07.幻が消える時
父と顔を合わせるのが嫌で昼食は母と部屋でとった。約19年生きてきて初めての事だ。この婚約の話が出るまで、私は父に怒られた事も、呆れたような顔をされた事もない。無性に腹立たしい。
午後、再度部屋を訪れた父から縁談を妹に譲るように言われ、その苛々は爆発する。小さい頃、うちでは買えない豪華な馬車を強請った時のように大きな声で喚いた。こうすればきっと、あの時せめてと我が家の馬車の内装を豪華にしてくれたように応えてくれるはずだ。
「嫌よ! どうして譲らないとならないの!」
「ソフィアはあの条件に反対しないからだ。侯爵家が……」
「あの子に反対する意志なんかないわ。今までだって自分の考えで動いたことなんか一度もないんだから!」
いつだって大人しく従うだけの妹。何もない妹。そんな妹と私を一緒にしないでほしい。
「侯爵家がお前を断る可能性もあるんだ。残念だがなアレクサンドラ、あちらに嫁ぐには条件に従わないとならない」
「嫌って言っているでしょう! どうしてそんな目に遭わないといけないの!」
どうしてこれまでなかった事が起こり、そしてこんなにうまくいかないのか。思い通りにならない事に対する苛立ちと、見た事のない父の姿への落胆、いつも通り従順なだけの妹すら忌々しいと思う気持ちで体が震える。
説得する父に絶対に嫌だと反論し続けること数十分。家令に呼ばれて真っ赤な顔の父が部屋を出て行く。
喚き散らしていた強張りが解け肩で息をする。今までだって何度もこうして上手く叶えてきた。叶わない事なんてないはずなの。
やっと戻ってきた時、苦々しく青い顔で父は告げた。
「お前は条件を……いや、それはもういい。侯爵家から返事があった。手紙に関してはあちらの温情で謝罪不要……不問とされた。無論、お前のだした条件はどれ1つ、受け入れられないとの回答だ」
淡々としたその声に、私は呆然と立ち尽くした。
1つも? きちんと説明を書いたものもあったのに却下されたというの? どうして?
「それとドレッセル家の長女は領地関係者と結婚するから縁は切れない。いくら領主の妻が望もうと、仕事関係なら簡単には切れない。それはお前も勉強して知っているはずだな」
そうすると私はつまらない田舎で1年の殆どを奴隷のように過ごすことになるの? とても遠いと話していた田舎で? 高慢な姉のいる環境で?
「嫌よ……」
今日何度目かの拒絶の言葉は、勝手に唇から洩れていった。
「嫌、絶対に嫌。どうして? どうしてだめなの?」
だって私はお姫様なのに。
「こんなのってあんまりだわ! ただの嫁入りよりもひどい条件で私がお嫁に行くのがお父様もお母様も嫌じゃないの? どうして交渉して下さらないの?」
「アレクサンドラ、これに関しては元々が普通の縁談じゃない。向こうが断った以上どうにもならない」
父では話にならないと思い、母に泣きつく。
「お母様!」
「いいえ、サーシャ。そんなことはないの。ただこの婚約だけは……私たちも出来ることはするし、結婚式には行くから……」
「嫌よ! 全部嫌!」
涙目で訴えれば母は狼狽えるけれど、何も案は出してくれない。
「そんな田舎でひっそりと式を挙げるのも嫌よ! 田舎育ちの方にはわからないでしょうけれど、王都が全てよ! 国の中心なんだから!」
「だが、それは無理だ」
「ならパーティーでいいわ! 我が家で盛大にお祝いしましょうよ、それなら迷惑ではないでしょう」
「すまないが、そんな余裕はないんだ。これからはソフィアにもお金がかかる」
戻ってきた父はずっとぼそぼそと歯切れが悪かったのに、ここにきて急にはっきりとした口調になったことで苛立ちが頂点を迎えた。
「なんでソフィアにお金をかける必要があるの!」
「仕方がないだろう。あの子が当主になって婿を取るんだ。お前と同様に教育も準備もしないとならない」
私と同じに? 無理だし無駄よ。
「あの子は次女なのよ? そんな豪華にしてどうするの?」
「何も豪華にとは……だが当主に必要な教育をしてそれなりの身なりにしないと伯爵家の顔が立たない」
「そうよ、あの子にはあまり派手なものは似合わないから、あなたよりずっと安く上がると思うし、あなたより良い事なんてないわ。それにあなたは向こうでもっと綺麗なドレスが着られるわ」
父も母も仕方がないていで、妹に与える事を受け入れている。妹が当主になるのだからそれは理解できる。だけど。
「でも田舎で暮らさなきゃいけないのよ! 流行だって遅いし、ドレスを着る機会も少ない。それに誰が見て褒めてくれるの? その間、あの子は王都で最先端の綺麗なドレスを着て華やかにちやほやされて暮らすなんておかしいじゃない」
信じられない程の自分との落差に腹が立つ。私は我慢させられるのに、分不相応な華々しさなど許せない。これをどうにかしてくれるのが両親のはずなのに。どうして。
「子どもが出来なかったら養子だなんていうのも嫌よ! きちんと私の子どもに継がせたい! それにこれじゃ恋人を作ることも難しいじゃない!」
「サーシャ、大丈夫よ。お前は健康だもの。必ず立派な子が産まれるわ」
高貴な貴族の間では血筋が重要視されると思っていたのにこの侯爵家はそうではない。堂々と養子を取るという。仮に自分の子どもが生まれても、田舎で育てるのも嫌だ。王都でどう噂をされるだろう。確かに自分に似なければ、もう全く意味がないことだ。
惨めな思いなんてしたくない。私はお姫様で運命の王子様を見つけたはずなのに。
「私が長女なのよ! 私が一番じゃないなんて虐待だわ! だって私はグリオル様が好きなんだもの! 2人とも、いつも話していたじゃない! 貴族でも好きな人と結婚するのが幸せだって!」
あんなに素敵な人はいない。なんでも持っている、私に相応しい人。グリオル様は私の理想の生活を叶えてくれる王子様だ。
「嫌よ。絶対に嫌!」
喉が詰まって苦しい。こんな惨めな思いで泣くなんて嫌。
「離縁を許さないとは書いていない。……お前が離縁を選んでもこの家はお前を待っていると約束しよう」
「離縁なんてみっともないのは嫌よ」
貴族の娘が離縁されたら家に帰るのは当然だ。離縁は例え白い結婚でも醜聞を伴う。再婚は歳が離れた相手とが多く、前の婚家より裕福なことは稀。絶対に御免だ。
泣き疲れた朝。母が懸命に冷やしてくれたおかげで瞼は腫れていなかった。
母は本当に優しい。私の憧れだ。父に求められて結婚した父のお姫様。私もそうなりたい。それだけなのに、どうしてこんなにもうまくいかないの。
最後の決断の日。
母と共に応接室で待つ。母は私の手をさすりながら「大丈夫よ」と励ましてくれる。
「……お父様は?」
「あの人も大丈夫。あの人がお前の不幸を許すものですか。大丈夫よ」
グリオル様は席に着くなり書類を取り出す。
「早速ですが、婚約の話を進めます」
「は、恐縮ですがその前に先日のお詫びをと……」
のろのろした父の声に彼は笑顔で答えた。
「いいえ、閣下。そのお話へのお詫びは結構と手紙でもお伝えしたはずです。何度も蒸し返してはお嬢様方も不安になられましょう」
手早く広げられた初めて見るその書類は国の印があり、重要なものらしい。
「ですが今回のお話には大事な要点でありますので、これだけは再度申し上げます。伯爵家が条件の変更を希望されるのであれば、この話は当初の予定通り、妹のソフィア嬢を我が家へいただきたいのです。これが父からの伝言であり私の気持ちです」
脇を見れば父は真面目な顔を崩さないが母は戸惑いの表情を浮かべている。まさかの提案に、どうにかしようと私は意を決して口を開いた。
「でも、ソフィアは令嬢というにはあまりにも――」
「もし件の教育のご心配であれば、妻の為に責任を持って準備をしますのでご安心下さい」
彼の言葉には迷いがない。
「それでは侯爵家の負担になりましょう。アレクサンドラならば問題なく侯爵家の妻に相応しいかと……先日の事は心からお詫び申し上げます。何しろソフィアは出来が良くないのです」
母の助けに頷きながら相手を見つめるも、にこやかな笑顔は変わらない。
「お気遣いありがとうございます。ですが、急いで教わる彼女の負担に比べれば、我が家の事など大した問題ではありません。何度も申し上げました通り、侯爵家の条件に従っていただけるなら、アレクサンドラ嬢でも構いません。せんだってのご要望は我が家では受け入れられません。その後、お考えに変化は?」
優しい言い方の強い言葉が刺さる。そんなに強い拒絶の言葉を聞くのは初めてだったから。強張った口で理由を説明する。
「あれは王都のお屋敷の管理も社交も、これからの時代は必要と考えたからなのです。私、良い事を思いついたのですが、半年ずつ――」
ため息がそれを遮る。
「いいえ、アレクサンドラ嬢。条件の変更は不可能。我が家の事情は都度見直されますが何十年も変更されていません。異例の事態がない限り、慣例のスケジュールで動くのが我が侯爵家です。我が家はあなたの望みを叶える事はできません」
私の望みを叶えない? きっと目を細めて見た相手は真面目な顔でこちらを見ていた。
考えを巡らせる私に止めを刺したのは父だった。
「で、では当初の予定通りソフィアを嫁がせましょう」
父が承諾してしまえばおしまいではないか。睨みつけるも父は目を合わせようとしない。
グリオル様は妹に向き直って声を掛けた。
「念のためご本人の意思を確認しますが、ソフィア嬢いかがですか?」
断れ。お前が嫁いでいい家じゃない。断れ。そう睨みつけるが妹は気付かない。
「お約束に従います」
いつもの生気のない顔が、感情のない声がそう言葉を紡いだ。
「では決まりで宜しいですね? そうですね、出来れば明後日にはソフィア嬢をお迎えしたいのですが」
「明後日ですね。荷物をまとめて支度させますのでご安心下さい」
「正午に迎えを寄越します。デビュタントまでは王都におりますので、ご親戚にご挨拶があれば我が家からお送りします」
慌てた様子の父と話をまとめ、彼は帰って行った。
私は応接室のソファに沈み込んで動けない。
私の願いは叶えられず、妹が私より良い家に嫁ぐ。
許し難いそれは夢なんじゃないか。だってこれまでずっと、こんな事はなかった。
いつの間にか部屋に連れられていた。両親が両隣で肖像画のことや、新しいドレスのこと、お菓子のことを話していたけれど耳から耳に抜けていく。
「あんな家にお前が嫁いで不幸せになるより、これでいいんだ」
「そうよ、サーシャ。あんなところに行かなくて良かったわ」
「これからもサーシャは私たちと暮らそう」
私? お姫様だものね。そうね。当然じゃない。だけど王子様は取られてしまったわ。私が負けたの? あんなどうしようもない妹に?
どうして皆、私のお願いを聞いてくれないの?
私は容姿だって磨いてきたし、立派に勉強してきたし、社交界でも人気なのよ。何にもない妹に負ける要素なんてない。
なのに何で、私が断られるの?
涙は出なかった。心がぽっかりと穴をあけて、何の意味もなさずにそこにただあるだけ。
燃えている妹の荷物を眺めていると、草を踏む音が近付いてくる。振り向くとそこには憎い妹がいた。いつもの顔で、ただ炎を見つめている。
「勘違いしない事ね。侯爵家は大人しく従う奴隷が欲しいだけよ。あんたなんかを選ぶわけないじゃない。こんなボロクズしか持ってない令嬢が嫁入りだなんて、みっともなくて恥ずかしいし申し訳ないから燃やしてあげたわ」
そうよ。私を断る理由の全てはあの条件。あれがなければ、選ばれたのは自分。だけど、あれに従ってまで嫁ごうなんて愚かな女にはなりたくない。
「それに爵位もお金もあったって私を大事にしないつもりなら、こっちだってお断りだもの。あんたにお似合いだわ」
ちょっと金持ちなだけの元伯爵家。惜しくもないわ。
妹の顔は何も聞いていないようで腹が立った。
気が付いたときは自室のベッドの中だった。私は眠っていたらしい。今がいつかわからないが、隣に座る母は優しく「もう大丈夫よ」、と髪を撫でてくれる。そうか。もう終わったのだ。
安心感で私はもう一度、眠りについた。
目が覚めたらいつも通りの、私の日々が始まると思っていた。
だけどそんなことは一切なかった。全てを燃やしてしまったのは自分だった。
今日で前作の本編が終了です。
▼お知らせ
次章からの内容で一部「仕合せという結婚」との時系列に齟齬が生じてしまったため、
前作に一部修正を入れております。大筋の変更はありません。
宜しければ6/1付けの活動報告にてご確認下さい。