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アカトシュア王国西部、ラドモンド伯爵領中央には広大な平原があった。そこにある都市スキュテイアは平城ながら堅牢な石の城壁に囲まれ伯爵のお膝元ということもあり栄えている。
ラドモンド伯爵は今日も居城の自室で地図を広げて思い耽っていた。ラドモンド伯爵領を取り巻く問題は多い。地方の力を削ごうとする王に虎視眈々と領土を狙う他国。それに加えて南には殺して奪うことしか能のない盗賊や蛮族。どれも先送りにはできない問題であり、それゆえに伯爵は頭を悩ませる。
そうして思考が堂々巡りに陥っていた伯爵の自室に一人の配下が訪れた。岩を思わせる体躯の大男カモス。伯爵の騎兵部隊を率いる壮年の配下にして伯爵が心から信を置く一人だった。
カモスは見た目どおり無駄を好まない。挨拶もそこそこに本題を切り出した。
「閣下、先ほどクリティエが帰還いたしました」
「なに、クリティエだけか?」
「はい。馬が潰れるまで急いだようです。早急に閣下にお話がしたいとも。いかがなさいますか?」
クリティエが伯爵の息子であるハリオスとある目的のために旅に出たことは知っていた。この戦乱の世、危険はあちらこちらに溢れている。そして護衛としてついていたはずのクリティエがただ一人で戻ってきた。この土地を治める伯爵として、なにより父として嫌な考えが多数よぎる。それでもラドモンド伯爵は配下の前で毅然とした態度を崩さずに答えた。
「考えるまでもない。今すぐにここに呼べ」
カモスと入れ替わるようにして入ってきたのは土のついた旅の格好のままのクリティエだった。
「閣下。無作法をお許しください」
頭を下げるクリティエを、しかし伯爵は手で制した。
「そんなことはよい。クリティエよ、とにかく全てを話せ。そのためにここまで来たのだろう」
「はい。それではお話しします……」
そうして話された内容は賢才武略と名高いラドモンド伯爵をもってしても理解するのに時間を要するものだった。息子がとある目的のために旅をして書簡を手に入れ、その帰り道に襲撃された。そこまでは珍しいがない話ではない。それを撃退して凱旋したならばありふれた武勇伝にでもなっただろう。しかし三十もの部隊と謎の武芸者の登場に常識外の活躍を聞かされては無理もない話だった。
「つまりハリオスは無事で、今こちらに向かっているんだな?」
「はい、閣下。つきましては早急に兵をだすべきかと」
クリティエの進言に伯爵はじっくりと目を閉じた。この報告によって問題はまた増えたが、しかし不幸中の幸いか複雑に絡み合っていた問題の優先順位は明らかになった。正規兵のように装備の整った三十の兵が唐突に領に現れるはずはない。そんなことができるのはどこか、考えるまでもない。伯爵は目を開くと答えた。
「兵は出さない」
「しかし」
伯爵は咄嗟に反対意見を言おうとするクリティエをまたも手で制す。
「ハリオスとて武勇を重んじるラドモンド家の男子だ。それに騎兵の部隊を単独で打ち倒すほどの強者が側にいるのならば問題はない。じきに帰ってくるだろう」
くしくもそれはハリオスがクリティエを説得したときと似た言葉だった。主とその息子にそう言われては納得するしかない。その様子を確認した伯爵は一旦喉を潤すと立ち上がった。
「問題は別にある。クリティエ、ハリオスから預かったという書簡を」
クリティエは懐深くに大事にしまっていた書簡を伯爵に渡すと一礼して足早に退出した。他家の印が書かれた封蝋つきの書簡の内容などただの配下が偶然であっても見ていいものではない。
クリティエの退出をしっかりと見送った伯爵は書簡に押された封蝋を確認し、中身を読む。伯爵は二度三度と読み終わった後もじっくりと、先ほどの話を聞いたときよりも考え込んだ。
クリティエが帰還した翌日の朝。スキュテイアの要を担う伯爵の臣下が大広間に集められていた。そこにはカモスもいる。伯爵は集まった一同をぐるりと見回すと低くよく通る声で宣言する。
「偉大な父と叔父、そして民を殺した愚か者がやってくる。皆のもの、戦だ!」
武勇を重んじるラドモンド家の配下に戦を疎んじるものがいるはずもなく、広間には戦意を示すように大合唱が響き渡った。