第五話 制服
「アルテには備品の買い出しに行って貰ってたの」
「はあ……」
場所は変わり、個室の並ぶ廊下の一番隅にある小さな部屋。
湧水の壺という魔導具が設置されていて、簡単な炊事ができる共有スペースになっている部屋らしい。
僕たち三人が座るのに丁度いい広さのテーブルもあり、今回の話の場として採用された。
リーサさんが一番奥に座り、僕はその対面。
アルテは備え付けられた収納棚に、買ってきた備品をしまっていた。
「基本的にこの部屋に置いてある物は自由に使って貰っていいからね」
「あの、すっごく高そうな茶葉とか豆とかが見えたんですが……」
「そう? 品質が良くて値段も手頃なやつを選んでるんだけど」
「そうでしたか。はは……」
貴族の方は、やっぱり僕みたいな平民とはかけ離れた金銭感覚だ。
というより、僕はあんなキラキラしたラベルの巻かれた茶葉の瓶を見たことがないんだけど。
「お茶の淹れ方は、そのうち私が教えますね」
「ありがとう。僕、そういうことは全然知らないから」
お茶菓子用のクッキー缶をしまいながら、アルテがそう言ってくれた。
基本的に水かお湯、あとは飲めないけどお酒くらいしか選択肢がなかったから、その提案はすごくうれしい。
「それじゃ、改めて業務の確認をしましょう」
リーサさんがぱちんと手をたたいて場を仕切る。
「基本的な接客業務や会計処理、雑務はアルテがやってくれるわ」
「えっと、それだとアルテがすごく忙しくないですか?」
「大丈夫。アルテはすっごく優秀なんだから」
「はぁ、そうですか……」
ちらりとアルテの方を見る。
彼女は特に気にしている様子はなく、ポットでお湯を沸かしてお茶を淹れていた。
「それで、私はギルドの代表としての仕事。主に契約関係とか、重要な顧客のお相手ね」
「まあ、大体分かってました」
ギルドは同業者が集まって形作る相互扶助組合。
マニュアルにも簡単に書かれていたけれど、観光ギルドは創叡会や他のギルド、商業施設、果ては他国とも親交を結んでるらしく、それらの相手をするだけでも膨大な数の仕事が舞い込むことになるんだろう。
「だから、私は基本執務室に籠もってると思うわ。エル君、もし困ったことがあったらとりあえずアルテに聞いてね」
「はい、分かりました」
重要な書類は取り扱いにも注意が必要で、基本的にはギルドマスターの執務室から出すことは出来ないのだろう。
特に不思議なことはないので、しっかりと頷いておく。
「はい、どうぞ」
「わ、ありがとう」
アルテがお盆に載せたソーサーをそっとテーブルに置いてくれた。
エァルタ焼きのカップに注がれた薄い赤色に透き通ったお茶は、初めて飲むものだ。
少しだけ口に含むと、爽やかな香りがすっと口の中を通り抜ける。
「アルテの淹れるお茶はおいしいでしょ?」
「はい。僕、こんなにおいしい飲み物初めてです」
「ふふっ、ありがとうございます」
銀盆を胸に抱え、アルテが顔を赤らめる。
つられて僕も、少し気恥ずかしくなってしまった。
「それで、エル君のお仕事について説明するね」
ようやく、僕の仕事の内容に話題が移る。
ペンを握って、一字一句逃さずメモ出来るように準備する。
「エル君は、ひとまずアルテの補助としてある程度の受付業務をこなして貰って、あとは出来れば新しい旅行プランを考えてくれるかしら」
「え……」
話は終わったと、アルテの淹れたお茶を飲むリーサさん。
一息ついて、ようやく僕の視線に気がついた。
「あれ、どうかした?」
「ええっと、それだけなんですか?」
三人しかいないギルドである。
新人とはいえ、最初からある程度の量の仕事はこなさないといけないものだと思っていた。
そんな僕の考えを察したのか、リーサさんは猫のような笑みを浮かべ、青い瞳を細める。
「ま、最初は少しずつ慣れていって貰いたいからね。研修みたいなものだよ」
「はぁ……」
ほんとにこの職場、こんなにゆるゆるでいいのだろうか。
胸の中に渦巻く不安が、少し強まった気がする。
「あ、そうだ。まだ二階と三階について説明してなかったね」
「そういえば、まだ聞いてませんでしたね」
リーサさんはカップに口を付けて、唇を湿らせる。
「二階は資料室になってるわ。各地の観光名所が纏められた資料とか、創叡会から借りてる本とかがあるよ。外部への持ち出しは禁止だけど、閲覧は自由だから、プラン作成の参考にしてね」
「ふむふむ」
創叡会から借りている本か。
取り扱いは慎重にしなければ……。
創叡会というのは、魔女たちが作った組織のことだ。
世界中のあらゆる知識を集め、保管し、次世代へ継承することを目的とした機関で、大陸各地に知識収集のための拠点、通称“魔女の尖塔”を設置している。
対価さえ支払えば誰にでも情報を公開する中立組織で、この世で最も信頼できる情報源だ。
彼女たちの信頼を損ねることは、すなわち世界から孤立することと同義なのだ。
「三階は会議室とか、広い部屋がいくつかあるよ。……まあ、今の人数なら会議とかもここで出来るんだけどね……」
「は、はは……」
どんよりとした空気を纏うリーサさんに、僕は何も言えずただ空笑いするだけだ。
そんなとき、来客を示すベルが鳴り響いた。
ギルドの扉と連動した魔導具で、いくつかの場所に設置されているらしい。
「あ、私行ってきます」
「久しぶりのお客さんかも! 私も行くわっ」
「あ、ちょ。僕もいきます!」
リーサさんとアルテ、僕の三人は小走りでロビーに向かう。
「いらっしゃいませ! お待たせしま……」
一番にドアを開けてロビーに足を踏み入れたアルテが口を開き、そしてすぐに閉じる。
彼女の背中越しにのぞき込むと、そこには紳士服を着た老紳士が立っていた。
「なんだ、コダさんじゃないの」
リーサさんが心底残念そうに言う。
なんだかとっても失礼な気もするけど、コダさんは特に気にせず白髭を揺らしていた。
「ふむ。エル君の制服ができあがりましたからな、お届けに参った次第です」
そう言って、コダさんは手に持った包みを持ち上げた。
「わ、もうできたの!?」
コダさんの言葉に、リーサさんはすごく驚いたようで声を上げた。
「ふむ。久しぶりに楽しんで縫わせていただきましたよ。気がつけば何時間も針を握っていました」
言いながら、コダさんは包みを開く。
そこには、綺麗に折り目を付けて畳まれた、臙脂色の制服があった。
「早速、着てみてください」
「そうね。空いてる個室で着替えてきたら?」
「わぁ、ありがとうございます!」
初めてのつやつやとした綺麗な服を、恐る恐る受け取る。
「ふふ、私が着替えを手伝いましょうか?」
「だ、大丈夫だよ! ……たぶん」
いたずらっ子のような目のアルテから逃げるように、僕は奥の個室に引っ込んだ。
そこで、改めて制服を見る。
縫い目の一つ一つに至るまで、丁寧に仕上げられている。
薄く光沢のある肌触りの滑らかな生地だ。
上着とベスト、シャツ、そしてズボンがセットになっている。
「おお……」
あまりの着心地の良さに、思わず声が漏れた。
オーダーメイドだから出来るのだろう、僕の体に沿って自然な形となる服だ。
窓に映る自分の姿を見る。
くせっ毛の黒髪や、チビはどうにもならないからこの際無視する。
それでも、すっきりとしたシルエットの制服に身を包んだ僕は、まるで生まれ変わったようだ。
正真正銘、僕のためだけの制服なのだ。
そう考えると自然と気も引き締まり、背筋も伸びる。
大人の階段を一段、上ったような気分だ。
脱ぎ捨てた服を畳んでベッドの上に置いて、僕は意気揚々とロビーへと向かった。