6話 メイドの魔族
平穏な一日だった。少なくとも、リンネの目の前に転がっている首と、グシャグシャの鉄門が無ければ。
「……ネアさんとベットさんの言っていたことがようやくわかりました」
リンネはマウルに習って姿勢を正す。
「リンネです。宜しくお願いします」
そう言って深く礼をする。顔を上げた時、マウルはすでに姿勢を崩して、リンネを感情の読み取れない顔で見つめていた。
「あ、えぇっと……変わった役割があるっていうのは、こういうことだったんですね」
リンネはあまり返事があることを期待していなかったが、マウルは意外にも口を開いた。
「ああ。これが私の役割だ。外敵の排除。それだけのために雇われている」
マウルはスカートの丈と同じく短いエプロンで手についた血を拭く。白いエプロンに赤い血の線がついた。
それをぼーっと見ているリンネへバリュンが声をかける。
「おぉいおい。見とれてーんのかのぉ」
「えっ?! べ、別にそういうわけじゃないですけど……」
ニッカリと笑うバリュンから視線を外して、リンネは再びマウルを見る。
マウルは不思議そうにリンネを見返した。
「なんか、すごいなぁ、って思ってしまいまして」
「……すごいか? 私が」
「はい。だって、あの魔族を倒すところが見えませんでしたもん。すごいです。それに、マウルさん優しそうですし」
マウルは頬をほんのりと赤く染めて硬直した。「優しそう」なんて言われたのは、マウルのそこそこに長い人生で初めてのことだった。もし皮膚が肌色ならば、照れていることは一目瞭然だっただろう。
しかし魔族の肌は黒い。リンネはそれに気づけずに変に緊張していた。しかしバリュンは僅かに読み取ったようで。
「ほう。リンネや。お主はタラシというやつじゃーないかのぉ?」
「へ?」
「む、伝わらぬか。……ま、えーわい」
田舎育ちのリンネは首を傾げる。バリュンは楽しそうにマウルを見た。
「まさか、お主のそーんな表情がぁ見れるたぁのー。長生きするもんじゃな?」
「……なんのことだ」
ぶっきらぼうに言い放って、マウルはグシャグシャのまま転がっている鉄門の元へと近づく。そして、その残骸を持ち上げて言った。
「私はこれから門を簡易で修理する。だから、お前らも自分の仕事につくんだな。リンネ。お前は特に、もう配膳の時間だろう」
「え?」
庭の中に立っている時計のついた柱を見て、リンネの顔色が悪くなる。
「あっ、もうこんな時間?! すいません、失礼します!」
「おーう。気を付けいよぉー」
リンネは猛ダッシュで庭を掛けて屋敷へ急ぐ。配膳の時間が遅れ、フィエムを不機嫌にすればいったいどんなことを言われるか。
「あれっ、もうお仕事終わりー?」
「ううんっ、終わってないけど、仕事なんだっ! お疲れ様!」
「お疲れさまー!」
屋敷の入口の前で、口にホイップのついたメープルと体すれすれですれ違って、リンネは屋敷の厨房へ駆け込む。
「ハタさんすみません、遅れました!」
「おう。それはいいが手を洗え。厨房を汚すな」
「あっ、すみません!」
リンネはこの屋敷唯一のコック、ハタにそう言われ、入ってきた足で手洗い場へ駆け込んだ。大急ぎで丁寧に手を洗って厨房へ戻る。
厨房では、青髪の青年が淀みのない動きで調理をしていた。と言っても、すでに昼食分はできあがっており、それは次の夕食の仕込みだ。
「手は洗ったか。洗ったな。よし、右の手前のディッシュから順番に運べ。すでに天使は一列持ってったから、追い越して順番をおかしくするなよ。いいな?」
「わかりました!」
銀の蓋が被せられた大きな皿を両手に一皿ずつ持って、一度深呼吸をしてから、落とさないように注意を払ってリンネは四階へと向かう。
三階の階段を登ろうとすると上から人が降りてくる気配がした。顔を上げると、ノルンが急いだ様子で降りてくる。
ノルンもリンネに気がついてニコッと笑う。
「お疲れ様です。私も急いでまた次のものを持ってきますね」
「うん。気をつけてね」
「そう言うリンネも、ですよ?」
「わかってるよ」
得意げに階段を二段飛ばしで駆け上がる。
「あっ」
それが悪い方向に転んで、リンネは当然のごとくバランスを崩しーー
「ーーっぶない!」
ガタガタと皿から騒々しい音がする。なんとか踏みとどまり、リンネはほっとした。それを見ていたノルンも静かに胸をなでおろした。
「もう! だから気をつけてくださいって言ったじゃないですか!」
「ご、ごめんなさい……」
「ほら、急ぎますよ! 転ばないでくださいね!」
「わかりました……」
格好の悪いところを見せてしまい、リンネはとぼとぼと力なく階段を上がっていった。
四階に着いて、開きっぱなしの豪華で大きな扉を潜る。
「昼食をお持ちしました」
「おっそいねぇ。仕事はちゃんとするんだよ」
「はい、すみません」
今回は完全にリンネ自身のミスなので、心の底から反省の意を表して、丁寧に料理用の机の上に皿を置いた。
「では、失礼します」
「ちょいと待ちな」
罪悪感から足早に部屋を出ようとするリンネを、フィエムが呼び止める。
リンネは若干ビクリと肩を揺らして、なるべく平静を装ってフィエムの方を見上げた。フィエムは指輪の着いた太い指で今リンネが置いた皿を指す。
「蓋、開けてみな」
「……はい」
言われた通り、リンネが二つの皿の蓋を開ける。すると、中の料理は僅かに形を崩していた。
その原因が自分の先程の躓きによるものだと分かって、リンネは顔を青ざめた。
目に見えて怯えるリンネへフィエムは大きくため息を吐いて口を開く。
「……まあ、あたしは味さえよけりゃ見た目はどうでもいいさね。肝心なのは、あんたがハタの傑作を台無しにしたってことさ。誠心誠意込めて謝罪しときな」
「はい……。わかりました」
「ほら、しょげてないで仕事に戻るんだよ!」
リンネは今度こそ足早に部屋をあとにする。階段を一段降りる度に、肩が百グラム重くなる感覚だった。
途中でノルンとすれ違ったが、あまりのリンネの表情の酷さに何も言えなかったのだろう。忙しそうに階段を上がって行った。
そして、厨房に入って、リンネはハタの横に立ち、
「すみませんでした!」
そう言って深く頭を下げた。
それを横目に見ながら、ハタは険しい顔になる。
「なんだ俺の飯がどうしたお前がどうかしたのか」
「躓いて、料理を崩してしまいました……」
グリンと人間にはおかしな速度でハタがリンネを見る。その目は今にも人を殺しそうな影がかかっている。
「そうか許さん俺の料理を台無しにしたか許さんお前は飯抜きだいいな」
「うっ、はい……」
「よし運べ」
ハタは静かに激怒していた。しかしリンネを叱りながらも手は忙しなく料理を続けている。少しも目をやらずに高速で料理を作るハタは、一見すれば鬼のようであった。
リンネは少し涙目になりながら、また次の皿を持った。
今度は慎重に運ぼう。そう何よりも強く心に決めた。
そんなやりとりを見ていた人物が一人。
「……お、怒ってるハタ、こっわ〜い」
ピンクの髪のそばかす少女、メープルは、ミルクを口の周りに付けたままそう言ってまたミルクを飲む。
そして、大きなコップ一杯分を飲みきってから、
「よしっ」
と、何かをすることを決めた。