5
翌日から、オフィーリアにとっては夢のように穏やかな暮らしが始まった。
朝も暗い内から叩き起こされ、一日中勉強と魔法の訓練に明け暮れて気を失うように眠ることもなく、十分な食事と睡眠を取って健康的な生活を送ることが出来ている。
そのお陰か、後ろ向きであったオフィーリアの思考も、かなり前向きなものになってきている。ゆとりのある生活はそれだけで人の心を明るくしてくれるのだと、オフィーリアは身をもって体感しているところだ。
これまではずっと一人で取っていた食事も、毎食、グレイスとローザの親子と楽しく取っているし、日中はローザとお喋りをしたり、グレイスに島について教えてもらったりと穏やかな時間を過ごしている。
どうやらグレイスはこちらへ来る際、領主代行を務める叔父から長めの休暇をもらって来た――もとい押し付けられたそうで、オフィーリアが目覚めてからずっとこちらに留まっていた。
グレイスはローザのこともあってか少々過保護で、一日中オフィーリアに寄り添って世話を焼いてくれる。
その甲斐甲斐しさはローザの世話役であるマーサが呆れるほどで、セバスチャンがわざわざ叔父から仕事を貰って来てどうにか数時間――いや、数十分引き離すようにしているほどだ。
まあ、そんな仕事の数々も、オフィーリアの側にいるためにと驚くべきスピードで片付けてしまい、周囲を呆れさせている。
が、更に周囲を呆れさせている点がもう一つ。
それは、そんな様子でさえオフィーリアに惚れているわけではないとの一点張りであることだ。誰がどう見たって遅めの初恋に浮かれた男の姿でしかないというのに……。
いわく、次期当主としてオフィーリアの人柄を見極めているのだとか。この島にとって毒になる人物を、島に住まわせ続けるわけにはいかないから、と。
もちろん、その見極めと処分は領主の大事な仕事の一つではある。あるのだが、まあ、どう見ても領主の仕事の範疇を越えていた。
唯一の救いは、オフィーリア自身が諸々の事情に気付いていないことだ。グレイスに試されているなどと露ほども思っていないし、ましてや好意を持たれているとも思っていない。
そんな二人の微妙なすれ違いに、娯楽に飢えたローザやマーサ達は毎晩楽しく晩酌をしているとか、いないとか……。
そんな日が二週間ほど続き、今日もあっという間に仕事を片付けてローザからオフィーリアを奪取したグレイスは、笑顔で切り出した。
「お散歩、ですか?」
「ええ。ヘクターからお墨付きも貰いましたし、流石に家の中だけで過ごすのも飽きてきてしまっただろうと思いまして」
「まあ! グレイスが危ないから〜って、オフィーリアちゃんを閉じ込めてたんじゃない。本当に心配性よね」
「と、閉じ込めてません。あくまでも経過観察で……」
「はいはい。オフィーリアちゃん、行ってらっしゃい! たまには外の空気も吸わないとね!」
「はい、行きたいです」
そういうわけで、行くことになった。
海から近いこともあって、屋敷の周辺は海風の影響により季節を問わず肌寒いらしい。そのため、オフィーリアは過保護なグレイスによってこれでもかと着込まされ、ふくら雀のようになってしまった。
ただの散歩なのに、まるで雪国にでも行くかのような重装備である。
まあ、ローザが修正してくれたお陰で人に戻れたのだが……もはや日常となりつつあるグレイスの過保護ぶりに思わず笑ってしまったオフィーリアだった。
エスコートされ外へ出ると、久し振りの新鮮な空気を全身で堪能する。
「さて、どちらに行きましょうか?」
「そうですね……浜辺へ行ってみたいです」
「構いませんが……大丈夫ですか?」
何処か気遣うような視線を受けて、オフィーリアは一瞬きょとんとする。
しかし、グレイスの言わんとすることを直ぐに理解して、同時にあの日のことを思い出した。
ここ暫くはすっかり忘れていた、けれど永遠に自分の中から消えることはないであろう記憶。
思い出せばいつだって苦しくなるのに、不思議と海自体を怖いとは思わなかった。寧ろ、ずっと好きだった海をこうして毎日見ることが出来て嬉しいとさえ思っている。
もちろん、大自然の恐ろしさは骨身に染みたので、必要以上に近づきたいとは思わないのだけれど……。
それに今は、グレイスがいる。
この二週間、グレイスはずっと側で支えてくれた。
たったの二週間ではあるが、こうして四六時中一緒にいれば人柄を知るには十分で、その誠実な人柄にオフィーリアは既に絶対的な信頼を寄せていた。
彼なら何があっても絶対に助けてくれるという信頼を。
それだけではない。
日増しに心惹かれている自覚があった。
オフィーリアの名を呼ぶ時に特別柔らかくなる声や、目が合う度に少しだけ下がる目尻、割れ物を扱うかのように慎重で優しく触れる手、少し過保護なくらいに心身を慮る優しさ。
その全てがオフィーリアの心を甘く溶かしていく。
ひび割れて、欠けて、今にも砕け散りそうだった心を、丸く綺麗に整えてくれるのだ。
何もかも失った今の自分にあるのは、この身一つ。
公爵家の次期当主であるグレイスに心惹かれて良い立場ではないことは重々承知しているが、頭ではそう理解していても感情を押し留めることは出来なかった。
グレイスを見ると心が弾み、自然と笑みが溢れてしまう。
「……大丈夫です。だって、グレイス様が一緒ですから。何も怖くありませんよ」
「っ……」
素直にそう伝えれば、グレイスはパッと横を向く。
何も、は言いすぎだっただろうか。
不思議に思ったオフィーリアが小首を傾げていると、
「……し、失礼しました。それでは行きましょうか」
徐にこちらへ向き直ったグレイスはいつも通りの爽やかな笑みを浮かべ、オフィーリアのエスコートを再開した。
屋敷を出て緩やかな坂を下れば直ぐに浜辺で、オフィーリアはグレイスの手を借りて砂に足を取られないよう慎重に進んで行く。
すると、暫く進んだ先で小さな影を二つ見つけた。
「あら? 子供だわ。何をしているのでしょう?」
「ああ。たぶん貝殻を拾ってるんだと思いますよ。ここは綺麗な貝殻が沢山取れますから、アクセサリーにも使用されるんです」
「そうなんですね。私も見てみたいです」
「ふふ、それでは私がオフィーリアの為に沢山集めます」
二人は子供達へ近付いて行くと、驚かせないよう控え目な声で話しかけた。
「こんにちは。綺麗な貝殻はありましたか?」
「!?」
「わっ……え、あ!? グ、グレイスさま!?」
「ああ、こんにちは」
よほど集中していたのか、子供達は酷く驚いた様子で二人を見上げる。かと思うとグレイスと目が合った瞬間、手にした小袋を落としてすっくと立ち上がり頭を下げた。
「ご、ごめんなさい! グレイスさまのおうちのしきちに入って!」
「もう入りませんっ! ゆるしてくださいっ!」
「え、あ、ちょっと……!」
そうして呼び止める間もなく、子供達は驚くべき疾さで村へ駆けて行ってしまった。せっかく集めた貝殻を放り出して……。
オフィーリアは暫し呆気に取られたものの、子供達が残していった小袋から溢れる貝殻を眺めつつ、グレイスに問いかける。
「行ってしまいました……。ここって村の方は入ってはいけないんですか?」
「いえ、別に家の敷地という訳ではありませんし、立ち入り禁止にした覚えもないのですが……。村の人々が気を遣って暗黙のルールを課しているようで」
「そうなんですね。なら……」
オフィーリアはその場にしゃがみ込むと、溢れた貝殻を小袋へ戻してから辺りの砂を素手で掻き分け始めた。
「オフィーリア!? 手が汚れます、貝を探すなら私が……」
「? このくらい何ともありませんよ。あの子達は綺麗な貝が欲しかったんですよね。だから、もっと貝殻を集めてあの子達に届けてあげましょう?」
慌てるグレイスを不思議そうに見上げて、オフィーリアは平然と言った。
王族として学んだ膨大な知識の中には、当然、淑女教育に関するものもある。
しかし、日々汗と泥に塗れて魔法の訓練に明け暮れていたオフィーリアにとって、淑女のあるべき姿とは物語の中のような、遠い場所での話でしかなかった。
そんなこととは知らないグレイスは、貴族の令嬢としては異端――いや、豪胆なオフィーリアの物言いに目を瞬かせる。
が、直ぐに相好を崩して、
「そう、ですね。そうしましょう」
隣にしゃがみ込み、貝殻を探し始めた。
風避けのつもりなのだろう。どれだけ移動しても必ずオフィーリアより海側に陣取るグレイスのお陰で、心がホカホカしてちっとも寒さを感じなかった。
そうして、貝殻を探すこと数十分。
オフィーリアは初めての貝殻集めに夢中になってしまい、ものの数十分で大人二人の両手から溢れるほどの貝殻を集めた。
唯一分かる白蝶貝を始め、淡いピンク色の二枚貝や子供が描く太陽のような形をした水色の貝、ストライプ模様がお洒落な巻貝など、浜には本当にたくさんの名も知らぬ貝があった。
袋を持たなかった二人はそれらをグレイスの服のあらゆるポケットに詰め込んで、パンパンになった不恰好な服に笑い合いながら村へ向かう。
小高い丘にある屋敷からは村の様子がよく見える。
ちょくちょく眺めていた影響でつい村のことを知ったつもりになっていたオフィーリアだが、実際に訪れるのはこれが初めてだ。
グレイスにエスコートされながら村へやって来たところ、外で貴重な日光浴を楽しんでいた人々がこちらに気付き、慌てて腰を上げた。
「グレイス様っ!? ようこそいらっしゃいました!」
「こんにちは。ああ、そのままで」
村へ顔を出した途端、グレイスの前にはあっという間に人集りが出来てしまった。
何でも、急な要望にも関わらず船の修理のために貴重な木材を融通してもらっただとか、グレイスの交渉のお陰で鉱石と貝殻を組み合わせたアクセサリーの発注量が増えただとか、いつもより早めに医者を派遣してもらって助かっただとか……人々が口々に感謝を述べている。
ローザもグレイスも素晴らしい人だと思っていたが、領民にもこれだけ慕われているのだから本当に良き領主なのだなと、オフィーリアまで嬉しくなる。
そんな光景をグレイスの半歩後ろで微笑ましく眺めていたところ、
「うわああああっ!!?」
突如、人集りの中から悲鳴が上がり、一転して場の空気が凍った。
「っ、どうした!?」
グレイスを筆頭に、声の主である中年男性へみなが視線を集める。
釣り上げられた魚のように口をパクパクさせる男性が、震える手で徐に差した一点。
「め、めめめ……めっ……!?」
「めめ……? おい、何だよ。ハッキリ言え!」
「め……めが、女神さま……!!」
その瞳と指先は、なぜかオフィーリアを捉えていた。
「はあ? 何が女神だって……」
「っ、」
途端に人々の視線がオフィーリアに集中する。
予想外の事態に呆けていたオフィーリアだが、衆目を浴びることにすっかり不慣れになってしまったこともあり、つい驚いてグレイスの影に隠れてしまう。
が、直ぐに失礼な態度だと思い直して恐る恐る顔を覗かせると、村人達はこぞって目を輝かせていた。
「め、女神だ……」
「女神だわ……!」
「グレイス様が女神様をお連れになった……!?」
「い、いえ、違っ……」
物凄く否定したい。
しかし、あながち間違いではないだけに正直者のオフィーリアは言葉に詰まる。
今はとにかく心身を癒すことに努めるよう厳命されているため、力を確かめたわけではない。が、自分が神であるらしいことは受け入れつつある。
だって、二年もの間眠っていたにも関わらずこうしてピンピンしているのだ。肉体が魂の影響を受けているとしか思えなかった。
今なら例え海に突き落とされても、あの時のように瀕死に陥ることさえないのでは――と思うほどだ。
まあ、過信して本当に死んでしまっては目も当てられないので、体調管理には十分気を付けているのだが。これ以上グレイス達に迷惑はかけられないから。
オフィーリアと村人達が互いにあわあわしている間、一人冷静であったグレイスが間を取り持ってくれて、オフィーリアはノークス家の客人だと紹介してもらえた。
交易の期間でもないのに突如現れた、謎の客人。
村人達の瞳は興味津々といった具合に輝いていたものの、領主の客人ならば貴族なのだろうと深掘りされることはなかった。
そんな紆余曲折を経て、オフィーリア達はようやく本題に入る。
影からこっそりとこちらを覗っていた村の子供達。その中に砂浜にいた二人を見つけたグレイスが、ちょいちょいと手招きをする。
悪事がバレたとばかりに肩をビクつかせた子供達だったが、大人達の視線も集まって逃げられないと悟ったのか、スゴスゴとオフィーリア達の元へやって来た。
改めて見れば四、五歳くらいだろうか。
小さくて愛らしい二人の男の子は、砂浜でのことを咎められると思っているのか、俯いて体を縮こめている。オフィーリアはそんな二人の前に屈み込むと、貝殻の入った小袋を差し出した。
「はい。落とし物です」
「……あ」
「ぼくたちの……」
落としたことには気付いていたのだろう。
恐る恐る小袋を受け取って、子供達は漸く顔を上げる。やっと目が合ったとオフィーリアがニッコリ微笑めば、二人は揃って動きを止め――頬を染めた。
「それと……これもどうぞ?」
オフィーリアはグレイスから受け取って、両手いっぱいの貝殻も差し出す。
すると、ハッと我に返った子供達は途端に歓声を上げた。澄んだ瞳をキラキラと輝かせて、興奮したようにオフィーリアへ詰め寄る。
「わあ! 貝がらがたくさん!」
「これ、どうしたんですか!?」
「ふふ、グレイス様と一緒に集めたんです。貴方達にあげたくて」
「えっ!」
「い、いいの……?」
子供達は、貝殻、オフィーリア、そしてグレイスを順に見ておどおどしながら問う。
どうにも子供達はグレイスが気にかかるらしい。
大人達があれほど敬う相手だ。萎縮してしまうのも無理はないが……オフィーリアとしては、子供達にもグレイスの優しさが伝わればいいのにと思う。
「もちろんです、そのために集めたので。それにもっとあるんですよ。ね、グレイス様?」
「ええ。全て君達へのプレゼントです」
オフィーリアの言葉に微笑み頷いたグレイスを見て、いよいよ子供達の表情も明るくなる。
オフィーリアが何か入れ物はあるか尋ねると、一人がタッタカと近所へ駆けて行き、ブリキのバケツを持って帰って来た。
それを受け取ってポケットの中の貝殻を全て入れれば、小さめのバケツはあっという間に一杯になる。
いや、本当は特に気に入った数個だけはグレイスに取っておいてもらっているため、全てではないのだけれど。もちろん子供達には内緒だ。
「すごーい!」
「こんなにたくさん!?」
「わ……わたしもほしい!」
「ぼくにもちょうだい!!」
「ずるい〜! わたしも!」
バケツ一杯の貝殻に目を輝かせる男の子達につられ、他の子供達もわらわらと集まってくる。
「わあ! お、押さないで! 沢山ありますから!」
オフィーリアはあっという間に村の子供達に囲まれてしまった。
一方、グレイスと大人の村人達はその光景をハラハラしながら見守っていた。
ノークス家は貴族でありながら領民に対するその気さくな態度と良政故に慕われているが、島で暮らす極一部の元貴族には横柄な者もいる。
また、交易のため定期的にやって来る本国の連中も似たり寄ったりで領民の貴族に対する印象はかなり悪いため、村人達はオフィーリアがいつ爆発するかと気が気ではなかった。
しかしオフィーリアは、汚れた手で触れられても、あちらこちらから引っ張られ、抱き着かれ、揉みくちゃにされても、嫌な顔一つするどころか楽しそうに子供達と笑い合っている。
そんなオフィーリアの姿に、子の親である村人達は安堵するよりも先に驚愕で目を丸めた。
ノークス領への島流しは、現在でも密やかに行われている。
数年前にもとある貴族が一家諸共送られて来たが、善人であるが故に疎まれ嵌められた両親とは異なり、一人娘はかなりの我儘だった。
都会での暮らしが忘れられなかったらしく、この島に着いて暫くはかなり荒れていて、領民に対する態度もそれは酷いものだった。
まあ、落ち着いてからも尊大な態度は変わらなかったが……。
そんな前例がいくつもあるため、村人達はオフィーリアもプライドの高いお嬢様なのだろうと冷や冷やしていたのだが……良い意味で裏切られたようだと、みな顔を見合わせて安堵したように微笑んだ。
それでいて何処か尊いものでも見るかのように目を細め、その光景を目に焼き付けるようにじっと見詰めている。
「オフィーリア様はやはり、女神様のようですなぁ」
「……ええ、そうですね」
本当はとっくに気付いていたのだ。
オフィーリアがどんな人間であるのか。
こちらが心配になるくらい謙虚で、身分に関係なく接し、何の変哲もない日々を幸せそうに過ごす。そんな人物がグレイスの恐れるような事態を招くはずもないと。
母やマーサに揶揄われるのが気恥ずかしくて、それらしい言い訳でのらりくらりと逃げていたが……どうやらそれもここまでのようだ。
何時の間にか必死に抑え込んでいた感情を解放してやれば、色彩の乏しかった世界が驚くほど色鮮やかに見える。その中心で一際輝く彼女は、まるで太陽のようだった。
◇
ある日の夜。
今日もグレイス達と穏やかな一日を過ごし、ふわふわとした幸福感に包まれながらオフィーリアがベッドへ潜り込もうとした時だ。
コツコツと窓を叩く音がして、オフィーリアは動きを止めた。
オフィーリアが使わせてもらっている客間は、海が一望出来る眺めの良い一室だ。
先日の一件以来、屋敷裏手の浜辺へ行くことに躊躇いがなくなった領民達も流石に屋敷には用がない限り近付かないため、こんな時間に来訪者とは考え難い。
恐らく、海風で飛んで来た軽石か何かが当たったのだろう。
そう納得して改めてベッドへ潜り込もうとしたところ、再度コツコツと窓を叩く音がして今度こそオフィーリアは体を起こした。
マーサかグレイスを呼んだ方が良いかもしれないと思いつつも、今から呼びに行くのは時間帯的に申し訳なく、オフィーリアは恐る恐る一人で窓へ近付く。
どうか怖いものではありませんようにと祈りながら、そろそろとカーテンを開けてみたところ――
「えっ。…………ドラゴン?」
見るからに項垂れた白い小さなドラゴンが、窓の前でパタパタと停空飛翔をしていた。
予想外の来訪者にオフィーリアは目を瞬かせる。
ドラゴンは魔物に分類される生物だ。
基本的に気性が荒いため人とは敵対関係にあることが多いが、中には知能が高く争いを好まない個体もいるのだそう。
特に外見的特徴から白竜や黒竜と呼ばれる種類は、その傾向が強いらしい。
今、オフィーリアの目の前にいるのはどう見ても白竜だ。しかも、子供とすら呼べないような小さすぎるサイズの。
こんな小さなドラゴンが島を荒らしに来たとは思えないので、たぶん、ノークス家かオフィーリアに用があって来た……と考えるのが妥当だろう。寧ろそうであって欲しい。
たっぷりと数分間は現実逃避をしたオフィーリアは、恐る恐る窓を開けると白竜を驚かせないよう控え目な声量で話しかけた。
「……あ、あの、何かご用……ですか? 外は寒いですし、取り敢えず中へどうぞ……?」
白竜は項垂れていた頭を更に下げ、
『お邪魔します……』
小さな羽をパタつかせて、宙を滑るように中へ入った。
城で勉強や魔法の訓練に明け暮れていたオフィーリアは、ドラゴン――どころか、魔物に遭遇するのはこれが初めてだ。大体の魔物は挿絵でその姿を知ってはいるけれど。
本当に言葉が通じるんだな、とか。意外と律儀なんだな、とか。見た目に反して意外と声は渋いんだな、と密かに感動しつつ窓を閉めると、白竜に続き室内へ戻る。
白竜には好きな場所へ腰を落ち着けるよう勧めたところ、彼? はサイドテーブルの上に降り立ったため、オフィーリアは側の椅子へ腰を下ろした。
そうして、鳩ほどの大きさしかない白竜をじっと見つめながら問いかけた。
「あの、それで、こちらへはどのようなご用件でしょうか? ノークス家の方へ取り継ぎましょうか……?」
『あ、いえ……私が来たのはオフィーリア様に御目通りするためなので……』
「え、私にですか?」
『はい……【愛】の神であるオフィーリア様に、です……』
「あ、なるほど……」
オフィーリアは、自身が神であることをノークス家の人々にまだ打ち明けていない。
自分の過去に関しては少しずつ打ち明けているし、グレイス達のことはとうに信頼しているが、自ら神と名乗る勇気はまだないのだ。
それは自覚が乏しいことに加えて、やはり気恥ずかしい気持ちが大きい。今なら自ら神と名乗っていた創造神様の気持ちが良く分かる……と、オフィーリアは思っていた。
そういうわけで、理解した上で会いに来たということはこのドラゴンは神に連なる者なのだろう。創造神様が人の姿だっただけに、ドラゴンの姿の神? もいるのだなぁと、ついまじまじ見つめてしまう。
しかし、白竜は何時まで経っても何を言うわけでもなく俯いていて、室内には非常に気不味い空気が流れる。沈黙に耐え兼ねたオフィーリアが再度用向きを尋ねようとしたところ、
『この度は! 誠に申し訳ございませんでしたッ!!』
「えっ!?」
短い手を突き深々と土下座を決めた白竜に、オフィーリアは驚きで目を見張った。
『私奴が目を離したばかりにあんな事に……! 本当に、オフィーリア様にはお詫びの言葉もございません……。創造神様には許可を頂いて参りましたので、どうか私めにオフィーリア様の望む通りの罰をお与えください!』
「えっ。いえ、あの……」
『さあ! 煮るなり焼くなり鱗を剥がすなりお好きにどうぞ!!』
白竜は覚悟を決めた漢の顔で、バッ! と両腕を広げる。
「ちょ、ちょっと待っ、」
『ハッ! もしや内臓をご所望ですか? ええ、ええ、私奴の内臓はそれなりの価値が御座いますのでどうぞ売り払ったお金でのんびりと余生をお過ごし頂ければ本望です! 直ぐに再生いたしますので何度取って頂いても問題ありません!』
「そ、そんなグロテスクな慰謝は要りません……!!」
『左様ですか! でしたら私奴は今後一生オフィーリア様の手足となり、オフィーリア様に逆らう者を千切っては投げ千切っては投げブレスで消し炭にしては吹き飛ばし……』
「もうっ、待ってくださいってば!」
『ほえッ!?』
言葉では止まりそうにもないため、苦悩の末にオフィーリアが白竜の小さな頬を両手で挟み込むと、白竜のマシンガントークが漸く止まった。
「落ち着いてください、謝罪は不用ですから。……と言うか、貴方が地神様……ですよね?」
『ふぁ、ふぁい(は、はい)。ふぁようれふ(左様です)』
「初めまして、地神様。私はオフィーリアと申します。自覚は全くないのですが、その、一応人神として愛の権能を拝受しております」
不意打ちにより一先ず落ち着いた様子の白竜から手を離すと、オフィーリアは深々と頭を下げた。
言わずとも知っているのだろうが、一応、礼儀として挨拶をする。神としての格はオフィーリアの方が上かもしれないが、先輩には違いないのだから。
『これはこれはご丁寧に……。私奴は地神のラディウスと申します。元々この世界で原初の竜として生を全うしましたところ、創造神様に地神として取り立てて頂きました。この度は我が世界に上級神様の御霊をお迎えする大役を賜ったのですが……』
――あ。と思った時には遅かった。
『私奴の怠慢によりオフィーリア様を憂き目に遭わせてしまい……本当に、本当に申し訳御座いませんでした……ッ!!』
「あ、謝らないでください。地神様の……ラディウス様のせいではありませんから」
『いいえ! いいえ! わだぐじのぜいでずぅ!! わだぐじが目を離ざなげれば直ぐにオフィーリア様をお救いずるごども出来だのにぃぃぃ!!』
「い、いえ、今こうして生きているだけで十分……」
『どうが罰をお与えぐだざいぃぃぃッ!! ごのままでばわだぐじめの気が済まぬのでずぅぅぅ!』
「い、いえ、本当にそんな……」
地神――ラディウスはテーブルに突っ伏し、わんわんと泣いている。どうやらラディウス神はかなり感情の起伏が激しいらしい。
神と言えば、いつ如何なる時も理性的で悠然としたイメージを抱いていたが……あまり人間と変わらないんだなぁと、オフィーリアは目を白黒させる。
神様だって人間臭いところもあるし、失敗だってするのだ。もう少し気楽に考えていいのかも知れないと、ひょんなことから少しだけ未来に対する不安が和らいだ気がした。
一方で、これは困ったとオフィーリアは頭を抱える。
互いに譲れぬ状況で話を続けても平行線を辿るだけだ。
ラディウスの気持ちもよく分かるが、しかしオフィーリアとしてはラディウスの責任など微塵も感じないため、罰を与えるなどもっての外だ。
どうしたものかとうんうん唸りながら何分も考えたところ――ふと閃く。
「…………あ。でしたら一つお願いが――」