07.棘
久々に顔を出したお茶の席。お茶会にも様々な形式があるが、今日は気軽な友人同士のおしゃべりの会といったところである。
些か不自然ではあるが、娘が幼いことを理由に夜会にはほとんど参加しないつもりだ。唯一、商会関係者が出る夜会には夫と共に参加を決めた。昼の会も信頼できる友人がいる会か、以前に参加したことのあるサロンだけを選んだ。
出迎えてくれた友人たちの変わらない笑顔に安心する。いつものようにお互いのドレスを褒め合う。誰もがあの頃とは違う控えめなドレスだが充分だ。それぞれの好きな色や形で工夫を凝らして華やかだった。
席に着いてお茶を楽しもうとした時、アレクサンドラの耳を鋭い言葉が掠めて行った。
「あら、ベルネットの…………ですの?」
囁かれたその声の出処はわからない。確かなのは自分の噂が表立って流れていなくても今も力を持っており、良く思われていないことだ。
覚悟はしていた。それでも少し指が震える。
「確かにお綺麗ではいらっしゃるけど…………かしら」
ホスト役への気遣いもあり、穏やかな表現ではあるが好意的でないニュアンスは伝わってくる。指の震えをごまかすようにお菓子をつまみ、「とても美味しいわ」と友人に勧めた。
耳に残るその言葉以外は和やかなムードでお茶会は進む。このテーブルは今年の流行の話をしていた。王都を離れて久しいアレクサンドラはひたすら聞き役だ。流れに付いていきながら、ふと目を遣ると5歳ほどの子どもが目に入る。お行儀よく母親の隣に座ってお菓子を食べている。その様子にぼんやりとリーゼのデビューを考えていると、友人の1人から話を振られた。
「サーシャ、お嬢様はおいくつ?」
「今年2つになったわ」
「あら、うちと一緒ね! 今年社交に?」
早い子は2才で出ることもあるが、アレクサンドラは自分の復帰の都合もあってそのつもりはなかった。
「いいえ、まだよ。習い事もまだなの」
「うちもよ。人見知りがすごいから、来年我が家でのお茶会を予定しているのだけれど、よかったらそのお茶会にいらっしゃらない?」
この友人は古くからの付き合いだ。確かに彼女も人見知りだった。ドレスをお互いに褒め合っているうちに仲良くなったおしゃれな人だ。社交を絞っている今、良い回答は出来ないがその気持ちが嬉しかった。
「ありがとう。主人と相談させてちょうだい。きっと喜ぶわ」
「手紙を送るわね」と言われて笑顔を返す。
これをきっかけに話題は子どものデビューと習い事に流れ、大いに盛り上がる。アレクサンドラも笑顔で話に加わったが、心のどこかに薄暗いものがあった。
復帰2度目の社交もお茶会だ。今度は以前参加した既婚者のサロンで、毎年手紙をもらっていた。親しい友人はいないが、年齢層が幅広く好きな話をする席に混ざることが出来る。テーブルはそれぞれに子どもと、夫、若い恋人の話で盛り上がっていた。
アレクサンドラは無難に子どもの話をしていた席に混ざろうとする。と、そのうちの1人がゆっくりと扇で口元を隠した。見知らぬ夫人である。何かと思うと隣の夫人にひそひそと耳打ちし、2人で席を立って行ってしまった。
突然のことに戸惑っていると、1人の女性に声を掛けられた。
「お掛けになったら?」
慌てて視線を移し、親切に礼を言う。
「ありがとうございます……」
薦められた席に着きはしたものの、アレクサンドラが座るとテーブルの空気は明らかに良くない色を示した。
「あの、私、何か――」
カチャリと小さな音と共に、目の前に紅茶が用意される。
「ええ、勿論。あなたが原因ですわ」
席を薦めてくれた女性がにこにこと笑う。どうやらこのテーブルを仕切っているのは彼女らしい。アレクサンドラより少し年上の夫人、初めて会う人だ。
「あなたがご存知ないのも仕方がないことですが、あの方々はドレッセル夫人と同じお歳なの」
“ドレッセル夫人”――それが誰のことかはすぐわかった。紅茶の香りの湯気が顔を撫でていく。
「お子様がお生まれになったとか。おめでとうございます」
「おいくつに?」
女性の隣のご婦人2人が話を変える。朗らかな話し方にも背中を冷やしながら答える。
「今年2つに……」
「――あら、ではご主人の子なのかしらね」
「あらあら」
「ご主人は真面目で素敵な方ですものねぇ」
少し離れた席の潜めた声が聞こえてくる。潜めているように装っているが、聞かせるためだとわかる。
「そうですか、さぞ可愛いでしょうね」
「え、ええ……」
テーブルの笑顔はアレクサンドラを囲み、そこに縫い止める。胸がつかえて言葉を続けられない。
「あら、お茶が冷めてしまいますわ」
「どうぞ召し上がって」
飲みたくないが喉はカラカラだ。震えを気取られないよう、カップを口へ運ぶ。味などわからない。
「お子様の教育は王都で?」
また別の夫人だ。
「いいえ、領地を予定しております」
「まあ!」
テーブル中が驚いた顔をした。肩が跳ねそうになる。
「王都の方が宜しいのではなくて? だってほら、先生もたくさんいらっしゃるし、お友達もできますわ!」
笑顔で迫ってくる調子が空々しく恐ろしい。しかし怯んでいるのを悟られてはならない。
「ありがとうございます。残念ながら、領地の管理がありますの」
出来る限りの笑顔のつもりだったが、テーブルがシン……と静まった。その本当の一瞬の間の後、テーブルの主がころころと笑った。
「あらまぁ……そうよね。ご当主なのだものね。私たちとは違いますものね」
その言葉に周りがくすくすと笑い出す。
「でも本当に残念ですわ。王都にいらっしゃらないなんて。あなたにはここでするべきことがあったでしょうにねぇ?」
息が止まった。
遠くに見えるサロンの主催者も笑っていた。招待状はこのために来たのだ。
恥をかくのは初めてではない。アレクサンドラは出来る限り優雅にサロンを後にした。以前の自分ならぎりぎりと歯ぎしりをし床を踏み鳴らしただろう。だが今はそれどころではない。恥ずかしさも悔しさも腹立たしさもある。くすぶるそれより強く胸を覆うのはベルネット家のことだ。娘、リーゼに自分の醜聞を背負わせるのだけは嫌だった。
帰宅すると娘が駆け寄ってくる。初めて見せる豪華なドレス姿に興奮して目を輝かせていた。無邪気な様子に思わず視界がじわりと滲むが泣くわけにいかない。
着替えながら頭の中を整理する。夫に相談すべきなのは明らかだがどう話したものか。頭を巡らせるうちに、まずは現状の把握が一番であることに気付く。
社交の参加予定を確認する。友人の茶会が2件、夫との夜会が1件。幸いにも他はまだ返事を出していない。
あの事件をきっかけに友人は減った。領地同士の関わりがなく、お荷物なアレクサンドラとつながる利点などない。元々なんとなく集まっていたようなグループは解散も同然。一応声を掛けた結婚式を最後に縁が切れ、今は手紙をやりとりするのも数人だけだ。思い出したように手紙を送ってくる場合は大概いい目的ではない。親友と数人以外は友と呼べないだろう。だがそれでもあのサロンよりましだ。先の茶会での陰口程度ならなんでもない。
勢いに任せて不参加と保留とで選り分けた招待状を前にアレクサンドラは考える。どの会も憂鬱だ。5件も保留が出てしまったが、元々気の進まなかった心に今日止めを刺された気持ちだった。断るための理由を考える。それらしいことはあるが、避けたと思われるのも困る。答えが出ないうちに夕食になり、アレクサンドラはそっと手紙をしまった。
数日が過ぎ、答えが出ないまま別の茶会の日がやってきた。今日の主催はこの前同じテーブルの1人で漁業の盛んな領地に嫁いだ彼女だ。
友人の茶会はどれもメンバーはほぼ同じで仲良しだが、気乗りしない。ここ数日、身の振り方を考える間に友人も信じられなくなっていた。あのサロンだって主催者を信用していたが散々だったのだ。もしや先日のお茶会は情報収集で、今日もサロンの様に笑いものにされるのではないか、とても不安だった。自業自得で虫のいい話だが友人にもう一度裏切られるのは耐えられない。
今日も前回同様、友人と、友人の友人でほとんど話したことのない顔見知り程度の夫人たちがいた。違うのはお茶会の規模が半分程度なこと、会食の様に大きく細長いテーブルが1つ用意されていて、全員がそこに座る点だ。一応、周りにベンチもあるがおまけ程度。友人達と挨拶を済ますと、アレクサンドラは席に案内された。
ホスト役の友人がさっと立ち上がる。
「皆様、本日はご参加ありがとうございます。本日ご招待の皆様はここ数年、ご出産で社交をお休みされていた私の大事な友人ですの。皆様には同じ子を持つ母親同士、仲良くなって頂けたらと思います。こうした形を取りましたのもその都合ですの。どうぞ緩やかにお過ごし下さいませね。まず、お1人ずつご紹介させていただきますわ」
言うなり、隣の席の友人から紹介を始める。
彼女の紹介は見事だった。友人との繋がりから家の説明、共通の趣味など当たり障りのない情報を簡単に伝えていく。和やかな雰囲気の中、アレクサンドラは膝の上で拳を握った。自分はどうしてもこうした紹介で伝えられるような良いところが何もない。やはり、と心が冷える。
「……という方ですの。次はアレクサンドラ=ベルネット様」
ハッと顔を上げ、にこやかに会釈する。周りの表情は見えなかった。どんな言葉がきても受け止めるしかない。全員の紹介が終わったら、具合が悪いと早退しようーー。
「サーシャはベルネット伯爵家のご当主でいらっしゃるの。幼い頃から優秀で親切な方よ。お茶会で緊張していた私に声を掛けて下さってから、ずっと仲良くしていただいているわ。泣いた時は一番にハンカチを貸してくれたし、リボンを落とした時は一緒に探してくれたわ。ピアノがとってもお上手で、競い合った相手にも健闘を讃える言葉をかけられる優しい人。色々あっても大事なお友達よ。私、彼女とまた会えて嬉しいの」
そっと視線をずらすと、誰もアレクサンドラを睨んだり笑うような者はいない。複雑そうな顔の者はいたが嫌悪感はなかった。紹介は隣に移っている。
「――あの、素敵な紹介をありがとう。私……」
お茶会が始まり、主催の友人に話し掛けると友人は少し潤んだ目で喜んだ。
「こちらこそよ、サーシャ。私ってば小さい頃、とっても気が強くて皆から嫌われていたの。あの日、とても不安で……あなたが話し掛けてくれたから今があるの。あなたには感謝してるわ。お父様の言いつけでお手紙を返せなかったりお誘いできなかった時期があってごめんなさい……」
思えば友人達には婿入りや嫁入りする都合があった。行先の家の都合上、色々と制限されていても不思議ではない。多少の事情もあれ、腐って悪態をついたのは本当に何もかも自分の勝手だ。
自分は彼らに言い訳の手紙こそ出したものの、謝ったことがあっただろうか。アレクサンドラは泣きそうになる。
「違うわ。私が嘘をついたのが全て悪いの。あなた方にもたくさん迷惑をかけて、本当にごめんなさい」
涙をぐっと堪えて謝る姿に辺りの空気が一瞬冷えて、すぐに和やかになる。アレクサンドラを知る者はそのプライド故に彼女が謝れないことを想定し、それをそのまま受け入れるつもりだった。噂でしかアレクサンドラを知らない者は大層居丈高な人だろうと思っていた。だから全員が目の前の彼女に驚いた。
「――いいのよ。ね、ご主人とお嬢様のお話を聞かせてちょうだい」
「そうよ。以前ご挨拶したけれど、素敵な人ね。あなたのこと、とても褒めていらしたわ」
アレクサンドラは胸が苦しくなった。彼女の紹介は自分が望んだ伯爵令嬢の姿をそのままに告げてくれていた。あの時声をかけたのは心細そうだったから。ハンカチを貸したのはお化粧が崩れて可哀相だったから。リボンを探したのも自分だったら悲しいから。でもピアノの件は、慰めた方が状況的に良さそうだと思っただけ。それは優越感か回避行動で優しさではない。
だけど彼女たちの目にはそう見えていた。領民と同じように好意的に受け止めてくれていたのだ。益々自分が薄汚く思えた。
「ありがとう」
お互いの考えている本質は少しだけすれ違っている。けれど、涙を堪えたアレクサンドラの前に微笑む人たちは、間違いなく友人だった。先日の茶会の主催も安心したような笑顔を浮かべていた。
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