第一章 #5.望月隆一郎の驚愕
突如インターホンのチャイムが鳴った。
「朝から誰だろう? 酒臭いぞ、やばいな」
隆一郎は美由紀に目配せしつつ、一人苦笑しながら言った。美由紀はよそ行きの顔を作り玄関に向かったが、彼女はすぐにリビングに戻ってきた。
「あれ? どうした?」
「出てみたけど、誰も居なかったわよ」
「居ない? 今時ピンポンダッシュするガキなんかいるのか?」
隆一郎はそれが得意だった自身の遠い過去を思い出しながら言った。唐揚げを頬張りながら暫し懐かしい思い出に耽っていると、再びインターホンのチャイムが鳴った。
「ん? やっぱり誰か居るんじゃないか? 俺が出てみるよ」
彼は玄関へ向かうとドアを開けた。しかし誰も居ない。
「なんだよ、いたずらにしても悪質だな」
玄関を閉めかけようとしたその時、誰も居ないはずのドアの隙間から若い男の声が聞こえた。
「こんにちは」
「は、はい?」
その声の主は足下に居た。それは一匹の黒猫だった。
「わっ」
その黒猫が普通の猫と違うのは一目見ただけで分かった。喋る事はもちろんだが、その黒猫はスーツのような小さな服を身にまとっていたからだ。しかもとても洒落ている。犬用のペット服は見たことがあるが、猫が衣服を纏っている姿を隆一郎は初めて見た。
「皆まで言わなくて結構。言いたい事は分かっています。それに今のあなたならそんなに驚くべき事でもないでしょう」
そう言った刹那、黒猫は瞬時に人間の姿へと変貌した。
「わわっ ね、猫人間!」
「猫人間と言う言い方は心外ですが…まぁ、いいでしょう」
人間と化した彼は端正な顔立ちをしていた。いわゆるイケメンというやつだ。髪は黒髪で、目つきは少し鋭さを兼ね備えている。やはり頭には小さな猫耳が付いていた。
「単刀直入に言います。私はあなた方が匿っておられる猫、つまり今お宅にいるはずの女の子を迎えにあがりに来ました」
「えっ!」
隆一郎は狼狽を露わにした。 一体何者なのだこいつは。レナの事をなぜ知っている。
「あなた方が拾われた猫はただの猫ではない事はもうお分かりですね?」
「あ、あぁ」
その男がレナと同じ種類の生物だということは薄々勘付いていたが、警戒しながら隆一郎は曖昧に答えた。
「運が良いのか悪いのか、あの子は異世界に随分と興味がおありの貴方の家族に拾われてしまったようだ。お陰で我々の星と存在をあなた方に知られてしまった」
「どういう意味だ?」
「貴方の推測通りだからです。猫が進化した星があっても不思議ではないとおっしゃってたではありませんか」
「そ、それを何で知ってるんだ? ま、まさか盗聴したのか?」
「ええ、申し訳ありませんが」
「何でそんな事をするんだ!」
「当然でしょう。突然不審な家から電波をキャッチしたんですから」
「この家が不審な家だと? 電波? どういうことだ」
「我々には一人一人にチップが埋め込まれています。もちろん彼女にも。その電波を私がキャッチしてこちらに伺ったと言う訳です」
「えっ! レナにICチップが?」
「ええ。厳密に言えば名称も構造も格段に違いますがね。貴方の星で言えばそれに近いものなのかも知れません」
黒猫男は表情を一つ変えず隆一郎に淡々と説明した。
「こちらの星では大昔からチップの埋め込みが義務付けられているのです。圏内ならば居場所位はすぐに特定できます。もちろん、限られた者しか情報は利用できませんが」
「その電波を受けて俺の家に盗聴機を仕掛けたという事か?」
「盗聴器を仕掛けた訳ではありませんが、まぁそんな所です」
黒猫男は悪びれる風もなく言った。クールな物言いが妙に鼻につく男だ。
「とにかく今すぐ貴方の家に居る女の子を引き渡してもらえませんかね」
男は少し苛ついているように見えた。早くレナを取り戻したいらしい。
「断る」
隆一郎はきっぱりと言った。
「猫だろうが、その猫が女の子になろうが、うちとしてはあの子はもう家族同然なんだよ。女の子の姿になったのには正直驚いた。だけどね、変な言い方かもしれないが、俺の中ではレナは猫のまんまなんだよ。それに君はレナとどう言う関係なんだ」
「あっと…申し遅れました。私はこう言う者です」
黒猫男は内ポケットから名刺を取り出し隆一郎に差し出した。しかし何が書いてあるのかさっぱり分からない。まるで暗号のようだ。
「失礼、そうでした。言語が違いますね」
隆一郎の心を見透かしたかの様に黒猫男が言うと、彼は名刺に手をかざした。すると名刺の文字が全て日本語に変わった。
「な、なんと」
「これも我々に埋め込まれているチップのお陰です」
改めて名刺を見ると『人工生命工学研究所 所長 ルイ=アントビー=マルスチド』と記されていた。
「人工生命工学研究所?」
翻訳されても尚理解に苦しんだ彼は、ルイなんちゃらかんちゃらという目の前の異星人に問いただした。
「はい。主に電子頭脳の開発と研究を行っている法人組織です」
「で、電子頭脳?」
「はい。国家プロジェクトの一環とでもいいましょうか…つまりあの子は被験者なのです」
「レナが被験者だって!?」
「ええ。彼女は我々の国の君主の王女、つまり王の末の娘さんで、ティア=ローレット=アンリーヌという方です」
「えっ!お嬢様という事か!」
「そういうことです」
何という事だ。レナが異世界の王の娘だと? 飛躍していく話に隆一郎は頭を整理するだけで精一杯だった。
「し、しかしそんな高貴なお嬢様がお宅の被験者とはどういう事なんだ?」
「機密事項なのでそれは言えません… と言いたい所ですが、彼女を匿っているあなた方にはそうもいきませんね」
ルイという猫男は観念したような顔をして話し始めた。
「末っ子にあたるティアお嬢様は生まれつき体が病弱でしてね、幼い頃から王室の専門病院で幾度となく入退院を繰り返していました。そして十歳の時、突然意識を失って倒れられたのです。幸い命に別状はなかったのですが、脳機能が一部働かなくなりました。つまり、植物状態に」
「な…」
「点滴など外部からの栄養もあり、身体をつかさどる器官は維持した状態で体だけは正常に成長していたのです」
「昏睡状態で身体だけ成長していったって事か?」
「お察しの通りです。ただし、普通の成長と比べると僅かに遅いペースですが。今彼女の年齢は十五歳です」
「十五歳…」
「因みに年齢の数え方は貴方の星の人間と全く同じです。一年は三六五日、一日は二十四時間というのも同じです」
隆一郎の疑問を察したようにルイは言葉を添えた。十五歳という事は翔太と二つしか変わらない。
「十五歳の少女としてはまだ小さいでしょう?。やはり成長の速度が遅いせいもあるのです。肉体年齢的に言えば十二歳といったところでしょうかね。知能年齢は倒れたときの十歳のままです」
ここまで聞いたところで隆一郎ははっとした。
「まさか、さっき言ってた電子頭脳って…」
「はい、今の彼女の脳には我々が作った特殊チップが埋め込まれています」
「よ、要するに人工知能ということなのか?」
「いえ、完全なる人工知能という事ではありません。あくまで補助的なものです」
「補助的?」
「ええ。そういった事も可能なのですが、このアンリーヌ王国では完全なる人工知能というのは法律で禁じられています」
「アンリーヌ王国?」
「アリアス星の主要国、つまり私も含め、ティアお嬢様のお父様が君主の国にあたります。アース星で言えばアメリカ合衆国といえば分かりやすいでしょうか?」
「アリアス星… それは猫人間…いや、おたくの人種の星の名称か?」
「はい。こちらでは猿人間…失礼、あなたがたの星はアース星と呼称しています」
「そのチップは義務化されたものとはまた違うのかね?」
「ええ。義務化されているチップは主に個人情報を記録、保存していくものであり、直接脳には作用しません。埋め込み場所も違います。今回彼女に埋め込まれているものは直接脳に作用し、言動や肉体運動を補助します。精神については法律で禁じられているのでプログラムできません。人格が変わってしまいますからね 」
「ということは、今あの子が覚醒しているのもそのチップのお陰だと」
「そういう事です」
「すごい技術だ…」
「ただし先程も述べました通り、彼女は被験者。まだこのチップの研究と開発を続けなければならない段階にあるのです。いわば試作品。すべてのプログラムが正常に作動しているかどうか、更新するべきところはないか、その他様々な状況を被験者を通じて今後も調べていかなければならない」
ルイの表情はまさに研究者のそれだった。
「彼女の言動や行動が幼いのはもうお分かりですね?それを肉体年齢に近づけるにはまだまだ彼女の脳内情報を更新していかなければなりません」
「しかし何故、そんな娘さんが地球に?」
「そこなんです。ティアお嬢様は突然失踪されました。王室内でも大ごとになりましてね。アリアスの世界中探し回りましたが見つからずでした。だから今回チップの情報を受けて発見したときは驚いたのです」
「突然電波を受けたというのか?」
「ええ。どこを探し回っても受信できなかった電波が今朝突然に」
「失踪した原因は不明なのかね?」
「はい。どうやってあなたの星へ移動したのか…まだ彼女は異空間へ行く術は習得していないはずなのです。その辺りは今後本人に確認する予定ですが」
隆一郎は納得したように静かに頷いた。
「ご理解頂けて何よりです。ではティアお嬢様をお返し頂けますね?」
「少し時間を貰えないかな。息子が世話しているもんだから。納得させないといかんし」
「そうですね… 分かりました。ではまた明日伺います」
「興味本位で一つ聞いていいか?」
「何でしょう?」
「俺達は異星人の事を宇宙人と呼んでいる。俺が若い頃、そういったブームがあったのも確かだ。ただ今ではそういうブームも無くなったし、信憑性も疑われている。 しかし俺は君を見て宇宙人は本当にいるんだなと実感した。だがやはり存在が表沙汰にならないのも事実だ。これは一体どういう事なんだ?」
隆一郎は小学生の頃に食い入る様に見ていた矢追純一のスペシャル番組やピンク・レディーの歌謡曲を頭の片隅で思い出していた。ルイは隆一郎の疑問を興味深そうに聞いた後、ニコっとした笑顔でこう言った。
「今でも貴方達のまわりに居るじゃないですか」
「えっ」
「はい。ティアお嬢様を貴方が飼っていらっしゃったように」
「も、もしかして猫が宇宙人だと?」
隆一郎は驚きのあまり恥ずかしいくらい裏返った声を発した。
「全ての猫がそうではありませんが、その中にアリアスから派遣されている者も複数います。その殆どがあなたの星では野良猫と言われています」
「な、何の為に」
「地球上で我々の祖先にあたる動物の猫に変化するのは、異空間を自由自在に行き来しやすくするためと、カモフラージュの為です。そしてその目的は、我々から見た他の生命体が存在する異星を観察する事。ただそれだけです」
「か、観察…」
「ええ、我々の星では宇宙の研究は大昔から行われています。今ではその分野では最先端とも言えるかも知れません。宇宙にはご存知の通り色んな星があります。あなたの星でも世界各地に様々な研究機関がありますね。しかし我々から言わせますとそれらの研究機関はまだまだ発展途上中と言ったところですが」
「そ、そんなに進んでいるのか…」
「ええ」
「じゃあ野良猫がスパイとなって地球を観察しているのか」
「そう言う事です。しかしこれは国家機密ですので他言しないで下さいね。それでは今日の所は失礼します」
ルイは踵を返すと、思い出したように不思議そうな顔を向けて隆一郎に聞いた。
「ところで、あなた達はどうやってこちらへ来られたのです?」
「は?」
異星人の不可解な質問に隆一郎は唖然とした。
「いやいや、訪れてきたのは君だろ? むしろこちらが聞きたい位だ」
「もしかして、あなた達、今日は一歩も外へ出ていませんか?」
「あ、あぁ…」
「ふむ。なるほど… ちょっと外へ出てみてもらえませんか?」
隆一郎は言われるがままに玄関から外へ出た。小さな庭を抜け門扉を開けた刹那、彼は驚愕した。
「こ、これは一体…」
目の前に広がっていたのは見慣れたいつもの住宅街の路地ではなく、舗装のされていない土道が一本あるだけのだだっ広い平地だった。側にはクロームメッキのバンパーが輝いた古めかしいデザインの黒い車が一台停まっている。まるで昔のアメ車のようだ。
「ここはアンリーヌの外れにあるグアラライと言う小さな村だった場所です」
「ア、アンリーヌ… まさか」
「ええ、そのまさかですよ。あなた方は我々の国へ家ごとやってきた」
「ど、どう言うことだっ!!」
「それはこちらがお尋ねしたい事です。我々ならともかく、まだまだ技術もテクノロジーも発展途上中の地球星人がどうやってここまで来れたのか」
ルイは望月家を眺めながら言った。未開拓のような場所にサイディングで彩られた場違いなデザインの望月家がポツンと建っている。確かに不審な家と言われても仕方がない。
「あなた方がアリアス星へ来たからこそ、ティアお嬢様の居場所が分かったのです。アリアス圏内でないとチップの電波は受信する事は出来ないですからね」
何という事だ。実は自分達が宇宙人として異世界へと足を踏み入れていたということか!
「それでは私はこれで」
彼は側に停めてあった宇宙船のようなデザインの車に乗り込むと、一礼しながら去って行った。やけに静かな車だなと隆一郎は場違いながらもそう思った。