青豆豆腐
辰蔵と雪枝はあちこちで道を聞きながら、樋口道場にどうにかたどり着いた。
生真面目な辰蔵と箱入りの雪枝では、こういうことには向かない。
世間的な知恵というのは、どうしても、多少は不良な青春を送っている者の方が身に付くものである。
しかし、立派な体格に一本気で腰の低い態度の辰蔵と、珍しい女武道の出立で、なかなかに美しい雪枝の組み合わせで道など聞かれれば、たいていの人々は一瞬の気後れの後に、親切にしてくれる。
身分の差などそれほど関係なく、気分の良い若者には、誰でも優しくしてくれるものなのだ。
やたらときゃあきゃあ騒がしい四、五人の娘たちに、樋口道場への道順と、そこが冬吉の通う道場であることを聞いた二人は、丁寧に礼を言って駆け出した。
樋口道場に辿りついた二人は驚愕した。
想像以上に小さなボロボロの道場であったが、驚いたのはそれにではない。
そのぼろぼろの道場に、若い者が数十名並んでいるのだ。
見れば、身なりは様々だが、明らかに武家の師弟と思われる若い男に、やはり武家と思われる若い娘が多数。
男の方はわからなくもない。
先日の試合の噂は、江戸の剣術界に一夜にして広がった。
負けた者が言うのもなんだが、名勝負と言って良いものだった。
優勝候補と言われた自分たち、特にその筆頭である栗原周平を倒した冬吉が通う道場である。
同じように苦労して探してでも、入門したいと思う剣術狂いの若者や、自分のせがれを通わせたいと思う親は、確かにいてもおかしくない。
しかし、そこに武家とは言え娘たちまで行列をなすのはどう言うことだろうか。
自身、女武道たる雪枝にしても、自分が希な例であることはわかっている。
道場主の娘だからやっていたことであって、武衛館にも他に女の門人というのはいない。
これはどう見ても異常なことであった。
行列の整理をしている門人に話しかける。
「あの、もし、すみません。少々お尋ねしたいのですが」
どう見ても武士ではない門人である。
「ええと、あ、あの、申し訳ございませぬ。列に並んでいただけると」
「あ、いえ、入門をしたいわけではないのですが、これは何が……」
門人は自分の勘違いにすぐに気づいた。
二人とも列に並んでいる者たちに比べれば、遥かに武術の心得があることがわかる。
さすがに噂だけで樋口道場に入門希望に現れるような者ではないとわかったのだ。
「これは失礼いたしました。先日、当道場の客分の剣客が、とある試合で勝ち上がり、主催の大身旗本のお殿様が、家中で入門をご推奨下さったようで……」
これは水野伊勢守の仕業ということだ。
あの血の気の多い爺さんには、ことの影響を考えずに動き出してしまい、周りを振り回すと言う悪癖がある。
水野家は七千石の大身である。
これは、実質的には一万石の弱小大名よりも裕福であることを意味する。
家中には多くの陪臣の武士や武家奉公人を抱えており、その子弟に推奨したとなると、せがれの出世を望む親は尻を叩いてでもその道場に通わせようとする。
水野家中だけではない。
尚武の気風で有名な大身旗本の水野家が絶賛したとなれば、他のそれよりは家格の低い旗本や御家人であっても、出世の足掛かりにと動き出す。
本所は一部の町人街を除いて、基本的に武家地、それも旗本屋敷の多い土地柄である。
「娘たちまで並んでいるのは?」
疑問をていしたのは雪枝である。
何か、引っ掛かったのだ。
「ええと、客分の剣客は剣術絶倫の上に、その、非常に見目麗しいものでして、その上、その殿様が絶賛したものですから、嫡男の居ないお武家様は、娘の婿に迎える方法はないかなどと考えたようでして……」
「なんと……」
雪枝は絶句した。
自分自身がこれから冬吉に輿入れを申し込もうとしていたのだ。
江戸の世では、娘が自分から殿方に結婚を申し込むなどということは、基本的に認められていない。
押掛女房という言葉はあるが、もはやこれしかないとまで思い詰めていたのである。
つまり、本人の許可も得ず、相手の家に居座り、女房としての勤めを勝手に果たして、既成事実を作ってしまうという方法である。
それが、こんなに恋敵が多いとなると、さすがに成功は覚束ない。
ここまで人気のある男だと、そんな無理な方法になびくはずはないとは雪枝でもわかる。
そもそも冬吉は一人でも不自由のない男だ。
長く一人で放浪していたし、綺麗好きなので部屋の掃除も自分でする。
洗濯も自分ですますし、飯炊きについては言うまでもない。
妻を持つことの快適さなど関係なく、むしろ、面倒な方が多いと考えるくちである。
そもそもが甘い考えであったのだが、それにしても、この風景は異常であった。
しばし、辰蔵は絶句してから、門人に尋ねた。
「あの、その剣客は居酒屋を営んでいると伺っているのですが。どこにあるのかご存知でしょうか」
「……」
門人はしばらく答えるのを渋った。
下手に教えると、この道場に並んでいる行列が、居酒屋草間の前に移動しかねない。
商売の足しになるのであれば良いが、おそらくは迷惑であろう。
「私は長谷川辰蔵、こちらは武衛館の中村雪枝殿です」
こういうやりようは、さすがは長谷川平蔵の嫡男である。
雪枝は眉をしかめて怒り出しそうであったが、名乗れば多少は便宜を図ってくれそうと考えた辰蔵の方が正しかった。
江戸中で噂の火頭改方頭、長谷川平蔵のせがれと、これまたの噂の剣術小町の組み合わせである。
剣術道場の門人には有名人であるから、無体に扱うことなどできるはずがない。
二人は『草間』への道順をこっそり聞き出し、そっと行列から離れて向かって行った。
熊七は食い入るように仗助のやることを見ていた。
冬吉が柏屋に手伝いに行っている間は、どうしても出せない料理がある。
工夫好きで冬吉の技を真綿のように吸収していく仗助と言えども、まだまだ同じようにはこさえられない料理はあるのだ。
それを補うには、冬吉も作ったことがない、独自のものを出さねばならない。
冬吉は独自の工夫を許すと言うよりは、むしろ、それを仗助の義務としたのである。
店を大きくするなら、必要なことであった。
冬吉の色しか出せない店では、大きくしても意味がない。
冬吉だけでなく、仗助の色もあり、二つが混ざり合う品が味わえる店になること、それが今の草間に必要なことであった。
仗助は枝豆をゆでたものから、さやと甘皮を取り除き、すり鉢にいれる。
それに、冬吉の作った絶品の豆腐と、卵の白身、酒と出汁、塩を加えてすり潰す。
これを裏ごししたものを、四角い漆塗りの容器に入れて蒸し揚げた。
豆腐百珍の通品に連なる一品、青豆豆腐である。
青豆豆腐は豆腐百珍には名前だけが掲載され、その作り方は記されてはいない品だが、いざ作ってみようと思うと、意外に難しく、手間もかかる。
仗助としては、風割り蒸しを作るとどうしても余る卵の白身を使いつつ、冬吉の豆腐を生かした料理を考えたのだ。
そろそろ枝豆の旬で、梅雨を終えた初夏の風情を楽しむ逸品となった。
「樋口先生っ!どうなすったんです?」
夕刻、夜の商いを始めようとお夏が暖簾を出したところに現れた樋口正助は、ただでも小柄な身体がさらに縮まったかの様に、精も根も尽き果て、息も絶え絶えであった。
顔色も悪く、目も充血している。
「お夏さん、す、すまない、とりあえず何か腹が膨らむ物を、胃の腑に優しいものがいいかもしれない」
「はい。さ、こちらに」
お夏は奥の方に座らせ、お静が衝立を置いた。
道場主という仕事柄、あまり体調不良なところを衆目に晒すのもよくないだろうし、横になって休んでもらったほうが良いかもしれない。
他の客の目に触れない様にする配慮である。
「おとっつぁん、残念だけど、青豆豆腐より先に何か柔っこい、お腹に良くて精の付くものを急ぎでっ」
「おう、そうだな、今日は卵を多めに仕入れていたから、風割り蒸しのついでに、玉子豆腐も作ってみたんだ。それならどうだ?」
「うん。いいと思う」
玉子豆腐の材料は風割り蒸しとほとんど同じである。
玉子と出汁とを一対一の割合で混ぜて蒸したものが玉子豆腐だ。
風割り蒸しはこれを黄身と白身に分け、白身は泡になるまでかき混ぜる。
これに調味料を足して蒸した上で、最後に上に水飴を乗せる。
よって、実は茶碗蒸しというよりは玉子豆腐の変形である。
ちなみに茶碗蒸しの場合は、玉子豆腐よりも出汁の分量を増やし、具を入れたものということになる。
出汁の割合だけで、だいぶ違う食感の料理ができるのは面白い。
現代では日本でも人気のプリン、イギリスではカスタードプティングと言う料理も、玉子豆腐や茶碗蒸しと良く似ている。
出汁が牛乳に代わり、砂糖を使えばカスタードプティングだ。
栄養学的には玉子はそれほど胃に良いものではないそうだが、胃痛がするわけでもなく、単に元気がないだけなので、食べやすければ大丈夫であろう。
江戸の世にあっては、鶏卵は病人に与えるものとされるほど、栄養豊富な食材と考えられていた。
「おお、これはありがたい。綺麗な玉子豆腐だ」
仗助の玉子豆腐と言ったところで、これにはさほどの工夫は加えていない。
最近は本所の東側に点在する農村の百姓から、毎朝鶏卵をかき集めて売りに来る小商の者がいるので、風割り蒸しの材料に欠くことはない。
冬になると鶏の卵を産む頻度が落ちるので、また考えないといけないが、盛夏の近づくこの時期なら、むしろ卵は余るぐらいだ。
冷蔵庫のない時代、それほど日持ちする物でもないので、風割り蒸しよりは、もうちょっと腹の膨らむ卵料理として用意したのである。
正助はあっという間にこれを平らげると、ふうと心地よさげなため息をついた。
心持ち、顔色も良くなる。
実際には、栄養を取ったからというよりは、美味しい物を食べると元気になるというだけのことであろう。
樋口正助が疲労困憊な理由は、樋口道場の昼間の様子を見ればわかる。
正助はそれを草間の面々に説明した。
「それはまた、水野様というお方は……」
仗助は嘆息した。
水野伊勢守も仗助、お夏の親子にとっては恩人である。
が、たまに長谷川平蔵が言う様に、『血の気の多い爺さん』であり、自分の身分や周りの反応を考えずに、いろいろと『やらかしがち』な老人なのだ。
その後始末に走り回る大野用人もご苦労なことであった。
「それで、木村はまだまだ稽古をできる体ではないし、できたら今回は冬吉さんに手伝ってもらおうかと思ったのだが」
「ええと、生憎、今日からは柏屋の方へ手伝いに出ていまして。あちらの親方が悪い風邪を拗らせたとかで」
正助の表情が絶望的なものとなった。
門弟十人程度の道場に、いきなり何十名も入門を希望してきたのである。
長続きする者は少ないにしても、暫くは気張って稽古をつけてやらねばならない。
師範代の木村と客分の冬吉を除くと、門弟にはろくな剣士はいないのだ。
別に真面目に稽古をしていないわけではない。
ほとんどは、貧乏暇なしの合間を縫って、どうにか稽古に来ている様な貧しい者たちで、腕を上げるだけの稽古の量をこなせていない。
多少、生活に余裕のある者も、剣術一筋とは行かない者ばかりで、人に教えられるほどの腕前になれと言うのも無理がある。
お夏は気の毒に思うものの、冬吉は後見人である柏屋半左衛門の頼みで出張っているわけで、どうにもならない。
誰か、紹介できる剣術上手はいないかと考えててみるが、
「長山様ってわけにはいかねぇしなぁ」
「おとっつぁん、ああ見えて、あれほど忙しい人は、江戸にもそうそういないよ」
長山平三郎こと長谷川平蔵は三日とあけずに草間を訪れる。
とはいえ、江戸に名を轟かす敏腕の火付盗賊改方頭が、昼間から暇をしているはずがない。
伊八などが言うには、
『長山様が草間でゆっくり呑んでいたら江戸は安泰。せわしなく呑んでいたらちょっと不穏。一杯で帰ったら一大事だ。顔を出さなくなったら大捕物があるに違いねぇっ』
と言う次第である。
さすがに昼間から道場で剣術を教えている暇はない。
「と言って、丹斎先生と言うわけにも行かないし」
「そりゃなぁ」
お夏もわかってて言っている。
中村丹斎自身が、正助よりも大きな道場を開いているし、最近は、本所で暴れていた旗本の子弟を鍛え直し始めた。
これがまた評判となり、自分のドラ息子も鍛えて欲しいと言う親が次々と現れ、やはり大忙しなのだ。
丹斎も正助ほどではないにしても、疲れた顔で平蔵とともに呑みに来る様になっている。
平蔵が気を遣って連れてくるのであろう。
草間の客層は様々だから、他にも浪人から旗本の子弟まで、剣術使いと思える武士の客はいるのだが、なにぶん、人柄がわかるほど親しくはないし、剣の腕前など知る由もない。
冬吉がいたなら、推薦できそうな人物がわかるのかもしれないが、仗助とお夏、お静に熊七ではどうしようもなかった。




