28話 天使の髪の味
私、天使のノルンは前世にも前前世にも前前前世にもなかったような忙しさに見舞われています。
負傷した人達の手当のため、いろいろな部屋をカーさんに連れられて回っているうちに一日が終わっていることもしばしばです。
今日も十何人かの様子を見て回って一日が終わりました。
「お疲れ様、ノルン。毎日助かってるよ」
「いえいえ。私は戦力にもならないですから、こうして誰かの役に立てるのが嬉しいです」
私はカーさんにおんぶされながらそう言う。
だけどカーさんは私の心の奥まで見通しているらしい。
「けど、本当は一日中リンネの隣にいてやりたいんだろ?」
「うっ……。ま、まあそうですね」
私は気まずさから横を向いた。人間じゃ有り得ないスピードで景色が流れていく。
負傷した人達には悪いけど、実は私は誰よりもみんなの怪我の回復を願っている。負傷した人がいなくなれば、私は暇になってリンネの傍にいれるから。
けれどそれはまだ少し時間がかかりそうだ。
そんな私の天使心を察してか、カーさんは粋なことを言ってくれる。
「そうだ! 今日のリンネへの夜ご飯の配給はまだのはずだよ。任されてみないかい?」
「ぜひ!」
「み、耳元で大きな声を出すんじゃないの!」
「あ、すみません……」
一瞬で興奮してしまって思わず大きな声が出ちゃった……。私は小声で謝る。
私も素直な女だな、と今更にして思うのだった。
ハタさんの料理小屋までやって来て、私は扉をノックした。そして返事がないのがわかっているので、少ししてから扉を開ける。
「こんばんは」
「……ノルンか」
「リンネへの料理を運びに来ました。手、洗わせてもらいますね」
「ああ」
私は入口に備え付けられている洗面台で手をしっかりと洗った。タオルで手を拭いていると、ゲーロップさんの笑い声が聞こえてきた。
『久しぶりに美味そうな匂いがしてんなぁ! 天使様のご来訪だぜぇ、ハタ!』
「わかっている。お前はいちいち騒ぐな」
『おうしゃあねぇだろ美味い飯を前にしたら誰だって昂るさ! だろ?!』
「……それは認めるが」
ハタさんはそう言ってやれやれと首を振った。私はそのやりとりを見て笑顔になる。なんだかこの二人はとても仲が良いように見えるのだ。
私はキッチンの中をキョロキョロと見渡してから、目的の物が無いことに気がついて尋ねる。
「あの、リンネのご飯ってどこにありますか?」
「ああ悪い思い出した。ちょうどさっきクロウが持って行ったところだ。すれ違わなかったのか」
「本当ですか」
全然気が付かなかった。私は少し残念だなと肩を落とす。
これではせっかくのリンネの元を訪れるための口実がないや。
「運ぶ足はカーか?」
ハタさんが私にそう尋ねる。
「え? あ、はい。そうです」
「そうかならどちらにしろ頼めなかったな。病人用に少し柔らかい物を作ったから揺れに弱いんだ」
「そうだったんですね」
なら仕方ないか。私は諦めるとともにハタさんのリンネへの気遣いに嬉しく思った。
それにしても、料理の味だけでなく外観まで拘るのはやはりハタさんって感じがする。
「それじゃあ、私はそろそろ失礼しますね」
「ああ。また明日の朝食を楽しみにしていてくれ」
「はい」
私は残念さと期待感の両方を持ったまま扉を押し開いた。
『おいおいなんだぁ、天使の恋人は病気かい?』
「こっ、恋人……」
私は不意の二文字に硬直する。自分から言うのは慣れてるが言われるのは慣れないのだ。慣れる人なんているのかな。
「おい煽ってやるなゲーロップ。リンネは肋骨を折る大怪我なんだ」
『なんだってー?! そりゃほんとかい天使ちゃん!』
「は、はい。最低でも二週間はかかるみたいで、幻界に入る前に治るかどうかっていうところみたいです」
『肋骨折れてるやつが幻界越えて魔界に入った暁にゃ魔物に食われて肉片バラバラだぜぇ! ひゃっはっは!』
ゲーロップがそう下品に笑う。しかし私は確かに同じ不安を感じていたので否定はしなかった。
『そんな天使ちゃんに朗報だぁ! ゲーロップ様、それ治せるぜ』
「本当ですか?!」
私はずいっとゲーロップに近づいた。すると、ゲーロップが陽気に笑う。
だが、その下でハタは不安そうな顔になった。
「ノルンこいつの話を全部信用するんじゃない。こいつは少なくとも悪魔だ」
『あんちゃんそいつぁねぇぜ! 俺だって損得勘定ぐらいするやい! 真面目に働きゃちゃんとした報酬が用意されてんだぜ!』
「……お前はそういうところだけ人間的だな」
『腹ん中の人間と暇な時に遊んでっかんな!』
ゲーロップは再び笑い声をあげた。ゲーロップは笑うことが好きらしい。
そして私は少し前のめりになりながら尋ねた。
「あの、どうすればリンネを治してくれますか?」
『おん? おー、そうだなぁ……。そう! 天使ちゃんからはずーっとうんまそうな匂いがしてんだ! だから、腕!』
「ダメだ俺が許さん」
『指!』
「天使の肉が食えると思ってるのか?」
『ちぇー! けちんぼ! なら仕方ねぇ、髪だ! 髪をひと房生で食わせてくれりゃあ治してやるよ!』
「……だそうだ」
私は悩む間もなく即答えた。
「それぐらいなら構いません!」
『よぉし交渉せいりーつ! さあ、寄越しな!』
言われた通り、長旅で少しだけ伸びてきていた長髪を束ねて包丁で切った。短くなった髪がハラハラとうなじをくすぐる。
天使の髪は伸びにくい。理由はわからないけれど、特にこの世界ではあまり伸びない。
次の世界で彼と会う時は、きっと短髪の天使になっているだろう。
自分でもうっとりするほど綺麗な銀色の髪の束をハタさんに渡す。
ハタさんは改めて私に聞いた。
「いいんだな」
「はい」
そしてハタさんは報酬を待ち構えているゲーロップの口へ、私の髪を放り込んだ。
バクンという音とともに口が閉じられる。
『うっめええええぇぇぇぇ!』
ゲーロップはハタさんの頭の上で踊った。色も黒から桃色に変えたりなどのものすごい喜びようだ。そんなに美味しいのかな?
と、ゲーロップに突然腕のようなものが生えた。私はぎょっとする。
『最高だぜ天使ちゃん! ほら、さっさと天使の恋人んとこいくぜ!』
そう言うや否や、ゲーロップがさらに大きく膨張した。腕で私の腰の辺りを掴む。
「きゃっ?!」
驚いてハタさんを見ると、やれやれと首を横に振っているだけだった。
私が驚くのも気にせずに、ゲーロップは不可視の力で扉の外へと飛び立った。
『天使の味は最高だぁ! まさに極上! 天にも昇りそうな最高な気分だぜぇ! ひゃっほーう!』
夜の星空の中に飛び立っていくゲーロップ。それを困惑した表情で見るカーさんと最後に目が合った。
これ……大丈夫かな。