26話 マリエルの独白
魔族の旅団の団長は、それはそれは恐ろしい目でリンネを睨んでいた。リンネは神経を締められるかのような緊張感に襲われる。
マリエルは不機嫌に話す。
「あの天使が魔族にとって、いや、魔族の王にとってどれだけ重要なものか知ってるか? 知らないだろう。あれを逃がしたとあればあたしたちは殺される。だから必死で取り返そうとしているんだ!」
マリエルは声を荒らげた。リンネは本能的に体をビクリと揺らす。
マリエルは言葉を続けた。
「なのにどうだい。天使の周りは厄介者でいっぱいだ。そもそもあの村を訪れたのが間違いだった。たった二人の夫婦に団員の三分の一が削られた! ……あたしは怒りに震えたよ」
リンネははっとした。その夫婦というのに心当たりがある。
「その、夫婦って……」
「よく笑う男があたしに歯向かってきた時は笑ったね。ボロボロだったもんだから、人間のしぶとさに呆れっちまったよ」
リンネはそれが自分の両親であることを確信した。
両親はこの団の一員だっからだ。そんな二人が易々とやられるわけがない。
なによりも、魔族に歯向かうなんて人たちはあの村では二人しか知らない。
リンネの心の奥が熱くなった。
「しぶといってったら次の屋敷の女も酷かった。幻の人間を使って足止めしてきやがったのさ。おかげで大いに手こずらされたよ」
フィエムのことだ。リンネはそうわかった。フィエムもまた自分たちを守ってくれたのだ。
「久しぶりに傷を付けられた。……本当に、良いことが無い」
マウルだけではなかった。二人が関わった人々はみな、二人を護ってくれていた。みんなに護られていたのだ。
こんな状況だと言うのにリンネの目からは涙がボロボロとこぼれ落ちていった。
そんなリンネへマリエルは真正面から怒号を浴びせる。
「泣くな! 泣きたいのはあたしの方だ!」
マリエルはリンネの胸ぐらを黒い手で掴んだ。泣き声の間から呻きがもれる。
「あたしの団員は半分以上減った! 魔族ったって質が良いのはほんの少し! だけどどんなやつもあたしの仲間だった! 大切な仲間だったのに……!」
マリエルの瞳もまた濡れていた。激怒と悲哀の入り交じった声は震えていて、唇は固く結ばれている。怒りのせいか、蛇の下半身は二本の足に変わった。
ーーまるで自分が悪役みたいではないか。
リンネは話を聞きながらそう思った。
けれど、それを認める訳にはいかなかった。それを飲み込んでしまったら、自分を護ってくれた人々までが悪人になってしまう。
だから、リンネは言った。
「ノルンは……僕が守る! 僕が守るんだ! 絶対に渡さない……!」
そう言ってリンネは負けじとマリエルを睨み返した。
激昂したマリエルにリンネは全力で投げ飛ばされて、見えない壁に激突した。肺の空気がいっぺんに外へ出る。
息苦しさに呻いていると、その腹をまた全力で蹴飛ばされた。骨が折れる音が耳に直接鳴り響いた。
「許さない。許さないよ! あたしたちの受けた痛みを知れ!」
朦朧とする意識の中で、リンネは自分の剣に手をかけた。その右手を真上から踏み潰される。
「うあああぁぁ!」
脳を突き刺す痛みの感覚にリンネは悲鳴をあげた。
それもおかまいなしにマリエルは攻撃を続ける。右腕がもう使い物にならなくなったころ、ようやくマリエルは足をどかした。そしてため息を吐いて言う。
「はぁ……。こういうのは柄じゃないんだ」
そして腰のポケットから二本の太い葉巻を取り出して、摩擦で火をつけて吸い出した。
遠くを見つめながらマリエルは語り出す。
「なあ、魔族ってのはみんな野蛮なやつだと思ってるだろ?」
痛みに頭が麻痺しているリンネは、それに答えることが出来なかった。
マリエルは続ける。
「実はそうでもないんだよ。人間と同じで魔族の上位社会はどろどろだ。幾千年も生きる絶対王にどう気に入られるかで頭がいっぱいの馬鹿どものたまり場だ。……尺度は違えど、お前たちと変わらない」
二本分の葉巻の煙を、マリエルはため息の代わりに盛大に吐き出す。
「なあ、魔族と人間は変わらないんだよ。本質はね。なのに、ちょっと頭の悪い魔族が目立ったからって、人間は魔族を悪者にした」
虚ろな意識の中でリンネは思う。当然だ、と。自分たちと違う種族を受け入れるのも大変なのに、それが攻撃的な種族だと知れば敵とみなすに決まってる。
「でも、みんながみんなそうじゃない。……お前たちと同じように、あたしたちも仲間を失うのは辛いんだよ。わかるか?」
「う、うぅ……」
リンネは呻き声で答えた。
それは、イェスでもノーでもない、ただの応答だ。
痛みに揉まれた思考で、リンネには何が良いのか悪いのかがわからなくなってしまった。
マリエルはリンネの前にやってきて、鎧をガシャリと鳴らしてしゃがみこんだ。
「なあ、わかるだろう? 仲間を失う辛さってのをさ。……だから頼むよ。あたしたちのために、天使を譲ってくれ。そうしたらもうあたしたちは、少なくともデスぺライトは人間に手出しをしないから」
マリエルはじっとリンネを見つめる。音のない空間で、リンネの静かな息遣いが聞こえてくる。
そしてリンネは言った。
「……お前、たちが手を出さなく、ても、王は、何かするん、だろ」
マリエルは表情を変えずに言葉の続きを待った。
「結局、何も変わらない、のなら……。失った、ものが戻って、来ない、なら……」
胸が痛むのも気にせずに、リンネは頭を持ち上げてマリエルを睨みつけて言い放った。
「僕は、彼女を、命に変えてでも……守る! ーー俺は、俺の周りを、幸せにするんだ! それが、俺とノルンが積み上げてきた悲しみへの、救いなんだ!!!」
言い終わって、リンネの頭は重力に従って床へと落ちた。マリエルは立ち上がってリンネを見下ろす。
「……残念だよ」
そして、手のひらに魔力を集めた。
フィエムの屋敷で見せたマリエルの圧倒的な破壊の力の矛先がリンネへと向く。
リンネは静かに呼吸を続けた。運命を受け入れるように。
その時、何かに気づいたレリエールが声を出そうとするのと同時に、リンネの背後の空間に亀裂が入る。
「ーーサニーちゃん、参上ー!」
リンネの背後の見えない壁を突き破って、茶色い髪の少女は明るい笑顔で登場した。
「そんな、私のー空間なのにー?!」
「新入りさんは渡さないっすよー!」
サニーが入ってきた空間の後ろには、爽やかな青い草の草原が広がっていた。
サニーは手早くリンネを抱き上げる。リンネは痛みに口から血を吐いたが、サニーはそれを気にせずに自分の空間へと走った。
「レリエールさんっ! もっと精進するっすよ!」
「ーーっ!」
「逃がさないよ!」
マリエルは咄嗟の判断で閉じてゆく空間の裂け目へと魔力を発動させる。
それは、リンネを抱えているサニーの二の腕を掠めた。
「いったーい!」
そう叫んで転ぶサニーの姿が最後にマリエルの目に映った。
マリエルは大きくため息を吐く。
「ああ、あたしは、こんなことのために団を作ったわけじゃないのに……」
レリエールが開けた外への通路を通って、虚ろな目のまま外へと出ていった。




