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剣客居酒屋 草間の陰  作者: 松 勇
剣術試合面倒始末
18/56

御し難い勝ち気

「お前も雪枝殿もまだまだ若い。勝負の結果に人生を託すなどというのは、僭越極(せんえつきわ)まる」

「し、しかし……」

「まあ、今日の勝負だけは多めに見てやろう。己の未熟さを知るよい修行だ」


 再び栗原が打ち込みはじめる。

 冬吉はそれを先ほどと同様に裁く。

 しかし、それも長続きしそうには見えない。


「たしかに冬吉殿の技、目を見張るものはありますが、攻めに出ることができてないのもたしか。これでは結果は見えております」

「まだわからぬぞ」


 しかし、平蔵は少し不安げである。

 冬吉の技は見事であるが、辰蔵や雪枝ならともかく、先に栗原に当たってしまったのは、少々誤算ではあったのだ。


『できる。だが、このままではジリ貧ぞ』


 栗原は胸中でつぶやいた。

 見た目ほどには余裕はない。

 終始攻めているというのに、未だ打ち込めていないのだ。

 鍛え抜かれた肉体に疲れはでてこない。

 気も充実しているが、どう勝負を決めるか、考えあぐねているところもあった。


 再び、二人の体が離れ、お互いに息を整える。


 そのとき、冬吉が構えを変えた。

 正眼に両手で構えていたのを、やや左足を下げ、右手だけで構えなおしたのである。


「何をする気だ。まさか、片手であの打ち込みを裁こうというのか」


 辰蔵の言葉を聞いて、さすがにそれは無理と平蔵は思った。

 冬吉はまともに打ち込みを受けているのではなく、横から叩きつけて軌道をそらし、逆側に動くことでかわしている。

 片手でそれを行うには、打ち込みに力がありすぎた。


 だが、その時、栗原の表情が凍りついた。


『な、なんという、まるであの短い木太刀が、己の眼前に突きつけられているようだ』


 構えなおした時点ではまだ間合いまで一歩以上の距離がある。

 しかし、まっすぐ眉間に合わせた切っ先が、己の皮に触れているかのような感覚に囚われたのだ。



 冬吉は内心、ちょっとだけ怒っていた。

 栗原という男は、確かにかなりの腕前である。

 冬吉の見立てでは、矢太郎では及ばない程であると思われた。

 

 これほどの腕前の者が相手なら、うまいこと負けてしまって、とっとと店に戻ろうと思っていたのだ。


 腕のある剣士なら、こちらから隙を作れば、寸止めで終わらしてくれる。

 ところが栗原は本気である。

 もはや試合というよりも、立ち合い、木刀とは言え真剣勝負、果し合いのように殺気を込めて打ち込んでくる。

 怪我をしないためには、かわし、いなし、受けるしか手がない。


『この野郎、全く手加減なしかよ』


 腹の中でとは言え、珍しく冬吉は毒づいた。

 相手がその気なら、こちらも本気にならないと、勝負は終わらないし、いずれは強く撃ち込まれて怪我をしてしまう。

 カッとなった冬吉の頭からは、いつの間にか、わざと負けるという考えが消えていた。




 栗原は意を決した。

 飛び込むように踏み込み、体ごと、今度は胴を突きに行く。

 恐怖をした己を超えるためにはこれしかなかったのだが、冬吉は片手で構えている。

 仮に両手であっても、渾身の諸手突(もろてづ)きをそらすことなどできるわけはなかった。


 場が静かになった。


 一瞬のこと、二人の体が入れ変わった刹那、勝負がついた。

 二人の木太刀からは焦げ臭い匂いと、わずかに煙が上がっている。


 がくり、と片膝をついたのは栗原の方であった。


 辰蔵は見た。

 渾身の諸手突きを迎えた冬吉は、最初は片手で左側から叩きこんだ。しかし、やはりそれでは切っ先をそらすことはできない。

 そこから斜め踏み込みつつ、左手を峰に叩き込み、右へ押し込むように逸らしたのである。

 

 さらに冬吉は踏み込み、摩擦で木太刀が軽くこげるほどに滑らせ、すれ違う刹那、左に抜けながら胴を打ったのである。


「ま、参りました」


 あまりの苦痛に平伏することもできずに栗原が言う。

 そのままばたりと倒れ、気を失ってしまった。

 おそらくは肋骨が折れているのであろう。

 急ぎで医者が呼ばれ、騒然となった。



 冬吉は礼を施して、何も言わずにその場を立ち去った。


「強い。あの冬吉殿、まさしく達者では」

「ふむ、ひやひやさせおったがな」


 平蔵はさもほっとしたように言った。

 おそらくはどちらが勝っても、辰蔵に負けることはないのであろうが、栗原が勝つと平蔵にとっては面倒なことになる。

 どうやら、ここまでは平蔵の思惑通りであった。



 本戦が始まるのは午後からである。

 冬吉をはじめ、予選を勝ち抜いた剣士達は。あてがわれた部屋で休憩するように伝えられた。


 昼餉も出る。

 と言っても、試合の直前であるから軽いもので、粥と香の物だけであった。

 粥は塩が利かせてある。

 贅沢なわけでも、特別美味と言うわけでもないが、勝負の前の食事としては文句のつけどころはない。

 水野家の武への心がけが現れていた。


 冬吉は少し不機嫌であった。

 本当であれば、予選でわざと負けて、とっとと帰るつもりでいたのである。


 それが、いきなり優勝候補筆頭である栗原と当たってしまった。

 最初はそれでもうまく負けてしまおうと考えていたのだが、栗原の容赦ない攻めには、怪我をせずに負ける方法が思いつかなかったのだ。

 ムラムラと、生来の負けず嫌いが湧き上がってきたのも確かである。


「負けようと思って負けることも難しいが、あれだけ鮮やかに勝ってしまったのは、ほれ、お前さんも元は士分。一方的に攻められて、勝ち気がでてきやがったんじゃあねぇか?」


 食後に出された薄茶(うすちゃ)を喫しているころ、控えの間に入ってきた平蔵がいきなりこう言ったものである。


 反論のしようはなかった。

 

 実際のところ、猛攻をかわしている間は、たしかに負けるつもりでいたのである。

 しかし、全く寸止めもする気もなく、容赦なく本気でたたきつけてくる栗原に、正直腹たってきたのだ。

 だから、片手で構え直したときには、自分も本気になってしまった。


「ま、自分の気持ちほど御しがたいものはない。訳知り顔のお前さんもまだまだ若いってこった。却って安心したぜ」

「しかし、栗原殿にあれほどの腕があるのなら、辰蔵殿のことは心配いらなかったのではありませんか?」


 予選の様子をみれば、三人の強者の中でも明らかに頭一つ以上、栗原が抜きんでている。

 冬吉でなくとも、辰蔵は勝つことはできなかったに違いないのだ。


「そこがやっかいなのよ。栗原は栗原で、特別好いているわけでもないようだが、皆川の御大は雪枝殿をほしがっていてな」


 皆川の御大と言うのは、栗原のいる皆川道場の主、隠居の身ながら元は四百五十石の旗本でもある皆川助九郎(みながわすけくろう)のことである。

 齢七十の高齢であるが、剣の腕だけでなく、道場経営の手腕にも優れている。

 雪枝をほしがっている理由は、本人がどうこうと言うよりも、中村丹斎の一人娘、剣術小町、江戸の巴御前として有名な雪枝を、後継者たる栗原の嫁にすることができれば、ますます道場の名が上がるという目論見があるのだ。


「丹斎の野郎はな、最初はこのことを俺に相談しに来たのよ。たかが道場経営に閨閥(けいばつ)みたいなもんを持ち込むんじゃねぇとかな。それで(せがれ)の話をしたら、そっちもいやだとぬかしやがる」


 辰蔵と雪枝であれば、おそらくは辰蔵が勝つ。

 これも見る者が見ればわかった。


 だから、栗原と当たる前にこの二人があたれば、皆川の目論見は崩れるはずなのだが、それもいやだと丹斎は言うわけである。

 平蔵も口に出しては言わないが、息子じゃ不足などと言われてつむじを曲げてしまったに違いない。

 冬吉は思わず失笑した。


「で、お前さんの出番てわけだな」

「それでしたら、栗原殿は本戦に上がらないわけですから、これでお役御免ということに」

「なるわけねぇだろう」


 冬吉はいやな顔をした。

 栗原と違い、本戦に残った面々相手なら、うまいこと負けを演ずることはたやすい。

 負けたところで悔しくもない相手でもある。


「長谷川様はご子息と雪枝殿のことは……」

「本人達が好きあっているてぇなら、まあ、今はともかく、先々には異存はねぇよ。だが、二人ともまだ若い」


 若いと言っても、特別結婚に問題が有る歳ではない。むしろこの頃の常識なら、適齢期と言ってもいいだろう。

 しかし、冬吉も同じことを考えていたのだ。

 二人とも、剣に身を捧げる者である。

 軽々しく試合に人生を賭けようと言う考え方には問題を感じなくもない。

 辰蔵はともかく、雪枝の方は負ければどんな相手かもわからずに結婚すると言っているのだから。


「そこは、お灸を据えてやる必要があるってことよ。それさえなければ、まあ、時間をかけて説得すれば、丹斎だって折れるわ」

「どうしても、私がやらなければならないのですか?」


 本戦は勝ち抜き戦で、三本勝負の二本先取勝ち。

 組み合わせは、予選を見て検分役が決めることになっている。

 検分役は審判も勤めた中村丹斎、水野家の御家来衆の稽古役も勤めている皆川助九郎、それに武芸に明るく水野家との縁も深い長谷川平蔵なのだ。

 おそらくは、本戦、一本目で雪枝か辰蔵に当てられることは間違いない。

 冬吉が昼餉を済ましているうちに、組み合わせは決まっているのだ。


「文句も言いてぇだろうし、わざと負けようとか今は考えているだろうが、いざ勝負となれば、お前さんがそうできるとは思えねぇな」

「……」


 図星である。

 正直、木刀を持つと冬吉は血が騒ぐ。

 生来の負けず嫌いが頭をもたげてくるのだ。


 なにも答えない冬吉を見て、人の悪い笑みを浮かべた平蔵は、そのまま控えの間を出ていった。


 冬吉にも平蔵の目論見がわかった。

 平蔵の目論見通りなら、冬吉は辰蔵と雪枝両方に勝たねばならないのだ。

 二人に未熟さを自覚させるためには、無名の剣士、それも実は町人の冬吉に負けてしまうという筋書きが必要なのである。


 これが栗原では駄目なのだ。

 雪枝が栗原と当たってしまうと、皆川助九郎の目論見通り、雪枝が栗原と結婚するなどという、平蔵にとっても面白くない結果となる。

 先に辰蔵と雪枝が当たってしまうと、丹斎と平蔵の対立が抜き差しならぬものとなるかも知れない。


 なんとなく、平蔵は初めから大野久兵衛、樋口正助と通じていたのではないかと思われてきた。

 初めから口裏を合わせて、冬吉を出場せざるえないところに追い詰めたのではないか。


 予選を突破してしまえば、あとの試合の組み合わせは中村丹斎、皆川助九郎、長谷川平蔵の三名で決める。

 雪枝と辰蔵を戦わせたくない丹斎、もはや目論見は崩れ、どうでも良くなっている助九郎。

 冬吉と雪枝を当て、決勝で辰蔵と闘うように組み合わせることは、平蔵の言葉で決まってしまう。

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