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剣客居酒屋 草間の陰  作者: 松 勇
道場破面倒始末
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冬吉さんを困らせない方が良いのではありません?

 門弟達(もんていたち)が声を出したのは、大野達が立ち去ってからである。


「冬吉さんっ!すごいっ!」

「お見事っ!お見事っ!よくぞ木村先生の(かたき)をっ!」


 賞賛する門弟達をよそに、冬吉は正助の元に寄り、平伏した。


「道場にて当流の外法(げほう)を用いました。いかようにも……」

「いやいや。見事な残心(ざんしん)。礼を申す」


 改まった冬吉の態度に、いかにも孝行爺と言う感じで柔和に答えたのは正助である。

 腕前を見れば、おそらくは事情あって士分を捨てた男であることはわかっていた。

 実直で筋を通す男だから、成り行きも想像できたのである。


 正助にしてみれば、冬吉を責めるいわれなど何もない。

 そもそもが、念流以外の技を用いたところで、咎めるつもりなどないのだ。

 冬吉が自分で、使わないようにしているだけのことである。


 正助の言う『残心(ざんしん)』とは、武道の(かなめ)である。

 勝ったと言う慢心(まんしん)を戒め、勝負が決まったと思われた刹那、戦いの場に『心を残す』。

 矢太郎にはこれが欠けていたと言わなければならない。


「しかし、平伏すると見せて(すね)を打ち、あまつさえに負けたと思えば、懐から小刀を取り出すとは。江戸の武士道も聞いてあきれる。それにしてやられるとは、木村もまだまだ」

「面目ありませぬ」


 矢太郎は立ち上がれず、横になって手当を受けていた。

 ひざまづいた状態からの片手打ちでのことであるから、大野の腕力だけはそれなりのものであったようだ。


「また来ますでしょうか?」

「あれだけの恥をかいて?そんなことはあるまい。ほれ、冬吉さん目当ての娘達が騒いでおる。噂が広まろうから、この辺には近寄ることもできまい」


 客分として冬吉が出入りすることには、道場にとってはいろいろと恩恵(おんけい)があるのだ。

 冬吉が来る日の道場には、窓や入り口からのぞき込む、冬吉の追っかけ娘達が集まってくる。


 道場の外ではそれが大騒ぎになっていた。

 これがあるので、近所の若者たちも、何名かは道場に入門してきたりはするのだ。

 長く続く者は多くはないのだが、入門時に半年分の月謝は支払ってくれるので、随分助かっている。




 こういうことがあった日は、草間はいつも以上に賑わう。


 まずは冬吉の追っかけ娘たちが大群でやってきて、騒ぎ出した。


 いつもなら、お夏の注意で静かになるのだが、そこに道場近くを偶然通りかかって成り行きを覗いていたという、伊八が加わってしまったから大変だ。

 得意の講談風(こうだんふう)の語り口で、その有り様を喋り出せば、他の飲兵衛の男達も加わって大騒ぎとなってしまう。


「いや、もう、格好よかったねっ。最後の『お帰りいただきましょう』もよかったが、勝負を申し出た時の、『先生の前に一手ご指南差し上げたい』なんてもう、ゾクっとしちまったよ。男の俺でも惚れちまいそうだっ」


 わざわざは声真似(こえまね)まで入れて語る伊八の説明は、正確では無いが大変面白おかしく、わかりやすい。

 横ではお静が怖い顔で伊八の袖を引っ張っているが、聞くものではなかった。

 冬吉が辻斬りから伊八を守って以来の、大騒ぎである。


 恥ずかしすぎて、厨房から出られない冬吉に、お夏は呆れたように皮肉った。


「後から恥ずかしがるなら、そんなに格好つけなけりゃいいんですよ。無言で申し込んで、ばんっ、てやっつけて終わりにすればよかったんです」

「いや、道場破りを相手にするにも様式というものが」

「町人が客分で通っているだけの道場ですよ。道場破りをやっつけるだけで、様式なんて無視してません?」


 これはもっともすぎて反論できない。


 町人や百姓でも道場に通うことは珍しくは無い。

 スポーツジムも原っぱでするような球技も無かった時代であるから、体を動かして鍛えたいと思えば、武術の道場に通うか、地道に鍛錬するしか無いのだ。

 楽しみながら体を動かす手段としては、剣術などの道場通いはなかなか都合が良いのである。


 しかし、さすがに道場を代表して戦わねばならない、道場破り相手の勝負に、町人が出しゃばるなどというのはなかなか無い。

 腕の良い門弟であるなら別だが、冬吉は客分、道理からしても無いことである。



 冬吉は(いわし)梅巻(うめま)きを鉄鍋(てつなべ)に入れていた。


 三枚に下ろした鰯の身に梅や紫蘇(しそ)を巻き込み、楊枝(ようじ)で止めたものに(ころも)を着けて揚げ焼きにした一品だ。

 (いわし)(あじ)などの青魚はあしが早い。

 あしが早いというのは、痛みやすいということだ。


 冬の間なら、なめろうや刺身としても出せるが、そろそろ暖かくなってきたので、冬吉なりの一工夫をして仕上げたものである。

 脂ののった鰯に、さっぱりとした梅と紫蘇が合わさって、酒にはなかなか相性が良い。



「くっくっ、冬吉よ、おめぇさんは謙虚(けんきょ)だし、欲も無いが、結構、見栄っつうものは持っていたようだなぁ。義侠心(ぎきょうしん)だけなら、お夏のいう通りにしてたはずだぜぇ」


 梅巻きを注文していた長谷川平蔵、今は長山平三郎として来店中だが、厨房に一番近い席から耳ざとくお夏との会話を聞いて、口を挟んできた。



 冬吉は何も言わず、出来上がった梅巻きをお夏に渡して、たいして必要も無いのに、大根を桂剥(かつらむ)きにし始めた。

 お夏は半眼でそれを見ながら、余ったら翌日のまかないの味噌汁に、たっぷり入れることにしようと考える。

 大根ばかり大量に入った味噌汁、腹は膨らむがそれほど旨くはない。

 追っかけ娘たちのために田楽を用意していた仗助の方では、切り干し大根にして菜飯に混ぜることを考え始めた。


 この親子は、よく似た考え方をするが、お夏の方が少々冬吉に意地悪である。



「おばん様です」

「おろ、これはこれは。ようお越しくだせえました。と、こんな様子でごぜえますが」

「かまわんよ。お静さん。酒と何か相性のものを見繕(みつくろ)っておくれ。冬吉さんに少し話があっての」


 どうにか客も引き始めた頃、そう言って入ってきたのは、樋口正助と昼間に風割り蒸しを買いにきた、水野家の用人であった。

 この二人にどのようなつながりがあるのかは、冬吉にもわからなかった。


 お静が対応して座らせる。

 冬吉の知り合いはできるだけ厨房に近いところに座らせるが、まだ長山平三郎が長逗留(ながとうりゅう)しているので、その隣となった。

 おそらく今日は清水門外の役宅まで帰るつもりはないのであろう。


 正助だけならともかく、水野家の用人が改まって話があるというのであればと、お静が追っかけ娘達を追い出しにかかる。

 そもそも時間が時間である。

 彼女たちも父親の折檻(せっかん)が待っているであろう。


「ほら、もう帰りぃ!あんたら、おとっつぁんにどやされるよっ」

「そ、そんなぁ、面白そうなのに。お夏っちゃぁんっ!」


 娘達はお夏に助けを求める。

 お夏はため息をつきながら、説得する側に回った。


「もう、遅いですし、お店としても、お武家様が大事な話があるというなら、気を使わないといけないんですよ。冬吉さんを困らせない方が良いのではありません?」


 丁寧な物言いで、そうお夏に言われてしまうと、娘達も渋々従うしか無かった。


 と言っても、折檻する親もいない、いい歳の伊八などは帰るものでもないし、長山などは聞く権利があると思い込んでいるから、動くものではない。

 お夏もそこは諦め、とりあえず、暖簾(のれん)を仕舞った。



 店仕舞いをしてしまったので、冬吉は煮染めと梅巻きを用意し、台所のことは仗助に任せて、正助の前の席についた。

 正助と水野家の用人にお酌をし、返盃も受ける。


「一つ頼みごとがある」

「私にできることならなんなりと」


 改まった口調が特に気になった。

 しかも、水野家の用人付きとなれば不穏この上ない。


「その前に、私からよろしいですか?」

「ああ、これは失礼いたしました。こちらは水野様の御用人で大野久兵衛殿(おおのきゅうべえどの)。よくこちらにも起こしになると聞いているが」

「大野様……」


 冬吉は昼の営業にはあまり顔を出していない。

 外に出ていなくても、厨房に籠もってひたすら夜の仕込みと風割り蒸しを作っているので、誰が買っていくのかをよく把握していなかったのだ。


左様(さよう)。本日は愚息(ぐそく)が樋口先生に大変ご迷惑をおかけしたようで。冬吉殿にもお手間を取らせました」


 つまり、昼の道場破りの若造、大野久太郎の父親である。

 きちんと頭を下げて謝罪と礼を述べる。


 用人とは殿様の家政(かせい)や身の回りのことを引き受ける、現代で言えば秘書のような役割の者のことである。

 むしろ、西洋の執事や家令に近いかもしれない。


 江戸の世にあって、大名とは石高(こくだか)一万石以上を領する武士のことである。

 旗本は一万石未満で、例は少ないが、昇進や褒賞により一万石を上回れば大名に列せられる。

 しかし、小規模であろうと大名には様々な義務が伴い、その格式を維持する経費も馬鹿にならない。

 それらが軽い大身の旗本の方がよっぽど裕福である場合も多かった。

 七千石の旗本の用人ともなれば、一万石の弱小大名の家老よりも、格式はともかく裕福とは言えた。


 それが、このように慇懃な態度で現れたとなれば、冬吉にとっては心中穏やかではない。

 仗助とお夏を救った菜飯屋の一件の際、水野伊勢守からは足軽での召し抱えなどと言われていたりするのだ。


 その用人の息子を冬吉は不行跡(ふぎょうせき)を戒めるためとは言え、派手にやっつけている。

 刃物を取り出そうとしたからとは言え、引っ叩いた手の甲は、骨にヒビぐらい入っているかもしれない。


「ああ、いえいえ、あの馬鹿者の事は良いのです。むしろよくやってくださった。一刀流の道場に通わせたところで、大した腕でもないのに、体の大きさだけで調子に乗ってしまい、あのように馬鹿なことをやる。よくお灸を据えてくださっと思っております」

「はあ、それでは。それで、樋口先生のお願いと言うのは?」


 ここで、正助がニタリとした。

 謹厳実直(きんげんじっちょく)な正助には珍しい。


「木村の(すね)だが、医者に見せると、やはり骨にヒビがが入っているようでな、しばらくは稽古もできん」

「代稽古を努めろと言うことでしょうか?」


 三日に一度しか道場には顔をだしていないが、やれないこともない。

 包丁のことを教えている若者たちには事情を説明すればいい。

 今はそれも二人だけ、そろそろ煮売りをさせてやろうと思っていたところなのだ。 

 

「いや、まあ、今の頭数ぐらいなら、この老骨だけでもまだまだどうにかはなるし、木村が請け負っていた諸方の稽古も、代わりの当てはある」

「はあ、では……」


 いまいち歯切れが悪い。

 冬吉も訳がわからず、もやもやしている。


「冬吉さんには悪いが、木村に代わって、試合にでてもらえないだろうか?」

「試合ですって?どんな……」

「当家主催で、長谷川様にも一部援助をいただいて開かれることとなっております」


 答えたのは大野用人である。


 大身旗本が剣術試合を(もよお)すと言うのはないことではない。

 まして水野家は尚武を売り物にする家柄だ。


 長谷川家も後援していると言うのなら、他にも参加する旗本もいるのであろう。

 それにしても、弱小も良いところの樋口道場に、それも町人である冬吉のところに話を持ってくると言うのは、なんともおかしい。


「少し事情があっての。欠員を出すわけにはいかんのだ。木村も元々数あわせ。結果を出せば本人の今後にもと思っていたのだが、怪我をしてしまったのはしかたない。だが、どうしても誰か出してほしいと言われてしまっての。他の者では、恥をかかせることになりかねないのじゃ」

「どうしてそこまで?」

「当家では、主に三番目の孫が生まれまして。その守役として、新規に足軽一名を召抱えたいと考えております。なかなか良い者が見つからず、剣術試合にかこつけて人探しをしようかと考えたのですが……」


 あまり上手いやり方ではない。

 確かに巷の道場に通う者には浪人や武家の次男坊三男坊もいるので、剣術試合を使って人材採用すると言うのはないことではないのだが、その身分が足軽となると話は別である。

 足軽はそもそも、厳密には武士に分類されない。

 平和な江戸期においては、武家奉公人(ぶけほうこうにん)と呼ばれる武士とは言い切れない使用人扱いである。

 先日草間で騒ぎを起こした中間(ちゅうげん)よりは身分は上だが、少なくとも名のある剣士がそれを求めて出場する事はないであろう。


「失礼ながら樋口道場のような弱小のところに声をかけて、隠れた逸材を探し出そうなどと考えていたのですが」


 大野用人が口籠る。

 主君への批判となるために、言葉を選ぼうとしているのである。

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