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望月さん家の拾い猫(連載小説)  作者: 小森龍太郎
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第一章 #1.望月翔太と拾い猫

 ザァザァと降りしきる雨の中、望月翔太もちづきしょうたは憂鬱な顔で傘を差しながら家路へと急いでいた。毎日のように雨の降るこの時期は大嫌いだ。ましてや蒸し暑く、空気も湿気しけっている。天然パーマの彼にとって、この梅雨の時期は不快以外の何物でもなかった。朝にしっかりとドライヤーを使い、まっすぐにブローしたところで、学校に着く頃合には寝起きのような髪にカムバックしている。教師からはパーマをかけているのかと疑われるし、同級生からはいつもいじられた。顔そのものは別段悪くは無いと自身では思っていたりするのだが、いかんせん髪質のせいで老けた印象を持たれるのには憤慨している。高校二年生と言うまさに青春真っ盛りな翔太にとって、それは今の梅雨の時期と同じくして暗くじめじめとした悩みの種であった。

 とにかくこの憂鬱で不快な空気から逃れたい一心で彼は家路へと急いでいたのである。だが途中、何気にいつも利用している自動販売機の物陰から気配を感じ、ピタリと足を止めたのだった。おやっと思い物陰を覗き込むと、雨に降られてぶるぶると震えている一匹の小さな子猫がいた。翔太に気付いたその子猫は逃げる素振りも見せず、何かを訴えかけているかのようにミャアと鳴いている。ずいぶん人懐っこい猫だな、と彼は思った。

「可哀想に。ずぶ濡れじゃないか。ほら、こっちおいで?」

 翔太は子猫の側にしゃがみ込み、手を差し伸べた。虎模様のその子猫は警戒する事なくミャアと鳴き、翔太の手の匂いをクンクン嗅いでいる。

「どしたー?迷子になったのか?」

 彼は傘を子猫に差し出し首筋を撫でた。子猫は気持ち良さげに目を細め、ごろごろと喉を鳴らしながら足下に擦り寄ってきた。

「ヨシヨシ、いい子だ。しかし参ったな。このまま放って帰れないぞ」

 翔太は暫く考えた後、肩に乗せるような形で子猫を抱き抱え、濡れた背中を優しく撫でた。

「とりあえず濡れない場所に避難しような」

 そう言うと彼は立ち上がり、子猫を肩に乗せたまま歩き始めた。

「懐かしいな、この感覚」

 彼の家では過去にチロと言う猫を飼っていたことがある。チロは翔太によく懐いていた。玄関のドアを開けると一目散に迎えに来てくれたし、夜眠るときも翔太の布団の上で一緒に眠っていた。よく外へも遊びに行き、外へ行けば必ず帰って来ていた。だがいつの日からか遊びに行ったきり家に帰ってこなくなった。数日後、父親から車に轢かれて死んでいるのを見つけたと教えられた。あまりの悲しみと悔しさに彼は二度とペットは飼うまいと思っていた。

「よし、ここなら大丈夫だ」

 翔太は途中にある小さな公園の中に入り、屋根付きのベンチに腰掛けた。抱いていた子猫を膝の上に乗せ、ハンドタオルで濡れた体を拭いてやった。

「本当、雨はやだよなー。あ、お腹減ってないか?」

 彼は鞄の中から「味おかき」を取り出した。小袋を開け中身を手の平に乗せると、子猫は一層大きな音でごろごろと喉を鳴らし、旨いと言わんばかりにうにゃうにゃ言いながら食べていた。

「あはは、やっぱ腹減ってたんだな」

言いながら彼も一緒になって食べた。

「俺これ好きなんだよー。旨いよなー。特にこの骨付き小魚なんか最高」

 小袋の中身がなくなり、膝の上の子猫を撫でながら、さてどうしたものかと考えた。とりあえずここなら雨に濡れる心配はない。雨が止めばきっと野生へと戻ってくれるだろう。そう思い膝の上から子猫を下ろすと翔太は立ち上がった。

「じゃあ、元気でな」

 足下に擦りついている子猫の頭を名残惜しむように撫でると傘を差し、公園を後にした。雨音が傘にポツポツと響く中、背後から切ない鳴き声が聞こえてきたが、彼は聞こえないふりをしてグッと堪えていた。だが離れていけば行くほどその子猫は叫ぶように大きな声で何度も何度もミャァ、ミャアと鳴いている。

「やっぱり駄目だ…」

 彼は公園に戻り、子猫を抱きしめていた。子猫はごろごろと喉を鳴らし翔太の頬に擦りついてきた。


「ただいま」

 リビングのドアを開け、夕食の準備をしている母の背中に言った。母の美由紀みゆきは振り返るや否や翔太の腕の中にいる小さな子猫を見て言った。

「おかえり、あらー、その子どうしたの?」

 母は駆け寄り翔太の腕から奪い取るように子猫を抱き上げた。翔太は事の経緯を母に話した。

「翔太がちゃんと面倒見てくれるならお母さんは構わないわよ。賑やかになって楽しいし。お父さんも猫大好き人間だから問題ないと思うわ」

 赤ん坊をあやすような手つきで子猫をポンポンと叩きながら母は言った。

「でもあなたは大丈夫なの?ほら、チロがいなくなった時あれだけ猫は飼わないって言ってずっと泣いてたわよね」

「まぁ、そうなんだけどさ」

 チロが死んだ小学生の頃、ずっと泣いていた翔太を母は毎日のように慰め、そして諭してくれた。


 ――チロは優しい翔ちゃんと一緒に過ごせて幸せだったと思うよ。お母さんもそうだもの。だから自分を責めないで。チロも今頃天国で翔ちゃんのとの楽しい思い出を振り返っているんじゃないかな――


 翔太はそんな母の優しい言葉にまた泣いていたのを思い出していた。

「そうそう、今日もお父さん残業で遅くなるって連絡あったから、先に夕飯食べるわよ」

「わかった。この猫お風呂入れてあげたほうがいいかな?」

「そうね、まだお風呂できてないけど、シャワーだけで十分でしょ。綺麗にしてあげて」

「よし、じゃあお風呂入ろうなー」

 翔太は子猫を連れて浴室へと向かった。以前チロがいたときも彼はお風呂当番だったので慣れたものである。弱めにシャワーを出し、全身を濡らす。暴れるかなと思っていたのだが全くそんな素振りを見せず、むしろ気持ちよさげに身を任せていた。顔は濡らさず濡れタオルで拭いた。

「おぉ、おまえ偉いなぁ」

 猫用シャンプーがないので普通のシャンプーを使い、マッサージするように首から優しく洗う。

「どうだー、気持ちいいかぁー」

 たっぷりと全身が泡立ったあと、しっかり綺麗にすすいだ。

「よし、終わり。お利口さんだなぁ、おまえ」

 タオルで水気を取りドライヤーで乾かす。綺麗になった子猫からは清潔なフローラルのいい香りがした。

 リビングに戻ると母が猫用のトイレを設置していた。以前チロが使っていたものだ。

「猫砂もあったんだ?」

「買い置きしてあったからね。棄てずにとっておいて正解だったわ。あ、明日動物病院で健診してくるわね」

「あ、うん。あ、あと猫用のシャンプーも買っておいてよ」

「はいはい。でもやっぱり猫のいる生活っていいわね。癒されるわぁ」

 本当そうだなと、翔太も思った。事実、帰り道での陰鬱な気分はすっかり自分の中でも消え去っていたし、天然パーマもどうでもよく思えてきた。チロがいなくなってからの望月家はどことなく暗い雰囲気だったのも確かだった。一番分かりやすかったのは父親の隆一郎りゅういちろうだ。以前のように覇気はけがなくなり、常に難しい顔をするようになっていたからだ。


 数時間後、残業続きの隆一郎がいつものように疲れた顔をして帰ってきた。しかし目の前の小さな虎猫を見た刹那せつな、彼の頬が弛緩しかんし、みるみる上機嫌になった。

「おぅ? なんでちゅか~ この可愛いもふもふさんはぁ~?」

 隆一郎は子猫を抱き上げ顔にちゅっちゅっとキスをしている。

「可愛いでちゅねー。お名前は何ていうんでちゅかー?」

「あ、あなたおかえりなさい。名前はまだ決まってないの。あなた決めてくれる? 」

 美由紀がキッチンから顔を出し、ビールを持って隆一郎の側にやってきた。

「お、おう。どうしたんだこの猫」

 隆一郎は賢者モードになり難しい顔付きで美由紀に問うた。美由紀は翔太から聞いた経緯を夫に話した。

「ふむ、それは仕方ないな。まぁ、お前がいいんなら俺は干渉せん。その代わりちゃんと面倒は翔太に任せるんだぞ?」

「ふふっ、あなたならそう言うと思ったわ」

「おい、あれは?」

 ビールをコップに注ぎながら隆一郎は妻にいつものツマミを促した。

「あぁ、はいはい」

 美由紀は納戸から「味おかき」を取り出し夫に手渡した。

「おうこれこれ、旨いんだよな」

 隆一郎は小袋を開け、ピーナッツあられを口に頬張った。すると目の前にいる子猫が目をまん丸くして見ていた。

「たべまちゅかー?」

 彼はひそひそ声で子猫に言い、骨付き小魚を差し出した。子猫は隆一郎の指から上手に抜き取ると、ごろごろと喉を鳴らし美味しそうに食べた。

「か、かわゆいん」

「あなた、どうしたの?そんなに鼻の下を伸ばして」

 夕飯の麻婆豆腐を運んで来た美由紀がにやにやしながら言った。

「いや、ちょっと鼻がむずむずしただけだ」

 隆一郎は真顔になりそう答えた。

「で、名前は決まったの?」

「見たところ雌のようだから、んー、レナってのはどうだい?」

 彼は最近入社してきた美人OLの名前を思い出しながら適当に言った。

「あら、素敵な名前ね。良かったわねー。レナちゃん」

 そう言って美由紀はレナを抱き上げた。隆一郎は満足げにビールを飲んでいた。


 それからというもの、レナはすくすくと成長していった。それに伴い望月家の笑顔も増えていった。レナは翔太によく懐いた。チロが昔そうしていたように、レナも翔太が学校から帰ると飛んで来る勢いで玄関へ迎えに来た。そしてやはり翔太と一緒に寝ている。お前は猫にだけはモテるんだなと隆一郎が羨ましそうに言っていた。気が付けば夏休みも終わり、季節は秋を迎えようとしていた。


 その夜、翔太はベッドの中で不思議な声を聞いた。ウトウトしていたので恐らく夢の中での幻聴だろう。浅い眠りの時によくある現象だ。


「良かった。ご無事でしたか。お迎えに上がりました。ティアお嬢様」

「ルイセンセイ…」

「ささ、早く帰りましょう。もう時間がありません」


 幻聴がフェードアウトし、彼は深い眠りへと導かれていった。


 翔太は突如とつじょ目を覚ました。スマートフォンの時計を見るとまだ朝の四時前だった。隣にはレナと思わしき温かみのある感触がある。彼は再び目を閉じ、二度寝の快楽に浸りながらレナを撫でた。しかしいつもと感触が違っていた。それはまるですべすべの人間の肌を触っているかのようだった。

「レナ?」

 翔太はまどろみながらゆっくり目を開けた。隣にはすやすやと寝息を立てている可憐な少女の姿があった。

「えええっ!だっ、誰っ?」

 翔太は驚きのあまり飛び起きた。すると少女は寝ぼけまなこで目をこすり、起き上がるとむにゃむにゃと口を開いた。

「ショウタ、アジオカキ…タベル」

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