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咲く花の色は  作者: 餅屋まる
第2章 氷の礫
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09.薄氷の湖

 デビュタントが終わっても社交の誘いは少なかった。社交を控える話の期限を告げていなかった手前、仕方がないとはいえ、これはかなり苦しい。

 あまり気乗りしないが夜のガーデンパーティーに参加を決めた。

 毎年この時期にあるこの会は、年齢も爵位も様々な貴族が参加する大規模なもので出会いも多い。何より主催が国なので、デビューしたばかりの若者にも優しい穏やかな会として有名だった。芝生の上でおしゃべりと食事を楽しむこの会は平和な反面、ある意味消極的な集まりだ。ダンスがある会のように、リズミカルなその場の勢いで知り合う事が難しい。友人達で固まってしまえば、そこに新参者が割り込んでくることもない。初年度は参加したが、つまらないと去年は参加しなかった。

 嫌な噂があっても表に出る時におどおどしてはならない。やましくないのなら前を向き、堂々とする必要がある。年長者のきりりとした威厳を示す為、飛び切り豪華な深紅のドレスを選んだ。デザインも大人らしい大胆なものだ。サテン生地の光沢は夜間のガーデンパーティーの薄暗い明かりの中でも美しく輝いてくれる。



「ごきげんよう」

久々の社交の場の華やかさに心が躍るが、それを表に出してはならない。ゆっくりと優雅に、確実に足を進める。両親と別れ、顔見知り程度の貴族の間を通り抜けると、皆いつも通りの挨拶を返してくれる。

 会場を見回すも友人は見当たらない。張り切っていた分、時間より早く着いた自覚はある。そのうち誰か来るだろうと、白ワインのグラスを片手にベンチに座る。

 少し離れたところに会場内の若者たちが集まっているのが目に入る。デビュタントを終えたばかりのその子たちは、お互いのドレスを褒め合い、周りの大人たちに憧れの目を向け、守るように立っている両親たちから応援の眼差しを向けられている。

 かつて自分もああであったと思い出し、唇が緩む。あの頃は甘えていた自覚もある。今はもう、すっかり一人前。3杯目のワインを口に含む頃、1人のご夫人が近寄ってくる。

「あら」

見覚えのあるその人は、かつてファビアンに恋をしていた彼の従姉妹だ。美しい娘だが自分(アレクサンドラ)には敵わない。そもそもファビアンには恋愛対象にされていなかった。

 目の前の彼女は既婚者。同格の伯爵家に嫁ぎ、この国の絹産業の一端を担う領地を任されているらしい。領地の特産品の宣伝を兼ねているタフタのドレスは見事だ。淡く渋めの緑の色は白い肌を控えめに浮かび上がらせる。織りを計算した光を跳ね返すラインも、受け止めるフリルのひだも、小さな顔周りを引き立てる繊細なレースもよく似合っていた。

「アレクサンドラ様ではありませんの。お久しぶりですわね」

私はにっこり笑って立ち上がる。いつだって自分はこの女より上だ。座ったままでも無礼にあたらないし、見降ろされた程度はなんともないが、こちらも自慢の一着。地味な色と違う華やかさを見せつけてやろうと立ち上がった。

 この女はファビアンに相手にされず、失意のまま親の決めた婚約者と結婚したのだ。それから1年以上、姿を見せていなかった。あの時は憐れな女だと笑ったが、今目の前にいる女は見た事もない程穏やかに微笑み、とても幸せそうに見えた。

「先日の火事の件、心からお見舞い申し上げますわ」

「恐れ入ります。お騒がせしてしまい申し訳ありません」

ふふ、と笑みを返すと相手は扇をサッと広げ、小さな口元に寄せる。すっと細められた目から感情が消え、嫌な予感が走る。

「相変わらずのご様子で安心しましたわ。どちらがご立派だったか、これで明らかですものね」

 含みのある言い方に、棘を感じる。ファビアンを取り合っていた時もそうだった。この女は血縁者の立場を優位と取って、自分をのけ者にするような含みのある言い方を繰り返した。結果的に言えば、幼少期から親しい血縁者だからこそ、ファビアンに選ばれなかったのだが。

 あの時と違って今の2人の間に何かを比べるような存在はない。どちら、という言葉の真意が分かりかねる。

「どういうことでしょう?」

努めて朗らかな笑顔で返したつもりだった。それが良くなかった。

「あら、あなたの妹さんのことよ」

その言葉に明らかに表情が硬くなったのがわかる。

 何故この女にそんな話を振られないとならない。思わず眉を寄せたくなるが、気が付く。自分は今日、この場で誰にも話し掛けられていない。この会場で自分に話しかけてきたのはこの人だけだ。友人達が集まれば混ざる者達は遠巻きにしている。向けられる視線もいつもと違う。

 脚が震える。扇で隠しもしなかったこの笑顔を今更どうすることも出来ない。ドレスで見えないその震えをごまかすよう、笑みを深める。


――もっとも、その不自然な笑顔はかつてのライバルにはただの虚勢にしか見えなかったが――


「『お話』と違って随分と初々しいご様子だったのですって。何もかも。伯爵家のご令嬢ともあろう娘が」

ぎくりとする。意味するところはすぐに分かった。いつもなら返せる嫌味が口から出ず、目の前の女の視線に縛り付けられる。

「決して『華々しい』といえない様子で、今時珍しいボールガウンで、あの貴公子と腕を組んで、それはそれは幸せそうにはにかんでいらしたって」

扇の奥の口元は見えないが、声は笑いながら鋭くこちらを切り裂いていく。

「あなたもお姉さんとして喜ばしいのではなくて?」

その瞳は孤を描いて、楽しそうに見える。

「――それとも、お忙しくてご存じなかったのかしら。()()()

明かりにきらりと光った瞳の鋭さに息を飲む。

 耐えきれなくなり、ぎこちなく周りを見回すと同情と蔑みと、嘲笑の色を含んだたくさんの瞳がこちらを見ていた。両親に付き添われた若者たちはこちらを見もしない。

 会場の様子に気が付いた母親が慌てて駆け寄り、脇に立つが何も口にしてはくれない。

「――あ……あ……」

唇の隙間から洩れる小さな声は他者には届かないが、耳から脳に響いて、心を煽っていく。

 怖い。

 こんな事は19年の人生で一度もなかった。幼い頃のお茶会でつまづいた時も両親が支えてくれ、主催者は見舞いの言葉をくれた。うっかりお菓子をこぼして詫びた時も快く許された。いつだって温かい空気の中で生きて来た。こんな冷たい波にさらされる事などなかった。

 優しい母も今は何も言えずただ脇にいるだけ。

 あの噂は全て上手く収めたはずなのに、どうして?

 自分が知らない事があるのかと、見落としているだけなのかと思考を回せば、目の前の女に笑顔を返す余裕もなかった。


「あらあら、顔色が悪いわ。お加減でも?」

妙に明るい女の声に現実に引き戻された。

「ああ、本当に、サーシャ、大丈夫なの?」

しめたとばかりに便乗する母親の声が恐怖心を遠ざけていく。母の顔もまた真っ青ではあるが、ぎゅっと抱きしめられて心が少し軽くなる。

 ここから逃げたい。この状況を乗り切ってどうにか離れたい。そう思うと急にどっと汗が噴き出た。この女に背中を向けるのか? 忌々しい、かつて見下ろした女に。忙しく回る感情は自分が自分のままでいられる答えを出せない。どうしてもこの女をやり込めて、ここを無事に離れられる気がしなかった。恐らく母も含め、自分が持っている情報は少ない。それだけでも相手が有利なのだから、余計な事を口走るわけにはいかない。

 冷静になれ、顔色が悪いのならチャンスだ。そう言い聞かせる。

「――ええ。あの、私、恥ずかしながらその――妹のデビュタントの件は一切。皆様に迷惑を掛けていないなら何よりですわ。久々の場で今日は少し緊張して飲み過ぎたようですの……こちらで失礼しますわ」

 なけなしのプライドで絞り出した答えはこれだった。貼りつけた笑みできちんと礼をして、逃げるようにそこを後にした。

 口をきゅっと結び、滑りぬける会場から聞こえる言葉が背を刺す。

「よくもまぁ。赤のドレスなど選べたわね」

「ガーデンパーティーに自ら炎の色でいらっしゃるなんて、さすがだと思うわ」

カッと顔が熱くなるが振り向いて睨みつける事もできず、ただ前を見て真っ直ぐ、馬車を目指した。


 馬車に乗り込むと安心と悔しさで涙が出てきた。

 誰もデビュタントの事など教えてくれなかった。手紙にも何も書かれていなかった。友人達に今年デビューする弟妹がいないのならある程度仕方がないことだが、そうでないならなんという扱いか。あの女が知っている以上、噂にはなっているのだから。

 馬車の床を踏み鳴らして家に駆け込むと、着ていたドレスを乱暴に脱ぎ捨てる。クローゼットの中の赤やオレンジのドレスを全て床に投げ出し、ヒールで踏みつけ、花瓶の水を掛けて台無しにした。母や使用人が止めに入っても癇癪は収まらず、涙は止まらなかった。

 嫌味も視線も全てが屈辱的で腹立たしい。赤のドレスを選んだ自分の愚かさも、何もかもが惨めに胸を抉った。



 翌日、両親から聞いた話は私を追い詰めた。昨夜のガーデンパーティーで両親が手に入れた話は全く以って不愉快で不都合なものだった。


 デビュタントの少し前の夜会で、あの噂は逆転させられていた。グリオル=ドレッセルによって。

 訂正される前の噂は尾ひれもついて、かなり形を変えていた。婚約の件は「グリオルが美人な姉を見初めて変更を申し出たが、強欲な妹が譲らなかった」話になっていた。加えて火事は「不用品の処分」と「妹のわがままによる放火」、2つの噂がどちらかと流れていたらしい。こちらとしては復帰後に、火事の件は当初の通り不用品の処分、婚約の話はおめでたい事だから、と言及を避けるつもりでいた。

 だが、ここまで中身が変わっていては、ドレッセル家もそのままにするのを許せなかったのだろう。自身の評判をも著しく下げる噂をばっさりと切り捨て、私とは一切の縁がないと明言したそうだ。家柄もあるが、これまで浮名の1つもなかった彼の発言が信じられるのは当然。誰もが一番初めに囁かれた「姉の横恋慕」を思い出してしまった。


 そしてデビュタントで彼の発言は裏付けされてしまった。明らかに世間知らずで貴族令嬢らしくない、粗末な妹のその態度が全ての証明だった。

 時代遅れのドレスはあの子に良く似合っていたという。シンプルで控えめで、それは厳かな雰囲気だったと。侯爵家の財力を誇示するものではなく、長く古い国の歴史を示すようにそこに揺れていたと。多少馬鹿にするような意味もあるが、それでも概ね好意的に褒められていた。

 それを愛しそうに見つめる彼の目には他の誰も映らない。周囲の誰もがそれを演技とは思えず、彼女が誰かを傷つける人にも見えなかったという。

 こうした侯爵家の若妻の噂はほんの少しの嘲りと微笑ましさを含んだもの。あまりの拙い様子に夫の愛人の立場を狙う年配者、初々しさを微笑ましく思う年配者。そしてその仲睦まじさに憧れる年頃の令嬢。誰もが口々に噂していた。


 全て逆転し、「妹の事は姉の嘘で、決まった婚約に割り込もうとし、嫉妬で放火した」という真実が広まった。私は「うそつき」な「浅ましい伯爵令嬢」として笑われていたのだ。

昨日の不躾な視線や周囲との距離感は、全てそれだった。

 私がベンチに座っている時に耳にしたのは今年の社交界の噂話。若者たちの恋の話や、政略結婚の話。ある領地の治水工事や小作や特産品の話でどれも他愛のない話。私の気付かないところで、誰もが笑っていたのだ。



 悔しさで奥歯がぎりぎりと音を立てた。どうにかせねばと焦る思考のもう半分でどうにもならないと悟った。

 挽回するのは厳しい。

 これに反論するには嘘をつくことになる。それは難しいのではなく無理だ。侯爵家に盾突いて我が家が無事で済むわけがない。認めることだけが残された道だが、それも到底無理だ。一家を背負う立場の人間が、侮蔑の視線を受け入れなければならないなど難しい。

 どうしようもないとわかっていながら、それでも泣きつかずにはいられなかった。

「大丈夫だと、言ったじゃない……!」

せめてもっと早く気が付いていればどうにか出来たかもしれないのに。大丈夫、心配いらない、口はふさいだと、あの時も今も、きちんと確かめもせずに何度も繰り返しただけの2人は、絞り出した私の震える声を聞きながら放心した顔で項垂れていた。


※ルビ・傍点が表示されない方へ

以下のように ○○には△△ というルビ・傍点がふられます

美しい娘だが自分には敵わない→「自分」に アレクサンドラ

ご存知なかったのかしら。何にも→「何にも」に傍点

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