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1話 僕は天使と出会った 後編

 ーー心細い。


 リンネは両親と別れてから、ずっとそう感じていた。足を一歩前に出す度に、とてつもない不安に襲われ、心が揺らぐ。


 けれど、もう後戻りはできない。そんなことをして合わせる顔はない。


 リンネはマントの隙間から自分の進む方向を確認した。


 世界が死んでしまったのではないかと思うぐらい静かな夜。聞こえるのは、自分の鼓動と、足音と、衣擦れの音。


 見えるのは、黄色の砂と、黒い夜空と、篝火に照らされた旅団のキャンプ。


(確か、紫色のテントだったはずだ。まずはそこに行ってみよう)


 目当てのテントは、一番遠い。


 ーーこのマントには大きな欠点がある。


 それは、マントの内側は透明ではなく、きちんと赤色の裏地があるということ。


 だから、マントの外を見ようと思えば一度顔を出さなければならない。そこで見つかる危険性があるのだ。


 リンネは用心して迂回する道を探した。どうやら魔族は、こんな辺鄙(へんぴ)なところに住む人間に少しの危機感も持っていないらしい。警備らしい影はまったくない。


 それに少しだけ安堵しつつ、だが警戒を怠らずにリンネは大きくキャンプを回る。本当に警備という言葉の欠片も無い。


(そんなに自信があるのか)


 リンネは純粋にそう疑問を覚えた。しかしそれは自分には関係がない。リンネは目当ての場所、紫紺のテントの前に立つ。


 改めて周囲を見渡して、誰もいないことを確認した。そして、入口の布を軽く持ち上げる。中に誰かがいるかもしれない。


 その予想は的中した。


「ぐごー、ぐごー……」


 大きないびきを立てて、一体のトカゲの容貌をした人型の魔物が入口から近いところの椅子にもたれかかって寝ていた。


 リンネは一瞬自分の心臓が止まったかのような錯覚に襲われた。これではこの先いくつ心臓があっても足りなそうだ。


 音を立てないように気をつけながら、砂の床を歩く。そして、見つけた。


 鋼の堅牢な檻。入れるものに見合わない厳つい入れ物。


 そして、その中に座っているーー


「……あなた、は」


 暗がりでもわかる銀色の長い髪、美しい白い肌。ボロボロの服から見える僅かな胸の膨らみ。青い瞳と、端正な、世の男全てを骨抜きにしてしまうほどの美貌。そして何より、左肩の後ろに覗く純白の翼。


 天使は、リンネの目をじっと見つめていた。


「……あ」


 リンネは、改めて感じた。


 彼女と、僕はーー


「とりあえず、ここから出よう。落ち着いて話すのはそれから。鍵は?」

「鍵は、ありません。この檻は魔族の怪力にものを言わせて設計されたものです。ほら」


 天使が檻の格子の一箇所を指さす。そこだけ不自然に歪んでいた。まるで、なんども曲げられた針金のように。


「魔族が檻の棒を歪めて、そこから出入りさせるのです。だから、人間にはどうしようもないの」


 確かに、こんな檻の形を変えられるほどの力を人間は持っていない。なんと合理的で賢いのだろうか。


 だが、人間の強みはそれを上回る知能だ。


「……賭けがある」


 リンネは、今まさに思いついた魔族を欺くその策を伝えた。


「……それは」

「もちろん、君がここから出たくないって言うんなら、僕はどうしようもないけれど」

「いいえ、そんなことはないです。私は……いえ、これも後に。ともかく」


 天使は、きっと表情を引き締めた。


「乗りますよ。その賭けに」


ーー ーー ーー ーー ーー


 トカゲ男が伸びをする。


「……う、ぬぁぁ……。なんだぁ、さっきから、ザックザックとうるっせぇなぁ、ねずみかぁ?」


 自分を眠りから覚ました、忌々しい元凶を排除すべく辺りを見渡しーー


「げっ」


 檻に駆け寄った。


「おいおいおいおい! うっそだろ、どうなってやがる!」


 檻には誰かから手を加えられた様子がない。だというのにーー


「なんで天使が消えてんだ!」


 檻の中に、天使の姿はなかった。


「くっそぉ! 俺の責任かよ!」


 トカゲ男が、苛立ちを檻にぶつける。ぐしゃりと二本の棒が歪んだ。


「……と、ともかく、報告だ」


 トカゲ男が頭を抱えながらテントを飛び出した。


「……よし」


 その直後、地面を掘ってその中に隠れていたリンネが姿を現す。


「馬鹿でたすかった。行こう。……えっと、天使、さん?」


 リンネが空の檻の中に手を差し伸べる。すると、何も無かったはずの檻の中から手が伸びてきた。


「うふふ。おかしな呼び方ですね。さ、行きますよ」


 マントで透明になっていた天使が姿を現した。そのマントの中に、リンネが体を入れる。


「ちょっと狭いかな……」

「でも、気にしませんよ?」

「僕はすごい気にしちゃうな。って、それどころじゃないや。行こう!」


 二人はテントの外へ出る。そして、足早にテントから、キャンプから離れた。


 少し走って振り返った時、トカゲ男と、蛇の尾を持っているような女がテントに入っていった。


 二人は走った。砂丘の向こう側に行くために。そこまで行けばひとまずは安全なのだから。


 高い砂丘を登りきり、下る。もうキャンプは見えない。思い出のある故郷も、見えなくなった。


 やっとマントを剥がす。


「ふぅ……。これで一安心かな」

「ええ。彼らも少しは戸惑うでしょう」


 天使はそう言って心から安心しているような笑顔を浮かべた。それを見て、リンネも自分のしたことが正しかったのだと、最後の不安が解ける。


「ええと、まだ安心とは言えなそうだから、歩きながら話そうか。少しでも距離を稼がないと」

「わかりました。方向は大丈夫ですか?」

「うん。こっちの方向であってる」


 リュックから取り出した地図と羅針盤を広げてリンネは天使に見せた。


「ここにある家が今の僕たちの目標さ」

「安全なんですか?」

「うん。僕の母さんが言ってたから、絶対大丈夫」


 なんと言ったって、リンネが世界で一番信用している人なのだから。


 その時、母のことを思い出して、リンネの胸の内が熱くなった。しかし、天使の前だからとリンネは堪える。そして、ぎこちない喋り方で話題を振った。


「えっと、じゃあ自己紹介をしよっか。僕はリンネ。歳は十五だよ」

「リンネ……ですか。わかりました。私は……そうですね、ノルン。ノルンがいいです」

「ノルン?」

「ええ。運命の神様からとって、ノルン」

「運命の神様か。……でも、僕聞いたことないや」

「当然ですよ。だって、私は天使なんですから」

「答えになってないなぁ」


 リンネが困って曖昧な笑みを浮かべると、ノルンは楽しそうに笑った。


 リンネは、両親と同じく、この天使ーーノルンもリンネの知らないことをしっていて、でもそれが何かは教えてくれないのだろうということを、すでに察していた。


 しかし、リンネは自分の立場を受け入れる。当然だ。自分はまだ、年端もいかない子供なのだから、と。


「そういえばさ、ノルンと目が合った時に感じたんだけど」

「はい」

「もし、勘違いとかだったら気まずいんだけどさ。僕、きっとどこかで君と会ったことがあると思うんだ」


 テントで檻の中のノルンと目が合った時に、直感的に感じた。リンネは天使とどこかで会っているかもしれない、という感覚。


 しかし、それは確実に有り得ない。なぜなら、外からあの村に入るような天使はリンネの知る限り居なかったのだから。


 けれどもしかしたら、天使なら、ノルンなら何か知っているんじゃないか、教えてくれるんじゃないかと口にしたのだ。


 しかし、自分がおかしなことを言ったことにすぐに気づいた。


「あはは、ごめんね。変なことを言っちゃった。忘れてーー」

「きっと」


 誤魔化そうとするリンネの言葉を遮った。


「私たちは、どこかで会ったことがありますよ」


 その表情はどこか儚げで、もう見ることの無いような、寂しそうな微笑みで、


 リンネは、目を奪われた。


「……そ、っか。そう、かもね」

「かも、じゃないです。絶対に私たちは会ったことがあります」

「なんでそう言いきれるの?」

「天使の直感は鋭いんです!」

「また答えになってないなぁ」


 口ぶりや態度は呆れている風にしているが、内心リンネは緊張がほぐれてきていることに気づいていた。


 それはノルンがとても楽しそうにしているから。さっきまで、お互い緊張していたのが嘘のように。


 その証拠に、ノルンはこれからの過酷な旅を知らなそうな、満面の笑みだ。


「……よろしくね、ノルン」

「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」


 二つ目の砂丘を超えた。夜明けは、近い。

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