第一章 #6.俺達は宇宙人
先程までの上機嫌な顔が嘘だったかのように、深刻な顔をした隆一郎がリビングへ戻ってきた。
「あなた、どうしたの?」
あまりに蒼ざめた夫の顔を見て、美由紀は顔を顰めた。
「今から家族会議を始める」
「カゾクカイギ?」
翔太の隣にぴったりとくっついたレナが問う。
「いいか? よく聞けよ?」
彼はソファに座るや否や、深呼吸するように深く息を吸った後、ゆっくりと口を開いた。
「信じられないかも知れないが、俺達は宇宙人だ」
「は?」
美由紀と翔太は思いもよらぬ隆一郎の陳腐な発言に思わず失笑した。
「あなた、頭おかしくなっちゃったんじゃないの?」
「親父… 天然はパーマだけにしてくれよ…」
「うまいこと言っている場合ではない! いいから外へ出てみろっ!」
朝からビールを飲んで隆一郎は酔いが回っているのだろうと冗談めかして言ったつもりであったが、 いつにない彼の緊迫した表情と声に圧倒され、背中を押されるように外へ出た。刹那、美由紀と翔太は見慣れたいつもの景色とはまるで違った風景に驚愕のあまり目を見張った。
「こ、これは…」
彼らの目の前に広がったその光景は、今にも砂埃の舞いそうな赤茶けた土が広がった大きな平地だった。望月家の門扉からは、一本の土道が真っ直ぐに遠くまで続いている。少し先には道に沿って木造の古めかしい廃墟のような小さな建物が何軒かぽつぽつと建っていた。
「あなた… こ、これって」
「あぁ、異世界だ」
「い、異世界っ!」
まるで荒野の様に広大な景色を見て翔太と美由紀は言葉を失った。レナは何かを思い出しているかのように遠くを見ている。
「アリアスという星に俺達はいるらしい」
「ア、アリアス?」
「猫が進化した地球と同じような星だ」
「それって…」
「あぁ、本当に存在していたって事だ…。 ここはアンリーヌ王国という国で、グアラライという場所だそうだ」
「グアラライ…」
レナが遠くを見つめながら呟いた。
「信じられない…」
翔太は腰を抜かし、その場にへたり込んだ。美由紀はただ呆然と目の前の景色を眺めている。
「俺だって信じられない。奴に言われて初めて知ったんだ」
「奴って…さっきの来客?」
「あぁ、ルイとかいう猫男だった。レナは分かるな?」
隆一郎はレナに目配せして言った。
「センセイ… キタノ?」
「そうだ、君を迎えに来た」
「迎えに来たって… どういう事だよ!」
翔太は慌てて問いただした。隆一郎はルイとのやりとりを美由紀と翔太に話した。
「レナがこの国のお嬢様だって!?」
話を聞き終えた翔太は信じられないといった風に素っ頓狂な声を出した。
「そう言う事だ。明日その男がレナを迎えに来る」
「そんな…」
「どうやらレナの居場所は俺たちの家じゃないらしい」
翔太は黙り込んだ。美由紀もずっと沈黙を貫いたままだ。このままレナと離れ離れにならなければならないのだろうか…そんな不安が皆の脳裏を掠めた。
暫しの沈黙の後、押し黙っていた美由紀が疑問を口にした。美由紀だけでなく、それは皆が思っていた事だった。
「私達、もう戻れないのかしら?」
「分からん……。だが、奴の話を聞く限り、この星は地球よりも遥かに進んでいるようだ」
「この星が?」
目の前の殺風景な風景を見ながら翔太は疑わしそうに聞いた。
「異空間を自由に行き来出来る術を持っている人種らしい。だからレナも地球に来れたわけだ」
「そうだけど…」
「大丈夫だ。ちゃんと地球に戻れるさ。来れたんだから戻ることだってできるはずだ。お父さんを信じろ」
今日程父親が頼もしく思えた日はないと翔太は思った。
「でもいつの間に移動したんだろう?」
「恐らく昨日の夜中だろう。レナが猫から人間の姿に変わったのも恐らくこの空間移動と関係しているんではないかと踏んでいる」
「じゃあ俺が起きた時には既に」
「恐らくな…。とにかく、明日奴から詳しく話を聞こう。今後の事はそれからだ」
ふと翔太はレナの方を振り向いた。彼女は彼を見ると寂しげな表情で微笑んだ。しかし彼女の透き通った大きな瞳にはうっすらと涙が溜まっている。
「レナ、ショウタト ズット イッショダモン」
そう言うと彼女はしくしく泣き始めた。
「レナ…」
堪らず翔太はレナを抱き寄せ頭を撫でていた。彼女の涙が翔太のシャツを濡らす。それはとても熱い涙だった。
そんな二人の姿を見た美由紀は、隆一郎の手を取るとしっかりと握りしめた。彼も美由紀の手をギュッと握り返す。
「大丈夫だ。俺は望月家の代表だ。いや、この場に限っては地球人の代表と言って良いのかもしれない。俺が何とかする。何と言っても俺は元オカルト研究会の部員だからな」
おバカだがここぞと言うときにはいつも頼もしい夫を学生時代から美由紀は幾度と無く見て知っている。付き合い始めたときや結婚する時、出産するときや子育てで悩んでいるとき、いつも彼は側にいて支えてくれた。そして今日も。隆一郎と出会えて心底良かったと、美由紀は改めて感じていた。
「さ、とりあえず家に戻ろう。レナと翔太が作ってくれた唐揚げが冷めちまう」
「もう冷めちゃってるよ」
レナの手をしっかりと繋いだ翔太が涙目で言った。
「だろうな…でも、一生懸命作ってくれたお前らの愛は冷めないけどな」
隆一郎の気障な台詞にその場にいた三人が凍りついたのは言うまでもなかった。
明日なんてどうなるか誰にも分からない。今日の出来事が昨日分からなかったように。明日があるという事は希望があるという事でもある。それを信じて今という時間を作り上げたい。隆一郎は心の片隅でそんなことを思っていた。
第一章 完(第二章へつづく)