨れ上がった自尊心が己の過ちを認めることを許さない。


 ――いや、とっくの昔に過ちという概念そのものがマナミの中から失われていたのだ。


 世界を救い、国を導き、優秀な子供達を儲けた。

 この世でただ一人、マナミだけが成し得た栄光。

 それは、善良だった女子高生を人殺しに変えてしまう程度には、人の身には過ぎたものだった。



「う、るさい、うるさいうるさいうるさいッ!!! 護衛! さっさとこのゴミどもをどうにかしなさい!! 聖女であり王妃である私を侮辱したのよ!? 全員死刑だわ! 見せしめに魔法でもぶち込んで、」



 マナミが民衆にも負けぬ怒声を上げていると、



「いたッ、……!」



 不意に群衆の中から飛んできた小石が頬を掠め、そのピリッとした痛みでマナミは僅かに我に返った。

 が、直ぐに怒りが込み上げてきて、石を投げ付けた者を見付けて処刑してやろうと、詰め寄る民衆へ視線を巡らせる。

 そんな中で不意に目を引いた人物。


 それは、十歳前後の女の子だった。

 驚いたことに、容姿こそ全く異なるものの、金髪に桃色の瞳を持つその子はオフィーリアそっくりな色合いで。そんな子供が、行く手を阻む騎士に抵抗しながらも憎しみの籠った眼差しで自分を見ていることに、マナミは頭を殴られたような衝撃を覚えた。


 オフィーリアが自分を見る目は、いつだって優しかった。愛情に溢れていた。

 無才であるが故に勉強や魔法の訓練を増やしてからは顔を合わせることすら稀になっていたが、それでもオフィーリアがこんな目でマナミを見たことは一度たりともなかった。


 だからこそマナミは余計に怖くなった。

 まるで、オフィーリアが生まれ変わって復讐しに来たような――そんな錯覚に囚われて、マナミはヨロヨロと後退る。



「オフィーリア様を返せ!!」

「神に懺悔しろ!」

「死んで償え!!」



 民衆の勢いは留まるところを知らず、騎士や神官はついには押され始める。

 かと言ってマナミの指示通り武力を持ってして民衆を退けることが正しい判断だとは思えず、彼らは守りに徹するしかない。神官の【シールド】も瞬く間に破壊され、そうして徐々に押し込まれて行く。



「せ、聖女様! お早く中へ!!」

「お母様! は、早く! 避難しないとっ!」



 しかし、マナミは何故か固まったまま動かない。

 ――いや、動けなかった。


 痺れを切らした護衛や神官長がほとんど引きずるようにして、マナミと子供達を連れて大聖堂へと後退をする。民衆が伸ばす無数の手は、今にもマナミの首へ届きそうな距離まで来ていた。



「あ……あぁ、あ……ぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!」



 マナミの叫びは聖堂の中へ吸い込まれて消えた。


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