第二章 #3.望月家の覚悟
目の前に現れた男女のオーラに隆一郎は圧倒されていた。昨日訪れてきた猫男ルイは、もう一人女性の客人を連れて訪問してきた。
「こちらはアンリーヌ王国の首相、ミーファ氏です」
「はじめまして。ミーファ=チホ=モーランと申します」
「しゅ、首相?」
それは息を呑むほどに美しく、気品に溢れた女性だった。猫耳でさえも上品に見える。隆一郎はさりげなく口元に手をやり、自身の鼻の下が伸びていないか確認しつつ固い表情を保ちながら挨拶を交わした。
「…ど、どうも」
「家族の皆様ともお話をさせていただきたい。お邪魔してもよろしいですか?」
「え、ええ。どうぞ」
ルイに促され、隆一郎は二人を招きいれた。既にリビングのソファには翔太とレナ、美由紀をスタンバイさせている。
「こんにちは」
屈託のない笑顔で女首相は家族に挨拶を交わした。その後に続きルイが会釈する。彼はレナを見るとにっこりと笑った。レナはルイを見ると首をかしげる様な素振りを見せていた。それを見た彼は深刻な表情に変わった。
「どうぞお掛けになって下さい」
美由紀がソファを薦める。
「失礼します」
二人は腰掛けると、家族に自己紹介を始めた。美由紀の顔を見たルイは心なしか表情が固かった。
「私はルイ=アントビー=マルスチドと申します。こちらはわが国の首相、ミーファ=チホ=モーラン氏です」
「しゅ、首相さん?」
翔太が驚いたように声を上げた。
「はい。ミーファと言います。えっと…お名前は?」
「しょ、翔太です」
「翔太君…いい名前ね」
目の前の美人に名前を誉められ翔太は真っ赤になっている。
「シュショーサン?」
聞きなれない言葉にレナが隣に座っている翔太に問う。
「あぁ、首相さん。国のリーダーだ。会社で言えば社長さんみたいなもんかな。とにかく偉い人だよ」
翔太は小声でレナに囁いた。
「フーン」
理解したのかしていないのか、翔太の説明にレナは適当に返事をしていた。
「翔太君がこの子を保護してくれたのね?」
「は、はい」
「どういう状況だったか教えてもらってもいいかしら?」
翔太は学校の帰り道で子猫を拾った時から人間へと変化した昨日に至るまでの経緯を説明した。
「なるほど、レナちゃんね… いい名前を付けてもらってるわね」
首相はレナを見ながら微笑ましそうに言った。レナは嬉しそうににっこりと微笑みを返している。当時隆一郎が適当に新人美人OLの名前を付けたなどとは口が裂けても言えない雰囲気が漂っていた。
「既にルイ先生の方から聞いてご存知かと思われますが、この子の本当の名前はティア=ローレット=アンリーヌと言います。わが国の王の末っ子の王女さんです」
ミーファ首相は再確認するかのように隆一郎の目を見て言った。宝石の様に美しい瞳に吸い込まれそうになるのを必死で抑えながら彼は頷いた。
「彼女は脳の病気で、意識の一切を失っていました。十歳の時から約五年に渡る植物人間生活で、王も気が気ではありませんでした。何とか彼女の意識を取り戻したいと、専門の機関を探していらっしゃったのです」
「それが、こちらの『人工生命工学研究所』という機関ですか」
美由紀がルイの名刺を見ながら言った。ルイは何故か緊張した面持ちで彼女の質問に応えた。
「は、はい。厳密に言えば、王からの依頼で立ち上がった機関です。首相を通して私の以前勤めていた『アントビー・コンピュータ』という会社へと白羽の矢が立ったのです」
「アントビー… あなたのミドルネームと同じですね」
「この会社は私の叔父が社長を務めています。独立部門として研究所が出来ました…」
ミーファ首相がその後に続いて説明を続ける。
「親会社とそのグループ機関、そしてこの研究所は国家の管理下にあるのです。そしてこの組織は一般公開されていない機密機構。私どもの国、いや、世界中ではコンピュータの使用は制限されていますので」
「利用が制限…。どういう事です?」
隆一郎は目の前の女首相に問うた。
「お宅の星のように、誰もがコンピュータとネットワークを利用できるわけではないという事です」
「それは、不便だ」
「不便でしょうかね? 勿論、その存在を一度知ってしまったら不便に感じるでしょう。ですがその存在を知らなければ特に不便とは感じないのではないでしょうか」
「という事はこの星の国民はコンピュータもネットワークも存在すら知らないという事か?」
「ええ。勿論国民の全てというわけではありませんが」
「どうしてまた… まだコンピュータの技術が進んでないのか?」
「いえ、私どもの星では既に二百年前にネットワーク網と対応する端末は完成しております」
「に、二百年前だと!」
「どうして国民にその存在を隠しているか。それはその内理解できると思います。但しこの件はこの星ではくれぐれも内密にしてください。さもないと貴方は処罰されます。下手すると死刑…」
首相はとんでもない事を言いながら、終始にこやかな表情でアリアスの国家機密の一部を吐露した。
「コンピュータの事を誰もが知っている地球人(貴方がた)だから先に教えておきました。知らずにこの星の国民に尋ねられても困りますからね」
「わ、分かった」
「とにかくこの機密機関で医療用電子機器の研究と開発を行っているというわけです」
「ところで、どうです? 話し合いはされましたか?」
ルイが本題へ入り、隆一郎に目配せする。
「あ、あぁ」
「では彼女をお返しいただいてよろしいですね?」
昨夜のレナを思い出し、隆一郎は黙り込んだ。
「もう時間がないのです。彼女に埋め込まれている脳内チップは間もなく期限を迎えます」
「どういう事だ」
「このまま放置してしまうと、彼女の記憶が徐々にリセットされてしまうのです」
「えっ」
「もうすでにその兆候は見え始めています」
そういうとルイはレナの顔を見て、にこやかに話しかけた。
「お嬢様、私の名前は分かりますか?」
レナは首を傾げている。
「私はルイ、あなたの先生ですよ」
「センセイ?」
そう言って彼女はまたも首を傾げた。
「こ、これは…。昨日は『センセイ来たの?』って言ってたのに…」
隆一郎は愕然とした。それを見た翔太と美由紀は涙目になっている。
「お分かりいただけましたか? 早くしないと私の事だけでなく全ての記憶がリセットされてしまう。貴方達の事も、貴方たちと過ごした時間も」
「そんな…」
「記憶をなくされる程辛いものはありません。今まで共に積み重ねてきたものや思い出がすべてなかったことになってしまうのです。無くされる方も無くす方も、どちらにとっても辛い」
「もうレナと会う事はできなくなるんですか?」
翔太がルイに尋ねた。
「申し訳ないが、検査入院、データ管理、更新チップのプログラム作成と、しなければならない課題は山積みです。それに、彼女は被験者であると共に、この国の王女です。貴方がた異星人と一緒に居させる理由はない」
確かにルイの言うとおりだ。こちらは捨て猫だと思って保護しただけの事なのだ。それが今になって真相が分かった。状況を考えればレナを手放さなければならないのは仕方のない事だった。
「ひとつ聞いていいか?」
「何でしょう?」
「俺達は地球に戻ることはできるんだろうか?」
「…分かりません。前例がないもので」
「君たちは地球へと自由自在に行くことが出来るんだよな」
「ええ」
「その力で何とか戻ることはできないのかな」
「…現段階では何ともいえませんね。こちらも手段をこれから考えさせては頂くつもりですが」
「じゃあ俺達はそれまでこのままこの星に居座り続けなければならないという事だよな」
昨夜、皆で話し合いをした。レナの事や、今後の望月家の事。隆一郎の中で、地球へと戻ることは難解な事なのだろうというのは察しがついていた。例え戻れたとして、いつになるか分からない話に望みをかけて不安の中生きていくより、この不可解な現実を受け止めて楽しく生きていく方がよっぽど得策なのではないかとも。それに昨夜のレナだ。真夜中に人知れずしくしく泣いていたのを彼は見てしまったのだ。
「覚悟は出来ている」
「それはどういう…」
「どうせすぐに戻れないのなら、この星で過ごす他ないって事だろう?」
二人は黙り込んだ。彼らも直面するこの問題についてどうするべきか考えているようだった。
「俺達はこの星で暮らしていくという覚悟を決めた。レナはもちろんそちらへ引き渡す。彼女の病気を一刻でも早く治してあげてほしい。そして帰るべき場所へと帰してあげて下さい。……その代わりといってはなんだが、彼女が元気な時、たまに会わせてもらうことはできないだろうか。頼む」
「…それ位なら …まぁいいでしょう」
「それと、この星で暮らしていくにはどうしたらいいか教えて欲しい」
隆一郎は真剣な眼差しでミーファ首相に言った。
「まだ貴方がた地球人がこの星に来たことは他の大臣には報告しておりません。今日の視察次第で報告する予定ではありましたが、今こうやって貴方がたと面会させていただいて、とても素晴らしいご家族だという印象を受けました。少なくとも我々の星に敵対心を持っていない。そして覚悟を決めてこの星で生活をしていくと言う言葉に感銘を受けました。貴方がたの王女に対する家族同然の愛情にも」
「俺達がこの星に来たことは内密にするという事ですか」
「この星で暮らすには、まず、地球人と言うことを隠して生きる必要があります。もし公にすれば、マスコミ連中がこぞってこの家に集まってしまいますし、この星にいる限り、貴方達は物珍しい目をされ続けて生きていかなければなりません。分かりますね?」
「じゃあ、どうすれば…」
「貴方達には明日からアリアス星の人間、つまり、貴方がたの言う猫人間になっていただきます――」
(つづく)