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1話 僕は天使と出会った 前編

 お手に取っていただきありがとうございます。長い物語にはなりますが、どうぞお付き合いください。

 最近、変な夢を見る。


 いろいろな世界でとある少女と出会う夢だ。僕達はいつも子供か、そのちょっと歳が増えたぐらい。僕はその少女にいつも恋をして、少女も僕のそばに居る。


 けれど不思議なのは、夢の最後はいつもどちらかが泣いていて、世界が真っ白に塗りつぶされて夢が終わること。


 だから、僕はあまり気にしていなかったし、面白い夢だな、と呑気に思っていたものだ。


「それはもしかしたら前世の記憶かもね」


 夢の話をお母さんにしたとき、お母さんはそう言っていた。


 僕はまったく信じなかったけど、心のどこかにその言葉は残った。


 ーーそれは夢を見たある日のことだった。


 僕は、制御しきれない好奇心、恐怖と寂しさに勝る何かに惹き付けられて、魔族の旅団のキャンプへ侵入した。


 そこで、僕は天使と出会って、


 

 一目で恋に落ちた。


 この物語は少年と天使の物語のほんの一幕。荒れ果てた世界で魔族から逃げる、二人の逃亡劇。


ーー ーー ーー ーー ーー


 リンネはとある貧しい村に住む平凡な少年だ。歳は十五で、村の仕事で細身ながらも筋肉がしっかりとついている。


 貧しい村とは言っても、どこへ行こうが砂漠しか見られないこの荒廃した世界では珍しくもない。むしろ統治の影すらないこの地域は税がない分まだ裕福なのかもしれない。


「捕った!」


 リンネがそう言って砂漠の真ん中を駆ける。向かう先には、頭を矢で貫かれた黄土色の毛をした兎。


「やるじゃないか! だが、父さんも……それ!」


 リンネの父の放った矢が黄色い砂を巻き上げた。砂煙の中から兎が逃げていく。


「……外したね」

「むう」


 目に見えてしょげる父の肩をぽんぽんと叩く。そしてまた矢をつがえて、


「ま、今日は僕に任せてよ」


 そう自信たっぷりの笑みで言った。




「とか言っておきながら、こいつあの後一羽も捕まえられなかったんだぜ!?」

「あらあら。いつも通りね」

「返す言葉もないかな……」


 豪快に父が笑い、母は上品に口を隠して笑った。机を挟んだ反対側でリンネはちょびちょびと夕食の水分多めのうさぎシチューを口に運ぶ。


 ふと思い出したように母が口を開いた。


「ああ、そうそう。リンネ。あなたに伝えなきゃいけないことがあったわ」

「なに?」


 母が神妙な顔をして言う。


「今晩から、この村の近くに大きな魔族の旅団が停泊するわ。危ないから絶対に近づいちゃダメよ」

「そっか。……なんだか久しぶりだね」

「ああ。おかげで、この村のやつらはみんなビビりっぱなしだよ」


 この世界において魔族というものは珍しくない。


 突如開いた魔界との境目、『幻界』から現れる正体不明の人外たち。歴史書には、幻界の出現からこの世界が荒廃されたとも記されている。


 そんな未知の生命体たちが友好的なはずもなく、彼らは自由勝手に世界を渡り歩いては人間の物資を奪っていくのだった。


「しかしまあ、変な噂も聞いたがな」

「変な噂?」

「私も聞いたわよ」

「それってどんなのさ」


 母が怖い話をするときのように人差し指をぴっと立てた。


「いわく、『旅団は天使を運んでいる』らしいわ」


 その瞬間、リンネの頭の中に何かが雷のごとく走った。


「変な噂よね。天使だなんて」


 リンネはただ呆然と、その何かを掴もうとする。わからない心当たり。知っているはずだが知らない何かを。


 黙り込んで虚空を見つめるリンネを不思議に思ったのか、父が声をかけた。


「おい、リンネ。どうした?」

「……」

「おーい」

「……え? あ、うん」

「お前、まさか見に行こうとか助けてやろうとか思ったわけじゃないだろうな?」

「あはは、ま、さか、そんな……」


 否定はするものの、どうも歯切れが悪い。父と母は顔を見合せた。そして、母がまた人差し指を立てて言う。


「……今は、まだ何もしないでね。もし、何かを思いついたりしたら、ちゃんと私たちに相談すること。いい?」

「……うん」


 見透かされたような気持ちになって、リンネは押し黙った。具材のないミルク色の液体をかき混ぜる。


 そんなリンネを見かねてか、父が明るく言う。


「じゃあ、明日も狩りに出よう!」

「え? もう今日行ったじゃないか」

「いいや、俺が行きたい気分だからな!」


 父が意味深長でキザな笑顔を浮かべた。さらには親指まで立てるのだから、リンネは驚きを通りこして呆れてしまって、


「わかったよ」


 そう笑って頷いた。


ーー ーー ーー ーー ーー


「おお、でかいな」


 翌日、狩りのために村を出た父が真っ先に口にしたのがその四文字だった。リンネも共感して頷く。


 村のすぐ側に、魔族の旅団が大きなキャンプを張っていた。この辺りは比較的気象も穏やかなので、ゆっくりとしていくのだろう。


 もちろん村人たちの心境は穏やかではないだろうが。


「……なんだ、ビビってるのか?」

「え、いや……まあね」

「ははっ。そりゃそうだ。俺だってビビってるし、誰だってビビるだろうよ。なにしろ相当名のある魔族の旅団だ」


 それが“人間”の団だったら、どれほど喜ばしいことだっただろうか。リンネはふとそんなことを想像した。


「人間の団だったら良かったのにね」

「まあな。だがそれは当分先だ。知ってるか? お前が産まれる前に、一個でかい人間の旅団がここに泊まってたんだぜ? 『グロウホラクル』って言うんだ」

「へー。知らなかったや」

「だろうな。……っと、あんまり見てると目をつけられるかもしれねぇ。ほら、兎だ」

「あ、うん」


 父がそう話題を変えて、リンネはそれに従って顔の向きを変えた。その瞬間。


 何かが見えた。


 リンネは再びその何かを見つけるために、キャンプをじっと見つめた。


「おい、リンネ?」


 そして、見つけた。


「……天使だ」


 今まさにひとつのテントの中から運び出され、別のテントへと移されていく堅固な鋼の檻。


 その中にいる翼を持った者の姿が、遠目からでも見えた。


 リンネはただ呆然とその行方を見ていた。入っていったのは、紫紺のテント。


「なあ、リンネ」


 父の言葉でようやく我に返ったリンネが、焦って父の方を向く。


「あっ、ご、ごめん」

「今、何を感じた」

「……え?」


 叱られると思ったリンネは、思いがけない言葉に一瞬困惑した。父はただ真剣にリンネの目を見つめている。


 言葉を発せないでいるリンネに、父はまた口を開く。


「リンネ。今、何を感じた」

「何を感じた、って……」

「ああ、言い方が悪かった。リンネ、今ーー天使を、助けたいと思ったか?」


 そう問われて、リンネは困ってしまった。


 確かに自分は助けたいと思ったのかもしれない。しかし、それはリンネ自身にもわからない、突発的な衝動からだ。だから改めて助けたいかと問われると困ってしまった。


「わ、わかんない。助けたいって、思ったけど、それがなんでなのか、自分にも……」

「よし、なら今はそれでいい。だが、お前が今感じた気持ちを疑うな。それは、お前の心の奥底からの衝動なんだ」


 ますますリンネは混乱した。はたして父は何を言おうとしているのか。リンネに何を伝えようとしているのかが、リンネはまったく理解できなかった。


 けれど父の言葉はどこか厚みを持っていて、そしてリンネは紛れもなく天使を「助けたい」と思っていたので、リンネは言われるがままに頷いた。


「もう狩りどころじゃないな。リンネ。一旦帰るぞ」

「あ、うん」


 父がリンネの先を歩く。少し間を置いて、リンネも後に続いた。ちらりと背後を振り向くと何人かの魔族が外に出てくるようだった。


「……意外と、早かったな」


 父のその呟きは、リンネの耳には届かない。


ーー ーー ーー ーー ーー


「……父さん、ここって?」

「我が家の秘密の隠れ家さ。簡易的だがな」


 確かに父の言うように、階段は短かったし、壁も土壁の凹凸が激しく、二人がいる部屋も見るからに急ごしらえされた部屋のようだ。


 そんな小さな部屋の真ん中に、ホコリを被ったひとつの木箱が置いてある。


 父が見慣れない鍵を手にしてその木箱の鍵穴に差し込んで回す。中にあったのはなんの変哲もない、くすんだ赤色の布。


「リンネ。お前にこいつを託す」


 父がそう言って布をリンネに渡した。布は存外大きかった。


「これは……?」

「これは、父さんが若い頃に親友から貰い受けた、“マリーの隠れ蓑”だ」

「マリーの隠れ蓑?」

「ま、平たく言えば“透明マント”ってやつだよ」

「なんで、そんなすごいものが……」

「その説明は、今はしない。……いつか、必ずわかる時が来る」


 リンネは困惑しながらも布を受け取って、試しに右腕にかけた。すると、布のある肘から先がまったく見えなくなってしまった。


 透明になれる布。リンネは静かに興奮して、息を飲んだ。


「さあ、あとは母さんに相談だ」




 隠し部屋はキッチンの床下の倉庫から続いていて、そこから出ると丁度母が昼食を作っているところだった。


「あらあら。すぐに帰ってきたと思ったら、そんなところで遊んで……」


 上がってきた二人を見て母が冗談を言おうとしたが、リンネの透明な右腕を見て表情を引き締めた。


 大きなため息を吐いて、まな板の上の兎肉を大ぶりにカットする。


「そう……。すぐに昼食にするわね」


 ーーその日の昼食は、やけに豪華だった。


 たくさんの肉。パン。この世界の数少ない野菜であるサボテンが惜しみなく食卓に並ぶ。


「……なんか、今日豪華じゃない?」

「ええ、まあ、ねぇ?」

「ああ、今日が一番丁度いい」


 父がそう言って手のひらを合わせた。この世界の食に対する礼儀だ。母とリンネも同じ動作をする。


 父の礼に合わせて二人も礼をし、父がフォークを手にするのを合図に昼食が始まる。


 始まりは沈黙だった。


 石製の食器が触れ合うカチカチという音だけがする。その中で、口に肉を運ぼうとしていた父が、おもむろにテーブルに手を置いた。


「リンネ。今日、村を発つといい」

「……え?」

「むしろ、今日でないといけない」


 父は真剣な表情でそう言った。リンネは石のスプーンを置く。


「……ずっと、気になってたんだ。父さんと母さんは、いったい何を知ってるの?」

「それは、まだ秘密なの」


 母が柔和な微笑みを称えて言う。


「大丈夫よ。いつか必ず“あの人”が教えてくれるわ」

「ああ。我らが()()がな」


 母と父が顔を見合わせて笑い合う。リンネの知らない世界だった。二人はこんな笑い方をするんだと、そう朧気に思った。


 そして、リンネは覚えた。これから出会うであろう“団長”。その存在を。


「それと、リンネ。あなたはこの村を出たら、ここへ行きなさい」


 母がリンネへ一枚の羊皮紙と手紙を渡した。リンネが羊皮紙の方へ目を通すと、それには地図が描かれていた。


「そこは、私が世界で四番目に信用している人の家よ。着いたら手紙をその家の主人に渡してもらうこと」

「結構信頼度が後ろなんだね」

「うふふ。いい人と会いすぎたわ。あなたと、団長と、リンネで三人だもの」

「照れるぜ!」

「あはは。そっか」


 笑ってリンネは地図に目を落とす。道のりはかなり長いらしい。だが、その分何個かのオアシスは通れる。食料は狩りで得られるだろうから、そこはどうにかなるだろう。


 軽く目星を付けながら道のりを追っていく。すると、自分の手が震えているのに気がついた。


「緊張してるな」


 言われて顔を上げると、優しい笑みの父と目が合う。リンネは強がらずに言う。


「そりゃ、そうだよ。だって、わけわかんないもん」


 引きつった頬を無理やり動かして作った笑顔でポツポツと語る。


「僕がなんで天使をこんなにも助けたいのかも、二人が何を知っているのかも、団長っていうのがどんな人かも、なんなら、天使を助けたすぐあとにどうなるのかも……」


 そこまで言ってリンネは黙った。もう、言葉が見つからない。出てこない。


「安心しろ。お前の旅はしばらく安泰だ」

「……ほんとに?」

「たぶんな!」

「台無しじゃん……」


 父が豪快に笑って、母がとなりで上品に笑う。リンネは呆れて、湿った笑い声を出した。


「……あれ?」


 泣き笑いだった。


 溢れ出したものは止まらない。どうしようもなく、寂しくなったのだ。どうしようもなく、泣きたくなったのだ。


 母が優しく聞く。


「泣いても、変わらないのでしょう? 気持ちは」

「うん。うん……」


 リンネは泣きながら頷く。リンネは、どうしようもなく天使を救いたいのだから。


ーー ーー ーー ーー ーー


 日のくれた夜の帳の中。わずかな松明の光に照らされた三人が、玄関の前にいる。


「準備はいい?」

「うん。もうばっちり」


 弓矢は持った。地図も保存食も水もリュックに入れてある。今から侵入するのだから、音がならないように兎の毛で詰め物もしてある。


 そして、マリーの隠れ蓑はすでに身にまとっている。今は顔だけ出している状態だ。


 母と父はリンネに最後の言葉をかける。


「いってらっしゃい」

「いってこい。団長によろしく頼むぞ」

「うん。わかった」


 三人は抱き合う。最後の温もりを確かめるかのように。


「それで、また帰ってくるのよ」

「うん」

「愛してるぞ、息子よ」

「うん。僕も」


 しばらくそのままでいて、ようやく身を離した。


「じゃあ、いってきます」

「「いってらっしゃい」」


 リンネは頭までマントを被る。その姿は二人からは見えない。だがわずかな足跡が、二人からだんだんと遠ざかっていった。

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