14話 団長アニマ
夢を見た。
その世界は緑で溢れていて、大きくたくましい一本の大木が短い芝生の生える丘の上に堂々と立っている。
その木の下には、三っつの人の影があった。
一人は背の高い青年。一人は頭の上に輪を浮かべた少女。もう一人は、少し太った男の子。
青年と少女は楽しそうに喋っていて、男の子も時おりそこに混ざっては三人で笑い合う。男の子には嫉妬の感情はなく、青年と少女は時おり男の子に隠れて手を握る。
少し時間が経って、三人は帰ろうとした。その時、男の子が何かを指さした。二人もつられて見る。
その時、世界が真っ白に染まったーー
「……変な夢、だな」
リンネはそう呟いた。
いつの間に寝てしまったのか、リンネはベッドの上で仰向けに寝ていた。ここに運び込まれたところまではうっすらと記憶にある。
じっとしていると、わずかに背中からカタカタと細かい振動が伝わってきた。
上体を起こして体に異常がないことを確認する。体に外傷はないようだ。体には。
リンネは、力なく再びベッドに倒れ込んだ。その悲しみは唐突に襲いかかってくる。
何も言わずに、小さなため息を吐いた。
その状態で左右に顔を向けてみるが、どうやら完全な個室のようで、ノルンの姿はなかった。部屋の中も素朴で、ちょっとした椅子と小机があるだけだ。
そうして、ようやくリンネは悲しみと向き合う。頭に浮かぶのはマウルと最後に言葉を交わしたところ。
リンネは気づく。マウルは、はなから生き残れるとは思っていなかったのだ。生き残っても、どうやって逃げた先もわからないリンネたちと合流するというのか。
リンネは考える。自分はマウルに何をしてあげられたのかを。何を残せたのかを。
涙は出ない。しかし、胸の奥は燃えるように熱く、苦しい。
リンネはベッドの上でうずくまる。すると、部屋のドアが開かれる音がした。足音はひとつ。
リンネは大きなため息を吐いて体を起こした。そこにいたのはノルンだ。
「ノルン……」
「おはようございます、リンネ。……気持ちはどうですか?」
「わからない、な。言葉にできない」
「私も同じです」
ノルンが部屋にひとつしかない椅子に腰掛けて、リンネもベッドから足を下ろした。二人は向かい合う形になる。
リンネは震える息を吐き出した。
「……ノルンは、さ。どうして、そんなに強いの?」
その質問に、ノルンは驚いたようだった。そして、唇を噛んだ。
リンネは今のが失言だったことに気がついた。
「ごめん。ダメな質問だった」
ノルンが苦しんでいないわけが無い。リンネは自分を嫌悪する。自分が弱いのを棚に上げて、他人に強さを求めていることに。
二つのため息が混ざり合わずに霧散した。
それから、ノルンは無理やりに笑顔を作って言う。
「だって、私は、天使ですから」
リンネは少しだけ驚く。それから苦笑いをして言う。
「……これって、笑ってもいいところ?」
「はい。たぶんそうですよ。……マウルさんのことを悲しむのは、まだ早いんですから」
「そう、だね。生きてるかも。マウルさんすごく強いし」
「そうですね。ここには来れないかもしれないけれど、きっと」
そう言って、ノルンはリンネの後ろの窓を見た。リンネは今まで気がついていなくて、つられてそちらを見る。
部屋が明るいのはその窓から差している日の光のおかげだった。窓の外の景色は流れていて、リンネたちが何かに乗っていることを示している。
何も言わずに二人してその窓を見ていると、再びドアが叩かれた。そして、リンネの返事を聞く気もなく開かれる。
現れたのは黒髪のリーゼントのガラの悪い男と、ノルンを抱えていた赤毛の短髪の背の高い女。二人とも昨日見た姿だ。
「おう、ガキ、と嬢ちゃん。起きてたか」
「はい。……助けていただいて、ありがとうございます」
「礼には及ばねぇよ。てめぇらのツレ一人見捨ててんだからな」
ノルンが空けた椅子に、男がどっかりと腰を下ろした。そして、大きなため息を吐き、頭を椅子よりも低く下げた。
「……悪かった。ツレを助けてやろうとしなくて」
リンネはその行動に驚いた。なぜなら、あの時のこの二人の判断は、確かに合っていたはずだからだ。
だというのに、男は頭を下げた。
リンネは言う。
「い、いえ、大丈夫です。お二人は間違っていなかった。……僕たちを追っている旅団は、大きいらしいので」
「それを知っていたから、っていうのは理由にならないけどね。わたしからも謝るよ。すまなかった」
「本当に大丈夫なんです。……それよりも、僕たちを助けてくれてありがとうございます」
リンネがそう言って頭を下げる。今度は二人が驚く番だった。責められると思っていたからだ。
男はバツが悪そうに頭をかいた。リーゼントが縦に揺れる。
「……いつまでもガキ呼びじゃいけねぇな。おい、ガキ。名前は」
「僕はリンネです」
「嬢ちゃんは」
「ノルンと言います」
「よし、リンネとノルンだな」
男は立ち上がって、腰に手を当てて名乗る。
「俺は“クロウ”だ。よろしく」
クロウが右手をリンネへ、左手をノルンへと差し出した。二人はその手を握る。
「「よろしくお願いします」」
二人は同時に言った。男は二人の名前を刻むように、腕を縦に振った。その後ろから女が言う。
「わたしは“カー”だ。よろしくね」
「「よろしくお願いします」」
女が優しく微笑んだ。そして、ドアの方へと向かう。リンネも立ち上がって、ノルンの隣に並んだ。
「それじゃ、早速だけれどわたしたちのボス、団長のところに行こう。我らが旅団、グロウホラクルの団長の元へ」
「団長……?」
リンネはその単語に聞き覚えがあったので、口の中で無意識に繰り返した。そしてはっとする。
「それって、あの団長ですか?!」
「あぁ? そりゃどの団長だろうなぁ」
「母が言っていたんです! 団長が、団長がすべて教えてくれるって!」
「母……?」
カーが振り返ってリンネを見る。クロウと顔を見合わせて、それから尋ねた。
「その母の名前は?」
リンネは間をおかずに父と母の名を告げた。すると、二人の顔が驚愕の色に染る。
「おいおい嘘だろ……」
クロウが顔を手でおおって天井を仰いだ。カーも驚きに目を見開いて、口を押さえている。そして確かめるように呟いた。
「そうか……あの、二人の……。なら、こうしちゃいられない。行こう」
カーが二人の手を引いて扉の外に出る。
扉の外に出ると、部屋の中ではわずかだった振動が直接足裏に伝わってきた。周りではたくさんの馬車が小屋の乗った荷台を引いている。
おもむろにリンネが進む方向を見ると、先頭には、もはや一戸建てと言っても差し支えがないぐらいの立派な家が、他のものと同様に進んでいた。
カーはノルンを抱え、クロウはカラスの姿となってリンネを鉤爪で掴む。リンネは頭だけ上に向けた。
「クロウさんたちのこれって、どうなってるんですか?」
「あー、ちょいと不思議な力使ってんだ。ま、団長からその辺も話されるだろうよ」
クロウが飛び立って、カーが馬車を降りて走る。向かう先は先頭の家。
カーに抱えられたノルンが感嘆して思わず呟く。
「大きな旅団ですね。すごい……」
「だろう? なんと言ったって、この世界一の人間の旅団だからな」
リンネにもそれが聞こえて、ふと考えた。それでは父と母はどうだったのか。ここまでの話を考えるに、もしやあの二人は、この団の一員だったのではないか。
そうこうしているうちに家の玄関へと降り立った。
「おっし。んじゃま、後は頑張れよ。きっと二階にいる」
「団長はいい人だ。みんなに尊敬されて信頼されている」
カーがドアを開けた。二人は、緊張しながらそのドアを潜る。
中は至って普通の内装だった。世界一の富豪、フィエムほどの豪華さは欠けらも無い、平凡で質素な家だ。
二人は木製の階段を一歩一歩進んだ。ほこりひとつない手すりを握る手には、若干汗が滲んでいるだろうか。
二人は意図せず同じタイミングで深呼吸をした。
二階に上がると、まず机と椅子が目に付いた。その奥に扉がある。
リンネは取っ手に手をかける。その手は緊張で震えていた。ここまでのいろいろなことが、ようやく明らかになる。
リンネは、ドアを開ける。
「ーーおお、いらっしゃい。よくやってきてくれたな」
いたのは、皮のカウボーイハットに、茶色の髪と無精髭。鮮やかな黄色い目をした四十後半ぐらいの男だ。使いやすそうな筋肉が男の強さを証明している。
「そこに座ってくれ」
二人は促された席に着いた。その向かいに男は座る。ほんの少しだけ静かな時間が流れて、団長の深い息で話は始まった。
「俺が人間旅団グロウホラクルの団長のアニマだ。本名はラッカンっつうが……まあそれはいい。団長と呼んでくれ。アニマはあまり好きじゃない。ともかく、二人がここに辿り着いてくれて俺は安心だ」
「ラッカン……」
「あの! 突然すみません。僕、知りたいことがあるんです!」
リンネがいてもたってもいられず、立ち上がって身を机の上に乗り出した。
「いったい、団長は……僕の、僕たちの何を知っているんですか?」
リンネは団長の黄色い目をじっと見つめる。団長もリンネの目から視線を外さずにいたが、意を決したように顔を下に向けた。
「わかった。なら、先に教えてやろう。ーー俺は、お前たちに助けられたことがある」
リンネはそれまでと一転して首を傾げた。なぜなら団長とはここで会うのが初めてのはずで、なにより今のリンネは誰かを助けられるほど強くないから。
しかし、リンネのとなりで、ノルンは驚きに口を押さえた。その手の隙間から言葉がこぼれる。
「嘘……」
団長は目を見開くノルンを見て、それからリンネに視線を戻して言った。
「俺は、その時の恩を、返したいんだ」




