05.志を強く
先の訪問日から1週間。侯爵家から先触れがきた。父は手紙を書いてくれなかったらしい。
けれど昨日のうちに母から私を嫁がせる決意を固めたと聞いている。安心しながら、多くの男性から素敵だと褒められたいつもの笑みで彼を見つめる。
お茶が運ばれてすぐ、父は婚約者の変更を申し出てくれた。
「婚約者をアレクサンドラに変更したいのです」
「わかりました。我が家と致しましてはどちらのお嬢様でも構いません。それではそちらを前提に話を進めましょうか」
もっと微笑んで喜んでくれると思ったのだけれど、彼の対応は事務的なまま。目も合わず、寂しい気もするけれど大事な話の最中だ。仕方がない。
「アレクサンドラ嬢はもう成人されていますので、我が家にお越しになるのは領地との兼ね合いで今日から2か月以内、早い分にはいつでも構いません。ソフィア嬢には婚約解消のお詫びでいい家柄の者をご紹介します」
2か月もあるならドレスが作れる。妹に紹介される『良い家柄』だって、良くて末端の侯爵家か伯爵家。まさかドレッセル以上の家な訳がない。
「嫁入り後に必要なものはこちらで揃えます。お荷物は馬車1台分と決まっておりますので、大切なものはお忘れなくお持ち下さい」
馬車1台とは随分少ない。お気に入りのドレッサーは積めなさそうだけれど向こうで買ってもらえばいい。それとも侯爵家には相応しい家具がもうあるのかもしれない。あの馬車の様に、豪華な装飾が施された美しい家具。ドレスもきっとたくさん作ってもらえる。遠目ではあったが、あの長女の着ていたドレスも見に着けていた宝石も上等だったような気がする。
ふわふわとした夢が広がる私の想像に切り込んだのは彼の真面目な声だった。
「さて、念の為もう一度お断りしておきますが、今回の変更では大きなリスクが伴いますのでご承知下さい。また、アレクサンドラ嬢がそれを挽回できる機会は非常に少ないですが、努めて下さい」
どんな噂でもドレッセル侯爵家の名前であれば簡単に回復できるはず。それに自分にはたくさんの友人がいる。簡単だ。引っかかるのは『機会は非常に少ない』ということ。夜会もお茶会もたくさん開かれている。どういう意味だろう。
不思議な気持ちで見つめる相手は薄い笑みのまま、すらすらと言葉を続ける。
「2か月後に王都を離れますとご親戚にも滅多に会えなくなりますので、婚約に至った経緯をご説明の上、ご挨拶を済まされた方がよいと思います。薬草の宝庫と言われる我が領地はとても遠いのです。会いにいらっしゃるのはご負担かと」
なんだ、そんな事かと安心する。領地が遠いといっても同じ国内だ。
「あら、それならこちらから会いに行きますわ」
朗らかに告げれば、相手は申し訳なさそうな顔を返した。
「領地は王命に従い、自生する薬草の管理、研究や発見に力を入れております。侯爵家は領地の管理を滞りなく行う使命があります。土壌管理をはじめとする視察や調整が忙しいため、3か月ある冬の社交シーズン内の1か月以外は領地を離れる事は難しいです。王都でも仕事がありますし……ですから、お出かけも。今回の婚約に伴う噂の挽回も長引けば厳しいものになるでしょう」
貴族社会は窮屈だ。腹の探り合いに貶し合いは当然。特に令嬢は噂話が大好き。噂をそのままに領地にこもったら茶会などで拡散されて、次の社交シーズンには村八分にされる恐れもある。下手をすれば挽回には年単位の努力が必要になるだろう。それも今回は一時の事ではなく婚姻。何かにつけて囁かれるのは想像に難くない。
こんな話は聞いていない。酷い話に思わず眉が寄る。
「1か月とは随分短いのですね。折角こちらの家との繋がりも出来るのですし、のんびりされては?」
穏やかな母の質問にも、彼の回答はにべもない。
「領地管理が一番の仕事のため年間予定は厳守です。視察も帳簿も忙しいので、非常事態でなければ1か月が限度です。今回は婚約の件で時期をずらして長くおりますが例外です。領地の特殊性故に異論は認められません」
「例えばこまめに王都に通う事は……」
「移動費が大きな負担になります。急用以外はあまり認められません」
侯爵家の財力で負担とされる移動費とは……そんな田舎なのかと顔をしかめそうになる。これまで他家の領地の広さや位置に興味がなかったので全く見当がつかない。ちらりと隣を見れば母の顔は真っ白、父は暗い顔のまま口を堅く結んでいた。
そんないただけない状況をどうにかしようと考えると、簡単に答えが浮かんだ。ぽんと手を叩き、明るい声で提案をする。
「簡単な事ですわ! 領地管理は代行者に任せ、帳簿は当主が王都で管理すればいいのです! 書簡のやりとりだけなら費用も嵩みませんでしょう」
我が家もこうして王都の滞在期間を延ばしている。我が家だけが例外なのではなく、以前教わった当主教育にもこうした方法はあり、確か友人の数件は家もこうしている。予想外の話に驚きはしたけれど、やり用次第でどうにだって出来るはず。
「なりません。我々も視察に出ますし、管理は責任問題。何より領民への貴族としての責があります」
一切の感情を挟まない回答。随分と融通の利かない相手だ。ここまで優しくない相手に会ったのは初めてで戸惑いすら覚える。誰だって、自分が笑えば褒めたり、慰めたりしてくれるのに。
すぐに思い出した事があってもう一度笑みを浮かべる。
「数年間は文官をなさるのでしょう? その間は……」
一緒に王都に滞在しましょう。そう強請る前に遮られてしまった。
「私は城に滞在し、その間妻は領地で薬草の勉強をしていただく事になります」
勉強? そんな必要があるの? 侯爵家の妻になってまで一体何を学ぶというの。配偶者の主な仕事は屋敷と帳簿を預かる補佐のはず。薬草を触るのは領民でしょう。
その質問を挟むことも出来ず、話は進んでいく。
「他にも細々した事はありますが、後は家庭内の事で今お伝えする事はほとんど……強いていうなら、領地で挙げる結婚式の際のご家族の旅費はこちらで負担するという事でしょうか」
「王都ではないんですか?」
元々は結婚式は領地で質素にというのが慣習。ところが最近では王都で関係者を招いて盛大に式を挙げるのが流行っていた。デニスもそうだったし、自分もそうしようと思っていた。伯爵家なら子爵家より賑やかに出来るとずっと楽しみにしていたし、嫁ぎ先が侯爵家ならそれこそもっと贅沢に出来ると期待していたのに。
そういえばついさっき、2か月後に王都を離れると言っていた。嫁ぐ時の期限も2か月。回答は想像の通り私の期待を打ち砕いた。
「はい。領民への紹介も兼ねていますので、領内の教会で挙げそのままお披露目会という流れです」
領地で派手な挙式ができるとは到底思えない。正確な距離は把握していないが、友人達を呼ぶのも苦労するだろう。家族のみで友も少なく、参列者は領地の平民ばかり。そんなつまらない式を挙げるなんて絶対に嫌だ。
母が私の手を強く握り、2人で同時に縋るように父を見る。父は先程と同じ顔のまま、固まっていた。
「……あの、もしやご存知なかったのでしょうか?」
短い沈黙の後の彼の言葉に、父の肩がぴくりと震えた。
「婚約の書類にあるのでご存知かと……。つい先日、こちらの文官の件を確認した際にも問題ないとご回答いただいております。ご不明な点は遠慮なくご確認下さい。もしソフィア嬢に考え直されるのでしたら構いません。正式な手続きの為に明後日また参りますのでその際にお返事を下さい」
今日1日、どこのタイミングでもほとんど変わらず事務的に話し、彼は帰って行った。
あまりのショックに立ち上がることもできず、涙がこぼれた。目の前には置いていかれた条件書の写しがある。そこに並ぶ非情な条件は私の心を暗くさせるには十分だった。
・民の健康のための領地経営に尽力するため、年の11か月は領地滞在とする
・社交シーズンのうち、ひと月は王都に滞在するが仕事を優先する
・土壌管理や生育調査などのため、領地内の視察をこまめに行う
・まずなにより人命を尊び、草木にも誇りを持って接する
・子が望めず養子縁組を組む場合、反対しない
「どうして教えてくれなかったの」
父を責めると目を反らされた。母は私の肩を抱き、腕をさすってくれた。
「条件を変えてもらってちょうだい、こんなのあんまりよ」
泣きながら詰めよれば、父の顔は悲しみに歪む。
「ねえ、お父様、婚約は新しく結び直すんですもの、それくらい可能でしょう? あちらだって文官の数年間の条件を付け足したのだもの。それに伯爵家の当主として育てられた私が行くのよ」
父が渋った理由がこれならもっと早くに教えてほしかった。こんな条件で嫁ぐなど売られるようなものではないか。
父は暗い顔で口を開く。
「アレクサンドラ、条件を変更するのは難しい。だが、お前の移動費をこちらで持つと言えば里帰りは許されるだろう。打診してみよう」
父の言葉を後押しするように、母が私の髪を撫でる。
「あちらが許すなら社交シーズンも長めにここに居てもらっても構わないのよ」
その言葉に胸が温かくなり、こぼれていた涙が止まる。そうか、実家に帰るという選択肢がある。
さすがに父はドレッセル領を知っているはずだから、移動費だって計算できているはず。家に帰ることさえできれば、どうにか滞在期間を延ばせばいい。この両親の案に飛び上がりそうになるが、あまりはしゃいではこの話をなかったことにされかねない。グリオル様が持ち返ってご当主に伝わるまでは我慢だ。
「嬉しいわ、お母様。でも私は侯爵家の女主人として務めを果たしながら、子どもを産む使命があります。ひと月に一度帰ってこられれば充分ですわ」
「そうね。結婚式もこちらで一度挙げて領地でもう一度挙げればいいわ。参列者が違えばドレスは同じものでもわからないでしょう」
「ああ、お母様、本当に素敵!」
やはり母は理解がある。素敵な女性は幸せを考えるのが上手だ。私の胸には手元の条件書の不満を補う輝かしい計画が浮かんだ。
そのすぐ後、父と母が連れ立って応接室を出て行く脇で、私は条件書を手に考える。当主になるはずだった私が、こんな横暴な条件で嫁ぐなど有り得ない。
扉が開く音にちらりと目を遣れば、いつもと変わらない表情で茶器を下げる妹の姿が目に入る。すっかり存在を忘れていたが同席していたはずだ。
その時はっとする。これは妹が嫁ぐ時の条件だったのだ。人が変われば条件だって変わって当然。妹と同じ条件で嫁ぐだなんて嫌だ。
私は手紙を書くことに決めた。
その日の夜は親しい友人が開いてくれる、私の婚約のお祝いの会がある。この前は父にいろいろ言われてしまったが、今日本格的に決まったのだからもう皆に伝えていいはずだ。一番お気に入りのドレスでめいっぱいのお洒落をする。
会は若い人だけの内々の集まり。エスコートはなしでいいと言われているので、男性の使用人に用心棒代わりについてきてもらう。
今日は忙しいらしい。見送りが妹と使用人だけだったので不思議に思うが、両親は忙しいと家令から説明を受けた。時間がかかる事でもないし、いつもなら来てくれるのに、やはり何か問題があっただろうか、と一瞬不安が胸を過るが、私の嫁入りが決まったのだ。きっといろいろあるのだろう。私はドレスの裾を翻して馬車に乗り込んだ。