15話 知る者たちと知らない者
「……それは、どういうことですか?」
「お前はわからなくていい。ノルンがわかってさえいればいいんだ」
「当たり前のように私の名前を当てるのですね」
「前の世界ではそうだたっからな」
団長は苦々しげな笑みを浮かべた。ノルンも、嬉しいような、困惑しているような、複雑な表情だ。
「再会できて嬉しいよ」
「……嬉しい、んですかね?」
「複雑だがな」
その二人を交互に見ながらリンネは困惑する。ここに来れば、団長に会えば全てがわかると思っていたのに、むしろ謎は深まった。
取り残されるリンネには尋ねることしかできない。
「前の世界なんて、あるんですか?」
「あるよ。現に、俺はそこからの恩義を引っ張ってきてんだ。で……お前は、この世界ではなんて名前なんだ?」
「リンネ、です。むしろ、前の世界ではどんな名前だったんですかね」
「ルーンだったな」
「……そうですか。まあ、確かめようがないですけどね」
団長がノータイムで答えたので、リンネは一瞬返す言葉に詰まった。しかし、リンネの胸の内で何かが“ルーン”という名前に反応したようだった。
リンネはズボンをぎゅっと握る。言葉にならない不快な気分だった。
団長はそんなリンネを見て気づかれないようにため息を吐く。そして、ここまで俯いていたノルンが口を開いた。
「なぜ、団長は前世の記憶を持っているんですか?」
「俺は幻界を突破したからな。その時の恩恵だ。この世界の先人たちは幻力と呼んでいる。俺はその幻力を手に入れたわけだが、つっても幻力は万能じゃねえ。一人につきひとつだけ不思議な能力が与えられる。それで俺は魂に干渉する力を得て、前世を思い出したんだ」
「そういうことだったんですね。そんなにハッキリ前世のこと覚えているなんて、おかしいですから。……でも、再会できて嬉しいですよ、ラッカン」
ノルンが団長のことをそう呼ぶと、団長はとても悲しそうな顔になった。そして天井を見上げる。
「ノルン、やっぱり俺は、お前たちに再会できて、嬉しいみてぇだ」
その声は震えていて、ノルンは穏やかな微笑みを向けていた。
そして、今度はリンネが俯く番だった。リンネには前世の記憶などない。だからラッカンなどという人は知らないし、リンネがどんな立ち位置だったのかもわからないのだ。
団長が顔を戻してリンネを見た。
「わかる者同士の会話はこのぐらいにしとくか。リンネが困っちまうからな」
「あ、はは……」
リンネは乾いた笑いで答える。
団長はすっかりリンネたちを信頼している様子で、リラックスした顔で言った。
「リンネ、特にお前は頼りにしてるぜ。その強さをまた見してくれ」
「……強さ?」
しかしその瞬間、リンネの心をその二文字が貫いて、心の蓋が開いた。
「そんな強さなんて、ないですよ……!」
俯いたままの視界の中で、リンネの握る拳に痛みが走る。
「強かったら、ここにいるのは二人じゃない。強かったら、こんな悔しい思いなんてしてない。団長が知っているような、強い僕を、僕は知らない!」
ーー限界だった。
リンネの知らない話を聞くのも、ノルンが誰かと親しげに話すのも、二人しか知らない強いリンネを語られるのも。
リンネは熱い息を胸の底から吐き出した。その様子を、団長は胸が締め付けられる思いで見ていた。
「……すまない。俺は勘違いをしてたみてぇだ。謝るよ」
団長が、深く頭を下げた。リンネはそれを直視せずに、ただそっぽを向いているだけだった。
しかし、団長はまだ頭を上げない。リンネは自分があまりにも子どもだったことに気づく。
「……ごめんなさい。僕が子どもでした。もう、頭を上げてください」
「……ああ」
団長は顔を上げて、膝に肘を置いて体を前に乗り出す形のまま、大きく息を吐いた。
「俺もテンションが上がりすぎちまったよ。本当にすまない。で、なんだ、リンネ。お前は何か、とりこぼしたのか」
「……はい」
リンネはマウルのことを思い出す。ここまでずっと二人に良くしてくれて、何もかもを助けてもらった恩人だ。
その時、庭師にかけられた別の言葉が思い出された。
「……格好つけられなかった」
リンネは口の中で呟いて、うなだれた。途方もない無力感が再びリンネを襲う。
団長はリンネへ言う。
「俺の能力は自分の魂に干渉する能力だ。魂に刻まれた未来だって見ることが出来る。俺の魂には、三人がここへ来る未来は無かった」
「だから、気を落とすなって?」
「いいや、違う。いいか、よく聞け」
リンネと団長の視線が交錯する。リンネは団長から目を離せない。
「俺は魂に干渉できる。無理をすれば、他人に無理やりにでも。だがそれと同時に、俺の近くにいるだけのやつも未来が変わる。俺は、ノルンが死ぬ未来を見た」
リンネは目を見開いた。そして俯いた。
「それだけじゃない。その後、何かはわからないが、もっと恐ろしいことが起きる。それを、お前たちは今から変えることができるんだ」
その言葉はもうノルンには向けられてはいなかった。ただリンネを奮い立たせるためだけの言葉。もはや脅しに近い。
口を開かないリンネを見て、団長は言った。
「強くなるか、リンネ」
リンネは、ゆっくりと顔を上げた。
真剣な眼差しがリンネへ向けられていた。
「強くなりたいか、リンネ」
そう聞かれて、リンネは無意識にノルンを見た。
ノルンは何か、考え事をするように目を瞑っていた。その横顔を見て、リンネは思う。
せめて、ノルンだけは、命に変えても。
「…………はい」
十分な間を置いて、リンネはうなずいた。この間に様々な葛藤があった。強くなりたいと言った人には守られた。そんな自分に、果たしてそう口にする権利があるのだろうか。
しかし、どんなプライドを捨ててでも、倫理を忘れても。命に変えても。
リンネは、ノルンだけは守りたいのだ。
「僕は、ノルンを守りたい」
「よく言った」
団長がにっかりと笑った。立ち上がって、部屋にあるタンスから一枚の地図を持ってくる。
「なら、ここに行かなきゃならねぇみたいだな」
団長が地図を机の上に広げて指を突き立てたのは、地図の端の端。もうなにも記されていない、そして記されることのないような世界の端だ。
「ここには何が?」
「ここがいわゆる幻界だな。魔界との境目だ。暗黒の雲が空を塞いだ紫色の世界だよ。この砂漠世界と魔界は霧で隔たれている」
「魔界……あ、私、そこを通ってきたことがあるかもしれません」
「なんだと?」
団長がノルンを見た。リンネも地図から目を離す。
「私、最初紫色の場所にいて、それから捕まって、途中で霧が濃く立ち込める場所を通ったんです。それでこの砂漠に来ましたから」
「なるほどな。なら、幻力が身についているはずだが……」
「それはわからないです」
「そうか。まあ、天使だからイレギュラーもあるだろう」
「あの」
リンネが右手を上げて尋ねる。
「幻界では、何が起きるんですか? なんだか普通の場所じゃないみたいですけど」
「幻界で何が起こるかなんてのを予想できるやつはいない。人によって見るものは様々だ。ゾンビに襲われたやつもいれば、女神に会ったとかいうやつもいる。そしてその後、不思議な力を得るんだ」
「なるほど……。じゃあ、もしかして、前世とかって見えるんですかね」
「もしかしたら、な」
リンネは少し希望を持った。それを知らないことには心が晴れることはないだろう。少しでも可能性があるというのならそれにかける。
リンネは、自分の知らない世界を、知っていたはずの世界に思いを馳せた。それを知ることができたなら、どれほど嬉しいことだろうか。
「私も、不思議な力欲しいです」
「珍しいこと言うね」
「はい! 憧れますからね」
ノルンはそうリンネに笑いかけた。そこに、先程までの複雑な表情はなかった。
団長がクルクルと地図を丸めて、それからカウボーイハットを被り直して言った。
「そうと決まれば、リンネにはこれから戦いの稽古をつけなきゃならんな。ノルンは家事や応急処置だ」
「はい!」
「はい!」
二人は元気よく返事をして、それから顔を見合わせた。そして、思わず声を出して笑う。
ここがフィエムの言う安住の地だと二人は気づいた。例えノルンが死ぬ未来が待ち受けているとしても、ここ以外に居場所はないのだ。
「あとは、歓迎会だな」
団長が窓を開けて、そばにあった鐘を叩き鳴らした。そして大きく叫ぶ。
「お前らー!! グロウホラクルに新入りだ! 仲間が増えたぞー!」
二人は窓に近寄って耳を済ませた。すると、聞こえてくる。
「「「うおおおおおお!」」」
大勢の歓喜の雄叫びだ。二人の鼓膜を震わせ、心を打った。
団長が振り返って、満面の笑みで言う。
「さあ、よろしく頼むぞ、新入り!」




