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剣客居酒屋 草間の陰  作者: 松 勇
菜飯屋後始末
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風割り蒸し

 そんなこんなで、仗助(じょうすけ)とお(なつ)は草間で働くこととなった。

 住居はこれも柏屋(かしわや)の持ち物である、すぐ裏の長屋となった。

 親子二人なので、少し広い方の部屋をあてがってもらったのである。



 二人が草間で働くことについて、冬吉は最初は困った顔をした。


 確かに草間は繁盛している。


 始める時に柏屋から借りていた(ぜに)も最初の半年で返し終えていた。

 お静も頑張ってくれていたが、手が足りなくなってきていることも確かである。

 厨房にしたって、いくら腕が良くても一人では手数に限りがある。

 もう一人包丁人がいれば、冬吉はその腕を思う存分奮って、もっといろんな肴が(こし)らえられるのだ。


 にもかかわらず、いい顔をしなかった理由は、役宅から直接に説得しにやってきた柏屋半左衛門(かしわやはんざえもん)にもわかっていた。


 冬吉には欲がない。


 狭い居酒屋の主人で十分満足している。

 また、給仕はともかく包丁人が二人動くには、草間の厨房は手狭でもあった。

 そもそも半左衛門は、半年前に早くも借金を返し終わった時点で、店の拡張を提案している。

 繁盛店である草間は、すでに狭すぎたのだ。

 客の多い日には、半分近く頭を下げて帰ってもらう場合もある。


 そんな状況でも、店の拡張にうんと言わない冬吉の言い訳が、『一人ではこれ以上大きくしても、手が回らない』であった。

 仗助とお夏を受け入れると、なし崩しに店の拡張もやらねばならなくなる。

 

 だが、店の拡張はともかく、長谷川平蔵や山根十内にまで頭を下げられては、二人を引き受けることは断れるものではなかった。

 半左衛門もあえて、店の拡張のことは言わず、仗助の包丁人としての腕だけをひたすら語ったのだ。


 仗助の力量については、冬吉もわかっていた。

 飯物ではおそらく自分よりも格上。

 一度口にしてそう確信し、店ではそれ以上の工夫をするまでは、菜飯を出さない決意すら固めていたのだ。


 そこで、お夏についての懸念を婉曲(えんきょく)に伝えた。

 お夏自身に問題があるわけではない。

 客あしらいのしっかりしたところは、その目で見ている。

 問題は冬吉の方、あるいはその周辺にあったのだ。


 冬吉の追っかけ娘たちから嫌がらせを受けたりしないだろうかと。


 だが、半左衛門は引かない。

 その辺のことは何かあってから考えれば良いのだと言い、結局翌日には裏の長屋に二人が引っ越してきたのである。




「お、いい匂いがしていると思ったら、何か試したんですかい?」


 仗助が入ってきた。今日は菜飯に使える山菜を探しにいっていたのだ。

 麻袋に嫁菜(よめな)の若葉が入っていた。

 嫁菜は秋に可憐な花を咲かせるが、雑草として扱われている。


 しかし、春にその若葉を摘み、軽く塩茹ですれば、なかなか良い香りがする。

 胡菜と同じように、炊いた飯に後から混ぜれば美味い菜飯ができるはずであった。


 台所では狭いので、休みの日の客席で若葉の下ごしらえを始める。

 たらいに水を張って、それで汚れを落とす。

 それを茹でで少し濃いめに塩をしておけば、多少は日持ちもするだろう。


「はい。おとっつぁん」

「おう、棒茶(ぼうちゃ)か。お江戸では珍しいな」


 仗助とお夏は、小助と上方の方でも菜飯屋を開いていたことがある。

 一部の地域では棒茶と言えば棒茶のほうじたものを指すのだ。


「これならお酒を飲まない娘さんたちも喜ぶと思うから」

「へぇ、冬吉さんの方はどうなんでぇ?」


 仗助は少し恐る恐ると言う感じで聞いてきた。



 冬吉とお夏の二人が、急に追っかけ娘たちのための品書きを考え始めたのには、理由がある。


 つい昨日、お夏が言い出したのだ。


 お夏にとっても仗助にとっても、冬吉は命の恩人であり、今は奉公先の主人でもある。

 仗助から見れば二十も年下の主人だが、そんなことは気にもならなかった。

 恩人だからと言うのではない。

 飯物だけならともかく、酒の肴まで含めると、明らかに格上の包丁人であったからだ。


 下で働いて数日も経つと、もはや崇敬(すうけい)の対象となった。

 若いながら素晴らしい男だ。

 物静かで余計なことは話さないが、恩着せがましいところも、腕前を誇るところもない。

 直向きに包丁の技を追求するその姿に、仗助には十五の時に飛び出した鍵屋の親方、自分の実の父親のことを思い出せた。


 しかし、お夏の見立ては少し違う。

 冬吉はほとんど完璧な男に見えなくもない。


 包丁の冴は見事。

 高級料亭『柏屋』の主人が太鼓判を押すぐらいなのだから間違いない。

 剣術にはお夏は詳しくないが、長谷川平蔵曰く、これも達人の域。

 それ以外も大抵のことは器用にこなす。


 おまけに、すこぶるつきの容姿の良さ。

 姿かたちだけでなく、所作(しょさ)まで洗練されて美しい。

 性格は物静か。

 謙虚でおごるところもなく、娘たちに取り囲まれて舞い上がるようなこともない。


 ほとんど完璧な男に見えるようだが、それだけに、客の観察を欠かさないお夏の目には欠点がよく見えた。

 仕事や趣味、好きなことにはとことん手間を惜しまないが、苦手なこと、特に人間関係については極度の面倒くさがりなのだ。


 冬吉が親しく言葉を交わす者のほとんどは、自分より年上、目上のなかなかに人のできた人物が多い。

 長谷川平蔵、山根十内、柏屋半左衛門に大工の伊八、キセル職人の佐近次。

 他の常連たちもほとんどこういった、多少一癖があっても、成熟した大人ばかりである。

 おそらくこの先は仗助もこれに含まれるだろうし、女とは言え老婆のお静も入れて良いだろう。


 お夏は働き始めてすぐに気づいた。


 草間には二種類の客がいる。

 先の『できた男たち』はなかなか食通で、冬吉の作る肴が目当ててできている。


 もう一つは、冬吉本人がお目当ての娘たち。

 時には親の折檻も覚悟で、四、五人でやってきて遅い時間まで店に居座る。

 なかなかにピーチクパーチク(やかま)しいが、注意すれば声を潜めるので、それほど迷惑でもなかった。


 どうも冬吉も、お静や仗助、店の常連たちも勘違いしている。

 娘たちは別に冬吉を誘惑したり、本気で嫁になりたいなどとは思ってはいないのである。

 そう言う娘は群れて行動したりはしない。


 本気でそんな感じの娘たちについては、お静が厳しく説教を食らわせて追い出してきたと言う。

 変な娘に冬吉が籠絡(ろうらく)され、店が傾いたなら、老先短いお静は死んでも死に切れない。

 それこそ必死だ。


 今、草間に通ってくる娘たちはそれとは違う。

 現代ならアイドルの追っかけをしているようなもので、冬吉を恋愛の対象として好きだと言うよりも、その容姿を鑑賞しながら仲間ときゃあきゃあ騒ぐのが楽しいだけなのである。


 だから、お夏も接し方を間違いなければ何も心配はない。

 元々彼女らの仲間であったのなら抜け駆けとされてやっかまれるだろうが、赤の他人である。

 冬吉と適度な距離を保ちつつ、彼女たちをちゃんとおもてなしすれば、むしろ仲良くなれるのだ。

 

 だが、草間ではこれまで彼女たちを蔑ろにしてきたと言っていい。


 さすがに酒を飲むと親の折檻が厳しくなるのか飲まない。

 食事も外ですましたとなると言い訳が難しいのか、食べてからやってくる。

 申し訳程度に漬物ぐらいを頼みながら、白湯を飲んで時間を過ごすと言うのは、居酒屋としてはよろしくない。


 漬物ぐらいしか頼まないから上がりも少ないし、あんまり喧しいと年嵩(としかさ)の男たちがつむじを曲げる。

 困っていたと言うが、それはお店の怠慢だとお夏は思うのだ。


 うるさいのは、注意をすれば気をつけるし、漬物ぐらいしか頼まないのは、自分たちが欲しい品書きがないからである。

 居酒屋が料理屋だとするのなら、これはお店の失態であろう。


 だから、お夏は冬吉に提案したのだ。


 娘たちが喜ぶような料理を考えること。

 飲み物も白湯だけでは寂しいのでこれも用意する。

 飲み物についてはお夏には腹案があったので、それは引き受けた。




 冬吉が無言で、ほうじ茶を飲む仗助とお夏の前に別の湯呑みを置いた。

 仗助が中を覗くと、茶碗蒸しのようだと思ったが、表面は雪のように白く、その上に琥珀色のものがのっている。

 水飴だろうとはすぐにわかった。

 

 この時代の水飴は現代の無色透明のものとは違い、綺麗な琥珀色である。

 米から作った水飴はこうしたなんとも渋い色合いとなるのだ。


 お夏は目を見張った。


 『もう少し見た目にも工夫を』と言ったものだが、そこにあるのは一つの芸術品であった。


 水飴の上には、可愛らしく桃色の花びらと小さく千切った何かの葉が載っていた。

 春らしく、そして可憐な桜の花びら、それが琥珀色の水飴に浮かんでいる。

 鼈甲細工(べっこうさいく)のような、実に繊細で(みやび)な一品であった。


「散る前に取っておいた桜の花びらを塩漬けにしたものと、桜の葉をあしらってみました」


 そう言って、二人に匙を渡す。


「ほう、これは美味いっ!甘いものは得意ではねぇが、酒呑みでも締めに欲しくなる。お夏、どうでぇ、娘っ子たちも、これなら喜ぶんじゃねぇか?」


 仗助は大絶賛だ。

 お夏はちょっとだけ、さっきは言い過ぎていたかもしれないと、内心気不味く思ったが、顔には出さない。


「良いと思います。春を過ぎれば別のあしらいも考えないといけないでしょうが、それはそれで楽しみと言うものです」


 そう言ってから、(さじ)を使った。

 少し多めに(すく)って口に含む。


 湯呑みの中に匙を入れると、ふんわりとした白身の感触。

 口に入れると水飴のやさしい甘味が広がった。


 水飴と、泡立ててから蒸したためにふわふわに膨らんだ白身、薄めの出汁と僅かな塩気が甘さを際立たせる。


 何も言わぬまま、もう一口、底の方を掬った。

 白身の下に綺麗に層になって、小金色の黄身が出てきた。

 黄身は白身と違って膨らんではおらず、滑らかな舌触りにみりんの甘さが加わる。


「ふぅ」


 思わずため息がこぼれた。

 皮肉も称賛の言葉も思いつかなかった。


「お夏よ、今のため息、包丁人には百の賛辞より嬉しいもんだよ」


 クックと笑いながら仗助は言った。

 何も言えなかった。


 たぶん、お夏が見目を良くしろと忠告した時にも、その後に桜の花びらと葉をあしらうつもりだったのだ。

 言葉ではなく、食べて判断してくれと言う冬吉の態度に今になって気がついたのだった。



 

 翌日から品書きに加わったこの『風割り蒸し(ふうわりむし)』は、本所の女たちの間で大評判となった。

 元々の冬吉追っかけ娘達だけではない。

 噂を聞きつけ、商家の奥方や、旗本の御令嬢までが足を運んでくるようになったのだ。


 女性が多いと飲兵衛たちが多少不機嫌になるのであったが、呑み終わりを見計って勧めてみると、彼らもすっかり気に入ってしまったようだ。

 伊八など、最初は『女子供の食い物を草間で出すなんて』などと面白くなさそうだったのだが、あっという間に平らげて、おかわりを要求する始末である。


 残念ながら、風割り蒸しは手間と時間がかかるため、開店前に仕込んだ分しか出すことができない。

 いわゆる限定品である。

 これもまた、逆に流行りに勢いをつける原因になっていく。

 


「包丁のことも剣術もお店のことも、本気になれば当代きっての腕前かもね」


 夜、お夏は仗助が眠ったのを確かめてから、日記を書きつつ独言した。


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