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センの言葉に目に見えてハリオスが強ばる。ハリオスは一層耳を澄ませるがなにも捉えることはできなかった。諦めてセンに問う。
「またあの傷の男か?」
「それは分からないが……。集団が近づいている。どうするんだ?」
近づく集団がなにかはともかく、急いでスキュテイアに向かうという手もあった。しかしハリオスはそういった逃げの一手を好む男ではない。少なくとも何が迫ってきているかは調べる。さほど悩む様子もなくセンに指示を出した。
「一旦火を消してここを離れよう。様子を見るんだ」
「それならお前は街道から出来るだけ離れていろ。俺が気づかれないように近づく」
「お前じゃなくてハリオスと……。まあ今はそれどころじゃないか。分かったよ」
ハリオスは人並み以上に弓の腕に秀でている。しかし同時に自分は人の域に収まる程度だと割り切っていた。人の常識や思考を超えた力を持つセンのような強者についていくには力不足であると理解しすんなりと従った。
発見した集団は分かれ道に陣取っていた。別れたセンはやや離れた場所の背の高い茂みで身を潜めていた。
センは未だ集まり切らない集団をざっと見た。その数は襲撃者の比ではない。千は優に下らず、あるいは万に届こうかという大軍勢。掲げられている旗は燃え盛る炎を象った炎章旗というアカトシュア王家の証。旗の意味するところをセンは知らない。しかしそれは紛れもなく親征、つまり王自ら指揮する軍勢だった。
集まる兵や馬、そして物資。出来るだけの情報を集めたと判断したその時だった。明らかに、空気が変わる。祭りのように騒がしくも慌ただしく動き回っていた兵が一斉に列を成し、静かに敬礼をしたまま動かない。
「パロス王、アカトシュア王国に栄えあれ!」
そんな声があがると共に列を分けて現れたのは立派な白馬と芦毛の馬に乗った二人の男だった。白馬の男は大男で見るからに強そうではあったが、しかしセンはもう一人の男から目を離せない。その男は左目を大きな黒い革の眼帯で隠した男だった。顔を半分隠し、それでも損なわれない美男子で、周りの兵が持つ明かりに金の髪が美しく輝く。青い瞳は鋭く辺りを見渡していた。
遠目から覗き見ただけでも分かる、格の違い。溢れる雑兵はもちろん、名だたる将が束になっても勝てないと分かる圧倒的個の武力。それはセンと同じものだった。
二人の男は馬から降りて天幕に入ろうとしていた。ハリオスの所に戻ろうとしていたセンは、しかし突然の強者の登場に下手に動けずにいる。そんな時、ふと眼帯の男が足を止めてセンのいる方を向いた。それと同時にセンを隠す辺りの草葉が強い風に揺れる。
「どうした?」
大男が天幕に入らない眼帯の男に問いかけた。それに眼帯の男は草原から視線を外すと首を振って答える。
「……いえ、気のせいのようです」
それだけ言うと足早に天幕へと入っていく。
もう誰もいない草原には二度三度と強く長い風が吹き続けていた。
ハリオスと合流したセンは出来るだけ細かく情報を話した。兵の数に馬を含む物資の量。ハリオスは一万近い兵に珍しく眉をひそめたが、さらに炎章旗と大男の特徴に顔全体を歪ませた。その男こそ敬愛する父とラドモンド伯爵領を今まさに脅かしている根元、パロス王に違いなかったからだ。
追い討ちをかけるようにセンは眼帯の男について話す。ハリオスは途中までは半信半疑だったが、センが少なくとも自分と同等以上の強者と言ったところで確信する。
「そいつはアレクセスだ」
ハリオスはより顔を暗くしながら言った。
「アレクセスは二つの剣を自在に操り、舞うように戦場を駆けたことから舞剣と恐れられる男。アカトシュア王国でも五指に入る程の実力者で、単独で万の兵団に匹敵するとも言われているんだ」
そんなおとぎ話の英雄のような評価に、しかしセンは納得していた。センは自分の目で見て実際に感じたのだ。集う一万の兵よりも眼帯の男の方が危険であると。
「一応言っておくが、俺でもあの男と一万の兵を同時に相手は出来ないぞ。いくら契約とはいえ死ぬ気はない」
「分かっているさ」
そうしてふっと息を吐き出し、ようやく表情を和らげたハリオスは決意新たに言った。
「こうなっては休んでもいられない。一刻も早く父上のもとに行かなければ」
日は完全に没し月夜の寒空の下、二人は草原を掻き分け進んだ。