21話 歳の近い青年タフ
それは、いつものようにリンネがサニーの空間で剣の練習をしていた時の事だった。
いつもは朝のこの時間帯はリンネしかいないのだが、珍しくリンネの他にも一人、歳がリンネより少し上ぐらいの肩幅の広い青年が剣を振っていた。
リンネがそちらの方を見ていると、青年もちらりとリンネのことを見た。しかし、何も言わずに剣の練習に戻ってしまった。
どうしたものかと思っていると、どこからかサニーがひょっこりと顔を出す。
「よっすよっす! 調子はどうっすか?」
「あ、うん。結構いい感じ。……ねえ、あの人は?」
「んー?」
リンネが指を指した方向を見て、サニーが「あー」とよく知らないものを説明する前置きのような声を出す。
「えーっと、たぶん最近入った子っすかね。あんまりあたしも見慣れない顔っすから。気になるんすか?」
「あ、そうなんだ。なんか、歳は近そうだけど偉い人だったら気まずくない?」
「あはは。まあそれはリンネらしいっすね。大丈夫っすよ。うちで偉いのはオーガのじいさんと団長だけっすから。ほいじゃ、あたしはおさらばするっす」
サニーが手を振りながらまた虚空に消えていった。リンネは軽く手を振る。
それから改めて青年を見た。リンネは少年の方に歩いていく。
青年はリンネがそうしてくれるのを待っていたようで、すぐに大きな体をリンネの方に向けた。しかし、目線はどこか不安げにキョロキョロと動いている。
リンネはドキドキとしながら声をかけた。
「やあ」
「あ……ど、どうも」
青年は、おどおどと消え入りそうな声でそう応えた。
こうなるといよいよリンネもやりづらく、妙に緊張してしまった。そしてなんとか言葉を続ける。
「君、いつもはこの時間いないよね?」
「あ、うん。その……は、早起きしたから、たまにはって、思って」
大きな肩を縮こませて、体格に見合った両手を合わせて不安そうに手をいじる。見かけによらず気が弱いらしい。
リンネは青年に気づかれないように少し息を深く吸った。
「僕、リンネっていうんだ。君は?」
「ぼ……お、俺は、タフ」
「タフくんか。よろしくね」
リンネがタフと名乗った青年に右手を差し出すと、タフは大きな手でおずおずとその手を握った。
「お、俺、君のこと知ってる、よ。天使の子を連れてきた……んだよね」
「うん。……って、ひょっとして僕たちって結構有名になってる?」
「か、かもね。団長がよく話す前世の恩人、天使と少年が、いっぺんに、き、来たから」
リンネは単純に恥ずかしくて、誤魔化すようにはにかんだ。そこまで皆が知っているのならば、リンネ自身も身の振り方を考えねばいけないと思う。
リンネは手を離した。慌ててタフも手を離して、またもの寂しそうに手をいじり、剣の柄を触った。
リンネは言う。
「タフくんも、剣を使うの?」
「う、ううん。いつもは、大槌使ってる」
「そうなんだ。僕は剣を使ってるんだ」
リンネはそう言って、先日武器庫からクロウとともに探した一振の剣を持ち上げた。スリムな刀身とそれなりの重さ。半日かけて探したなかなか良質なものだ。
対して、タフの剣はただひたすらに大きかった。タフの体格と同じ幅広の真っ黒の刀身。明らかな質量を持ったそれは、緑の地面に深々と刺さっていた。
「よければ一立。どうかな?」
「えっ……」
誘われて、タフは困惑した。なぜなら、どう見たってリンネとタフの間にある馬力の差は歴然としているし、タフに戦い挑むような人は、この団指折りの大男たちしかいなかったからだ。
しかし、目の前の少年、リンネは明らかな自信を漲らせていた。
タフは覚悟を決める。
「……ぼ、俺の剣は重いから、防ぐだけでも、怪我する、よ」
「うん、大丈夫だよ」
リンネは不敵に笑う。
「僕、強いから」
そう煽られて、立ち向かわない男子がどこにいるだろうか。
「わかった、うん、やろう」
タフは、不器用な笑みを浮かべて言う。
「俺も、強いから」
両者は、それ以上何も言わずに自らの得物を構えた。
リンネは確かな緊張を感じていた。今までもここで色々な人たちと手合わせをしたが、こうも体の大きな剣士との戦いは初めてだからだ。
そして同時に、冷静に自身と相手の弱点を見抜いた。
ーー懐に潜り込め。
リンネは地面を力強く踏み込んだ。姿勢は低くして、タフの真下に潜り込む。
対して、タフは足を蹴りあげた。
リンネはモロに胸を蹴りあげられた。視界が四回ほど回転する。
かなりの衝撃を受けて、リンネは立ち上がるのが遅れた。まさか、この図体で蹴りを使うとは。
勘に任せて左へと転がると、元いた位置に容赦のなく大剣の側面が叩きつけられる。
転がった先で体勢を立て直す。さすがに手加減しろ、とは叫べまい。
だが、タフが見た目通りの弱点を持っていたのは幸いだろう。タフは動きがノロイ。
リンネは自分の小回りを生かす戦術を、頭ではなく、《《いつかの経験》》から導き出した。
再び低い姿勢でタフへ向かっていく。今度は九割の注意をタフの足の動きに払いながら。
タフは再び足を蹴りあげんと動く。その予備動作を確信して、リンネは犬のように地面に踏ん張って止まった。
タフが驚いて、しかし動きを止められずに足を少し浮かせた微妙な体勢になった、すかさずリンネはその足を掴み、捻る。
タフは自身の重心の移動によって、地面へと仰向けに倒れーーずに、ギリギリで耐えた。そして、リンネへとその重たい剣を振る。
リンネはそれを受け止めた。試してみたのだ。どれほどの威力なのか。
それは、予想以上だった。
ガインという音とともに、リンネは五歩分ほど後ろへ弾かれる。まともに食らってこれなのだから、生身に食らった日には団の離脱を申し込まねばならないだろう。
リンネはギラりと目を光らせた。タフはそれをじっと見つめ返した。
その状態のまま、しばしの時間が流れる。そして、リンネがふっと笑った。
「……タフくん、強いね」
「うん。リンネも」
勝敗をつける気は、二人にはもう無かった。ただ純粋に相手を褒め称える。まさかこれほどとは、と二人は同じ感想を抱いた。
「お、俺の剣を受け止めるの、すごいな」
「でも、タフくん実はちょっと力をセーブしてただろう?」
「あ、うん。……バレた?」
「さすがにタフくんの全力は受け止められる気がしないから、恨んではないよ」
「リンネも、足を掴んだ時、もっといろいろ出来た、よね」
「うん。……でも、あれで片をつけるつもりではあったかな」
いつの間にか二人は草原の上に腰を下ろして、話に花を咲かせていた。
タフはおどおどとしつつも時折リンネの目を見て、それから少し目を逸らして手元で草をつまんで指の中で弄んだ。
ふと、男は戦いで仲良くなるものだ、と誰かが言っていたことをリンネは思い出す。
また前世の記憶だろうか、と思ったが、それは自分の父が言っていたことだった。
「タフくん、歳は?」
「お、俺は、十七」
「じゃあ、僕のだいたいひとつ上か。敬語使わないといけないなぁ」
「……そ、それは、悪い冗談だよ」
「あはは、そうだね。ごめん」
リンネの冗談に、タフは少し穏やかな笑い声を出した。
「タフくんは、どの辺のテント?」
「お、俺のテントは、中央西にある、よ。リンネは?」
「僕は東の端だ。ちょっと遠いかな」
「うん。……でも、また、ここで会えるだろうし」
「そうだね」
何とも言わず、タフとリンネはほぼ同時に立ち上がった。リンネは言う。
「それじゃ、僕はそろそろこの辺で」
「うん。ま、またね」
「じゃあね」
笑顔で別れを交わして、リンネはテントを出た。
同年代の男子との絡みは、ここがほとんど初めてだった。だからだろうか。リンネはその日、一日中楽しそうな笑顔で、ノルンに指摘されても口角は上がったままだった。