3話 文豪の屋敷
青い長髪の召使い。もといネアに最初に案内されたのは浴場だった。
「まずは何事も身なりから」ということで、二人は三週間ぶりに体を洗い、髪の間の砂や体の垢を洗い流すことが出来た。
サッパリとした気持ちで次に更衣室に案内される。そこには男の召使いもいた。
「それではお二人の体に合う召し物を選びますので、リンネはそちらの召使い、ベットの元へ。ノルンは私の方へ」
二人はそれぞれ別れて更衣室に入る。リンネの入った更衣室の中には、色合いの素朴な茶色のスーツがずらりと並んでいた。
ベットと呼ばれた黒髪の男の召使いが手早くその中から一着選んでリンネに笑いかける。
「さて、まずはこれとかどうかな? 一七〇だ」
ベットがリンネの服の上からスーツを当てて、大きさを確かめる。
「……少し、大きいみたいです」
「だね。よし、じゃあもう少し小さいものを探そう」
そう言ってベットがスーツを元の場所に戻し、大量のスーツの中から丁度いいものを探し始める。
「ついでに少し雑談でもしようか」
ベットが顔はリンネの方に向けずに、口元に笑みだけ作って、
「フィエム様は怖かったかい?」
そう尋ねた。
リンネは、果たして言っても大丈夫なのかと一瞬迷った後に素直に答える。
「はい、少し怖かったです」
「ははは! いや、わかるよ。俺だってそうさ。俺だけじゃないしな。なあ、ネア!」
ベットが女性の更衣室がある方の壁へそう叫ぶと、返事の代わりにドンと大きな音が鳴らされた。
それに対して、ベットは目の端に涙を浮かべ爽やかな横顔をくしゃくしゃにして笑った。
しかしリンネは内心ドキドキとしていて、曖昧な笑顔でいると、ベットがそれを見兼ねて喋る。
「ああ、大丈夫、大丈夫。さすがにここからフィエム様のところまでは声は聞こえないよ。なんて言ったって四階から動かないからね」
「そ、そうですか……」
「おっ、これとかどうかな? 一六五だけど……」
ベットがリンネの体に当ててみると、今度は先程よりも体格に見合っているようだった。
「よし、じゃあそこで着替えてくれ。着方はわかるかな?」
「たぶん大丈夫です」
「よし。困ったことがあったら呼んでくれ」
リンネが茶色のスーツに着替える間、ベットは陽気に鼻歌を鳴らしている。
そのメロディを聞きながら、ふとリンネはずっと疑問に思っていたことを聞いた。
「あの、ここってどれぐらい人がいるんですか?」
「うん? あー……そうだな。今は七人だね。フィエム様、俺、ネア、庭師が二人に召使いがもう一人、あとコックが一人だな」
「意外と少ないんですね」
「いやぁ、それがね。四日ぐらい前かな。人間の旅団がここに泊まってたんだよ。前は今の倍は人数がいたけど、みーんなついてっちゃって、おかげでこんな少なくなったんだ」
「人間の団……」
口の中で繰り返して、リンネはずっと忘れないでいたことを思い返した。
いずれ出会うことになる、“団長”の存在。
「まあ、君とあの羽の子が来てくれたから、ちょっとは楽になるだろうけどね」
「精一杯働きますよ」
「期待してるよ」
着替えを終えたリンネがベットの前に立つ。ベットは顎に手を当てて、うんうんと頷きながらサイズのチェックをする。
そして、最後に「よし」と言って、リンネの肩を叩いた。
「ばっちりだ! これからよろしくな!」
「はい、よろしくお願いします!」
更衣室を出ると、すでに外には着替えの終わったノルンの姿があった。
ノルンは、濃い緑のワンピースと白いエプロンがとても似合う、ともすれば、隣に立つネアよりもメイドらしいのではないかというぐらいに衣装が似合っていた。左肩の後ろに見える白い羽を除けば。
しかしなにやらネアは満足げだ。細い目からも楽しげな表情が読み取れる。
「どうしたんだい、ネア。随分上機嫌じゃないか」
「いえ、少し、その……。羽を触らせて貰いまして」
ネアが恍惚に口を曲線にして喋り始めると、なにやらノルンが顔を赤らめてモジモジしだした。
「その……とても、楽しかったわ」
「も、もう触らせてあげませんからね!」
「あら、個室の鍵はメイド長の私に一任されてますのよ? 逃げ場はありませんわ」
いったいこのわずかな時間にどんなやりとりがあったのかはわからないが、随分とノルンはネアと仲良くなったようだ。
ノルンは自分の羽を抱きしめるように撫でた。相当トラウマらしい。
そのノルンにリンネがそっと近寄って、
「……ねえねえ、僕にも後で触らせてよ」
そう耳打ちすると、ノルンの耳が一瞬で茹で上がったかのように真っ赤に染まり、
「触らせるわけないじゃないですか!」
リンネの左頬に激痛が走り、パチーンという耳障りのいい音が鳴り響いた。
ーー ーー ーー ーー ーー
リンネとノルンは、だだっ広い大広間で説明を受けている。
「私たちの仕事は、主に清掃、食事の配達、お召し物の洗濯です。お庭の整備は庭師の方の仕事ですし、料理はコックの仕事です。時々手伝いの声が掛けられたら、手伝ってあげてください」
二人は真面目にメモを取って頷きながら話を聞く。
「もうすでに聞いたかもしれませんが、召使いは三人います。私とベット。そしてマウルです。しかしマウルには少し別の役割があるため、普段は私たちの前に姿を現しません。仕事はしていますがね」
「別の役割ですか」
リンネが尋ねると、「そうだね」とベットが注釈を入れる。
「彼女は俺たちには無い強力な力の持ち主でさ。まあ、いろいろとね」
「ベット、喋りすぎでは?」
「いいじゃないかこれくらい。同じ召使いだ。なあ、マウル!」
ベットが高い天井へ向けて声を張り上げると、呼応するかのようにドンと音がした。
驚いたノルンが、
「……それ、何かの超能力でしょうか?」
と聞くと、
「昔から、勘は良くてね」
ベットがそう言って親指を立てた。その隣でネアがやれやれと首を横に振っていて、思わずリンネはクスリと笑った。
「まあ、もしどこかでお会いしましたら、声をかけてあげてくださいね」
「「はい!」」
ノルンが顔を天井へ向けてからぺこりとお辞儀をした。
律儀だな、と思いながらも、リンネも続いて頭を下げるのだった。
「微笑ましいな」
「ふふ。私たちもしてましたよ?」
「そうだったっけか」
それを見て二人の先輩召使いは笑いあった。
「さあ、仕事の時間です。ノルンは私の方へ」
「はい!」
「リンネ。お前はしばらく俺が見るからな、よろしく!」
「よろしくお願いします!」
二人は生き生きとした笑顔でそれぞれの上司の元へ。最後にお互い振り返って、「またね!」と口の動きだけで伝え合う。
こうして二人の平穏な屋敷生活が始まった。
ーー ーー ーー ーー ーー
その日の夜。
「はー、疲れたな」
やっと全ての仕事を終えたリンネは、あてがわれた部屋に入るや否や一目散にベッドに飛び込んだ。
三週間。およそ二十日ぶりのふかふかのベッドだ。とてつもない睡魔がリンネを襲う。
しかしさすがにスーツでは寝にくかったので、仕方なくベッドから体を引き剥がし、ベットから受け取った寝巻きに着替える。
そして、今まで考えもしていなかった明日の仕事というものに思いを馳せる。
「明日は、朝に起きて、フィエム様のところに食事を運んで、それから食事で……」
そんな風に決まったことをするのは、リンネにとっては初めての事だった。
村でも狩りに行くのは気分と食料の在庫次第。この日はこれをして、それを何日サイクルで繰り返して……。そんな計画的な仕事が、リンネにはこの上なく楽しかった。
着替え終わって、さあ寝ようと思ったその時、コンコンと扉がノックされる。
ベットさんが何か言い忘れたのだろうか。そう思って扉に駆け寄る。
「はーい」
ガチャリと扉を開けた。
その瞬間、リンネの心臓が飛び跳ねた。
「えへへ、お疲れ様です」
はにかんだ銀髪の天使が、真っ白なワンピースを纏って現れた。