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咲く花の色は  作者: 餅屋まる
第4章 駒
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12.母カルラ

 夏が過ぎていく。リーゼの希望で領地の庭も少しだけ整備が進み花壇が増えた。王都の屋敷からも、秋には秋の花が咲く庭を見せられると楽しみな報告が届いている。

 アレクサンドラは社交の予定を立てる。今年の予定も去年とほぼ同じだが、リーゼを連れて行くお茶会を増やすつもりだ。小さくなってしまったワンピースとドレスの手直しと、数着のドレスの新調はお願いしてある。


 窓の外の庭を見るとリーゼとヨーゼフが散歩を楽しんでいた。夏の鮮やかさの中で、リーゼは花びらのようにくるくるとよく動いていた。ヨーゼフは大股にそれを追いかけ、飛んでしまった帽子を頭に被せる。日焼けも恐れず外に飛び出すリーゼは、ほんの少し令嬢らしくない肌の色だ。

 あれからしばらく、リーゼの癖は直らないが無理に練習するのは止めてくれた。何故リーゼが自分たちに何も言わずに必死に練習していたのか。その理由がどこにあるのか、ヨーゼフの幼い頃の話を聞いたアレクサンドラは察した。

 子どもは幼くても空気には敏感だ。去年両親がリーゼの前で発した言葉の意味は理解できずにいたが、母親であるアレクサンドラの強張った雰囲気を理解していたのだ。自分が『誰か』に期待されていること、そして自分にも希望があり、それに応えて叶えたい。その考えがヨーゼフから遺伝した真面目な性格によって、1人頑張ることにつながってしまった。

 窮屈な思いをさせたと心苦しさを抱えるアレクサンドラを慰めつつ、ヨーゼフは淡々と娘のケアに努めた。次第に娘も根を詰めるのを止めるようになり、今は遊ぶ時間はしっかり遊んでいる。

 その様子をありがたいと思いながらも、アレクサンドラは自責の念を止められない。去年、自分が社交の場で嫌われている可能性は娘に話したが、幼いリーゼの認識は「お母さまには友達が少ない」だった。理解が難しい問題だから、いつかもう一度話せばいいと考えていたが、それすら甘かったのかもしれないと今更ながらに後悔する。リーゼの前で明らかな嫌味や妙な言葉を掛けられたことはないが、何かを察したのかもしれない。そして自分の認識とのずれをかみ砕いている。  リーゼがムキになって社交を頑張る原因が、自分だったらと心配してしまうのだ。情けなく申し訳ない。だが今のアレクサンドラにはどうすることも出来ない。


 悩みの種はそれだけではなく、気持ちは晴れない。気にしないようにしていても、なんとなく淀んだものを心の底に抱えていた。

 あの日別れたまま、離れの両親からの反応はない。報告類も全て書面を使用人に渡すだけだ。アレクサンドラ自身、自分のプライドの高さから両親の気持ちを察する部分がある。もし両親が自分たちの過ちに気が付いていたとしても、こちらに謝るにはまだしばらく時間がかかるだろう。窓の向こうの離れを見るたびに複雑な気持ちになった。



 ある日、植え込みの具合を確認するために夕暮れの庭に降りると、渡り廊下の向こうの人影が目に入った。それは珍しくたった1人でいる母カルラだった。母親が父親や侍女を伴わない事は珍しい。

「サーシャ」

 名前を呼ぶ声は小さく、調子はいつもと変わらない。

 何事かあったのだろうかと、そっと近寄ると母親は大事な娘の手をぎゅうっと握り、口早に言葉を流していく。

「お父様はまだ複雑なお気持ちだけど、少しでいいの。話を聞いてちょうだい」

 渡り廊下の端の扉はしっかりと閉められている。無下に断るわけにもいかず、アレクサンドラが頷くと母親は言葉を続けた。

「サーシャ、私たちはいつでもあなたのことを心配しているわ。あなたと、この家と……」

「ええ、わかっています」

ほっとしたような母親の顔は、記憶の中のそれより老けて見えた。

「ねえ、サーシャ、お前はあの人といて幸せなの?」

「――ええ」

 リーゼの件かと思っていたところに急に違う質問が来たので面食らった。母親の言うその人とはヨーゼフのことだ。思えば母親はヨーゼフを名前で呼んだことがない。かつてアレクサンドラがそうしていたようにあの人や彼と呼んでいた。

「それなら、もう全て忘れてしまいなさい」

握られた手に力がこもる。

「あなたを大切にしてくれるなら、それでいいはずよ。忘れるの。全て」


 カルラ自身はこの結婚に賛成ではなかった。美しく才能に溢れた自分の娘が、冴えない年上の男と結婚するのがどうにも受け入れ難かったのだ。冴えない相手でもせめて自分の様に恋愛して結婚してほしかった。だが状況はカルラの発言を許さなかった。

 ずっと娘を気の毒に思っていた。男は優秀だったが娘とは釣り合わない。どうにもできなくても、お茶を楽しんで話を聞いて、自分が一番の味方でありたかった。だから追い出された時は、信じられない程の悔しさと絶望で胸が締め付けられるようだった。アレクサンドラが別人になった気すらした。

 この結婚が悪くなかったと気が付いたのは、母屋を追い出されてしばらくしてからだ。よくわからないが、領地の管理も財政も順調になった。娘もあの男を信頼しているのか、孫娘の存在故か、幸せそうだった。

 孫娘の顔には驚いた。捨てた娘に似るとは何の因果かと唇を噛んだが、ものは言い様。孫娘は『夫に似ている』、そう言い聞かせてきた。だが同時に心配になる。ソフィアの様に縁談が決まっている訳ではない。将来は心配だ。あんな顔だからこそもっとしっかりするべきだ。

 そう思って夫と共に友人まで巻き込んで提案したというのに、結果は頭を抱えたくなるものだった。怒り落ち込む夫を余所にカルラは考えた。順調な報告が来るのならば、このままで良いのではないか。父とのことも、気にしている様子の妹の存在も、全て何もかも忘れて幸せになればいいのではないかと。そのためには自分達に対して後ろめたく思う必要もない、そう伝えたくてここに立っていた。


 アレクサンドラは怪訝そうな顔のままだ。

「正直な話、あの人は少しいただけないけれど、良い人ならそれでいいの。リーゼのことも良くしてくれるのでしょう? ……あの子のことは心配しているわ。顔が……お前に似れば美人で良かったのだろうけど……」

 ぽろりとこぼした本音にアレクサンドラの眉が寄るが、母親は気が付かない。

「サーシャなら何とか出来ると信じているわ。自慢の娘だもの。お父様との事は過ぎた事。あの事も……これまでの事は全て忘れてしまいなさい。私のサーシャに戻って。そしてどうか、私たちのことは心配しないでほしいの。私たちはあなたの親だもの。いつだってあなたを応援しているわ」

 笑顔で締めくくる母親の勝手な言い分に怒りが沸き起こる。

 確かにヨーゼフのことは結婚当初に激しくこき下ろした。だがあの時、結婚しろと言ったのは両親だ。内心どう思っていようが、止めもしなかった母親に今更そんな風に言われて気分が良いわけがない。リーゼのこともそうだ。こちらが嫌味で伝えたソフィアの真意が伝わらなかったことにがっかりした。寧ろ伝わっていてこの発言なら、絶望しかない。

 一体何を忘れろと言うのだ。

「ご心配ありがとうございます。でも大丈夫です。ヨーゼフは本当に良い夫だし、立派な補佐で、素敵な父親よ。リーゼには私にはない柔らかい可愛さがあるわ。頑張り屋さんで友達も多いもの。何の心配もいらないわ」

 精一杯の笑顔で応える。目の前の母親は安心したように瞳を潤ませるが、それすら気味が悪かった。

「それから――」

“ソフィアはきちんと侯爵夫人を務めているわ”

言いかけて止めた。こうして母親が来たのは、例えどんなにずれていても彼女なりの優しさなのだ。嫌味を返しても何の意味もなく、不毛な思いが募るだけだ。悲しいことだが、それは今証明されてしまった。

「――お2人とも、お身体には気を付けて下さいね。お父様のお気持ちが変わったらご連絡を下さい」

 さっと礼をして返事を待たずに部屋に戻った。


 いつだって優しかった母親の本質は、自分が主役で基準、他者に対しては傍観者だ。いつだって素敵か素敵じゃないかしか考えていない。ずっとお姫様のまま。上辺をなぞるだけの言葉は耳に優しいけれど、本当にアレクサンドラのためになるのはその1割にも満たない。

「さよならね、憧れだった女王様……」

 思い出した記憶には、アレクサンドラの下手な刺繍を脇に除け「指が傷む事はしなくていいわ。あなたの指が大事。素敵な物はお金で買えるもの」と笑う母親がいた。

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