02.運命に出会う日
ベルネット家では歴代当主の肖像画を飾る習慣がある。19歳になり、そろそろ当主教育も終了する頃、書いてもらえることになった。嬉しくて仕方がなかった。19歳なら若くて美しい姿。大人になってもっと美しくなれば、その時また描いてもらえばいい。早めに描いて困ることはない。
画家は私の容姿を褒め、流れるように筆を動かした。下書きのようなものを数枚描き、本番に入る。
帰りがけにくれた習作はさっと描いたとは思えない出来で、紙の中には本当にお姫様のような自分がいた。思わず屋敷中を自慢して回った。
思いついて妹にも見せに行く。勝手口なんて靴が汚れるところは普段なら遠慮するが、その日ははしゃいで気にならなかった。背中を丸めて洗濯たらいに向き合う妹に声を掛ける。
「見なさいよ、ソフィア。いいでしょ? 私の姿絵の習作ですって」
こちらを向いた妹が画と私を見比べ、洗濯の手を止める。
「あっ。ちょっとそんな泡だらけで濡れた手で触らないでよね! 汚れたらどうするの」
そう言えば、その場でしゃがんだままほとんど表情も変えずに「いつもの言葉」が返ってくる。
「ええ、アレクサンドラ姉様、とっても素敵だわ」
新しいドレスも流行の髪型もリボンも何も、全てその反応。変わり映えしないやり取りにため息が出そうになる。私がベルネットの名に恥じないように美しく立派であろうと努めている間も、妹は呑気に使用人の真似をして、嫁に行くんだもの。
「ああ、あんたは良いわよね。嫁ぎ先が決まっているんだもの。呑気でうらやましいわ。私はこんなに大変なの。あんたには関係ないけど絵の事も家の事も考えないといけなくて」
ふんと鼻を鳴らすと、途端に絵が色あせて見えた。もっと立派ではないとならない。
「この絵だって正直に言うともう少し、目が大きいと思うのだけれど。明日またいらっしゃるから注文しましょう」
次の日、画家の描いた私の顔は薄暗く、想像よりひどかった。まだ途中だからと父に慰められたが、あんな色黒の女の上にどう色を重ねて私にしようというのか。
妹と婚約者の顔合わせがあるという。興味もないし同席しないが、次期当主の身だ。万が一の際に失礼があってはならないと、ある程度のドレスに着替えた。様子を見に行けば妹は質素なワンピースを着ていた。その有様に破談になるかしら、とため息をつきたくなる。あんなみっともない娘が妹なのも恥ずかしいし、約束が先延ばしになって私の子を差し出すなど、絶対御免だ。
本当に興味なんてなかったけれど、窓から見た馬車の豪華さにほんの少しだけ、婚約者の姿を見てやろうかという気持ちになる。美しい装飾の馬車は日に輝き、まるでお姫様が乗り降りするような繊細な模様が刻まれていた。
妹の婚約者はグリオル=ドレッセルという名だと、数年前に父から聞いた。
ドレッセル家自体は有名だが、それは功績に関する堅い話。少し前まで姉の方はたまに同じ夜会に出る機会があったが、嫡男はどの夜会でも見かけなかった。私のいる派閥には堅い話題は遠く、様子はわからない上、妹の婚約者をこちらから真剣に探すのも癪だった。さり気なく耳を大きくして手に入れた噂では、一部の高位貴族の夜会にしか出ず、誰とも踊らずに断るというもの。どうせがりがりで青白い頼りない男性なのだろう。おまけに性格も悪そうだ。
一度、たまたま知り合った侯爵令嬢に話を聞く機会があったが、白けた顔で「無駄だからお止しになったら?」と言われ、あまりの態度にこちらもそれ以上を聞かなかった。どこかに嫁に行く躾の悪い令嬢となど友達になる気はない。
盗み見て笑ってやろうと階段の上にこっそり控えたのだが、階下の玄関に現れたのは中々お目に掛かれない美丈夫だった。
父と妹と2、3言会話を交わす彼の表情は穏やかだった。
「それでは明後日、お会いできるのを楽しみにしています」
細身の体で綺麗な礼をする。全ての仕草が完璧だった。
その瞬間、私は想像した。
「今の方がソフィアの婚約者なの?」
彼と並んで歩く自分を。
階段を降りながら考える。彼のエスコートであの豪華な馬車を降りる自分を。
「ああ、1か月後にはソフィアは家を出るよ」
夢を見る。先日の侯爵令嬢達にうらやましそうに見つめられながら、彼と踊る自分の姿。
「そうよ……そうなんだわ……3年間、私は彼を探していた……」
呟きながら瞼の裏に未来が映る。まだ見ぬ豪華な侯爵家で、女主人として重宝され、国の中でも責任重大なドレッセル家の妻として大勢の人に囲まれる私――。
「お父様、お母様、私がソフィアの代わりにお嫁に行きますわ!」
これは運命。うっとりするほど素敵な人生はここから始まるの。
彼の2度目の訪問の日。私は朝から綺麗に着飾った。両親は跡継ぎの話を繰り返すけれど、そんなことは分かっている。優秀な私だからこそ侯爵家に相応しいと思うのだ。婿に来てもらうのが難しいなら、融通の利く我が家から嫁入りする人物が変わればいいのだもの。
昨日の様子からして今は健康そうだ。もし今も病弱なら尚更自分が相応しいはずだ。女主人も家の顔。妹のようなみすぼらしさは侯爵家の名に影を落とすだけ。
馬車を降りる彼の礼儀正しい挨拶に感動する。友人達も紳士だが指先まで揃った繊細さはさすがの侯爵家といったところ。自分も相応しい振る舞いを、と緊張が走る。
「こんにちは。ご丁寧にお出迎えいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ! 私、姉のアレクサンドラと申します。この度は我が家にお越しくださってありがとうございます。お茶でもいかがでしょう。応接室にご案内致しますわ」
滑らかな誘導に応える穏やかな笑顔も素敵に思える。
フリルがふんだんにあしらわれたこのドレスは自慢の1着。ふわりと揺らしながら座れば、殿方は誰もがつい目で追ってしまうもの。と思っていたけれど、本物の紳士というべきか、彼は真面目な顔のまま、私ではなく家族全員を見ていた。
私の両側には両親。大事な娘の嫁入り話だ。親からの扱いも何もかもが信頼につながる。
「グリオル様、本日はよくお越しくださいましたわ。愚妹はお迎えの準備もあの様子で申し訳ありません。先日も何か失礼はございませんでしたでしょうか?」
「ソフィア嬢の出迎えは全く不備がありませんのでご安心を。寧ろわざわざ玄関までいらして下さって嬉しかったですよ」
嬉しかったという言葉が耳に響いて胸が弾む。やはり自分の姿を見て、みすぼらしい妹より礼節があって宜しいとそう思ってくれたのだ。
「それで――この度のありがたいお話なのですけれど……恐れながらソフィアは教育もきちんとこなせない娘なのですわ。これでは侯爵家に申し訳ないと思いまして……私は次期当主として完璧な教育を身に着けております。私がお嫁に行く事もできますでしょうか?」
少し上目遣いに見つめれば、大概の男性はとても優しい反応をくれる。
そこで父が初めて口をはさんだ。
「アレクサンドラはとても優しい娘なのです。ソフィアが不出来なもので心配になったようでして……」
頷けば母も応援してくれる。父の言葉も応援のつもりかと思ったのに、続いた言葉が私の気分を害した。
「ですが婚約の件はすみません、我が家でも話し合いの途中でして……この時期の変更では無礼になるとも承知しております。まずは侯爵家のご意向を確認させていただきたく思うのです」
嫌な気持ちになる。先日の家族会議で伝えた、私が嫁ぐ正当性を理解してくれたと思っていたのに。
「私で決まりでしょう?」
と抗議するも、父は見つめるだけ。これ以上はしたなく声を上げるわけにもいかず、黙って父を睨み返す。
相手は真面目なまま、返答を絞りだした。
「婚約の件は……薄情な言い方で申し訳ありませんが、私にとってはこれまで会った事がない『約束上の関係者』でした。ですから、お2人のいずれでも私に異論はありません。ただ、お約束頂いたのは現在15歳のソフィア嬢です。そのつもりで準備も進んでおりますので、一度家に確認致します。アレクサンドラ嬢はこちらの跡継ぎのようですが、ご都合はどのように?」
「愚妹が家を継ぎますので問題ありません!」
相手が許せばこれで決まりだと、私は明るく声を返す。両親の気持ちはありがたいけれど、他国に嫁ぐわけでもない。
現当主に私の美しさが伝わればと、姿絵の下書きを持って帰ってもらった。次の夜会で友人に自慢しようと思ったものだけれど、いい使い道があった。
夜にもう一度家族会議が開かれた。やはり納得しない様子の父に、仕方がなく少し暗い話をしてみる事にした。
「最近ではね、歳の近い素敵な男性はもう結婚してしまったり、婚約者が居たりするのよ。残っているのは見た目もイマイチ、家も貧乏な下位貴族ばかり……私に相応しい方はそうそういないの」
デビュタントは16歳を迎える貴族の社交界デビューの会で国の定例行事だ。それから3年。20歳までに結婚するのが一般的な貴族社会で私は少し遅くなり始めている。それはひとえに、伯爵家当主の夫に相応しいという条件が原因。家と容姿と能力と、全てが揃っている人は中々いない上、大概既に婚約者が決まっている。ため息ばかりの時期もあった。
でも今ならわかる。グリオル様という運命のためのこれまでだ。相応しい人が私を迎えに来てくれた。
父がお前は跡取りなんだよ、と繰り返しているけれど、妹はデビューもまだだし、この平凡な容姿なら相手は腐るほどいる。
「グリオル様は私のために残されていた希望よ! ソフィアはこれから社交界に出るし、あなたに似合う人なら遅くなってからでも見つかるし良いじゃない」
父が応援してくれないのは寂しいけれど、母は理解ある眼差しを向けてくれている。
妹はいつものように、何を考えているかわからない、もしかしたら何も考えていないような顔で黙って立っていた。侯爵家だってこんな妹と私なら私の方がいいに決まっている。容姿も中身も。
もう話は終わり。と、耳にした嫁入りの日取りを思い出す。確か1か月後。
「1か月しかないなら肖像画も急いで仕上げさせなければいけないし、ドレスの新調も……」
頭を巡らせていると父の弱々しい声が聞こえる。
「可哀相だがアレクサンドラ、お前が嫁ぐなら肖像画は中止だ。ドレスも新調は出来ない。嫁いでから向こうで用意してもらうしかない」
「まあ! どうしてですの!」
描き始めている肖像画を放置するなんてもったいないし、ドレスだって古いものでは失礼なはず。着るものがないなんて御免だ。
ため息交じりの父の視線には寂しさがただよい仄暗い。
「お前が嫁げば家を継ぐのはソフィアだ。急ぎで教育も服も与える必要がある」
「そんな!」
それで私が迷惑を被るなんて信じられない。
「あなた、折角ですもの肖像画は……」
「飾るところがない。それに見るたびに嫁に出した事を後悔するだろう」
「ならドレスを……」
「デビュタントのドレスの仕上げや調整に忙しいこの時期にお前の分は頼めまい。嫁入り前には手に入らない。それにソフィアの分をねじこむだけでも相当……苦労するだろう」
でもそれでは私は古いドレスと……と気付いたのはこの国の婚約の習慣。
「ドレッセル家からの支度金はありませんの?」
格上の家に嫁ぐ婚約なら上から支度金が、格下の家に嫁ぐ婚約なら嫁入り道具を豪勢に、というのが我が国の慣例。侯爵家なら多額の支度金があるはず。
そんな期待を打ち砕くように、父はきっぱりと言った。
「ない。婚約のきっかけがきっかけだけに、いかなる金品の受け渡しもないのだ」
ショックを受けた私は小さい頃からの癖で頬を膨らませた。こうすれば両親はいつも私に寄り添い、望む通りにしてくれた。きっと今回も。そう思ったけれど、父の顔は暗いままだった。
突如、パンと手を叩いた母が明るい顔で言う。
「グリオル様におねだりしましょう! サーシャは夜会で人気なのでしょう? 彼もあなたに夢中になるわ! 侯爵家なら多少の融通は利くでしょうし、婚約者のお願いを聞かないわけはないわ」
華やかな笑顔はとても2人の娘の親とは思えないくらいに綺麗。母はいつも私に優しくて、本当に憧れる。
「あなた、肖像画も描いてもらいましょう。向こうのお家でも飾れるでしょう」
「そうだな……」
「約束はないけれど、きっと大丈夫よ。贈り物だもの」
そう言って私を抱きしめる母は女神様に思えた。
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大事な娘の嫁入り話だ→「娘」に 私