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咲く花の色は  作者: 餅屋まる
第1章 ベルネットの姫
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03.甘い夢

「よくお越しくださいました! どうぞこちらへ!」

あれから2日。お返事を持ってきて下さったグリオル様を応接室にご案内しようと声を掛ける。急ぎとうかがってはいたけれど、お客様を立たせるなんて失礼は出来ない。

「いいえ。恐れ入りますが先触れ通り本日はこちらで失礼を。……婚約の件は一度解消して結び直す事になりますが、国への手続きさえすれば変更可能です」

事務的な態度で断られたことよりも、嬉しい報告に気分がふわりと浮かぶ。侯爵家も私が良いと認めてくれたのだ。


 この国には戸籍制度があり、婚約も全て国に申請する必要がある。口約束より申請内容が優先。婚約歴も結婚歴も別離の場合は理由も全て記録され、申し込みの際には経歴の照会も可能。同じ傷でも病気や怪我等の事情での解消は致し方ないと誰も構わないが、一方的な理由での解消や破棄は場合により賠償金などを伴い、家にとって厳しい醜聞となる。

 けれどこの婚約はただ相応しい相手に変更になるだけ。正当性が証明される以上、問題はない。


「まあ! 良かったわ! 私がお嫁に行っても大丈夫ですのね!」

微笑んで両親を見ると、2人ともが笑ってくれていた。

「ただ、宜しくない評判が関係者全員とこちらのお家に付く事になるでしょう。解消の理由も含め、家の事を思えば得策ではありません」

その声に視線を戻すと、グリオル様は父と母を見ていた。

「ソフィア嬢はまだ社交界デビューしていらっしゃらず、アレクサンドラ嬢は社交場で私と接点がありません。事情を面白おかしく噂される可能性もありますので、我が父もあまり良い顔はしませんでした、とだけお伝えします。お詫びの意味を込めてソフィア嬢の婚約者探しはお手伝いしますのでご安心を。婚約の理由をどうしたとしても、お嬢様方は社交界で厳しい思いをされるかもしれませんので、ご理解の上、ご判断下さい」

お嬢様方、という言葉が一瞬引っかかるも多少のやっかみなど大した問題ではない。侯爵家の力でどうにかなる程度の話だ。

 妹は捨てられたことになるのかも知れないが、様子を見れば誰もが理解するだろう。それにソフィアと結婚すれば伯爵家当主の夫の座が手に入るのだから、誰かしらいるだろう。どこかに嫁ぐよりははるかに簡単に相手は見つかるはず。些細な問題でしかない。


 ところが隣の母は浮かない顔を示す。指を揉み、気まずそうに口を開いた。

「その評判というのはどうにかできませんの?」

「残念ながら。特にアレクサンドラ嬢は少ない機会の中で、ご自身の努力で穴埋めして立場を築くほかありません」

優しい母は満足のいく回答を得られなかったようだ。小声で「そんな、どうして」とつぶやく母に安心してほしくて声を掛ける。

「大丈夫ですわ、お母様。お茶会も夜会も、機会はたくさんあるもの。それに社交界の出会いなど唐突で当然でしょう。次回の夜会でドラマチックに演出すればよいのです」

そう、これまで会った事がないのが功を奏す。初めまして、から仲良く過ごせば、ダンスを踊れば、誰もが私たちの中を認めてくれるはず。私の声の明るさに、母も笑顔を持ち戻す。

「申し訳ありませんが仕事の都合上、夜会はほとんど不参加ですので難しいかと……」

少し申し訳なさそうなグリオル様だけれど、問題はない。対策は簡単。

「あら! 一度で構いませんの。一度でも踊れば見つめ合うその様子に誰もが納得するでしょう。愛し合って婚約、愛の為に身を引いた妹という話になりますわ。私、ダンスは得意ですの」

「町にも是非一緒にお出掛けなさって下さいな。アレクサンドラは美人でよくできた娘です」

可能性に気が付いた母も応援してくれる。

「それに私たち、お互いの事を知り合う時間が必要でしょう? 恋人らしくグリオル様の瞳のお色のドレスを着たりすれば、噂なんて」

恋人の瞳の色のドレスは仲睦まじい証拠。目に見える決定的な証拠を身に着けて堂々としていれば、問題なく名誉は回復されるはず。


 そう朗らかに話す私たちを遮るのは今回も父だった。

「お話は承知いたしました。お忙しい中、ありがとうございます。後日、改めてご連絡を……」

いつも優しい父は、この話に関してはどうにも乗り気ではない。私を手放したくない気持ちはわかるけれど、有名な侯爵家に嫁ぐのだから、誉と思ってほしい。

「はい。変更の際は手続きも含め一度我が父に会いにいらしていただく事になりますので、そちらも宜しくお願いします。また、いずれのお嬢様だとしても結婚の条件も日取りも変更できません。出来れば1週間以内にお返事を下さい」

優雅な礼をした彼は、待たせていた立派な馬車に乗り込み、我が家を後にした。



 妹に指示を出し、母とテラスでお茶を楽しむ。丁度直近に数件の夜会がある。これを利用しない手はないと考えを巡らせる。これまでの人生でもいろいろな駆け引きはあった。今回も上手くいくはずだ。

「もう独身が終わるのだから夜会にはたくさん出なければね。ご挨拶も必要ですもの。グリオル様がおいでにならないのは寂しいけど、いつも通りに楽しんでくるわ」

「そうね。どちらかにはご出席なのではないかしら? 調べてエスコートをお願いするお手紙を書きましょう」

「そうね! それでもいいわ。向こうで出会ってもドラマチックだったけれど、エスコートしていただければ完璧じゃないの」

うっとりとカップを傾ける。顔に掛かる湯気が夢の入り口のよう。

 例え今はお互いに恋愛感情がなくても、彼の隣に私が寄り添えばそれは見事に見えるはず。間違いなく上手くいく。瞼の裏に浮かび上がる完璧な予想図に思わず微笑んだ。



 数日後、夜会に向かう馬車の中で私は今日の予定を立てる。

 残念ながらエスコートは断られてしまった。返信には婚約者以外はエスコートしないと書かれていたけれど、時期尚早だと思えば仕方ない。加えて当日は慌ただしく、ダンスを踊る時間もないと断られていたが、仕事ならこれも仕方がない。無理に食い下がる必要はない。ただ夜会でそれらしく振る舞えば、そうした噂は流れてくれるのだから。



 会場に着くとすぐにグリオル様を探して回る。彼の姉の姿はあったけれど、彼はどこにも見当たらない。暫く情報を集めていると、確かに会場には来たが、すぐに姿を見なくなったことがわかった。どこかにいるのかとうろうろしているうち、少し嫌な目に遭う。その内、帰ったらしいとの言葉を耳にして諦めることにした。

 お忙しくてエスコートも断られたほどだ。お急ぎで帰られたのだろう。そう思って友人達の元へ向かった。作戦はまだある。


 どの夜会でもテラス席付近のソファにいることが多い友人達はすぐに見つかった。

「ごきげんよう、皆様。良い夜ね」

そう声を掛ければ顔見知りがさあっと集まってくる。私のグループは華やかな人が多い。少しでも集まれば注目の的。この華やかさにあやかろうとする地味な人もいるけれど、害がなければそのままにしている。引き立て役としても丁度いい。

 集まってきた友人達と暫く楽しく歓談し、ある程度お酒も入り、口が柔らかくなる頃を見計らって、誰かが口にした婚約の話に乗るように自分も口を開いた。

「そういえば、私も縁談が決まりそうですの」

あら、と声が上がり、親しい友人達が祝いの言葉を述べてくれる。

「サーシャ、お相手の方はどちらなの?」

「サーシャってば隠し事が上手ね。どなたなの?」

「伯爵家に婿入りしてくれる方なら、次男か三男よね。最近あなたが親しくしてた中に、それほどまでに仲睦まじい方がいらしたかしら?」

誰もが私が婿を取ると知っているのだから当然の反応。もったいぶっているときゃっきゃと笑う横で男性陣も耳をそばだてていた。思わず笑みが深まる。

「いいえ。私が嫁ぐの」

はしゃいでいた女性陣が驚くと同時に、男性陣からも不躾な視線が飛んでくるようになった。注目の的になるのは構わないけれど、今更惜しいと思っても無駄よ、という満足感を吸い込む。

「けどまだお相手は内緒よ」

「あなた、伯爵家はどうなさるの? 妹さんは婚約者がいらしたはずでしょう」

「ええ、けれど問題ないの。それで、家は妹に任せようと思って……あれにもしっかりしてもらわないと困るでしょう? いつまでも妹という立場に甘えていては、と思ったものだから」

にこにこと話すと友人達はちらちらと目配せをし合ってから、改めて祝いの言葉を述べてくれた。


 彼女たちに笑いかけてから飲物を取りに席を立つと、デニスが追いかけて来た。昨年、平凡な女と結婚した彼は子爵家の次期当主。顔立ちはそこそこだけれど、気遣いの巧みさが私好みだった。

「寂しいな、アレクサンドラ嬢。ついに君が誰かのものになるのか。それも嫁入りとは本当か?」

「ええ」

「それならあの時、親の薦めを無理にでも断って君を求めるべきだったな」

「まあ、ご冗談を」

ふふふ、と笑うとダンスを求められる。

 こちらも飲物はこれ以上探られないための口実。グリオル様との相談が済んでいない以上、詳細は伏せたい。ただ噂が変な方向に行かず、勝手に想像されるよう、後で仲良しの令嬢に()()()相手の身分を匂わせる程度の情報を教えればいい。

 誘いに乗って2曲も踊った。デニスは身長も高く、ダンスも上手なので踊りやすい。けれど、きっとグリオル様の方が素敵だろう。何しろ侯爵家だ。まさかダンスが下手ということはないだろうし、誰も踊った事のない彼が初めて踊るのが自分だなんて、素敵な話だと嬉しくなる。

 デニスの他にも数名の友人と踊る。誰も彼も踊り慣れた友人。挨拶した先で話を聞いたのか、誰もが一様に祝いの言葉を熱っぽい視線で口にしてくれた。


 仲間の輪に戻る寸前、私の手を取ったのはファビアンだった。1つ上のファビアンは同じ伯爵家の次男。背が高く凛々しい顔立ちの遊び人で、美人に目がない。

「やぁアレクサンドラ。話を聞いたよ。君が僕以外のものになるって」

いつも気障なファビアンはデビュタント前から令嬢方の人気の的だったらしい。私も初めて彼に会った時は胸が弾み、顔が熱くなったのを覚えている。

「悲しいな。いつか君が僕に応えてくれると信じていたのに」

「私はいつでも真剣だったわ。望むような言葉を掛けてくれなかったのはあなた」

そう笑うとダンスホールに連れ戻される。

 出会った当時、ファビアンは何の文句のつけようもない程の素敵な貴公子に見えた。だけど彼には常に女の影が付きまとう。特別扱いしてくれるけれど、一番だと言い切って私だけにしてはくれない。

 私が一番美しくて、将来的にも地位が手に入るにも関わらずだ。そんな男をいつまでも追いかける程安い女ではない。数か月、ため息をつく日々を過ごしてから、ファビアンとは良き友人でいることを決めた。

 この日、ファビアンとは3曲も踊った。友人の中で一番ダンスが上手なのは彼。華やかな私たちは注目の的だ。その視線に応えるようにダンスが終わってからも彼は手を離してくれない。

 歳が近い独身同士で見た目も釣り合っていた私たち。彼と居ればいつでも羨望の的になることが出来たし、その笑顔にときめいた過去もあった。悩む間には噂話も流れた。

 しかし今日はかすんで見える。今更愛を語られても、彼は我が家に来ないし、私は同格の伯爵家の次男に嫁に行く気はない。結婚後の恋人にするにはファビアンは歳。これ以上彼と仲良くしても得はしない。

「またの夜会で」

名残惜しそうに優しく笑うとそっと頬に唇が触れる。ファビアンはいつもそうだ。別れ際に印象深いことをする。以前は次会う時までを楽しみにさせるほど嬉しかったこれも、今日はただの挨拶。これまでの友人は誰も彼も、私の王子様ではなかった。それだけのことだ。


 こうした社交の合間にもちらちらと周りを見たけれど、目当ての彼は見つけられなかった。


※ルビ・傍点が表示されない方へ 

以下のように ○○には△△ というルビ・傍点がふられます

仲良しの令嬢に特別に相手の→「特別に」に 傍点

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