強者三人
試合当時、結局断れなかった冬吉は仕方なく会場である水野家の屋敷に現れた。
控えの場には、すでに八人の剣士が集まっている。
「中条流、樋口春吉と申します。よろしくお願いいたします」
長谷川平蔵は偽名を名乗ることを提案した。
冬吉を樋口正助の親戚で、中条流を納めた浪人と言うことにし、偽名を名乗ることで後難を避けようと言うのだ。
水野家には話を通してはある。
挨拶には何人かが会釈を返しただけである。
名の知れた三名以外に大した剣士はいない。
試合の形式は勝ち抜き戦で、まずくじ引きで予選の組み合わせを決める。
以降はその勝者から、検分役で話し合って次の組み合わせ決めると言う形だ。
そして、平蔵もその検分役なので、その後の組み合わせは結構自由にできる。
それが良いことなのか、悪いことなのか、冬吉は後者に思われてならない、
控えの場では、名の知れた三人が集まって挨拶を交わしていた。
冬吉は一応は浪人と言うことになっているので、髷も武家風に結ってはいるのだが、無名であることには変わらない。
中村雪枝や栗原周平はため息をついた。
「人数だけは集めたようだが、面白そうなのは、我々三名だけのようだな」
栗原は鼻で笑っている。
はっきり言って、義理で出場しているだけ、師だけでなく皆川道場に通う水野家の用人の息子から頼まれたのだ。
後輩に土下座で頼まれて致し方なくと言うところであった。
「そうですね。予戦はくじ引きで相手を決めるそうですが、まともなのにあたりたいものです。お二人のどちらかに」
男装の女侍、雪枝は嘆かわしいというようにため息をついた。
雪枝の場合は、名は知られているが、父親の道場では気を使って、腕に覚えのある者もなかなか本気で挑んでくることはない。
腕試しが目的なのだが、それもあまり期待できそうにないと思ったようである。
「どんな強者が隠れているか、世の中わかりませんよ。と言っても、今日は雪枝殿に勝つつもりで来ておりますが」
「そうですね。お二人との勝負だけが楽しみです」
辰蔵は笑いもせずに言ったことに雪枝が軽く答える。
辰蔵は思い詰めた感じであるが、雪枝は気づいていない。
雪枝は男装ではあるが、なかなかに美しい。
若衆髷、今日でいうポニーテールのように結った美しい黒髪に、色白だが剣術で鍛えた均整のとれた体、顔立ちも気は強そうだが、整っており、異色の美しさがある。
辰蔵が惚れるのもわからなくはない。
そんな三名の会話を聞きながら、冬吉もため息をつきたい気分であった。
くじ引きの結果、冬吉は予選最後が出番となった。
最初は辰蔵である。
辰蔵の相手、飯田何某は無外流の剣客だが、小柄ながら筋骨たくましく、なかなかに激しい打ち合いとなった。
辰蔵が修めているのは念流である。
樋口道場で冬吉が学んでいるものと一緒であるが、冬吉の目から見てもなかなかのものであった。
おそらく、念流の技に拘れば冬吉ではかなうまい。
矢太郎とも良い勝負になりそうである。
しかし、気になることはある。
攻めが真っ当すぎるのだ。
念流の要たる受けは見事。
飯田の激しい攻めを粘り強く見事に捌いている。
外連味のない良い剣なのだが、駆け引きというものがなかった。
自力で差があるので、最終的に飯田には勝ったものの、より強者とあったなら厳しいかも知れない。
冬吉は平蔵の言葉を思い出した。
『どこをどうやったら、俺みてぇなのから、あんなのが生まれたんだか』
これである。
頑丈そうな体つきと、ややいかめしい顔つきは如何にも平蔵の倅だが、若い頃は放蕩無頼であり、今は食えない酒呑みオヤジである平蔵に対して、辰蔵は随分真面目に育ったようだ。
そんな若者が、女で思い詰めているのは、あまり良い傾向ではない。
多少良い加減な奴の方が色々折り合いをつけられるが、実直過ぎると思い詰めた時に返って過激な方向に行きやすいのだ。
『やれやれ』
冬吉はあくまで内心でため息をついた。
次の勝負は、無名の二人のものであったが、これが酷い内容であった。
ややくたびれた風貌で中年の小島谷三郎という男ははタイ捨流の剣士だというが、相手の素人丸出しの無茶苦茶な攻めに慌ててしまったのだ。
試合前の様子からも、そもそも入れ込みすぎというやつであった。
こんな試合に何をそんなに緊張しているのかとも思ったが、ひょっとすると真剣に足軽としての召抱えを狙っているのかも知れない。
くたびれた風貌は長年放浪した浪人というのがピタリとくる。
忍び笑いがもれる勝負であったが、最終的には小島が勝利を修めた。
その次、中村雪枝の試合はあっさり終わってしまう。相手の男は女と舐め切っていたのだろう。
始まりの合図の直後から、左右から立て続けに撃ち込まれ、まごついているうちに、胴に一本もらってしまった。
寸止めではなく、まともに。
おそらく肋骨は折れたであろう。
中村雪枝の試合に、冬吉は嫌なものを感じた。
力の差は歴然としており、雪枝はその腕があれば、胴に寸止めで試合を終わらせることができたはずなのだ。
それを容赦無く打ち込んだ。
この試合に対する不満を、対戦相手にぶつけたのはないだろうか。
剣士としてはあるまじき振る舞いである。
審判役をしているのは、その雪枝の父、中村丹斎であるのだが、娘に向かって厳しい顔をしたものの何も言わなかった。
相手が自分の愛娘なだけ、何も言えないのだろうか。
「世間知らずで、ちょいとわがままに育っちまったようだな。丹斎の娘は」
検分役であるはずの、平蔵がいつの間にか隣に来て呟いた。
「長谷川家の嫁としては相応しくないと?」
あくまで平蔵にしか聞こえないように小声で問うた。
「うちの倅もそうだが、歳はともかく、人としてまだまだ浅い。せっかちすぎんだよ」
冬吉にもなんとなくわかる。
年齢で言えば辰蔵も雪枝も所帯を持つのに頃合いなのだが、剣術試合でそれを決しようなどという考え方がまだ幼い。
もちろん、ほとんど子供同士という結婚もある時代なのだが、それは親が決めた話である。
好きあって結婚しようというなら、周りが心配しない程度にしっかりしていなければならない。
辰蔵は生真面目すぎて柔軟性に欠け、雪枝の心算はさっぱりわからないが傲慢なところがある。
こんな二人が一緒になってもうまく行かぬのだろう。
「さて、おめぇさんの番だ。相手は間違いなくこの中では実力随一、良いもん見せてくれよ」
そう言って去っていった平蔵を冬吉は見送り、密かにため息をつきながら勝負の場に進んでいった。
予選の最後はいよいよ冬吉と優勝候補の筆頭、皆川道場の栗原周平との勝負である。
こちらは始まる前からいきなりケチがついた。
「お、お前は冬吉と言ったではないか!町人風情が家名を名乗って武士のふりして試合にでるとは何事かっ!」
騒ぎ出したのは先日道場破り騒ぎの若者、大野久太郎である。
この久太郎が皆川道場に通う栗原の後輩である。
右手は怪我が治っていないようで、さらしが巻かれたままであった。
栗原の目が厳しいものとなった。
冬吉に怒っているのではない。
先日の件は本人は何も言わなかったが、取り巻きの門人からはすべての事情を聞き取った。
久太郎を倒した音が冬吉なのなら、侮れない剣士であることはわかっている。
ここにきて、勝負の前に余計な話を持ち出しことに対して怒りを覚えたのだ。
自分の恥を晒していることに気づいてもいない久太郎は、なおも騒ぎ立てる。
「偽名を用い、こともあろうに士分を偽って試合に参加するなど、何ぞ……」
「だまれっ!久太郎っ!」
しかりつけたのは父親の大野久兵衛である。
まだ予選であるので、主催者である水野伊勢守は現れていないが、用人が立ち会っていたのだ。
負傷の息子を本来ならこの試合に参加させて、辰蔵あたりにこっぴどくやられて、性根を鍛えなおす機会にしようなどと考えていたのだ。
「栗原殿、樋口春吉は確かに本所で居酒屋を営む冬吉と言う者。しかし、わけあって明かせぬが、事情があってこうしているだけで、本来は士分である。樋口春吉の名は偽名ではあるが、故あってのことゆえ、武士の情け、聞かずに勝負をお願いしたい」
平蔵が栗原に弁明した。
そもそも、身分かかわりなく参加者を集めた試合である。
浪人している武士、特に剣術を修める者の中には、いろいろと事情ある者も多い。
それを深く聞いたりしないのが武士の情けというものである。
武士とは恥を知るものであるから、それを問いただすことは、よほどの事情がない限り、らしからぬ振る舞いと言わねばならなかった。
「かまいませぬ。水野様もご承知のことなのでしょう」
重々しく栗原が言った。
こうして平蔵がでしゃばる以上は、それぐらいの話は通しているはずであるし、そもそも栗原には関係のないことなのだ。
意外なところで手練れの剣士と勝負できるのであるから、むしろケチをつけた久太郎を厳しくにらめつけた。
「かたじけない。では、お願いいたす」
冬吉は頭を下げた。
これで失格となっても試合についてはかまわないのであるが、細かく事情を聞かれるのは困る。
素直に受け入れてくれた栗原には感謝しなければならない。
勝負は始まってもなかなか動きださなかった。
双方、相手に隙が見えないのだ。
「辰蔵、なんと見る?」
「あの、樋口殿、えと、冬吉殿ですか、中条流の使い手とのことで、短い木太刀を使っておいでですが、懐の深い栗原どの対してはあれではいかにも不利かと」
辰蔵がまじめ腐って答える。
教科書どおり、まずは妥当な批評であろう。
「ふむ。しかし、冬吉の入り身は達人の域だ」
「ご存知なのですか?」
「真剣での立会いだがな」
「なんと、いったい誰と?」
「……」
平蔵は答えない。
辻斬りの清水又九郎を冬吉が斬ったことは、たとえ親子であろうと打ち明けるわけにはいかないからだ。
しかし、真剣ならばともかく、木太刀での試合となれば、栗原の方が上と思えた。
それほどの手練れなのである。
二人の額から汗が伝っていた。
動かぬ勝負とはいえ、一瞬も気が抜けないのだ。
先に動き出したのは栗原である。
正眼に構えた状態から、いきなり面を狙って打ち込まれる。
木太刀は地面を叩いたが、すぐに再び正眼に構えた。
まったく隙はなかった。
「ほほう、冬吉に踏み込ませぬか。これは相当だの」
「私など足元にも及びません、しかし……」
平蔵は困った顔をした。
この頑固で一途な倅のこれには、昨今大いに困っているのだ。
「本戦での組み合わせがどうなるかはわかりませぬが、栗原殿にも必ず……」
「それは、まだどうなるかはわからぬな」
「は?」
その瞬間、再び栗原が踏み込んだ。
今度は一つではなく、二つ、三つと立て続けに打ち込んでくる。
冬吉はそれをかわしたが、ついにかわしきれず、木太刀を横殴りに叩いてはじいた。
先ほどよりも、太刀筋が鋭く、しかも力強い。
栗原が本気になったのである。
「たしかに足裁きは尋常にあらず。しかし、それも追いつかなくなりました」
辰蔵の言葉に今度は平蔵は顔をしかめた。
「まだまだ目が鍛えられておらんな。たしかに、捉えられてしまったが、辰蔵、お前はあの激烈な打ち込みを木太刀で受けられるか?」
「た、たしかに……」
辰蔵も気づいた。
栗原の打ち込みは力強く、まともに受け止めれば、木刀を叩き折られてもおかしくはない。
それを小太刀で防いだというのは、尋常な腕でできることではなかった。




