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河童三四郎(後編)

森に帰る道すがら、椋一とアヴィーはララとばったりでくわした。用件が意外と早く終わったからとの事。


日はしっかり沈み、道路は街灯のあるところ以外は真っ暗な闇。そんな中でもララだけははっきり認識できた。


後に聞いたところピクシーは自ら発光する事が出来るらしい。


「ちょうどいいとこで会ったわよねぇ」


「ですねぇ、ララさんはもういいんですか?」


「ええ、用件は済んだからとっとと帰るわ。ていうかあんた何か疲れてない?」


ララはリンと鈴を鳴らしながら椋一の胸元に移動して顔を覗きこんで言った。

少し甘い匂いがする。ピクシーの特徴なのかはたまた女の子の嗜みなのか。


「ああ、ちょっと子供に精神を打ち砕かれたりアメリカ帰りの河童の頼みを聞く事になったりしたからな」


思えば濃い一日だった。これが異界の森の管理人の日常なのだろうか。もしそうならこの先ストレスとか大丈夫だろうか。


「アメリカ帰りの河童……それってひょっとして三四郎(さじろう)かしら?」


「知ってるのか? ララ」


「ええ、と言っても向こうは知らないだろうけど。あいつあたし達妖精の間じゃ結構有名なのよ。そっか日本に来てたんだ、ちょっとからかいに行こうかしら」


うふふと小悪魔な笑みを浮かべるララ。そんなララにアヴィーが素朴な疑問をぶつけた。


「あのララさん、三四郎さんは何で有名なのですか?」


「あら知らないの? あいつはね、リップ・ヴァン・ウィンクルなのよ」


「どういう事ですか?」


「うふふ、教えなーい」


あははと笑いながらララは何処へと飛んで行った。おそらく森だろう。


アヴィーは新しく出てきたリップ・ヴァン・ウィンクルという単語に頭を悩ませている。


「どういう意味なんでしょう?」


「さあ、わからないけど、リップ・ヴァン・ウィンクルってどこかで聞いたことあるんだよなあ。どこだっけ」


二人してうーんと首を捻るも閃きは起きない。


「あら椋ちゃん」


ふと声を掛けられた。自分達が歩いてきた道の先からジェニーがやってきた。


クリーム色の髪が街灯の光を反射して妖精……というよりは女神のような神々しさを感じられた。


「どちら様ですか?」


アヴィーが顔を少しこちらに寄せて囁く。


「近所の篠本ジェニーさん」


「すごく綺麗な人ですね」


全くもって同意。


見とれている間にジェニーは椋一と距離を詰めてきた。ふわっと柑橘系の匂いがほのかに香る。


どうしよう、人妻に目覚めそう。つかジェニーをものにした旦那が羨ましい!


「はぁい椋ちゃん、買い物帰り?」


「えぇそうです。ジェニーさんもですね」


ジェニーは両手に一つずつスーパーの袋を携えていた。


「そうよ、せっかくだから一緒に帰る? 二人で帰りましょう」


「ええ、一つ持ちましょうか? 片手空いてますし」


「オォ thank you」


こうしてジェニーと並んで帰る事になった。

ジェニーを挟んで両側にそれぞれ椋一とアヴィーが並んだ。


「あっそうだ、ジェニーさん」


「なあに?」


「リップ・ヴァン・ウィンクルって知ってる?」


英語だしジェニーなら何か知ってるかと思って聞いてみた。


「I know」


I know……アイノウ……私は知っている。


「えぇっ!? 知ってるの!?」


「椋一さん、これは大きな手掛かりですよ」


正直知らないと思ってた。ダメで元々だから知っていると答えられて逆に驚いた。


「えぇ、アメリカでは有名な昔話よ。椋ちゃんにも聞かせた事あるんだけど、覚えてないかしら」


「いえ全く覚えてません。よければもう一度教えてくれませんか?」


「いいわよ」


こうして道すがらリップ・ヴァン・ウィンクルの物語を聞かせて貰える事になった。

物語が終って、ひと通り質問をし終わったらちょうど篠本家に着いた。


「Thank you 椋ちゃん。一人で帰れる?」


「帰れますよ子供じゃないんだから」


「フフ、そうね。それじゃまたね」


「ええ、マナちゃんとウラ君によろしく」


引き戸が閉じられ、ジェニーが家の中へと姿を消した。


「色々面白い事が聞けましたね」


「ああ、ちょっとララに確認したい事もできた」


暗い夜道を二人で歩く、森に入ると街灯は無く完全に闇の世界になっていた。これからは懐中電灯を持ち歩いた方がいいな。


「今照らしますね」


「はい?」


アヴィーは地面に落ちてた小さな枝を取りふわっと放り投げた。枝は落ちること無くそのまま直立で空中に滞空した。

そして枝の先端部が発光して辺りを明るく照らした。


「これが所謂転ばぬ先の杖ですよ」


それは何か違う。


「お前色々出来るんだなあ」


「だって私フェイですから」


――――――――――――――――――――


翌日、午前中に細々とした用事を片付けてお昼過ぎに三四郎と会った川にやってきた。


アヴィーは別件の用事を言いつかせているので椋一一人だ。

おーいと呼び掛けると、川の中からずもももと三四郎が現れた。


「おお、お前らか。徹は見つかったか?」


「ああ、見つかった」


「なんと! よくやったぞ! して何処におる?」


「今案内してやるよ」


椋一は三四郎を連れて村を練り歩く。幸いにも異界人の河童は人の目に触れる事は無くつつが無く目的地まで行く事ができた。


「椋一さん、三四郎さん。こっちです」


バス停に付いた時、アヴィーがこちらに気付いて手を振った。


「見つかった? アヴィー」


「はい、こっちです」


今度はアヴィーを引き連れて村を歩く、三十分後、青い瓦屋根の一軒家に辿り着いた。


標識は高倉。アヴィーにはこの家を探して貰った。


「ここに徹がおるのか?」


「ああ、とその前にこのタオルで体を拭いとけ、一応人様の家に上がるのだから」


「あ、ああ」


三四郎がタオルで体を拭いてる間に椋一はインターホンを押して家人を呼び出した。

しばらくして「はーい」という声が聞こえた。


「すいません、朝電話で話した桧山椋一です」


「はいはい、今空けます」


玄関を空けて少しふっくらした中年の女性が現れた。

横目で三四郎を覗き見る。体は拭き終わったようで今はアヴィーに浮かせられている。


成程、あれなら足の裏が汚れない。ナイスアヴィー。


「あなたが桧山君? おじいちゃんがお世話になったって言う」


「ええ、徹さんには子供の頃に何度か遊んで貰った事があるので挨拶に来ました」


実際ここのおじいちゃんには一度だけ世話になった事がある。嘘は言っていない。


「そう、おじいちゃんも喜ぶわ。さあ、上がって頂戴」


「お邪魔します」


椋一は女性に促されるまま家に上がる。続いてアヴィーと三四郎が上がる。


――――――――――――――――――――


ここでリップ・ヴァン・ウィンクルの話をしよう。


リップ・ヴァン・ウィンクルとはアメリカの小説家、ワシントン・アーヴィングが千八百二十年に発表した短編集「スケッチブック」に収められた物語の一つである。


アメリカ独立戦争の時代、リップ・ヴァン・ウィンクルという呑気者がいた。


彼はハドソン川とキャッツキル山地の自然を愛していた。


ある日彼は愛犬と猟に出掛けると、森の奥で不思議な老人達に出会う。彼等は広場のような場所で九柱戯(きゅうちゅうぎ)(今のボーリングの原型となる遊び)に興じていた。


リップはそんな彼等に混じり、遊び呑み倒した。あげく酔っ払って寝てしまった。


リップが目覚めて街に戻ると、街の様子はすっかり変わっていた。親友達は歳を取り、アメリカも独立していた。


リップが寝ている間に二十年もの月日が流れていたのだ。


これがアメリカ版浦島太郎のリップ・ヴァン・ウィンクルの物語である。


――――――――――――――――――――


「お前、徹か」


高倉家の部屋、そこでは一人の老人が鎮座していた。

彼こそが三四郎の探していた徹少年である。


「三四郎か、久しぶりだな。お前はちっとも変わらんな」


徹少年は皺だらけの顔を崩して笑った。


「何故じゃ! 何故お前はそんなに歳を取っておるのじゃ!」


「そりゃ、五十年も経てば立派に歳を取るわい」


「なんじゃと、どういう事じゃ田中!?」


田中? あっ俺の事か。

今更ながら偽名を使っていた事を思い出した。


「なあ、三四郎。お前キャッツキル山地にいたんだよな?」


「それがどうしたんじゃ」


「変な奴らに会わなかったか?」


「変な奴ら? 確かに妙な奴らに会ったぞ」


「やっぱり、ララ……ああえと、妖精のピクシーから聞いたんだけどさ、キャッツキル山地には時間の流れを狂わせるいたずら好きの妖精がいるらしいんだ」


「時間の……まさか」


「そう、お前はその妖精のいたずらによって時間の流れに取り残されたんだ。お前は地下水路や川の中を移動してたから時代の変化に気付かなかったんだ」


ついでにララからは三四郎がどれだけの期間取り残されていたのかも聞き出した。その情報を元に神社の祭事録を見せて貰い、五十年前に相撲大会で優勝した徹少年を探しあてたのだ。


「そんな」


三四郎はがくりと膝を地面に付き、続いて両手を付いて四つん這いになった。


「それじゃオイラは五十年もお主との約束を反故にしたのか、済まなんだ。済まなんだ徹よ」


三四郎の瞳から大粒の涙が零れる。やるせないのだろう、くやしいのだろう。自分が妖精のいたずらに翻弄されて宿敵、いや友人との約束を果たせないのが。


「構わんさ、むしろもうお前と相撲を取る事の出来ない儂の方が済まない気持ちで一杯さ」


「そんな事は!」


「そうじゃ、飴ちゃん食べるか? うめえぞ」


徹は卓袱台の上にあった缶を取って、中から飴玉を一つ取り出してそれを三四郎に差し出した。


「お、おぉぉぉ」


三四郎はそれを受け取るとより感極まったのか更なる声を上げて泣き出した。

もしかしたら昔の面影と重ね合わせたのかもしれない。


「三四郎、また会えて嬉しいぞ。何せ五十年ぶりに友人と再会したのじゃから」


徹は三四郎の肩に優しく手を置いた。


「う、うぅ」


振り向くとアヴィーがハンカチ片手に号泣していた。

ちょっといい話なのに水を差されたぞ。


「こういうのホント駄目なんですよぉ、うぅ~」


「お前なぁ、まあいいや。徹さんに三四郎、お二人に提案があるんですけど」


「何ですかな?」「何じゃ?」


二人は声を揃えて聞き返した。

意を決して椋一はかねてより考えていた事を口にする。


「お二人の相撲勝負、世代交代してみませんか?」


「どういう事じゃ、田中」


「徹さん、あなたにはトオルというあなたと同じ名前のお孫さんがおられますよね? 今どこにおられますか?」


「部屋にいると思う」


「呼んで頂けますか?」


「あ、ああ」


徹は立ち上がって廊下に出た。そして大声で「トオルー! ちょっと降りてくれ」と叫んだ。


彼にトオルという孫がいるという事は調べ済みだ。神主さんから祭事録見せてもらうついでに教えて貰ったので。


「何じいちゃん、あっアヴィー姉ちゃん! とオッサン」


「オッサン言うな!」


昨日一昨日と椋一に精神的ダメージを与えたトオル少年が現れた。まあこれは予想通りだ。


「トオルがどうかしたんですか?」


「一つ質問させて下さい。なあ糞ガキ、お前この河童が見えるよな?」


椋一は体をずらしてトオルに三四郎が見えるようにした。

トオルは一瞬驚いた顔をした後、少し悩む仕草を見せてから口を開いた。


「うん、見える」


「えっ!?」「なんじゃと!」「ホントですか!?」


周囲から驚きの声が聞こえた。


「椋一さんいつから気付いてたんですか? トオル君が異界人を見ることができるって」


「昨日からだよ、だってお前の事が見えてたじゃないか」


「えっ? あ、ああああああ」


「俺達と同じ姿をしているとはいえ、お前も立派な異界人だ。普通の人には見えない。事実ジェニーさんには見えてなかったしな」


「そ、そういえば」


こいつ自分が異界人である事忘れていやがった。


「と、トオルよ、いつから見えていたんじゃ」


徹さんも自分の孫が異界人を見ることが出来ることに驚いているようだ。


「見えるようになったのは最近だよ、友達に話したら馬鹿にされたから言わないようにしてたんだ」


その気持ちわかるわあ、俺も苛められたから。


「あのさ、その河童がじいちゃんが前に言ってた友達の河童なの?」


「あ、ああ三四郎というんじゃ」


「ねえ、じいちゃん。僕も友達になりたい! 駄目かな?」


「それは」


徹は少し困った顔で三四郎を見た。そして三四郎に目線を合わせて頭を下げた。


「三四郎や、孫と仲良くしてくれんかの」


「しかしオイラは」


三四郎は少し怯んだ。五十年も放ったらかしにした事を負い目に感じているのだ。今更仲良くなど考えられないのだろう。


「遠慮すんなよ三四郎、確かに失った五十年はでかいし取り戻せないさ。でも時間が無くなったわけじゃない、生きてる限り時間はあるんだ、何事もこれからだ」


「生きてる限り……そうじゃの、トオルやオイラと友達になっとくれ」


「うん!」


トオルは満面の笑みを浮かべて頷いた。

そしてアヴィーが更に泣きくずれてしまった。


「お前なあ」


「だってだって」


後は三人に任せて俺とアヴィーは帰ることにしよう。


泣いてるアヴィーを少々手こずりながらも無理矢理起きあがらせる。


「それじゃ俺達はこれで、早速相撲でもしてみたらどうだ?」


「うん、相撲しようよ三四郎!」


三四郎は涙を拭き、勢いよく立ち上がった。徹は三四郎とトオルの二人を生暖かく眺めている。


「よし、いいだろう。ただしオイラが勝ったらトオルの飴玉をよこせ」

作中に出てきたリップ・ヴァン・ウィンクルの説明はあくまで概要をかいつまんだだけです。

実際はもう少し長いお話になります。


因みにアメリカでは浦島太郎を日本版リップ・ヴァン・ウィンクルと呼んでいるそうです。

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