二章 僕らのソシキ その2
組織集う
最近は僕の希望で透さんに体を鍛えてもらっている。
あの日、僕は自分の無力さを知った。怪人と人間には越えられない性能の差があることを身をもって感じ取ってしまったのだ。
そこで、『アルバイト』として、ある程度動けるようになるために毎日鍛えてもらっている。秘密結社に加担する以上、僕がいつ危険な目に会うかもわからない。透さんは僕を前線に二度と出させないと言っているが、社長の命令には逆らえないらしく、僕がそのことを指摘すると苦々しい顔をした。
栗林さんも一応は僕への初日の配置に不備があったと謝罪してきたが、この仕事にかかわっていくと僕自身が工作員じみたことをしなければならないとの説明も受けた。僕が人質などにとられたら元も子もないし、怪人と対峙したときに逃げられるくらいにはなっておきたい。それに、いざというとき透さんの手助けもできるかもしれない。
そんな不安と期待交じりで受けた透さんのトレーニングだが、現実はそう簡単にはいかないものである。二回りも小さい透さんに力負けするわ、転がされるわで既に心は半分折れかかっていた。透さんはああ見えて武道の心得があるらしく、話を聞くとある人を頼りに独学で学んだのだという。確かに少し荒っぽい、拳法らしくない喧嘩に近いような動きをする。
人は見かけによらないとはこのことだ。
場所は結社のビルのワンフロア丸々使った訓練場。なかなか設備が整っている。
「安倉君、準備はいい?」
僕が準備運動をしていると、軽装に着替えた透さんが声をかけてきた。
「はい。今日もよろしくお願いします」
「安倉君、最近疲れてない?無理して稽古つけなくてもいいのに」
早速、僕に甘い透さん。なんだかんだ言ってこうして心配してくれるが、訓練が始まると別人かのように僕をたたき伏せてくる。もしかしたら訓練してる透さんといつもの透さんの二重人格ではないかと疑うほどだ。
「いいんですよ。僕ももっと透さんみたいに強くなりたいですから」
「それはダメ」
急に透さんが声を荒げた。いつもより険しい顔をしている。僕はその透さんの顔にいつかの病院の時の顔が重なって見えた。
「なんで、ですか?」
「力を求めるのはわかるよ。でもね、間違っても私みたいにとか考えちゃダメだから、ってひょわぁ!」
透さんは言葉を言い切る前に悲鳴を上げて宙に浮いた。正確には透さんを高い高いするような形で体格の大きな男が持ち上げたのだ。
「よぉ、透!久しぶりやな!新人いじめとは感心せんぞ!」
スーツに身を包んだ大男。がっしりとした体格に陽気そうな関西弁。感心しないと言ってる割にはガハガハと大笑いしている。
「ちょ、剛君!おろして、私子どもじゃない!」
透さんは顔を真っ赤にしてじたばたするが当の男はその手を緩めることなく、豪快に笑っている。
「透も素直やないなぁ。新人君もそう思うやろ?」
急にこちらに振られても困る。僕は苦笑いだけ返した。
「ん?反応悪いな。あ!せや、自己紹介がまだや。俺は金山剛。コードネーム『ハワード』や。よろしゅう、安倉君!」
この男、秘密結社の怪人金山剛こと剛さんとは僕の肩を思いっきりたたいた。本人としてはスキンシップのつもりだが、少し痛かった。
もちろん、透さんを小脇に抱えたまま。
「いい加減下ろしてぇ!」
金山剛。怪人ハワード。
大柄で陽気な会社員。二十八歳らしい。
彼も結社の一員でここ最近は仕事で出張していたのだという。怪人がらみかどうかは聞く勇気はなかったが恐らくそうだろう。
「あ~、つまり、安倉君は協力者なんやな?ようあの栗林さんが通したわ!」
そして声が大きい。快活、豪快といった言葉が似あうような人だ。
「怖かったですけどね……。手違いでたまたまここにいるようなもんです」
栗林さんの殺気を思い出すと寒気がする。あの時、エレベーターから透さんが現れなければと思うとぞっとする。
「大丈夫。栗林さん、一般人にはさすがに手を出すようなことはしないから」
透さんがふふっと僕に笑いかけたが、僕は苦笑いしかできなかった。明らかに栗林さんのあの様子は目で人を殺さんとする勢いだった。
「せや、『ビースト』の調査書見たで?よう生き残った!俺も止めたんやけどなぁ」
「え?」
金山さんは僕と透さんが『ビースト』と相対することを知っていた?
「透の能力じゃきつかったやろ?それでも、一般人の安倉君と組むことで勝った。ほんなら、安倉君はもっとごっつい奴やと思っとったわ!」
あの日の出来事は覚えていない。調査書が出ている以上それを誰かが記述したのは間違いない。しかし、透さんもあの日の出来事はあまり覚えてないというのだ。
それなのに、あの戦いを勝利と締めくくるのは少し不自然ではないか?
つまり、あの戦いの一部始終を見ていたものがいる。普通に考えれば栗林さんが妥当だが、透さんが窮地に陥った状況を看過したとは考えにくいし、考えたくない。もっと、僕らを客観視するような、もっと言うならば僕らの戦いの結末を知っていたものがいてもおかしくはない。
透さんもこのことに気づいているだろうか。僕は彼女の方を見た。
「安倉君、まだまだだけど、私のピンチは救ってくれたんだよ?これからごっつくなってけばいいと思うの!」
天然なのかボケなのか。恐らく前者。透さんはこの矛盾に気づいていない。いや、透さんは結社にいることに慣れてしまったから気づけないのか?
…………。
いや、考えすぎだ。僕の悪い癖が出てしまったらしい。
その時、背後で視線を感じた気がして振り返った。
「…………」
中学生らしき少女が呆然と立っていた。制服は僕が通っていた中学の物と同じだったのですぐに中学生と判断できた。目はうつろで髪はさらりと長く腰まである。どこかこの少女のたたずまいに不思議な雰囲気を感じた。
「とおる」
少女はそれだけつぶやくと、透さんの元へ一目散に駆け寄って抱き着いた。
「わ!小色ちゃん!?」
突然の抱擁に動揺する透さん。小色と呼ばれた少女はそれでも頭をぐりぐりして自分より小さな体の透さんを離さない。
「とおる、あいたかった」
「はははっ!相変わらず、小色は透が好きやなぁ!」
「だいじょーぶ。小色はひろしも好き」
小色は金山さんに向かってグッドサインを出すが、その人の名前は剛だ。
「ははははっ!いい加減名前くらい覚えてほしいもんやな!」
本人が楽しそうなので問題はないだろう。だが、このやり取りからそれなりに一緒に時間を過ごしていることが見受けられるので、それでも名前を憶えられていないのはいかなるものかとは思うが。
「誰?」
小色が指を指したのは僕だった。確かに僕とこの少女は初対面だ。名乗らねばなるまい。
「僕は安倉幸。ここでバイトさせてもらってるんだ」
僕が握手を求めようと手を出すと、小色は不思議そうに首を傾げたが、やがて自己紹介を始めた。
「わたし、糸川小色。中学生。よろしく」
そして僕の差し出した手に手を乗せた。僕が求めていたのは握手だったのだが、何とも不思議な感じだ。
「小色ちゃん、マイペースだから気にしないで」
「はは、確かにそうですね」
小色は僕の手から手を離すと、とことこと歩いて壁にもたれかかってポケットから紙パックの豆乳を取り出し、ずずっと飲み始めた。なんだか動きが読めない子だ。
「ん?中学生がバイトしてていいんですか?」
ふと頭によぎった疑問。二人と仲がいい感じに見えたのでスルーしていたがこの光景は少し変だ。
「ん?勘違いしとるな?小色はバイトやないで」
金山さんが僕の疑問に答えた。バイトじゃないということは誰かの子どもか、はたまた拾ってきた子か。なんにせよ複雑な事情がありそうだ。
「そうそう。小色ちゃんはうちの会社、最強の怪人、『ワーム』なんだよ」
「え?」
小色が怪人?あの少女が?
僕の頭には驚きとともにある一つの残酷な答えが導かれていた。
「あの、小色はあんなに小さいのに怪人にされたんですか?」
この質問を僕は口に出してしまったことを後悔した。
あれだけにこやかだった金山さんは顔をしかめ、透さんは僕から目をそらした。その双眸は揺れていて動揺しているみたいだった。
「ん?わたし?」
小色は自分が呼ばれたと勘違いしたのか駆け寄ってきた。二人ともバツの悪い顔をしている。何か、一般人と怪人との溝をわざわざ指摘するような、やってはならないことをしてしまったような気分だ。
ゴウン。
何やら大きく鈍い音がしてサイレンが鳴り響いた。これは最初に透さんの面接を受けた時と同じようなサイレンだ。
タイミングがいいのか悪いのか。ただ今から怪人と相対すると考えると背筋が寒くなる。
「道理で三人も集められたわけや。厄介な敵が相手やな」
金山さんが不機嫌そうに頭を掻きながら携帯の画面を見せてきた。僕と透さんが覗き込むと、そこには銀行強盗に加担する怪人の確保との文字が表示されていた。
しかも、怪人は複数。コードネーム『ティターン』と『スペード』。それに協力者ともとれる一般人の名前が記述されていた。
「犯人側の要求は?」
透さんの雰囲気が『仕事』のものになったことが一瞬でわかった。この状態の透さんは見た目とのギャップもあっていつも慣れない。
「脱出用のヘリ、食料。用意できなければ政府に関するある事実を公開する、らしいわ。社長の憶測やと、怪人騒ぎの事らしいな。一般人もおるのにようやるわ」
怪人騒ぎ……つまり、怪人の実験や正体をばらすということだ。怪人騒ぎがようやく噂レベルまで落ち着いてきたというのに、怪人の正体が明るみに出てしまう。
その時、この三人は今までの平穏な日常を送れるのだろうか?
「不味いことになってるわ……」
今度は透さんが携帯の画面を見せてきた。それはあるSNSで誰もが利用しているツール。その画面には異形の物が映りこんでいた。
「え?」
怪人、現る。
世界の形は変化しようとしていた。
続きます