影
薄暗い街路。閉じきられた窓と硝子とやらからは光が漏れる。
「おい、待て。こんな街だから獣は出やしないと思うが、女の一人歩きは止せよ」
「………」
ズカズカズカと歩みを止めないギヌシャの後ろを追う。そんなに歩幅を大きく取ると揺れるものが揺れて目が離せない。ぐふふ。じゃなかったか。
「でかじり」
「~~~っ!」
言葉にならない言葉でようやく振り向いた。暗がりで表情が良く見えない。
「あなた、二度とその単語が言えないように口を縫って差し上げようかしら。こう見えて裁縫も得意なのよね」
「なら嫁さんにはぴったりだ」
「あのねぇ……!」
「俺様が悪かった。言い過ぎた。もう言わないから送らせろ」
「勝手に言いたい放題して、ずかずか他人の居場所に乗り込んできて、一体何なのよあなた。何がしたいの? 私は一人で平気だからもう関わらないで頂戴」
「そうはいかんぞ。俺様はスペシャルグレートな男、セツギ様だ。将来でっかいことをして、英雄になる男」
「酔いすぎじゃあないかしら……」
「俺様は素面だ。ああ、ただ少しばかり酔っているか?」
ギヌシャの背後に蠢く何かが見えてきた。陽炎には到底見えないが、闇が模られたようにも見える。二つ、三つ。
「四つ……なあ? 魔術ってのは人を運んだり出来るもんなのか?」
「何よいきなり。昼間も見せたでしょう? まさか転移魔術のことを言っているのかしら? そんな特異なものなら、スキル持ちでもなければ――」
そこでようやくギヌシャが振り返り、四つの人影がぬるりと薄明るい方陣から出てきたのを見た様子。もう一度俺様に振り返り、また人影へ振り返り。
更に俺様に振り返るなり肩を引き掴んで物陰へ引っ込んだ。
「何だ何だ。その気になったのか?」
「馬鹿、お馬鹿。あれが分からないの? 明らかに怪しいじゃない。ただの魔術じゃあないわよ、絶対に異常」
慌てすぎて普段の余裕というかしゃなり感が無くなっているぞ。
「ふうん。そういうもんなのか? 都会ってのはああいう移動法が確立してるもんだとばっかり」
「この田舎者、お馬鹿。ああもう、魔術のまの字も分からないのじゃ仕方ないわよね。何処から話したら理解出来そうかしら……」
ぶつぶつと考え深気に眉間に皺をよせているものだから、俺様が答えを示してやることにした。
「こらーー!」
物陰から堂々と飛び出て声を掛け、
「あんたら凄いな。こんな夜に魔術まで使って何処いくんだ? 買い物なら店は閉まってるぞ?」
物事は全て単純なのだ。やれば答えは返ってくる。
「ばっ……」
物陰から口をぱくぱくとさせながら言いたげなギヌシャ。
不意を突かれたような素振りをする連中の、背負った荷駄は重そうだ。
「これはこれは、驚かせてしまいましたかな……? 申し訳ありません。手前共は買う側の者ではない故」
これ見よがしに荷駄を揺すって代表っぽい人が進み出る。何処かで嗅いだ匂いがする。
「うむ。そうか? 量が多いなら手伝うか? あんま遠く無ければ」
「いえいえ、それには及びません。然る方から内密にとご用命を受けての事。我々共を目にしたことはどうかご内密に願えませんでしょうか?」
こっちに来てから嗅いだ匂いではない。
「秘密にしろってことだな。分かった。暗いから足元に気を付けてな」
「ご親切にありがとうございます。後程御礼を申し上げたいので、あなた様方のお名前とお処をお伺いしても?」
「俺様は――」
「どうかその辺りで! おほほほ、ごめんなさいね。うちの人、少し酔ってらして……さ! 早く行くわよ馬鹿亭主!」
今の今まで物陰で様子を見ていたギヌシャが慌てて飛び出てくるなり、体を押し付けてもと来た道を引き返そうとする。
体温と役得な感触が心地良いぞ。ぐへへ。
「ってぉい! 名乗りを上げるのは英雄に必要なことだろう。智慧でもアルカもそう言ってたろうが」
「馬鹿言ってんじゃありません!」
ぴしゃっと頭を叩かれる。何かが気に留まったのか物売りと名乗った集団は硬直するが、すぐさま深く頭を下げ、浮くように去っていった。集った残りもその背中を追って曲がり角に消えていく。
ふう、と隣から息が漏れる。
「とにかく団長に報告をしないとまずいわね」
焦った様子が収まらないギヌシャがそう言えば、
「そうだな。結婚の報告は必要だ。うむ」
「馬鹿。何の話してるの? 不審者についてよ。衛兵詰め所に直接話しても良いのだけど、団長から報告を挙げて貰った方が間違いないでしょ?」
「そうか? 後を尾けてはっきりさせたら話が早いんじゃないか? 案外、本当にただの物売りかもしれんぞ?」
「わざわざこんな夜更けに転移魔術で呼びつけて、買おうとする物なんてろくなものじゃないでしょうねぇ……。クヌギが居てくれれば良かったのだけど」
ギヌシャからすれば、尾行にぴったりなのはあの民族衣装の少女らしい。
何故か隣でピースサインをするリンカがセットで浮かぶ。
「少しでも広い通り、目につく場所から戻りましょう? 気が変わっていたら大変だわ。触媒も置いてきてしまっているものだから」
そう言うなりギヌシャは、少しばかりしゃなり感を取り戻していた。