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咲く花の色は  作者: 餅屋まる
第2章 氷の礫
10/30

10.容赦ない風

 必死になって友人達に手紙を送り、自身を弁護した。しかし上手くいかない。私たちのグループの派手さも良くない影響を及ぼしていた。

 婚約者探しから始まった私の男友達の多さは男漁りだと笑われ、非難された。確かに結婚する気もない相手と恋人ごっこを繰り返していた事を快く思わない人は当時からたくさんいた。そんな状況で妹の婚約者に横恋慕をし、断言こそしていないものの、あたかも恋人かのように吹聴したのだ。評判は最悪で尻軽な泥棒猫の素質があると眉を顰められた。

 既婚の友人達は家の忙しさを理由に距離を取ってきた。それは建前だ。正直に教えてくれた友人曰く「アレクサンドラと仲良くしていると夫の不貞をからかうような事を言われる」らしい。あの夜、集まってくれた誰からも、手紙は返ってこなくなった。

 それからすぐ、独身の友人達も縁談や仕事に忙しいと返事が遅れるようになった。ここでも「浮気者」だという言葉で、同じ現象が起こる。私に付いた醜聞は消せない。それでも数人、手紙のやりとりをする友人はいたが、決してお茶会や集まりに誘ってくれはしなかった。

 あのグループにいた者は皆、不名誉な噂が自分を襲う可能性を恐れ、散らばるように離れていってしまったというわけだ。


 楽しくない手紙を出し続ける日々に疲れ、私は苛立ちを募らせた。以前は王都で流行の便箋に、綺麗な羽ペンで流れるように文字を綴ったものだ。並ぶ言葉は眩しい話題ばかりで、こんな情けない言葉ではなかった。

 手紙を書く気がなくなると便箋をびりびりに破って捨てた。気分を変えようと新しく美しい羽ペンを買っても気分は変わらなかった。毛を毟って捨てた。

 たまに届く友人の手紙の隅々までを読んで、どこにも誘いがない事を何度も確認して落胆した。




 母カルラは娘の行動に悩みながらも盲目的に彼女を愛した。

 娘の癇癪は段々とひどくなった。泣き喚くだけではなく、物に当たり散らした。前はこんなことはなかった。可愛らしく頬を膨らませ、どんなにひどくても少し大きな声を出す程度だったのに。手紙を破り、ドレスを踏みつけた時から、彼女の頭はそれを発散行動の1つとして認識したらしい。それをしたからと言って気分は晴れないが、悔しさを明らかにするのにその手の手段を取るようになった。誰かを傷つける事はしないが、乱暴に音を立てたり、クッションを投げたり、手紙をびりびりに破り散らした。

 震えるその手が気の毒でカルラは大事な娘を抱きしめた。幼い頃からずっと大切にしてきた娘がこんな有様なのが可哀相で仕方がなかった。


 カルラにとってアレクサンドラは自分の分身のような存在だった。愛しい夫との間に生まれた、初めてお腹を痛めた我が子。どうしようもなく可愛かった。ただそれだけでも良かったが、大きくなるにつれて自分に似てくるその容姿に喜びが募った。

 残念ながら自分は決して利口な方ではない。幼い頃から素敵な人に嫁ぐ事だけを考えて生きて来た女だ。だがアレクサンドラは違う。自分の容姿に加えてマルコの才を受けて優秀だ。この家を継ぐ彼女の優秀さに、マルコは喜び、カルラを褒めた。アレクサンドラのおかげで人生はより華やかになった。自分とは違うこの子が、自分の代わりに、立派に育つのが一番嬉しい夢だった。アレクサンドラは宝物だ。

 泣きつかれて眠る娘を見て、カルラは思う。この子に幸せになってほしかっただけなのにどうしてこんな事になっているのだろうと。夫も自分も、この子のために、この家のためにこれまで努めてきた。それなのに。

 大きなため息は部屋に消えていった。




 半年が過ぎた。春を迎えて小規模ながらお茶会が増える。流行も移り変わるシーズンだ。新しい花が芽吹けばきっとどうにかなると両親は胸を撫で下ろした。私も少し期待していた。

 しかしそれは許されなかった。

 ドレッセル侯爵家のグリオルがソフィアを連れて王都に戻ったのだ。領地で過ごす予定のはずではと驚くが、どうする事もできない。当然緩やかな社交にすら気を使う羽目になる。誰がどこでつながっているか、今はもうわからない。

 ひと月ほどして、両親も扇の下で笑われ白い目で見られている事に気が付いた。

 王都に戻った妹が、半年前のたどたどしさとは見違えるような立派な作法で、夫の隣で穏やかに微笑んでいたという。社交には不慣れな面があるが、僅か半年での変化に周囲は驚き目を見張った。

 それを元に姉妹両方を知る貴族からは、伯爵家ではどういう教育をしているのかと笑われる羽目になってしまった。マナーもダンスも自分という成功例がいると大きな声で言いたいが、あの事件から自分は落ちこぼれと認識されている。それに我が子の素質がどうだろうと、子どもに合わない家庭教師をつけていたと思われれば、結局親は無能の烙印を押される。伯爵家の中でも明るい話題で評判だったベルネット家は今や嘲笑の的だった。

 普段なら噂話などすぐに忘れられるものだが、火事は結構な事件だったらしい。『不思議な元伯爵令嬢ソフィア』の変化と噂とに何度も人々は話を思い出す。



 父は私の縁談を焦り始めた。それまでは自分で探したいという私の意志を尊重してくれていたし、ゆっくりでいいと言っていたのに、自らの立場が悪くなった途端、家の先行きが不安になったらしい。伝手を頼って色々なところに手紙を出しては釣書を届けさせた。

 父が持ってくる釣書はどれも良いものではなかった。家柄は釣り合っていても容姿は散々。適齢期を過ぎてふらふらしているだけの次男三男。留学とは名ばかりの遊び人の噂を持っている男までいた。


 この国は領地を持たない貴族の方が少ない。王都周りは国か高位貴族の領地、貴族の大半は王都から少し離れたところに領地を持ち、そこの産業で家を栄えさせていた。そもそも私の希望を叶えられる家は少ない。高位貴族は人数が少なく、血筋を大切にする。それこそデビュー後すぐに結婚出産を迎えられるよう、婚約者を定めている方が普通だ。もし万一今も自由な若者がいたとしても、出産に忙しい人生を送る予定の嫁に、20の娘を選ぶはずがないのだ。

 自分でも最高の条件の男が残っているとは思っていない。それでもグリオルのような奇跡は存在すると望みを捨てられずにいた。こうなった以上、結婚にまで妥協して後悔するのは避けたい。少しでも家柄が良く、見た目もそれなりで、優秀な人物がいい。その人物ならもう一度表舞台に立つ私を華やかに見せてくれるはずだ。そのくらいの人物ではないと益々笑いものになってしまう。

 母は真剣に私の話を聞き、一緒に選んでくれたが次第に父は何も言わなくなった。



 社交シーズンは散々だった。相変わらず私にはひどい醜聞がついて回った。以前から私を気に入らなかった女性陣はここぞとばかりに私をあざ笑った。堂々とした振る舞いも、華やかなドレスも、称賛の瞳ばかりを向けられていたわけではないが、あんまりだった。

 私は今でも付き合いのある友人が主催する、小さな集まりにばかり顔を出した。当然、出会いなどないに等しい。憂鬱なシーズンでは私は20を過ぎて独身の行き遅れ扱いだった。それまで独身だった友人達も20を境にほとんど皆結婚した。何度も手紙を出したファビアンが結婚したのを知ったのは、紅葉の葉が落ちる頃だった。

 この頃の父は執務室で頭を抱え、ため息をつく事が増えた。夕食にワインを飲むと虚ろな目でこちらを見ている時がある。それが酷くみすぼらしく、気分を悪くさせた。

 私も父を良く思えなくなっていた。当主教育は終わっているのに、それでも父は帳簿を見せようとしない。結婚したらと言っていたが、このままずっと見せてもらえない気もした。オールドミスになって爵位も譲られず、親戚から養子を取って、という最悪の結末を想像するたび腹が立った。



 ある晩、夕食の席での事。

「アレクサンドラ。お前の縁談が決まった」

手には何杯目かわからないワインが注がれたグラスがあるが、父の言葉はしっかりしていて、目も真っ直ぐにこちらを見ていた。冗談でも妄想でもないらしい。

「……縁談?」

「ああ、もう本決まりだ。お前には私が決めた相手と結婚してもらう」

不機嫌に眉を寄せるが父の顔は変わらない。母は黙って俯いている。

 私の意志を示すために寄せた眉を無視して父は言葉を続ける。

「相手は伯爵家の三男。街の商会で会計士の仕事をしている。大層評判の良い方だ」

伯爵家の出身なのに商会を営んでいる側ではなくて働いている側だなんて。つまり財産も分け与えられていないのだ。下手をしたら某商会を営む男爵家や、小金持ちの平民の方が裕福かもしれない。そんな男を養子にもらうなんて父は正気だろうか。

 不愉快で思わず手元の動きが乱暴になる。

「歳は32、落ち着いた雰囲気で……」

食器がガチャリと音を鳴らし父の言葉を遮る。

 32なんて、とんでもない。そんな年齢で独り身の男など、絶対に御免だ。お金も仕事もだめだった今、その年齢では見た目だって期待できない。

「とても頭の切れる方だ。この縁談は以前我が家で働いていた使用人の伝手だ。……頼み込んで紹介してもらった。拒否は許さない」

 構わずに父は話を続けた。町に出た際に偶然、例の火事からしばらくして辞めた元使用人に会って縁談を相談したという。紹介された相手は、忙しい商会の会計をほぼ1人で切り盛りする優秀な人物で、父は大層気に入っているらしい。

 流されるように信じられない条件の縁談をまとめていた。父のプライドの低さも、まるで自分が荷物のような扱いを受けた事にも納得がいかない。知っているどの政略結婚よりも惨めに思えた。可哀相にと笑う事もできずに頷かれてしまいそうな、まるで冗談のような話。

 今現在自分の元に寄せられる縁談は、放蕩息子の厄介払いや年配の貴族の後妻ばかり。自分には釣書を寄越す寡貴族のどれもが、若く美しい娘目当ての気持ちの悪い男に思えて仕方なかった。放蕩息子も寡もいずれも自分にいい効果をもたらすとは思えなかった。そもそも後妻ではこの家を出る事になる。

 そのどれよりもひどい様な気がした。いつだって自分の意志を持てと言っていた父が私を商品扱いした事が許せない。

 抗議の声を上げたが父は取り合ってくれなかった。

「いいか、アレクサンドラ。今度顔合わせがある。きちんと……」

「そんな年上の方、絶対に嫌!」

思わず立ち上がる。わなわなと震える手につかんだナイフがキラリと光る。それと同じくらい、父の目は冷たい光を宿していた。

「お前はいい加減現実を見ろ。ここ数ヶ月、お前の元に来た縁談は後妻ばかり。これ以上遅れて、好転などすると思うか? そもそもお前が火事など起こさなければこんな事にはならなかったはずだ!」

 ぐっと喉が詰まる。今まで一度も、両親から火事の件で責められたことはなかった。触れてはいけない事のように誰も口に出さずにいた。

 自分だって火事さえと思った瞬間がないわけではない。だけどもう終わった事だ。あの時は異常だったのだと思っていた。それを父に責められるとは思わなかった。

 ギリギリと歯を食いしばる。行き場のない気持ちで父を睨むと相手も睨み返してきた。そこにはもう優しい父はいなかった。

「当主になるならば家の事を考えろ! これ以上反抗するならお前を嫁に出し、親戚から養子を取る」

想像した恐ろしい未来が父の口から出た瞬間、涙が溢れた。あんまりだ。

 ナイフをがちゃんと置いて母に抱きつくと、しっかりと抱きしめ返してくれた。頭上に冷たい父の声が降ってくる。

「カルラ、お前もいい加減に理解しろ。この方を逃したら次はないと思え。街にも火事の噂は広まっていた」

ベルネットの娘は火事を起こした癇癪持ちだとお相手はご存知だ、消え入るようなその声は私の泣き声にかき消されていった。

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