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13話 健気で強く儚き乙女よ

 フィエムの屋敷を出てから、実に二十日が経過した。


 これまでに三人は五つのオアシスを訪れた。幸い、魔族とはあれ以来遭遇していない。


 しかし安住の地はまだ見つからない。冷たい人間たち、金は有限で、三人を雇ってくれるような場所は無い。


 今も三人は砂漠の真ん中を進んでいる。そろそろ夜になるので、目の前の砂丘の先にオアシスがなければテントを張らなければならない。


 今日の最後の力を振り絞って砂丘を越えた。しかしそこにオアシスは無かった。


 マウルの口からも、ついには疲れのため息が漏れる。


「……下まで下って、テントを張ろう」

「はい」

「……今日は寒そうですね」


 ノルンが速い雲を目で追って呟いた。


 砂をまきあげる強風が吹く。


 三人はもう慣れた手つきでテントを張る。一夜を過ごすための簡易的なテントで、ここまでも何度も使った。


 しかし、リンネはこれが嫌いだった。地面が冷たくて、少しも安心できないからだ。


 だから、リンネはいつも買って出る。


「じゃあ、僕が最初に見張りに出ます。いいですか?」

「ならば、その次は私がやろう」

「あっ、なら私も……」

「いいよ、ノルンは。ゆっくりしてて」

「ああ、それに、戦力にならないからな」


 二人に説得されてーーマウルは狡猾な笑みを浮かべてだったがーーノルンは渋々テントの奥へと引き下がった。


 テントの外に二人が残される。風が強いので、リンネは少しボロくなってきたローブをしっかりと着た。


 そして、ローブも無しに隣で座っているマウルへ声をかける。


「ローブ、いりますか?」

「いいや、いらない」

「……マウルさんも、寝てていいんですよ?」

「私はしばらくここにいるよ」

「僕の腕が信用できませんか?」

「そういうわけではない」


 マウルがゆるゆると首を振って、それからリンネの方を見た。


「たまには、私とも喋ってくれないか」


 その時、リンネはやっとわかった。マウルが最近リンネをチラチラと見てくる理由。


「はい、もちろんです」


 つまるところ、彼女はリンネと話がしたかったのだ。


 ーーと、鈍感なリンネは思い込んで、マウルの近くに寄った。不意の行動に、マウルの頬が緊張して、それから一気に緩みそうになる。


「……どうかしましたか?」

「ああ、いや、別に、なんでもないんだ」


 引き締まらない頬。マウルは困惑する。自分はいつからこんなに乙女になってしまったのかと。


 マウルはパンと頬を叩いた。


「ほ、ほんとにどうしたんですか?」

「いや、なんでもない」


 痛みで理性を取り戻したマウルが、すまし顔で空を見上げた。


 リンネも吊られて見上げる。


「……雲が多いですね」

「だな。せっかくの夜だというのに、もったいない」


 マウルが感傷的になって言う。リンネは空からマウルの横顔へ視線を落とした。


 横目でリンネのことを見ていたマウルは、その動きに気がついてすぐに視線を空へ戻す。けれど、やっぱり気になってまたリンネの方を見た時、リンネはまだマウルを見ていた。


「……なんだ、そんなにじっと見つめて」

「ああ、いえ、ちょっと感傷的になっただけです。……僕達、マウルさんの迷惑ばかりかけてますし」

「私は大人だ。そんなこと、なんの苦でもないさ」


 優しくマウルが言うが、リンネの表情は晴れない。ローブで影がかかって、少し悲しそうに見える。


 マウルは何も言わずにまた空を見上げた。


「僕達は、守られてばかりです」


 リンネが語り始める。


「父さんがくれた透明マントがなければノルンを助けられなかったし、母さんの手紙がなければフィエム様のところへは行けなかったし、今はマウルさんにあからさまに守ってもらってる。きっと、僕はまだ誰かを助けるほど強くはなっていないと思います」

「それは過小評価だ。お前はもう十分強い。この前だって、私からナイフを奪ったじゃないか」

「でも、あれは“人間”に合わせた力でしたよね?」


 図星を突かれてマウルは言葉を窮する。


「ほら、やっぱり」


 リンネは残念そうに笑った。


 マウルの言葉は偽りのない真実だった。もうリンネは強い。それこそ、そこらのゴロツキが十人襲ってきたって簡単に追い払えるぐらいには強い。


 しかし、人間と魔族の間には、途方もない溝があるのだ。


「前に、魔力の話をしただろう」

「はい」

「魔族は、生まれてからすぐに魔力の使い方を決められる。例えば炎だけを扱える者。例えば空を飛べるだけの者。そして私は、身体能力を上昇する能力を授かった。……だから、私はリンネと本気で向き合ってはやれない」


 常人では、魔族に勝てない。


 リンネは少し納得して、そして絶望した。それでは、いったいどうやってノルンを守っていけばいいのか。


「……それでも、マウルさんが制御できる最小限でもいいから相手をして欲しい。僕は、強くならなくちゃいけないんです」

「なぜだ」

「マウルさんを手助けしたいですし、それにーーノルンを、守ってやらなきゃいけないから」


 真剣な眼差しがマウルを射抜く。


 もう、マウルの頭を支配していた桃色の気配は無かった。マウルは、はっきりとリンネの瞳を見つめた。


「好きなんだな」

「はい」


 マウルは空を見上げる。星のひとつも見えない、完全な曇天だ。


「そうか……」


 マウルは、胸の内から何かが喉元を通り過ぎようとするのを感じた。なんとか喉で食い止める。


 そこで食い止めないと、口まで出てきてしまいそうだったから。


 それと同時に、気がついた。


「……リンネ、ノルンを起こしてこい」

「え?」

「魔族の気配がする。急げ」


 リンネは言われた通りノルンを起こしにテントへ走る。マウルは、ゆっくりとした足取りでその後を追った。


 テントの入口から中を覗くと、眠たそうに欠伸を噛み殺して準備をするノルンと、何を思ったのか剣を持つリンネの姿がある。


「マウルさん、僕も戦います」

「今のお前には無理だ」

「でも!」

「いいか、聞け」


 マウルは自分のリュックから、残りわずかの貨幣袋を取り出してリンネの手に握らせた。


「お前たちは逃げろ。居たところで足でまといになるだけだ」

「そんな……」

「私は大丈夫だ。すぐに倒して追いつく。お前たちが近くにいても、良いことがない」

「でも、マウルさん!」


 リンネは叫ぶようにして言った。


「フィエム様を倒したヤツらが来るんでしょ?! なら、マウルさんも一緒に逃げようよ! マリーの隠れ蓑だってあるんだ! だから、絶対に逃げれる!」

「絶対などない!」


 マウルは語調を強めて言い切った。その圧力に、リンネは口をとざす。


 リンネはただ拳を握った。強く強く、手のひらから血が滴るまで。


「……わかりました」


 感情的になって押し黙るリンネの隣で、ノルンがそう言って立ち上がった。


「マウルさん」

「いい。何も言うな」


 何かを言おうとしたノルンを制する。


 ノルンはほんの少し顎を引いて頷いた。そして、左手に握ったままのリンネの手と、右手に自分とリンネのリュックとを持つ。


 そして、最後にノルンは言葉をかけた。


「……待ってますから。恋敵は、必要ですもん」

「ああ、絶対に戻るさ」


 マウルの傍を通って、ノルンはテントを出て走り出す。力のないリンネは、飼い犬に走らされるように進む。


 けれど、リンネは意を決して振り向いて、叫んだ。


「マウルさん! 頑張って! 死なないで!」


 その一瞬だけ空が晴れて、星の明かりが地上にまで届く。


 夜の闇の中に何粒もの雫が光って、冷たい砂に吸い込まれた。




 二人の背中を見送って、マウルはひとつ深呼吸をする。同時に、やってくるひとつの魔力を感じた。


「……強いな」


 それは、マウルの知らない大きさの力だ。


 マウルは砂丘の上から顔を出すであろう敵を待つ。全ての武器の用意は整っているし、いつでも全開で戦える。


 敵は、ついに姿を現した。


「あー、やっぱ気づかれちゃうよねー。っていうか、魔族の子が護ってたなんてなー」


 現れたのは、闇夜の中でもはっきりと見えるほどの白いスーツと黒いメガネ。そしてシルクハットを被った、耳の尖った男。背は高いが大して筋肉は見えなくて、髪は白い。もちろん、肌は黒くて闇と同化している。


 だから、何も知らない人が見れば、白いスーツが闇の中に浮いているように見えるだろう。


 マウルは手始めにナイフを五六本投げつけた。それを、男は手を揺らしただけで、全ての軌道をねじ曲げる。


 マウルは小さく舌打ちをした。


「風の魔力か。厄介だな」

「厄介なんて失礼なー。ああ、名前ぐらい名乗ってあげましょー」


 スーツの魔族はそう言って腰を折った。


「デスぺライトが一員、ゲーグルさー」

「……貴様の名前などどうでもいい」

「おやー、手厳しい」


 ニタリとゲーグルと名乗った魔族は笑った。そして手を一度振る。


 すると、不可視の風の刃が遅れて回避行動をとったマウルの腰を掠めた。


「ま、あの天使を庇うならー、容赦はしませんよー?」


 面白がるようにケタケタと笑い声を上げながら男が言う。


 その言葉に、マウルは行動で答える。


「容赦をしないのは私の方だ」


 地面を一度踏み込んだだけで一瞬で距離を詰めたマウル。その手の中の銀の刃が、驚愕に目を見開く男の右耳を切り裂く。


「ぎゃあああああああ!」


 男の無様な絶叫が鳴り響いた。


 ギラりと光る赤眼がマウルに向けられる。


「絶対に、殺す!」

「私のセリフをとるなよ」


 マウルは一回り大きな黒いダガーを引き抜いた。それは、フィエムから初めて貰ったプレゼント。


 マウルは、不敵に笑う。


「恋する乙女を舐めるなよ」


 魔族の少女の初恋は、健気で強く、儚い。

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