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剣客居酒屋 草間の陰  作者: 松 勇
居酒屋縁談始末
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縁結びの豆腐

 褌男は気を失ったもう一人の中間(ちゅうげん)を背負って、すごすごと帰っていった。


 もちろん勘定はちゃんと支払わせている。

 お静が気絶している男の懐を弄り、きっかり飲んだ分の銭をそこから取った。



 冬吉は慌てて、二つの料理を進行させている。


 小振の蕪になめろうを入れたものとは別に、怖い思いをさせてしまった追っかけ娘たちに、おまけで甘いものを用意しているのだ。


九里(くり)よりうまい十三里(じゅうさんり)


 これはこの時代、江戸でおやつとして大流行した、さつま芋の売り文句である。

 九里は栗のことを指し、十三里は江戸で食べられるさつま芋の産地である、川越までの距離である。

 実際には川越までは十三里もなかったのだが、語呂が良いのでこう言っているらしい。


 なお、この時代には、今日の焼き芋ではなく、蒸した芋が食べられていたそうだ。



 冬吉は凝り性である。


 居酒屋にこだわりがあるから、酒の肴ばかり作っているが、実は甘いものも嫌いではない。

 どうせ作るなら一工夫を加える。


 蒸したさつま芋を裏漉しし、茶巾(ちゃきん)で包み、絞って形を整える。

 これに栗が入っていれば、栗金団になるのだが、生憎栗はないので、芋金団ととした。

 少量の水飴と胡麻をかければ、なかなかの甘味となる。


 夜なので眠りを妨げるお茶は出さないが、たまたま干し牛蒡(ごぼう)が余っていたので、牛蒡茶をお静が入れる。


 中間(ちゅうげん)の乱暴のきっかけは、追っかけ娘たちの悪い口ではあるが、不埒(ふらち)な目的で話しかけてきたのは中間(ちゅうげん)たちである。


 そういう輩はいつかない店だから、辛うじて、父親たちも店に苦情を言ってこないのだ。


 こんなことがあった時は、店としては平身低頭、謝意を込めて、ちょっとしたおもてなしは必要である。

 あえて口止め料とは言わないでおこう。


 娘たちには甘いものだが、他の酒呑たちには、先に仕込んでいた。なめろう入りの蕪を出す。

 酒で蒸されて柔らかくなった蕪は箸で割ることができる。


 これをなめろうと一緒に口に運ぶ。


 酒の香りに蕪の甘味、そこになめろうの味わいが立て続けに口の中に広がる。

 みな、恍惚(こうこつ)とした表情となった。


 甘味に興奮する娘たちとさして変わりはない。


 酒呑みも、冬吉の料理を目の前にしては、年端のいかない娘と変わらず、可愛いものである。




「お陰で助かりました。一献(いっこん)奢らせてください」


 そう、丁寧に申し出たのは菊次郎である。

 突き飛ばされたものの、特に怪我はなかった。


 自分に娘のお里、さらにそのお里が可愛がっている追っかけ娘たちが無事で済んだのは、冬吉と腕っ節の良い客たちのおかげである。

 佐近次と平蔵は遠慮なく、菊次郎の近くに席を移した。


「さ、お里、長山様と佐近次さんにお酌をして差し上げろ」


 そう言われて、お里はすぐにお銚子を手に取った。


 普通、複数人に酌をするなら、格上の人物からとなる。

 この場では、唯一武士で年長の平蔵が最初だ。


 しかし、お里はまず佐近次に酌をした。

 不作法というほどでもない。

 所詮(しょせん)は居合わせただけでの居酒屋でのことだ。


 それについては平蔵は気にもしないが、酌をするお里の目つきの方が看過できなかった。


『あの目は、勝負師の目だ』


 本所で無頼(ぶらい)の青春時代を過ごし、今では火盗改頭(かとうあらためかしら)として、悪党共を引っ捕えている平蔵である。

 人の目つきについては敏感なのだ。


 お里は今、勝負師の目をしている。


 ここが人生の大一番と言わんばかりの、一か八かの賭けに出ている目である。

 そして、それまでとは打って変わり、しなを作って、猫なで声で口を開いた。


「さ、佐近次さま」


『さま、ときよったかっ!これはっ!』


 相手が武士ならわかる。

 浪人であっても。相手が武士なら様付けで呼ぶのは習わしだ。

 しかし、町人同士なのだから、様付けには別の意味がある。


 悪人に対してだけでなく、人生のすいも甘いも知り尽くした平蔵である。

 この刹那に、お里の意図の全てを察した。


 とは言え、菊次郎と佐近次は何もわかっていない。

 菊次郎は娘の様子にも気づかずニコニコしているだけだし、佐近次は『いや、これは恐縮』などと言って、照れてるだけである。


 ここはお里の想いに協力してやらねばなるまい。


 

「ところで、娘御の嫁入りについてお悩みとか」


 出し抜けに言った。

 こういう事はあれこれ段取りを踏むより、勢いで話を進めた方が良い。

 単刀直入に本題に入る。


「はあ、居酒屋通いをするような娘ではなかなが……」


 お里はすました顔、と言うより隣に座っている佐近次の顔しか見ていない。

 他の追っかけ娘たちが、じっとりした目で菊次郎を見やった。


「はあ、それは男の方でもそうですなぁ」


 左近次に視線を向けて言う。

 左近次は罰の悪そうな顔をした。


「とは言え、こう言う話は、事の後先を踏まえて考えねばなりますまい」

「と、言いますと?」


 平蔵の不思議な問答に菊次郎は引き込まれてきた。

 狙い通りに。


「居酒屋に通うから縁談がないのか、縁がないから居酒屋に通うのか」


 独り者の寂寥感(せきりょうかん)には時代の差はない。

 今も昔も都市部には独り者が多く、居酒屋が増え、寂しいからそこに通う。


 酒を呑むなら家でも良い。

 肴もこの時代には四文屋と呼ばれる、今なら百円程度で様々な惣菜を売る店もあったから、困りはしない。


 一人酒が寂しいから居酒屋に来るのだ。


「この左近次と言う男は、見ての通り居酒屋通いの酒飲みだが、職人としての腕はなかなかのものだ」


 そう言って、自分のキセルを見せた。

 龍の彫り物の見事さに菊次郎は目を見張った。


 分野は違えど職人同士。

 生半の修行では、身につけられる技ではないとは菊次郎でもわかる。


「しっかりした女房でも持てれば、悪い癖もなくなり、一端の男になるとは思うのだが」


 お里がはっとした。

 平蔵が味方になったことに気付いたのである。


「うちの娘のようなふしだらな者では、申し訳ないですな」

「娘さんも、さすがに嫁入り後まで冬吉を追っかけるつもりはないでしょう」


 こくり、とお里は頷いた。

 お里は初めから、左近次を好いていたのだ。


 時折飲みに出かけるのを見ての一目惚れである。

 しかし、キセル職人の仕事は、ほとんど家に篭ってのことであるから、居酒屋ぐらいでしか顔を合わせる方法がない。

 時代が時代、女の方から男を誘うなど、それこそふしだら千万である。

 根は真面目なお里にできることではない。


 どうにか、顔を合わせる機会が作れないかと考えての苦肉の策が、追っかけ娘たちのまとめ役になることであったのだ。


 草間に通えば、左近次がどんな男かもわかってくる。

 酒と金にだらしないところもあるが、一流の職人で、男気も腕っ節もある。

 この人しかいないと思い詰めつつも、自分ではどうしようもなく、何ヶ月も草間に通っていたのだ。



「娘さんは何もふしだらな事はしておらぬ。他の娘たちが草間に迷惑をかけないように気をつけておったな」


 平蔵がお里を見ると、お里は軽く頬を染めてうなづいた。


「居酒屋通いをやめられない左近次、女の身で居酒屋に通ったお里、一人では駄目でも一緒になるとうまくいくかも知れぬ。如何(いかが)か?」


 菊次郎は平蔵の急な提案に考え込みはしなかった。

 さすがに、ここまでは言われれば、いろいろ気づく。


 煙草も吸わない娘が妙にキセルに詳しくなっていたり、長山という知らない浪人に、立派なキセルをこさえた職人の話をしていたり。

 草間に通うとなれば冬吉目当てと思い込んでいたが、お里は遠回しに左近次の話を父親に吹き込んでいたのだ。


 菊次郎は左近次に向き直った。


「左近次さん、こんな娘だがもらってくれないだろうか」


 そうして、畳に手を付き、頭を下げた。


「おとっつぁん……」


 お里が口に手を当てて驚く。

 こんなことをする父ではなかったのだ。


「し、しかし、俺はろくに蓄えもない長屋暮らしで……」

「そんな事はどうにかなる。あんたの腕は一流だ。贅沢言わなきゃ持参金で小さな町屋ぐらいは借りれるぐらいの事はする」


 焦る左近次に畳み掛ける。

 大名屋敷にも出入りする、腕利きの植木職人の棟梁である。

 その程度の金なら用意できる。


「それに、恥ずかしい話ですが、俺は金遣いが荒くて……」


 何せ、男としての自分に自信がない。

 職人としての腕ならともかく、人間としてはできてないと自分で思い込んでいるのだ。


「左近次よ、そこんとこはな、うまいこと女房の尻に敷かれるってのも芸のうちだぞ」


 平蔵が助け舟を出す。

 お里は、結構しっかりしている。

 菊次郎の厳しい教育の賜物だろう。


 追っかけ娘たちには酒を飲ませなかった。


 実際には、家では呑んだことのある娘もいるのだろうが、外で呑む癖までつけては後々抜けられなくなるかもしれない。

 彼女たちのお小遣い程度ではしょっちゅう居酒屋で呑むとなると、足りなくなる。

 つまり、左近次のように、お金があればある分だけ呑んでしまうということになっては、他の親御さんたちに顔向けもできないのだ。


 ならば、もし、左近次とお里が所帯を持っても、金のことは左近次の自由にはさせないであろう。


「二人とも半端者でも、二人力を合わせれば、家というのは立つもんよ」


 平蔵のこの言葉に、左近次は考え込んだ。

 お里という娘のことは、よく知っているわけでは無い。

 追っかけ娘のまとめ役であるということぐらいは知っているが、それだけである。


 しかし、目鼻立ちは嫌いでは無いし、どうやら自分は好かれているらしい。

 改めて、ちらりと顔を見ると、頬を染めてはにかんだ。

 なんとも可愛げな、思わず口元が緩んでしまうような笑みだった。


「へ、へい。あの、あっしなんかでよろしければ……お、お里さん、う、うちに来てくれるかい?」


 しどろもどろになりながら、そう、ようやく言ったのであった。



 後はもう、気のはやい祝いの宴であった。

 

 他の追っかけ娘たちは、お静に追い出されて、ブーブー言ってはいたが、皆、お里に祝いの言葉を伝えて帰って行った。

 お里を慕う娘たちは、お里が自分たちのために何をしてくれていたか、わかっていたのだ。



 冬吉からは、これも店からのお祝いとしてと、一品出した。

 碗に出汁が張られ、その中に、帯状の白い物が結ばれている。


『結び豆腐』


 と言う。

 短冊状に切った豆腐をお湯に浸して柔らかくしたものを、結んだものだ。


 ものはただの豆腐のすまし汁なのだが、これをこさえるのはかなりの腕が必要である。

 もちろん、縁結びの祝いだ。


「草間の縁結びか。って、豆腐じゃ柔らかくて簡単に切れしまいやしねぇかな」

「余計な口使ってんじゃないっ!それこそ縁起でもねぇっ!」


 余計な一言を吐いた伊八は、お静にお盆でこっぴどく引っ叩かれた。


「へ……なぁにが、もうちょっと顔が良ければだい。冬吉さんと引き比べたりしなけりゃ、十分いい男ぶりなんだよ。左近次は」


 酒を舐めながら、どうもいじけてしまった伊八。


「独り者も毎日気兼ねなく美味いもん食えて気楽だったんじゃねぇのかいっ?女は女房のみ、おまさ以外は女じゃ無いって言ったでねぇか」


 おまさとは、亡くなった伊八の女房である。


「女はおまさ一人でいいが、寂しいもんは寂しいんでいっ!酒もってこい酒っ!」



 今夜はおめでたいが、伊八の酒は悪いものになりそうだと、冬吉はため息をついた。

 

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