22話 甘い紅茶
リンネはその日、団長の元を訪れていた。それもマリーの隠れ蓑を持ってこいと言われて。
リンネはマリーの隠れ蓑を右腕にかけて、左手で団長の家の玄関を叩いた。
「はーい」と聞きなれない女性の声がドアの向こうからして、リンネは少し緊張する。
ガチャリとドアを開けたのは、グレーの長い髪を三つ編みにして肩にかけた女性だ。エプロンがとても似合っていて、姐さんと呼ばれるカーよりも大人な「女将さん」のような印象を与える。
その女性は笑顔で喋る。
「あらー! あなたがアニマの言ってたリンネくんね? いらっしゃい」
「あ、ど、どうも。リンネです」
「あの人は急にでかけてて、でももうすぐ帰ってくるから、中に入って待ってたら?」
「はい」
リンネは前々から聞いていたその女性のことを呼んで言う。
「ティアラさん、忙しい時にすみません」
「大丈夫よ。わたしはいつも暇なんだから。ところで、リンネくんは紅茶、飲める?」
「あ、はい。あまり飲んだことはないですけど」
「なら淹れてくるわね」
そう言ってティアラがキッチンへと去っていく。リンネはソファに腰かけて、前回はあまり見ることのなかった一階の様子を眺めた。
木製のアンティークな家具が多い。前にオーガに聞いてみた時は、馬車には石の家は乗せられないから、と言っていたが、にしても今のこの世界では大分金がかかるだろう。
やはり世界一のグロウホラクルは儲かっているのだろうか、などと無粋な考察を立てるのはそれぐらいにして、リンネは深くソファに腰掛けた。
少ししてから、ティアラが二つのティーカップを持って戻ってきた。
「それにしても、あの人ったら遅いわね」
「どこに行ってるんですか?」
「諸々の調整をして来るって話だったわ。でも、この時間に呼んだのでしょ?」
「はい。一応、午後すぐにって」
「まったく、どこに行ってるのかしらね」
ティアラがリンネの右手側に座り、紅茶に口をつけたのを見てから、リンネも若干ドキマギしながら紅茶に口をつけた。リンネの想像よりも紅茶は甘かった。
温かい液体が喉の内側を通るのを感じて、リンネは無意識に息を吐く。
「それで、リンネくんはこの団に馴染めた? 曲者ばっかりでしょ」
「まあ確かにそうですけど、でも皆さん優しくて個性的で、眩しいぐらいですよ」
「あなたも、自分の想像以上に個性的よ? 特にストーリーが」
「それは否定できないですね」
リンネがあははと笑う。ティアラも上品に笑って、また紅茶に口をつけた。
リンネは尋ねる。
「ティアラさんも、何か幻力を持っているんですか?」
「ええ、あるわよ。知りたい?」
「はい。皆さんの力を聞くのが趣味で」
「物好きね」
「そ、そうですかね」
ティアラは意地悪な笑顔を浮かべて、それから口を開いた。
「私はね、この世界で唯一治癒の幻力を持った人間なの。ただ、いろいろと特別なの。《《私の力の真の持ち主》》が治せるって判断したものしか治せないわ。そういう人が魔族にもいるにはいるらしいけど、それは置いておくわ。ともかく、そういうわけで私は今ここにいるの」
「治癒、ですか」
ティアラはこくりと頷いた。
この世界には、特段に回復力の強い薬草だったり、ちぎれた腕を治すような技術はない。稀にとんでもない医者はどんな傷も治せる、といった噂話は聞こえてくることがあっても、完全に治すことなど到底不可能だろう。
言ってしまえば、ノルンと同じくらい貴重な存在。
と、いうことは、とリンネは思いつく。
「……ティアラさんも、実は追われてたり?」
「ご名答、って言いたいところだけれど、もう追われてないわ。あなたたちみたいにね」
リンネはうっと言葉を詰まらせた。ティアラは少し目を伏せる。
「……ちょっと良くない冗談だったかしら。ともかく、私は今は自由の身なの。ここいいられるおかげでね。……昔は、追われていたりもしたけれど」
「そうなんですね」
リンネは頷きながら思う。ティアラはきっと、ノルンのいい話し相手になってくれるだろう、と。
「だから、その点ではノルンちゃんとも話が合うわね。この前も盛り上がっちゃったわ」
「そ、そうなんですね」
もうなっていた。
リンネが少し気まずくなって紅茶を啜ると、玄関のドアがノックもなく開けられた。
「すまねぇリンネ! 遅れっちまった!」
「あ、団長。大丈夫ですよ、ティアラさんともお話できたんで」
「そうかそうか! ティアラも留守を任せて悪いな」
「悪いと思ってるなら、でかける理由ぐらい教えてくださいな」
「まったくその通りだな。悪い悪い」
ティアラは帰ってきた団長のところへ歩いていき、不満を口に出しながらも慣れた手つきで団長のコートとカウボーイハットを受け取って、それを掛ける。
身軽になった団長はリンネの正面に座った。ティアラの紅茶が出るまでのついでのよにうに口を開いた。
「調子はどうだ」
「良い調子ですよ。友達もできましたし」
「ほう? お前と同じぐらいの歳のやつか?」
「はい。タフって言うんですけど」
「なるほど、あいつか。……あいつかぁ」
意外さを面白がるように、団長は目を細めて笑顔になる。
「あいつはな、お前らの一個前に入ってきたやつだが、強えだろ」
「相当でしたよ。本気で殺しあったら無事じゃすまないかもしれません」
「はっはっは! そうだろうそうだろう。俺も一度遊びで立ち合ってみたが、相当の強者だ。驚いたよ」
そこまで言うとティアラが紅茶を運んできたので、「ありがとう」と言って団長は紅茶を口に運び、酒を飲んだかのようにぷはぁと息を吐いた。
「やっぱお前の紅茶は上手いな。酒に勝るよ」
「なら、お酒をやめたらどう?」
「お前、ほんと俺に対しては辛辣だな」
「愛情の裏返しよ」
ふふっと笑って、ティアラはお盆で口元を隠した。
それから照れ隠しのように背中を向けて言う。
「それでは、大切な話のようだから私はお暇させてもらいます」
「……お前は聞いていかなくていいのか」
「ええ。大丈夫ですよ。では」
リンネはティアラの視界に入っているうちに頭を下げた。ティアラはこくりと頷いて、それから二階へと去っていく。
団長は大きく息を吐き出した。
「お前とティアラの二人を前にすると、なかなか緊張するな……」
リンネは尋ねる。
「どうしてですか?」
「いろいろと気まずいんだよ」
「そうですか」
会話の間を埋めるために、二人は同時に紅茶を飲んだ。そして、団長が話を切り出す。
「……マリーの隠れ蓑は持ってきてくれたか」
「はい。ここに」
リンネは自分の隣に置いていた隠れ蓑の可視部の裏地を見せた。団長が手を伸ばしたので、リンネは渡す。
「こいつは役に立ってくれたか?」
「はい。おかげさまでノルンを助けることができましたから。……これ、団長の持ち物だったんですか?」
「ああ、そうだ」
団長は布を広げて、それから懐かしそうにそれを見たあと、突然身にまとった。
驚いたリンネは、団長がいるはずの場所をじっと見つめる。と、
「わっ!」
「うわぁっ!」
突然背後から肩を叩かれて耳元で叫ばれ、リンネは団長に負けない大きな声を出してしまった。
不満そうにリンネは団長を見る。団長は愉快げに笑っていた。
「はははっ! 悪いな」
「絶対そんなこと思ってないじゃないですか!」
「お? バレたか」
「……子供みたいですね」
「ああ、お前の前では子供でいたいよ」
団長はクルクルと布を腕に巻いて、それから元のリンネの前へと座った。リンネはまだ不服そうにじっとりと団長を見る。団長は笑って肩を竦めた。
睨むのもほどほどにして、やれやれと首を振ってからリンネは口を開いた。
「……父さんが、団長のことを親友だと言っていました」
団長は目を見開いた。
リンネはその時の団長の顔を、しばらく忘れられそうになかった。
あれほど明るく振る舞い、この団を引っ張るほどのカリスマがある彼の、悲痛で泣き出しそうな顔があった。
団長は、天井を仰いで、額の前にあるはずの何かをいじろうとした。しかし、今の彼の頭にカウボーイハットは無い。
「……そうか」
団長は苦笑して、今度は床を見つめて言う。
「あいつは、いいやつ過ぎたな……」
ガシガシと団長が乱暴に頭をかいた。そして、小さく「よしっ」と呟きリンネへ隠れ蓑を投げた。
「リンネ。やっぱりこれはお前らが持ってろ」
「いいんですか?」
乱雑な形のそれを、きちんと正方形に畳みながら聞く。団長は頷いた。
「ああ。特にノルンに持たせてやるといい。必ずどこかで役に立つはずだ」
「わかりました。……本当に、何から何までありがとうございます」
「礼には及ばねぇよ。ま、しっかり働いてくれってことだ」
リンネは笑顔で頷いた。無意識に隠れ蓑の裏地を撫でる。
「それから」と団長は続ける。
「ここからの方針を、お前に伝えようと思ってな。俺たちが今向かってるのは、王都ギンマーレだ」
「王都、ですか」
「ああ。巨大なオアシスのもとに造られた水の都だ。だから、ゴロツキも、盗賊も、そして魔族も集まる」
リンネは真剣な表情の団長が何を言わんとしているのかを理解して、気持ちを引き締めた。
「言いたいことはわかるな? 魔族だ。魔族がいる。俺や仲間たちはいつもお前のそばにいるとは限らない。いいな? お前が守るんだ」
リンネは息を飲んだ。守る。自分が、ノルンを。
リンネは深く息を吸った。そして、応える。
「はい!」
団長はその時やっと安心したような笑顔を浮かべた。
リンネが団長の家から去ろうとした時、団長は言った。
「なあ、リンネ」
「なんですか?」
「俺はよ、お前たちのためなら、なんだってする。人も、運命も、自分の命ですら使い潰すつもりだ」
リンネは突然団長が何を言い出したのかと、眉をひそめた。団長はリンネがあまり理解していないことを察してーー元から独り言のようなものだったのかもしれないがーー言う。
「ま、そういうことだ。だから、よろしくな」
「……はい。わかりました。それじゃあ、いろいろとありがとうございました」
リンネはそう言って玄関から出て行った。
一人残されたリビングで、団長はため息をついてソファに座った。
「前の世界とは違う。俺には今、力がある。……だから、俺は、やらなきゃならねぇんだ。そうだろ? ラッカン」