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剣客居酒屋 草間の陰  作者: 松 勇
凶賊非情始末
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イタチの仕掛け

 イタチの丈吉は酷く苛立っていた。


 隙間風の小助が殺された。

 小助を殺し、お夏を人質にして、五年前に足を洗った自分に嘗役(なめやく)をやらせる。

 そのやり口にも苛立つが、凶賊たちの事前の下調べの杜撰(ずさん)さは到底考えられるものではなかった。


 そもそも五人ほどとはいえ、手下を使って押し込もうというのに、その狙いが料亭というのが理解できない。

 金子をため込んでいる商家なら廻船問屋(かいせんどんや)なり、両替商(りょうがえしょう)なりいくらでもある。

 それらに比べれば、たかが料亭がため込んでいる金子(きんす)など何ほどのことがあろうか。


 料亭が保管している金は、売り上げである。

 廻船問屋や両替商ならそこには預かっている金、貸し付けるための金が含まれる。

 自ずと金額も変わってくる。


 また、料亭には泊まりの客もいるし、女中(じょちゅう)や料理人などの従業員も多くいる。

 凶賊どものことであるから、それらは殺戮(さつりく)陵辱(りょうじょく)の対象なのだろうが、それにしたって人が多い。

 

 博打(ばくち)すぎる。

 

 果たして五人程度でどうにかなるのであろうか。


 丈吉は盗みのために殺生をしたことはないが、信条を外して、それを入れた仕掛けを考えたとしても、料亭を狙って盗みを働こうというのは非合理的なのだ。

 今風に言えば、ハイリスク・ローリターンというやつで、まず手を出さない方が良い仕事である。


 とは言え、元々凶賊の考えることなど、丈吉の理解の範疇にはない。


 本格派の仕事、「殺さず、姦さず、難儀させず」の盗みの三箇条は、単に綺麗事だけの話ではない。

 これらを守って盗みをするためには、事前の調査や仕掛けの工夫が不可欠となるが、それによって、仕事の成功率をあげ、足もつきにくくなる。


 人的被害がなく、難儀するほどの額を取られてなければ、押し込まれた方も恥ではあるから、届も出さない場合も多い。

 奉行所も火頭改(かとうあらため)もそれほど真剣には捕らえようとはしなかったりもする。


 つまり、盗みを商売とするなら、ローリスクに抑えた堅実さが本格派の仕事なのである。

 そこには、綺麗事以外にも合理的な理由があるのだ。


 その本格派のやり方を信望しつつ、よくよく吟味して理解していた丈吉にしてみれば、マムシの剛三の仕事など、阿呆の仕業としか思われない。

 性根の良し悪し以前に、そもそも知恵が足りてないとすら考えている。


 ただ、今回の仕事については、マムシの剛三にしてもあまりにもおかしい。

 畜生働(ちくしょうばたらき)とは急ぎ働(いそぎばたらき)の延長線上にあるものであり、要するに面倒臭がりのやることだ。

 そもそも腕利きの嘗役が必要そうなら、そんな仕掛けはやめてしまえばいいのである。


 なぜこの料亭に拘るのか不思議であった。


 丈吉を必要とした理由は、売上を保管している場所がわからなかったからである。

 広い敷地を生垣で囲った料亭には、確かに蔵らしき建物は見当たらない。

 剛三一味の嘗役は、常連の紹介なしでは客になれないため、中に入って確認することもできず、諦めたのだと言う。


 丈吉にしてみれば、そもそも客として入って見て回ろうと言う発想自体が阿呆のものだ。

 大事な金を客が見えるところに置くはずはない。


 だいたい、蔵と思しき建物がないなら、どこにあるのかは想像がつく。

 料亭なら尚更だ。

 丈吉はそれを確認するために、一つ試みた。


 丈吉と見張りの男二人は、料亭の裏手に回った。

 勝手口の前には食材を持ち込む出入りの者が行ったり来たりしている。


 その中に一人、少々頭の足りなそうな荷役の若造がいるのを見つけた。

 重そうに引いてきた荷車を妙に離れたところで止める。

 あと一息のところで休み始めたのは気が緩んだのと、入り口についてしまえば、そこから先は荷物を運び込まねばならなくなるからだ。

 荷は大きな樽に入っている。おそらくは活魚だろう。

 

「何するつもりでぇっ」

「黙ってみてろ。この半端もんが。嘗めてもわからねぇことは、こうやって調べるんだ」


 見張りの一人、まだ若い剛三の嘗役は、当たり前だが丈吉が気に入りらない。

 丈吉から見ればこんなこともわからない男が、嘗役だというのも理解し難い。


 説明する気もしないので、無視して、荷役の男に近づいた。

 手には瓢箪(ふくべ)

 水売りから買った水が入っている。

 水売りという商売は江戸時代に流行したものだ。


 城門前や大きな商家などには、お偉方の随員が集団で待機させられていることがある。

 特に夏場の暑い時期には、待っているだけというのも非常に辛い。

 そこに目をつけた商売人が、よく冷えた井戸水に少し甘く味付けをしたものを売り歩いたのだ。

 今日で言うスポーツドリンクに近いものと考えて良いだろう。


 丈吉はその水の入った瓢箪を持って、荷役に近づいた。


「おう、でぇじょうぶかい?顔色が悪いが」


 実際、若者はだいぶ青白い顔をしている。

 本来荷車は普通一人で運ぶものではない。

 荷崩れの危険もあるから、もう一人は荷を押し、時に交代などするものだ。

 丈吉は瓢箪を渡してやった。それをごくごくと飲んでから口を開いた。


「あ、あぁ、相方が急に腹壊して休んじまって、代わりもいねぇもんだから一人なんだ」

「そいつぁ気の毒だ。荷下ろしも一人じゃ大変だろうに。手伝ってやるよ」

「いいのかい?」

「困ったときはお互い様だ」


 見事なものである。

 これで丈吉は簡単に料亭の中、それも勝手口から店の奥に入り込めてしまった。


 見張りの二人は、目を見張った。

 本格の盗賊の仕事というのは、彼らにとっては馬鹿らしいほどに迂遠(うえん)で面倒なものと言う認識だったのに、丈吉はそれをこともなげにやってのけるのだ。


 若者と荷車を勝手口まで押していき、出てきた店の者と一言二言話した後、丈吉も一緒に樽の中にいた活魚をたらいに移して店の中に入る。

 二人で三往復ほどしてやっと運び終わり、丈吉は若者に礼を言われ、少し離れた角にあった茶屋で休んでいた二人のもとに戻ってきた。


穴蔵(あなぐら)だ」

「穴蔵?」

「料亭は食い物なんかを蓄えておかねばならねぇ。土蔵がないなら、穴蔵が必要だ。勝手口から入ってすぐに、入り口があった。降りたところに活魚の生簀といろんな食い物とか酒の樽と俵、あとは道具の古くなったものもまとめてあった」


 なるほどとうなづきながら、やはり嘗役の方はつっけんどんに聞いてくる。


「肝心の金は?」

「その奥に、ゴツい錠前のついた扉があったよ。鍵師(かぎし)はいるのか?」


 へっ、ともう一人の男がニヤニヤとしながら吐き捨てた。


 そうだ、鍵師などいなくても錠前のついた扉なら開けることはできる。

 鉄槌(てっつい)でも持っていって、錠前か扉を壊してしまえばいい。

 本格派の盗人がそれをしないのは、気付かれることなく仕事をするためで、畜生働(ちくしょうばたらき)が前提なら、その音で起きてきた家人は殺してしまえばいいのだ。

 とはいえ、マムシの剛三一党は六人しかいない。

 夜に従業員が何人いるかわからないが、簡単に全員殺戮などできるのだろうかと言うのが、丈吉の疑問であった。


不寝番(ふしんばん)はいたとしてもはせいぜい一人か二人だ。あとは寝ている間に殺してしまえばいい」


 丈吉は吐き気を催した。

 これが畜生働(ちくしょうばたらき)の凶賊の考え方なのだろう。

 丈吉自身は錠前外しも得意としているが、そこまで協力するつもりはなかった。




 鬱々としたまま、菜飯屋まで歩く道中、丈吉は仕掛けを考えた。


 もちろん、盗みの仕掛けではない。

 人質であるお夏を救う仕掛けである。


 人殺しなどなんとも思っていないこの連中が、嘗役を果たしたからといって、丈吉とお夏を無事に逃すであろうか。

 そんなはずはない。

 今だってお夏がどんな目にあっているかわからないのだ。

 そう思う丈吉は自分の冷静さを保つのに必死だった。


 逆上してはいけない。

 思慮深さと冷静さこそが丈吉の武器であった。

 それに足を洗ったとはいえ、元は本格派の盗賊だった自分が、畜生働(ちくしょうばたらき)の片棒を担ぐことになるのも受け入れ難い。

 

 しかし、どうも自分一人でどうにかできる状況ではない。

 小助が生きていれば、例え捕らえられていたとしても方法はあったのだが、自分一人では思いつく方法のどれもが成功は覚束なかった。



 本所の外れの方を歩いていると、すでに空は暗くなり始め、居酒屋の提灯に火が入っていた。

 入ったことはないが、最近この辺りではよく話しに聞く店だ。


 色男の若い店主がなかなかに美味い酒と肴を出すと言うので気になってはいたが、自分の店と開く時間が重なっているので入ったことはない。

 その居酒屋に、どこかで見たことのある男が入っていく。

 今日は昨日と違って晴天なのだが、手には粗末な傘を持っていた。


『あの男……』


 その男を見た瞬間、丈吉は起死回生(きしかいせい)の仕掛けを思いついた。

 決して出来の良い仕掛けではないが、今ではそれしかない。


「あそこで、腹ごしらえしてから帰らねぇか?」


 人質を取られて、無理やり働いている側が言うことではない。


 だが、今日は朝から何も口にしていなかった。

 隠れ家に使われている店は菜飯屋であるから食料はそれなりにあるものの、お夏や丈吉に包丁を持たせるわけにはいかない。

 若い手下が下手くそな手つきで作った雑炊ぐらいしか、帰っても口にできないのである。


「しょうがねぇなぁ」

「入ったことはねぇが、あの店はこの辺りで随分評判の店だ」


 もちろん、丈吉はもう一つの店主に関する噂も知っている。

 喧嘩に強く、辻斬りの侍を追い返したと言う噂だ。

 (わら)にもすがる程度の話ではあるが。


 二人の監視役も乗り気になった。



「いらっしゃい」

「昨日の傘を返しにきました。ついでに、菜飯は……今日もなさそうですね。何か腹にたまるものでもいただけますか」


 山根十内は律儀にもすぐに傘を返しにきた。

 今日はお頭である平蔵への報告の後は、事務方の監督をせねばならないと言っていたから、仕事が終わってすぐに、それもちゃんと着替えてここまできたのであろう。


 冬吉は十内を店の一番奥に通した。

 まだ開けたばかりで、他に客はいない。


 冬吉は深川飯(ふかがわめし)の準備を始めた。


 深川飯には自信がある。

 深川飯とは江戸深川あたりの漁師たちが考えたと言われるぶっかけ飯で、青柳(あおやぎ)などを煮込んだ汁を飯にぶっかけただけの食べ物である。


 ずぼらな飯なのに随分と美味い。

 なお、深川飯にあさりが使われるようになったり、炊き込みご飯のような形になったのは、この時代よりもずっと後年のことである。


「おろ、今日もお静さんはおやすみですか」

「ええ。熱は下がったようなんですが、まだ店に出るには辛そうだったので」


 冬吉としても、高齢のお静にいつまでも頼っているわけにはいかなかった。

 とはいえ、新たに給仕に人を雇うのも難しい。


 金に関してはそれぐらいの余裕はあるのだが、お静のような老婆では結局同じことであるし、若い娘の場合は別の意味で差し障りがあった。

 色男の冬吉は近所の娘たちの間で異常な人気がある。

 娘を雇えばやっかみでどんな目にあうかも分からないし、雇われた方が本当に冬吉に懸想しようものなら、面倒で仕方ない。


「それはそれは、なら嫁でももらうと良いのではないでしょうか。冬吉さんはすでに店を持って一人前だ。年の頃も女房ぐらい貰っておいた方が良い頃です。流石に所帯持ちになれば、近所の娘たちも諦めてくれることでしょう」


 冬吉は嫌な顔をした。

 冬吉は『女は面倒くさい』と考えている男で、それにゆえに色男なのに妻帯もしていなければ、実際には色っぽい話の一つもない。

 いや、色男で女にちやほやされすぎるがゆえに、そうした性格になってしまっているのであろう。


 それに、いろいろと事情もあるのだ。

 

 十内があまりないことに、にやりとした瞬間、店の戸が開けられた。


「いらっしゃい」

「酒と、なんか腹が膨れるものを頼む」


 入ってきたのは、なんとなくガラの悪い連中だが、その中の一人の顔が冬吉には妙に引っ掛かった。


 イタチ顔だ。


 冬吉は直感した。

 ちらりと十内を見ると、気付かれないように、目配せをしてくる。


「へえ。こちらへ。少々お待ちを」


 普段と言葉遣いを変えたのは、十内への合図である。

 冬吉は三人組を十内の手前に通して座らせたが、そのまま入り口に向かい、何食わぬ顔で店の暖簾を下ろしてしまった。

 三人組はその不自然な振る舞いには気づいていない。

 いや、丈吉は気づいていた。


『こりゃあ、噂以上の腕っこきだ。ありがてぇ』


 伝わるかどうか分からないが、視線でそっと謝意を伝えてから、丈吉は立ち上がった。

 同時に十内も立ち上がる。

 どうも緊張感に欠ける見張り二人は、その不自然な振る舞いにすらも、すぐには気付かなかった。


 丈吉が口を開いた。


「山根の旦那。お縄を受けにまいりやした」


 神妙に両腕を差し出した。

 十内は普段隠し持っているだけの、十手(じって)を見えるように取り出した。


「って、テメェっ!」 


 男たちは焦り出す。

 十手持ち、奉行所の同心か火頭改かは分からないが、どうも顔見知りらしい。

 ここでつかまってしまうと、今晩のうちに菜飯屋は捕方に囲まれてしまうだろう。


 二人の監視役は(きびす)を返して、入り口に向かったが、そこには冬吉が立っている。


「どきやがれっ!」


 先に突っ込んできた男は大きく右腕を振り上げて殴りかかってきた。

 冬吉はその手首を掴み、引き寄せると同時に、右の拳をみぞおちにめり込ませた。

 悶絶する男の肩越しに、もう一人が脇差を抜こうとしているのが見える。


 脇差は一寸ほど引き抜かれたところで、チンと元のように納められた。


 当身で気絶した男を払い退けた冬吉の右手が、柄頭(つかがしら)を押さえ込んだのだ。

 焦った男が、後ろに引いてもう一度抜く隙はなかった。

 男が引くよりも数倍の動きで、冬吉が柄頭に手を当てたまま踏み込む。


 冬吉の左拳が内側からぶんと振り切られた。

 その裏拳が、男の(あご)を削り取るように掠めた刹那、糸が切れたようにその場にへたり込んだ。


「見事。さすがですね。冬吉さん」


 十内の言葉にいえいえと手を振ってから、男たちの腰帯を使って、なれた手つきでを縛り上げていく。


「あ、ありがとうごぜぇます。主殿(あるじどの)の噂を聞いて、博打を打つつもりで入ったんですが」

「さすがは、イタチの丈吉。博打にしても賭けどきの見極めが完璧だ。で、何がありましたか?」


 十内が慇懃な口調なのは、丈吉を堅気と思っているからだ。

 山根十内とイタチの丈吉はまともに言葉を交わしたことはない。

 ただ、五年に及ぶ追う者と追われる者の関係が、直接会うことはほとんど無くとも、互いに身近な存在と錯覚させていた。


 お互いがそうであることも確信していたのだ。


 イタチの丈吉は、以前に十内が菜飯屋に変装して入ってきたこともわかっていたし、十内も当然感づいているだろうと考えていた。

 言われなくとも、十内が足を洗った自分を捕らえようとしないことを、その時確信していたいたのである。


「恥を忍んで、おねげぇしやす。お夏を、あっしの娘を助けてくだせぇっ!」

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