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24話 デスぺライトの団員たち

 ここはどこだろうとリンネは考える。それから、自分が冷たい床の上に横たわっていることがわかった。


 そう、確か、あの時、地面に引きずり込まれてーー


「あー、どうも。目をー覚ましましたねー」


 リンネはばっと声の方を見る。そこにいたのは、立っていながらも髪を扇状に床に広げる女性。前髪は胸元まである。


 その不気味な容姿と雰囲気に、リンネは女が人間でないことを悟る。


 リンネがいるのは下水道の一角。行き止まりに格子を付けただけの牢屋。


「あなたでー、天使を釣ろーっていう、話になったんですー」

「……天使をそのまま捕まえることだってできたんじゃないのか」

「できましたけどー」


 女は口元だけで笑みを作った。


「団長のー、私怨がねー?」


 リンネの背筋を嫌な感じがかけ上った。


 リンネは大きく息を吸った。臭い下水の臭いが鼻腔と口腔を埋め尽くす。


「……お前はなんだ?」

「知りたいですかー?」


 嫌味な口調で女が言う。それから、クスリと笑って応えた。


「わたしの名前はー、レリエールってー言いまーす。魔族旅団デスぺライトのー、一員でーす。よろしーく」


 リンネは何も返さずに、黙って俯いた。その様子を気にもとめないで、レリエールは自分の仕事は終わったとばかりにリンネへの興味を外した。


 それから気まずい沈黙が流れた。いや、リンネにとっては、沈黙が最も良い状態だった。


 その間に今自分ができることを考えた。幸いレリエールはリンネにそんなに興味が無いのか、これ以上の危害を加える様子はない。


 リンネは寝転がる振りをして、自分の周りを見回す。どこかに脱出できる道はないか。


 ……いいや、さすがに敵も馬鹿ではない。それらしい出口は無かった。


 ならば、戦うのはどうだ?


 幸いにも剣はリンネの手元にある。今の自分の力ならば、自力であのレリエールを倒してここを抜け出すことだってーー


 いいや、無理だ。


 そもそも、リンネはこの檻から抜け出すことが出来ない。檻には、扉が無かった。


 万事休す。リンネはふぅと息を吐いた。


 また沈黙の時間が続く。


「ーーなんでー、天使をー、さらったんでーすかー?」


 沈黙を破ったのはレリエールの方からだった。リンネはおもむろに起き上がった。そして語調を少し強めて言った。


「運命を感じたから」


 レリエールは、その時やっとリンネに興味を向けた。


 前髪の奥の見えない瞳が、リンネをじっと見つめる。そして冷たく言い放った。


「迷惑です」


 リンネは悪い予感を感じた。しかしめげずにレリエールから視線を逸らさない。


 両者睨み合いが続く。すると、下水道の奥から硬い足音が聞こえてきた。リンネは身を固くして、ようやくレリエールから目線を逸らして奥を見る。


 現れたのは、薄明かりの中でもはっきりと見えるほどの白いスーツを纏った魔族。その肌は真っ黒で、暗闇の中ではリンネにはその輪郭が微かにしか見えなかった。


 目を凝らしてようやく理解したのは、その魔族には左足と右手、それから右耳が無いということだ。


「やーやー、妹よー。調子はどうだーい?」

「うん。兄さん。そこそこ」

「おやおやー。テンションが低いねー」


 妹と呼ばれたレリエールとは対称的に明るく振る舞う兄は、それからリンネをちらと見た。


「ふーむ。君が天使をさらったー少年だねー?」

「……」


 リンネは何も言わずにじっと魔族の男を見つめた。それから男は名乗る。


「私はゲーグル。風の魔力の使い手だー。これからしばらく、よろしく頼むーよ」


 ゲーグルはそこまで言ってから、リンネが何も言わないのを見て、面倒だと言うようにすまし顔のままため息を吐いた。


 その後にレリエールが口を開く。


「兄さーん。その腕、どーしたのー?」

「うん? あー、これかーい?」


 ケタケタと笑いながら、なんともなさそうにゲーグルは言う。


「メイド服姿の魔族の女にやられてねー。いやー、あれはたーしか、君たちを追ってーた時に戦ったんだっけーなー」


 目を見開いてゲーグルを見るリンネへ、ゲーグルは下卑た笑みで告げた。


「強かったよ、もう死んだけど」


 リンネは無意識のうちの剣を引き抜いていた。


 ガインと耳障りな金属のぶつかる音が下水道の狭い空間で何度も反響する。


「殺してやる!」


 リンネの叫び声が汚い壁に反射して響く。ゲーグルはケタケタと押し殺すように笑っている。


 何度も何度も剣を檻に打ち付けるが、表面に傷をつけるだけでほとんど効果がない。


「やめたまーえ、やめたまーえ。所詮なんの細工もなーい剣だろーう? 無意味さ」


 しかしそんな言葉はリンネの耳には入ってこない。ただ目の前の敵に復讐を果たすのだと頭が叫んでいる。


 だが、やはりリンネは無力だった。荒い息遣いだけが静かにリンネ自身の耳に届いた。


「……僕を、どうする気だ」

「さーねー。俺は団長をー待たないといけなーいから。団長が戻ってきたーら、どーにかなるーよ」


 それがほとんど「死ぬ」という意味にしか聞こえなくて、リンネは嘲るように笑った。


「それじゃー、あとは頼むよ、妹よ」

「はい」


 ゲーグルはそう言って真っ暗な道を去っていく。白い服装はどこまでも見えるように思えた。


 リンネは座り込んで膝を抱えた。もうどうしようもない。せいぜいこの檻が開けられた時に決死の力で攻撃を仕掛けるぐらいしかすることがない。


 ほんの少し前までの幸せは、瞬きのうちに霧散した。


 あまりの儚さにリンネの口から湿った息が溢れる。


 そのリンネを、レリエールはじっと見つめていた。




 ーーいくらかの時間が経った。


 変化は、突然起こった。


 衣擦れの音が気になって、リンネはその方を向く。見れば、レリエールが立ち上がってそわそわとしていた。


 訝しむようにそれを眺める、次の瞬間。


 リンネの発したものとは比べ物にならないほどの大きさの鈍い鈍い金属音が、地下水路を埋めつくした。


 思わず耳を塞いだのはリンネだけではない。


「うるさっ……!」


 レリエールがそう言葉を漏らして顔を上げた、その目線の先。


 巨大なハンマーを担いだ大男がのっしのっしとこちらに向かってきていた。その大男に、リンネは見覚えがある。


「タフ……くん?」


 そう、タフだ。タフがリンネを救いに来たのだ。


「またわたーしたちのじゃーまをするのーね!」


 レリエールがばっと手をつきだす。手から太いイバラが生み出され、タフの左肩を貫いた。


「タフ!」


 けれども、タフはそれを意にも介さないで、静かにハンマーを掲げた。


「ーーやめて」


 リンネの耳には、レリエールの泣き出しそうなその言葉が、確かに聞こえた。


 タフの剛腕から繰り出された重いハンマーが、圧倒的な遠心力とともにレリエールへ薙ぎ払われた。


 壁面にヒビが入るのほどの勢いで激突したレリエールは、打撃のショックもあってか意識を完全に失った。


 追撃をしかけようとするタフにリンネは呼びかける。


「タフくん! もういいよ! それよりも、檻を!」


 タフがリンネの方を向いた。その表情に、一瞬リンネはぞくりとする。鬼のような激怒の形相だ。


 その表情もリンネが無事であることを確認してかいくらか緩み、柔らかい安堵の笑顔になった。リンネもほっとする。


 タフの怪力で檻が曲げられ、そこからリンネは脱出する。倒れたままのレリエールを横目に見ながらその場を後にした。


 地下水路を走りながら、リンネはタフに聞く。


「どうしてここがわかったの?」

「だ、団長の、力だよ。団長に、わからないものはない、から」


 確かに彼は何でも知っていたが、それにしてもここまでできるとは、とリンネは驚いた。そしてもうひとつの気がかりを聞く。


「ノルンは?」

「ノルンは、さ、サニーの空間にいるよ。あそこなら安全、だから」


 ようやくそこでリンネは肩の荷が降りた気分だった。剣を握っていた手の力が少しだけ抜ける。


 進行方向に明るい光が見えた。出口だ。


「スラムに、出るよ! 注意して!」

「注意?」

「戦ってる!」


 何と戦っているのだろう、と少し考えたところで思い至る。


「まさかあの旅団と?!」

「そう、だよ」


 地下水路の外からの光は、真っ白な炎によるものだった。


 純白の炎が煌々と夕暮れの街を包み込んでいる情景は、傍から見れば美しいものかもしれない。


 けれど、炎の色よりもくすんだ白の骸骨たちは、この景色を恐ろしいものに仕立てあげている。


 炎を避けながら街を走る。


「見つけ、たら、帰ってこい、って。急ごう」

「うん」


 凄惨で美しい街を走る。


 こんなにも炎は燃え盛っているというのに、空気は熱くなく、悪臭もなかった。


 その途中で炎の向こうに人影が見えた。女性と、魔族だ。


 リンネはその方向を指さす。


「タフくん! あれ!」


 タフもその方へ視線を向けると、リンネにわかったというように頷いた。ハンマーが空を切る。


 リンネも剣を軽く振って、魔族の元へと飛び出した。


 それはコウモリのような姿をした魔族だった。目の前の人間へとその牙を立てようとした瞬間、コウモリは左にぐらりと揺れた。何事かと己の体を見れば、右の羽と左の脚がない。


『キイイィィィィ!』


 人間には聞こえない悲鳴を発して、片翼で飛び立とうとするコウモリに、真横からの衝撃。


 圧倒的質量に側面から頭を潰された魔族は、白い炎の中に飛んでいってその体を白く燃やした。


「大丈夫ですか!」

「はい……」

「リンネ、まずは、俺たちが帰らないと、収まらない」


 リンネはこくりと頷いて、女性に言う。


「どうか死なないでください。お元気で!」

「あ、ありがとうございました」


 感謝の言葉はリンネに届いて、去り際に軽く振り返って手を振った。女性は安心したような表情をした。


「よかった。間に合って」

「うん、だね」


 二人で顔を見合わせて笑う。リンネは自分の力が正しく使えた気がして、こんな状況だというのに嬉しくなった。


 その喜びもつかの間のもの。


 ぞわりと、リンネたちの背筋を悪寒が駆け上がる。


 その正体はリンネたちの視界の端に確かに写った。だが、そいつはあまりにも恐ろしい見た目をしている。


 リンネたちは息を殺して、しかし全速力でその背後を逃げるようにして駆けーー


「おい」


 その太い声に、びたりと脚が止まった。


「俺様を無視してくたぁ、大した度胸じゃねぇか、ええ?」


 確実に背後を取り、細心の注意を払ったのに気が付かれた。リンネは恐る恐る敵の姿を見た。


 それはまるで、上半身を半分ずつ繋ぎ合わせた阿修羅のような姿をしていた。前にも後ろにも胸があり、顔面があり、そして腕が二本ずつ計四本ある異形の魔族。


 その魔族の片面の瞳が、リンネたちを直視していた。


「代償は高くつくぞ」


 真っ白な炎が、魔族の四つの手のひらから現れ、男の眼光がギラりと光った。

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