第二話 観光ギルドの美女
「エル・クラント君。14歳。カリン村出身。読み書き計算はできるけど、これといった特技はなし、ね」
「は、はい……」
連れてこられたのは、広々としたロビーの隣に設けられた応接スペース。
革張りのソファに座らされて、僕は面接を受けていた。
ガチガチに緊張し、全身が岩のように硬直している。
ギルドの内装は、優美な外観に負けず劣らずの煌びやかなものだった。
天井には光輝を放つ魔導ランプがいくつも並び、床には靴が半分も沈むような赤い絨毯が敷き詰められている。
壁には巨大な額縁に納められた一枚絵が飾られ、エァルタ焼きの壺も置かれている。
どれもこれも傷一つなく、大切に扱われているのがよくわかった。
まるで、王宮に迷い込んだような気分だ。
村で一番大きい村長の館でも、こんなに豪華じゃない。
もっとしなびてた。
「村ではどうやって暮らしてたのかしら?」
「父が猟師をしてました。それで、僕も獲物を捌いたり、罠の仕掛け方とかを習ってました」
薄桃色の唇に、黒色の万年筆を押し当てて、女性は思案顔になる。
所作の一つ一つが、自然な美しさを伴っている。
ほうっと見とれていた僕は、ふっとあることを思い出した。
そういえば、僕まだこの人の名前も知らないのだ。
「あ、あの!」
「うん? どうかした?」
「名前を、伺っても……よろしいでしょうか……」
琥珀色の瞳にのぞき込まれ、尻すぼみになりながらも質問する。
彼女ははっと目を開くと、少しだけ舌の先を出して頬を掻いた。
ついさっきまでの大人びた表情とは一転して、いたずらがばれた少女のようなあどけない笑顔だった。
「えへへ、ごめんね。そういえば自己紹介がまだだったわね。私はリーサ・モート・アルストリア。この観光ギルドのマスターよ」
「もっ!?」
リーサさんの名前、そこに連なるモートの称号。
それは、リット王国における貴族位を示すものだ。
当然、僕のようなただの平民がおいそれと会えるような人ではない。
「あ、あの、僕ここにいてもいいんでしょうか……」
さっきよりも激しくなる震えと動悸を抑えながら、リーサさんに尋ねる。
「ああ、平民がどうとか、貴族がどうとかって話ね。大丈夫よ、私はそんなの気にしないし」
「でも貴族様のお店に平民がいると、余計な問題が起こりますよ」
「大丈夫よ。ここは私の城。他の貴族がどう言おうが、ここでは私が法律なのよ」
自信満々に胸を張り言い放つリーサさんに、僕はとりあえず引き下がる。
納得できた訳じゃないけど、反論できるような雰囲気じゃない。
どうせ面接を軽くした後は落とされて祈られて帰るだけだ。
お客さんがいないうちにささっと終わらせてもらおう。
「それで、エル君は旅とか好きかしら?」
面接が再開されて、リーサさんから質問が投げかけられる。
「好きか嫌いかで言えば、好きですね」
観光ギルドらしい質問だ。
旅は身体的にも精神的にも大きな疲労が伴う。
お金もかかるし、危険だってたくさんある。
でも、普段は見ることのない景色を見たり、知らない人と話すことができる。
それは全部、旅をしないとできないことだ。
禁猟の時期は、よく父さんに連れられて近隣の村まで遊びに行っていた。
長くても数日の短いものだったけど、旅といえば旅だよね。
妹たちが生まれてからはそんな余裕がなくなったし、父さんが体調を崩してからはめっきりだ。
なんて、僕が幼い日の思い出を逡巡していると、リーサさんは興味深そうに頷いて手元の紙に万年筆を走らせていた。
「知らない人と話すのは苦手じゃない?」
「苦手だと思ったことはないですね」
「魔法は使えるかしら?」
「うっ、えっと、ほんの少しだけ……」
「どんな魔法が使える?」
「簡単な土木系魔法と、治癒魔法です」
「ふむふむ……」
地面を耕したり、岩を砕く土木系魔法の類は、農村の住民なら覚えておいて当然とも言われるほどの魔法だ。
多少使えるくらいで褒められるような物ではない。
治癒魔法も擦り傷や切り傷を癒やす程度の、簡単なものだ。
「よし。採用!」
「はぁ……。ええ!?」
予想の外から飛び込んできた言葉に、一瞬脳がフリーズした。
「制服はオーダーメイドになるから、この後隣の仕立屋さんで測ってきてね。早速明日から来てくれるとうれしいわ」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってください!」
「なあに? あ、お給料は月末にならないと渡せないからね」
「いや、そうじゃなくて!」
矢継ぎ早に繰り出される言葉を慌てて遮る。
リーサさんは不思議そうに可愛らしく首をかしげていた。
「ほんとに雇ってもらってもいいんですか?」
「え、雇ってほしくないの?」
「いや、うれしいです! で、でも僕は平民で」
「だから、平民とか貴族とか、このギルドじゃ関係ないんだって」
「いや、でも……」
「あーもう! ごちゃごちゃ言わずに私に従いなさいっ!」
「はいぃぃぃ!!」
鋭い視線と言葉が僕を貫く。
情けない僕は一瞬にして従順な犬のように背筋を伸ばして返事をしていた。
これが貴族の風格なのか。
「それじゃ、早速仕立屋さん行ってきてね」
満面の笑みを浮かべ、語尾にハートが付きそうな彼女の台詞に突っつかれ、僕はギルドから飛び出した。
観光ギルドの隣に建つ仕立屋さん。
名前をモース服飾店というらしい。
鈴の鳴るドアを開けて店内に滑り込むと、薄暗い店の奥に、紳士服を纏ったおじいさんが立っていた。
「あ、あのー……」
「観光ギルドの方ですな。いらっしゃいませ」
話は通っているらしく、おじいさんは優雅に一礼した。
かっこいいおじいさんだ。
「わたくし、店主のコダ・モースと申します。以後お見知りおきを」
「僕はエル・クラントです。よろしくお願いします」
自己紹介を交わした後、早速測定に移るため、僕は店の奥の小部屋に連れて行かれる。
コダさんは一流の仕立屋さんらしく、流れるような動作で素早く測り紐を繰って僕の体を記録していった。
その作業の間で、僕はほとんど動かず、されるがままだ。
「ふむ。よく鍛えていらっしゃるようですな」
「一応、以前は父と一緒に森を駆け回っていましたから」
感心したように蓄えられた白髭をなでるコダさんに、僕は恥ずかしくなった笑いながら答える。
猟師にとって、森は庭だ。
目を閉じても走れると豪語する父さんについて行っているうちに、自然と体は鍛えられた。
「ふむふむ。それはよいことです。人が服を選ぶように、服もまた人を選ぶ」
「僕はいい服に選ばれますかね」
「貴方の体は、服が大好きな自然な体ですよ」
うれしそうに目尻を下げて語るコダさん。
彼の持つ服への情熱は、並々ならぬ物があるようだ。
「それでは、制服が完成しましたらギルドの方へとお届けに参ります」
「ありがとうございます」
「ふむ。わたくしも今から服を縫い上げるのが楽しみですよ」
うれしそうに髭を震わせるコダさんと別れ、僕はギルドに舞い戻る。
去り際にちらりと目に入った陳列されていた洋服の値段は、ちょっと頭が痛くなってくるものだったので、もう気にしないことにした。
「ただいま戻りました」
「おかえりー。どうだった?」
ギルドに入ると、リーサさんはカウンターで資料の整理をしているようだった。
「とっても手際がよくて、僕は特に何もしませんでした」
「あはは、コダさんは王都でも指折りの仕立屋だからねー」
「お値段もちょっと、僕の見たことない桁数だったんですが」
「そのあたりは心配しなくていいよー。ちゃんと経費で落ちるからね」
「はぁ、そうですか……」
オーダーメイドの制服など、値段を聞くのも恐ろしい。
自分はとんでもない場所に迷い込んでしまったのではないかと、僕は少しだけ怖くなった。
「それじゃ、とりあえず今日できることはないかなー。あ、これ契約書とマニュアルね」
「あ、ありがとうございます」
「明日は朝の鐘が鳴る頃に来てくれたらいいからね」
「はい。わかりました」
数枚の紙と分厚い本を受け取って、鞄の中にしまい込む。
どっしりとした重さが、心の上にものしかかってくるようだ。
「それじゃ、また明日ー」
「きょ、今日はありがとうございました」
「ふふ。そんなに緊張してたら、余計な疲れがたまっちゃうよ」
軽快に笑うリーサさんに見送られ、僕はゆっくりとギルドを後にした。