01.アレクサンドラ=ベルネットのこれまで
私の人生は一体何だったのだろう。
私は一体どうするべきだったのだろう。
だって私はお姫様だったはずなのに。
そう思って静かに朝を迎え、私は気が付いた。こんな事が許されるわけはないと。
眠れなかった夜は東の方から白み始めている。
まだ誰も起きていない廊下を静かに抜け、妹の部屋に向かう。
気付けば炎は勢いよく燃えていた。
周りでは使用人たちが大騒ぎをしていて、“どうでもいい”から“大嫌い”になった妹は、いつもの生気のない顔でこちらを見ていて。
その日を境に、私の人生は一変した。
私の名前はアレクサンドラ=ベルネット。この伯爵家の長子、次期当主として生まれた。
この国は少し前、流行り病で人口が減った時を境に女性当主を認めている。私は小さい頃から「お前がこの家を継ぐんだよ」と大事に育てられた。
物心ついた時、既に私はお姫様だった。望む物は全て両親から与えられた。気に入らない厳しい家庭教師は、泣くかむくれるかすればすぐに変更された。いつだって両親は私を「可愛い」「大切な」「私たちのアレクサンドラ」として扱ってくれた。
私は幸せだった。
ところで私には妹がいる。3つ下の妹に対する幼少期の記憶はほとんどない。妹が生まれたのは丁度お出かけが楽しくなり始めた時期だ。馬車の窓の景色もよく見え、外出先で行儀よく挨拶すれば「お利口ね」と褒めてもらえる。優しい世界に夢中で、簡単に言えば私は妹に興味がなかった。
5歳になった頃、親戚が私たち姉妹にプレゼントをくれた。ただの少し豪華なリボン。だけど子どもの目にはとても素敵に見えた。私ははしゃいで受け取り、その場で髪に飾ってもらった。何度も鏡の中の可愛い自分を確認しては得意げになった。そのうち、2歳の妹にはリボンなどまだ早く、随分もったいなく思えてきた。そこで親戚が帰ったあとそのリボンを奪った。屋敷中が私の味方だ。咎める人は誰もいない。
味を占めた私は、何かあるごとに妹にはまだ早いから、とそれらしい理由で妹への物を取り上げた。一度あげたお下がりも必要になれば取り戻した。
一度、祖母から注意を受けたが両親が庇ってくれた。「ソフィアは小さいから、私が預かるだけよ」そう言えば2人は褒めてくれる。祖母の表情の意味は解らなかったけれど、とにかく手元に素敵なものがある。私は満足だった。
この頃、両親は色々な事が出来るようになり始めた私をよく褒めた。朝の挨拶が上手に出来れば褒め、嫌いな食べ物を頑張って食べれば褒めた。勝手に髪を結んだり、ドレスを着替えても、どんなに乱れていても頑張ったと褒め、ご褒美を買ってくれた。
両親は次期当主という言葉と共に「この家はお前のものだ」「お前は優秀だ」を繰り返した。その『次期当主』という難しい言葉が、いつかこの家で自分が一番偉くなる事を示していると知ると、お姫様から女王様になれるのだと目の前が輝いて見えた。妹はほとんど抵抗をしないし、私にとっては贈り物が増えるおまけ的な存在だった。この時、私は一番幸せだったと思う。
その内、私の家庭教師の席に妹が同席する日が増えた。隣に座ってよく見てみれば、おどおどした様子の妹の顔は父に似ており、綺麗な母に似た自分とは随分な違いだ。大人なら辛気臭い、と思うような様の妹は子どもの私からは薄汚く思えた。
初めの頃は優越感に浸っていたが、この穏やかな先生は2人ともに優しく、どちらも平等に褒める。遅れている妹へ読み方を教える時もある。
少し経つと、おまけの域を超えて私の生活に割り込んできて、私より3つも下なのに褒められる妹が生意気だと思うようになった。それまでは先生は私だけを褒めてくれていたのに。
どうしてソフィアが私と同じ授業の席に座るのかと父に抗議すると、父は困ったように笑う。
「もう少し先に話すつもりでいたんだけれどね、ソフィアは大きくなったら他所の家にお嫁に行っていなくなるんだ。少しは勉強させておかないと……」
父の言葉は続いていたが、私には理解できなかった。ただ、妹がいなくなる事が嬉しかった。そうなれば私は何もかもを本当に独り占めできるのだから。
母は笑う。
「優しいサーシャ、これは領主として必要な施しの精神でもあるわ。今はほんの少しの間だけ、ソフィアが隣に座るのを許してやってちょうだい」
こうして私は「優しい自分」に浸った。妹が文字を教わろうと遅れている事で補足説明が増えようと気にならなくなった。これは施しだ。私はこの妹に与えているのだと優越感が戻ってきた。
少し大きくなってもお出かけは私と両親の3人。幼い妹を連れて行ける場所では、どうしても私の基準からは低いところを選ばざるを得ない。両親がそれは教育上いけないと話し、私は素直に納得した。私だって、妹に合わせて行き飽きたつまらないところには行きたくない。新しくて楽しいところの方がいい。
ある時、お利口に出来たご褒美にと、珍しくお菓子を買ってもらえる事になった。吹き出物や太る原因になると普段は母が避けているのだ。高級なそのお店には砂糖を使ったお菓子が並んでいた。砂糖は貴重で、一部の高級菓子以外はまだまだハチミツが主流だ。気になるお菓子を選ぶと4つになった。
帰りの馬車で、正面に座った父が言う。
「アレクサンドラ、お父様とお母様と分けて、4つどれも少しずつ食べられるようにしてやろう」
「まぁマルコ、優しいわ。素敵ね」
「カルラ、お前も甘いものは好きだったな」
笑い合う両親。その時ちらと、一瞬妹がよぎる。まだ小さいからと両親が連れてこなかった妹。施す優しさには、これを分ける優しさもあるのでは。そう思ったそれは本当に一瞬の思考、「3人で食べるのが楽しみね」という母の言葉に頷いた時には消えた。だってこれは私へのご褒美なのだから。
初めてのお茶会に参加した時は驚いた。私は可愛いと思っていたけれど、世の中には同じように可愛い女の子がたくさんいるのだ。そしていつも優しい父を格好いいと思っていたけれど、もっとかっこいい男の人もたくさんいる。
世界が広がった私は、彼女たちとおしゃべりするのに夢中になった。綺麗なドレスや、美味しいお菓子、素敵な髪型の話。どれもとっても楽しかった。そして、参加者の中には自分と同じように次期当主になる女の子もいる。その子が私よりも厳しい教育を受け、お茶会にも積極的に出ていると知り、自分が一番だと思っていたから妙に悔しくなる。彼女には親し気に話す男の子もいて、それもうらやましくて仕方がなかった。
それ以来、母と共に多くのお茶会に顔を出すようにした。ドレスも顔も髪型も流行にきっちり合わせた。会場内で一番おしゃれな伯爵令嬢は私であるように、出来る事はなんでもした。勉強だって頑張った。
幸いにも勉強もダンスも作法も不自由はない。場慣れし、人気者になるのに時間はかからなかった。目上の人に礼儀正しく、堂々と振る舞えば、誰もが私を「素敵な伯爵令嬢」として認識してくれる。加えて次期当主として努めているアピールをすれば「真面目なご令嬢」にもなれる。色々な人に褒めてもらえる。
お茶会は最高の趣味になった。
世界が広がってからは使用人の事も気になるようになった。他所の家では見かけない、口うるさい者や、少し華やかな容姿の者が気になる。
浮ついた伯爵家だと思われてはならないと、私は両親に色々と申し立てた。両親はそんな私を褒め、使用人たちを叱った。辞めていく使用人も増えた。だが伯爵家の次期当主の自分の発言に従えない使用人はいなくて構わない。使用人は使用人、影のように静かに控えていればいい。
妹が大きくなっても、妹とは外出をしなかった。妹はいつも部屋か図書室にいた。ドレスを買う時も彼女はいないし、お茶会にも行かない。食事は同じ席に着くが、それ以外交流らしい事はない。
私はそれをよしと思っていた。
加えてこの頃、お茶会で会う令嬢達と全く違う、地味な妹の存在が恥ずかしくなっていたのだ。このまま表に出せば自分も恥をかく。それを両親に訴えると、いい機会だからと大事な話をされた。
「アレクサンドラ、改めて話そう。お前はこの家を継ぎ、ソフィアは16歳を迎える頃、ドレッセル侯爵家に嫁に行く」
「侯爵家?」
うちより格上の家だ。どこにも出た事のないあの子に、どうしてそんな話が決まっているのだろう。怪訝に思うと父親は昔話を始めた。
「ずっと昔はドレッセルもうちと同じ伯爵位だったんだ。その時代――お前のひいお爺様の代には親しい友人同士でね。妙な病が流行った時、ドレッセル家は薬草で功績を上げて侯爵位を賜……もらったんだが、その時、ドレッセル家のおかげでひいお爺様も救われてね。優しいひいお爺様はドレッセルに礼をしたいといろいろ持ち掛けたんだが何もなくてね。その時のドレッセル家当主が結婚に苦労した事情から、いつか子どもを結婚させたいという話になっていた」
隣に座る母が私の手を握る。
「向こうにはお前の上に女児と男児がいる。順当に行けば嫡男とお前が結婚する予定だった。だがね……」
「私たちはあなたを手放したくないの」
ぎゅっと抱きしめてきた母の体温は心地いい。
「そもそも向こうの男児は幼少期は病弱だった。婿にもらうには厳しい。そうなると約束を守るために、私たちにはもう1人子どもが必要だった」
私はピンと来た。それで妹がいるのだ。約束のためだけに。いつぞやの廊下での言葉が胸のパズルにつながっていく。
「あの子は初めから我が家の子ではないも同然だ。お前は違う。大事な娘だ。そんなお前に当主教育の苦労や、婿探しをさせて申し訳ないという気持ちもある。だが、不安要素がある婿をもらいお前が苦労するのは厳しい……」
私の前に跪いた父の目はどこまでも優しかった。
パズルのピースは全てはまる。
「分かったわお父様、お母様。私がこのベルネット家を立派に支えてみせます」
頷いた私を抱きしめる両親は世界で最高の両親に思えた。
この話のすぐ後から、妹は使用人に混ざって働くようになった。家庭教師の時間もたまにいない。妹自身がそれをどう思っていたかは分からない。気にしていなかったし、気にならなかった。だってあれは出て行くのだから。
ある日、それまでずっとどこかおどおどしていた妹の様子が変わった。これまで以上に聞き分けが良くなったのだ。こちらだって別にいじめて楽しんでいる訳ではない。話し掛ければ私に気持ちのいい言葉を返す従順な妹に、鼻歌が出そうなくらいだった。
16になりデビュタントを迎えた。私の美しさは注目の的だった。エスコートする父と共に非常にゆったりと過ごし、ダンスを申し込みに来る男性たちを見ては点数を付けた。素敵な人はたくさんいたけれど、決めるのは早い。ベルネット家と私に相応しいかを見極める必要がある。もしかしたら誰もが、伯爵家の当主の夫という位に目が眩んでいるのかもしれないから。私に釣り合う立派な容姿で、賢く優しい男性でなくては。
デビュタント後は、夜会やお茶会にも今まで以上に出席できる。幼少期には淡い存在だった鬱陶しい派閥や嫉妬はあるものの、これまで出来た友人達と楽しく過ごし、私は華やかな毎日が楽しくて仕方なかった。
ある時、妹をお茶会に連れてこないのかと話を振られた。これには返答に困る。いなくなる妹の存在は我が家ではおまけだ。とはいえそれをそのまま話せばどうなるか、それくらいはわかる。
どうしたものかと考えていたが、そうだと思い付く。
「実は私、次期当主としての勉強が忙しくて妹とはほとんど接点がありませんの。彼女は社交界デビューを華々しく飾るようで……こうした素敵なお茶会への姉妹での参加は……」
これは真っ赤な嘘。実は先日、珍しいデザインのドレスをオーダーしようと思ったら、順番待ちだった。割り込むには大金が必要だが、そんな余裕はないと父にやんわりと断られ、それと違う素敵なドレスを買ってもらった。それを思い出してのこの言葉だ。妹が金を使っていると断言はしないから嘘ではない。華々しいという言葉で金額に含みを持たせる事で、一体いくらの何かと具体的な金額を避ける。これで大概の貴族は勝手に察するものだ。
それに妹が家を出るのはデビュタントの頃。侯爵家ならお金はあるだろう。噂はどう転ぼうといい。妹が出て行き、私が女王になるその日がとても楽しみだった。
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以下のように ○○には△△ というルビ・傍点がふられます
それで妹がいるのだ→「妹」に ソフィア