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 センは師から教えられた村に最も近いという都市に向かう街道を歩いているうちにふつふつとどうしようもない不安や不満に襲われていた。センとて鍛練漬けの毎日だったとはいえある程度の常識は持っている。これまでいた村は物々交換で成り立つような寒村で、センは貨幣の一枚も持っていなかった。そしてこれから向かう都市は貨幣によって成り立つ社会である。物を貨幣に変えようにも正しい価値は分からず、あるのは師から選別に渡された秘伝の指南書のみ。当然そんな大事なものを売れるはずもなく、自然と役に立たない本ではなく貨幣を渡さなかった師への恨み言を呟きながら街道を進んでいた。


 そうして腐りながらも対策を考え付かずにいたある時。センの耳は異音を捉えた。類い稀な才能とたゆまぬ努力によって強化された感覚がようやく捉えられるほど遠く、自然には生まれない音が響いている。何十もの重く速いものが駆け抜ける音、そして金属の擦れ会う小さな音。逡巡は一瞬だった。そこにいたはずのセンの姿は消え、遅れて地を蹴り風を裂く音が響く。




 ラドモンド伯爵領南部。北へ進むと大草原を抜けて領主である伯爵の住まう都市へと繋がる街道に、土煙を立てて馬を走らせる集団が二つあった。先を行くのは二騎。軽装で鎧はなく、帯剣こそしているものの先頭を駆ける者のみが弓を持っている。反対にその後を追う三十騎ほどの集団は弓こそ持っていないもののしっかりとした鎧を着込んでいた。先を行くものも、あとを追うものも鬼気迫る表情で街道を駆け抜ける。


 じりじりと、僅かずつだが二つの集団の距離は縮まっていた。

「若様、私が足止めいたします。お逃げください!」

「そうはいかない」

 先を行く二騎のうち、部下の発した決死の提言を、しかし先頭を走っていたハリオスは短く鋭く拒否した。その決意を示すように手綱から片手を離すと額の汗を拭い矢筒から矢を取り出す。


 ハリオスはもう一方の手も手綱から離すとおもむろに後ろを向いた。手には引き絞られた弓。かぁん、と瞬く間に三つの矢が放たれる。矢は後ろから追う集団の最前列三騎の兜の隙間を的確に射抜き、再び放つ矢がまた一人を打ち落とした。


 ハリオスが兵を八つ射落とすとついに距離は無くなった。二人は襲撃者にぐるりと囲まれ、馬上から武器を掲げて吠えられる。ハリオスは最後の矢を放つも、狙っていた顎から左頬にかけて大きな傷の走る男はそれを難なく切り払った。

 二十対二と数的不利は変わらず、更に予想外の反撃で仲間を失った襲撃者たちは明らかに怒り狂っていた。剣を抜き放ち今にもハリオスたちに切りかかろうとする襲撃者を傷の男が押し止める。ハリオスは直感で理解した。この男は強い。

「その弓の腕前、ハリオス・ラドモンドだな?」

「そうだ。父上の治める地での狼藉、ただではすまないぞ」

 ハリオスがそういった瞬間、襲撃者は怒りを忘れて呆けた顔を晒す。そして一斉に笑い始めた。

「はははっ。そのお父上がいったいどうしてくれるっていうんでえ?」

「ひっひっひ。そう笑ってやるなよお。お坊っちゃんも必死なのさ!」


 笑い声が収まった頃、傷の男がずいと前に躍り出た。一等よい馬に乗り油断無く構える様は歴戦の戦士とみて間違いはない。

「部下どもが下品ですまんなあ。しかし実際おまえさんは死んだも同然。どうか抵抗せず死んでくれんかね?」

 傷の男の問いにハリオスは弓を打ち捨て剣を突きつけた。もはやハリオスに勝ち目はない。それでもなお戦うことを選んだ愚かさか、勇猛か。傷の男はにやりと笑って答えるようにさらに一歩前へと出た。

「是非もなしか。いいだろう。ハリオス・ラドモンド、覚悟!」




 センはまた迷っていた。あてもなく、襲われている方を助けることで当座をしのげる路銀位は貰えるのではないかという打算があったが、どうにもおかしい。隠れて様子を伺うと襲われている方の身なりは勿論、襲っている方の装備もあまりに整っていた。盗賊というよりはどこかの兵という方がしっくりとするいでたち。どちらが正しいかは関係ないが、殺しては不味い相手はいる。

 迷うセンの耳に襲っている者の声が聞こえた。

「その弓の腕前、ハリオス・ラドモンドだな?」

(ラドモンド?)

 その名は流石に少ないセンの常識でも知っていた。ラドモンドはセンの育った村を含む領土を治める家を指し、続く会話を聞く限り領主の息子であるらしいと分かる。そうと分かればとセンは物陰から飛び出した。


 じりじりと包囲が縮まり、今にもハリオスと傷の男が衝突しそうになった時だった。ざざあと草葉が揺れ、びゅうと風が耳を掠める。一つ強い風が吹いたかとその場の全員の意識が逸れた瞬間、気がつけば両者の間に見知らぬ男が立っていた。

 不意を突かれた両者は示し合わせたかのように同時に距離をとった。身なりはこの場の誰よりも軽装で武器の一つも持ってはいない。そんな男に、しかし誰もが得体の知れない警戒心を抱かずにはいられなかった。

「誰だ!」

 そういったのは誰だったか、しかしセンは無視してハリオスに問いかける。

「契約だ」

「なに。いや、それよりお前は誰だ。お前も襲撃者の一員か?」

 ハリオスの当然の疑問に、しかしセンは一切無視して捲し立てる。

「そんなことは今は重要じゃない。とにかく契約だ。俺がお前を守ってやるから金をくれ。領主の息子なら腐るほどあるだろう」

 言うなりセンはむっつりと黙りこんだ。交渉などしたことのないセンなりの精一杯だったのだが、全く状況の読めないハリオスは混乱の極みにあった。戦闘中だということも忘れ、センの言葉を咀嚼する。幸いだったのは襲撃者たちもまた混乱と警戒から距離をとるのに徹していたことだろう。ハリオスが直ちに殺されるということは起こらなかった。


(敵の一人が裏切ったのか、襲撃者の罠か。あるいは万が一ではあるがたまたま通りかかったという可能性も。いや、あり得ないな)

 その万が一こそが正解だったのだが、ハリオスには知るよしもない。ハリオスを一番悩ませるのは突然現れた目の前の男が間違いなく強いという事実だった。この場の全員の不意を突き、今もなお背を向けているはずのセンに傷の男が攻めあぐねている。形勢を変えられるかはともかく、強いことは間違いがない。


 悩んだ末、ハリオスは目の前の男に賭けることにした。優勢なはずの襲撃者がわざわざ罠を仕掛けるはずはないという合理的な判断もある。だがそれ以上になぜだかハリオスは馬鹿馬鹿しい希望を抱いていたのだ。例えるならばそれは、幼い頃に英雄譚を見聞きしたような胸の高鳴り。

「どうせこのままならば死ぬ運命だ。いいだろう。守ることが出来たなら報酬は弾むと約束する」

「契約成立だな」

 そんなハリオスの心情など知るはずもなく、センは深く頷くとぐるりと向き直った。


 初めに動いたのはセンだった。動いた、とはいってもその動きを捉えられたのは僅かに三人。辛うじて捉えていたハリオスは我が目を疑う。それほどに異様な光景だった。

「若様、これは現実なのでしょうか」

「あ、ああ、分からない。分からないが、どうやら助かりそうだ」

 地が抉れ、一人の襲撃者が馬上から弾け飛ぶ。そう知覚した後に遅れて音が届いた。馬は唐突にいたはずの乗り手が死んで吹き飛んだことに狂乱し、天高く舞い上がる死体は増え続ける。視界の端には霞むほどに速く動くセンの姿。遅れて吹き荒れる血風と土嵐。ハリオスが異常を正しく認識し始めた頃にはもう全てが終わっていた。血の零れた大地には鉄鎧に大穴が開いた兵が二十人、あちらこちらに散乱していた。濃厚な血の匂いと余波で起こる烈風に驚き馬がハリオスを振り落として逃げる。

 辛うじて受け身を取ったハリオスの視線の先、惨劇の中央にはセンが返り血の一つも浴びずに佇み、最後の一人が相対していた。最後の襲撃者、傷の男もいつの間にか馬上から落とされ、だらりと力なく揺らす左腕を庇っている。

「あんたは強くはないが殺しづらそうだな」

「はっ、強くないときたか。簡単な依頼だと思っていたらこれだ。やってられないな」

 傷の男は吐き捨てるように言い終わるや否や懐から丸いものを取り出し地面に叩きつけた。小さな破裂音が響き、とたんに辺り一面が白煙に包まれる。

「矢をくれた礼だ!」

 白煙を一筋切り裂きハリオスに向かって投げつけられた短剣をセンは弾いた。二つ三つと弾いて奇襲を警戒しつつ声の方に向かうが、しかしもう傷の男はいない。


 煙が晴れるのを待ち、その後もしばらく奇襲を警戒したが結局傷の男が現れることはなかった。仲間とともになおも警戒するハリオスにセンが話す。

「契約はこれで完了だな」

 センのその言葉にようやくハリオスは固く握っていた剣を手放す。

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