32 交換日記「来ちゃった」
目の前に浮かぶミスリルの鎖で縛られた交換日記
もはや魔導書を通り越して生き物かと思えてくる
とりあえず夕食の後に読もう……
そう考えて部屋を出ようとすると、交換日記はそれを阻むように回り込む
「今、読まなきゃ駄目ですか」
思わず交換日記に話し掛ける
何なんだこれは、只の頭がおかしい人みたいじゃないか……本が話して理解する筈が
(はいご主人様、お読みください)
喋りやがった!お嬢様を子供にしたような声?で返事をされた
闇魔法が上達したのか?俺は嬉しいよお嬢様……
ああ、涙が出てきた
嬉し涙だこれは……決して絶望の涙ではない、決して絶望の涙ではない
そう自分に言い聞かせて思い込む
「しゃ、喋れるのかお前は……」
(可能です。正確には念話ですご主人様)
「そ、そうか」
異世界って本も喋るんだな
普通の事なんだろう、そう思い込む
魔法が有るのだから本くらい喋る筈だ問題無いな
混乱する頭を必死でまとめながら考えてみる
さて、どうする?
「とりあえず夕食の後に読むのでは駄目なのか?食事をしないと頭が働かない、ベアトの日記をしっかりと読む為にも必要なんだ。君は食事をしなくても大丈夫だろうが、生き物はそうではないのだよ」
考えて出た言葉がこれだ
我ながら酷い有り様だ、とりあえず面倒は後回しでメシが食いたい
簡単に言えばそういう事だよなこれ
だが交換日記は納得したらしい
(成る程。栄養不足でご主人様が倒れるのは望みません)
「解ってくれたか、じゃあ行ってくるからな。お前も一緒に食べられたら良かったんだが残念だ。ここで待っていなさい」
ホッとしながら部屋を出ようとすると、交換日記がジャラジャラと鎖の音を響かせながら震え始めた
おいおい、お前も夕食が食べたいのかよ……それとも置いてきぼりが嫌なのか?
(私もご一緒します、ご主人様)
「食事に本が付いてきて浮かんでいるのは、この世界では一般的なのか?」
(…………ムムム)
何がムムムだ!やっぱり普通じゃないのかよ
「俺も意地悪で言っている訳ではないのだ、本なのだから仕方ないだろう?」
(理解しました。それならば……)
ガチャガチャと震えながら、光り始める交換日記
え、何だよ爆発でもするのか?
交換日記って食事を断ると爆発するのか、異世界怖いってレベルじゃないぞ
混乱する頭でそんなアホな怯え方をしていると交換日記は発光を終える
良かった、爆発はしないみたいだ
(人型なら問題がないと判断しました。ご一緒しますご主人様)
そこに居たのは30cmくらいの大きさで、可愛くディフォルメされたお嬢様であった
「ゼスト遅かったじゃないか、さては昼寝しす……」
笑顔の師匠が固まる
それはそうだろう、娘そっくりの人形を肩に乗せたおっさんが現れたのだ
俺ならぶん殴る……固まるだけならかわいいものだ
「お待たせしました義父上」
スマートに挨拶をして席に座る
ん?食事が用意されない……なんだ、何をしてるんだ
メイド達は俺の肩をガン見で動かない
気持ちは解る
だが俺は認めたくはないので、あくまでも冷静にスルー出来るところまでこのまま行く
「ゼスト、それはなんだい?」
笑顔で聞いてくる師匠が逆に怖い
スルー出来る訳がない
知ってたよ!でも認めたくないんだよ!
「交換日記です……」
我ながらバカな返事だ、もう少し言い方が有るだろう
肩に人形乗せてこれは交換日記だと言い出す
日本なら間違いなく入院コースである
キョトンとした顔の師匠だが、だんだんと笑顔になっていく
「なるほど、精霊化したのか!凄いねゼスト、精霊化なんてここ300年はなかった筈だよ?これは盛大にお祝いしなきゃね」
「素晴らしいわ!」「おとぎ話じゃなかったのね」「みんな、精霊化よ!精霊化よ!」
精霊化?なんだそれ……
可哀想な生き物を見る目をしていたメイド達もキラキラした目に変わって俺達を見ているな
満面の笑みの師匠が説明してくれる
「強力な魔法使いの持ち物が意思を持って精霊に変化したって伝説が有るんだよ、おとぎ話で子供によく聞かせる話さ。『物は大切にすれば精霊化して助けてくれるから粗末にしないように』ってね」
そうか、昔は有ったんだな精霊化
俺が初めてじゃないなら大丈夫か
交換日記はメイド達に抱かれてキャーキャー言われている
あ、小さな皿にお菓子が用意されてきた
美味しそうにミニお嬢様が食べると、またキャーキャー騒ぎ出す
うん、確かにかわいいなあれ
「小さな頃を思い出すわ」「本当にお嬢様そっくりね」「精霊様、こちらもどうぞ」
すっかりマスコットにされている
「まさか精霊化をこの目で見られるなんて思わなかったよゼスト、本当に君は規格外に優秀だね」
上機嫌の師匠
この日は精霊化の祝いとして屋敷の酒蔵を解放しての宴会になだれ込んだ
それほどの偉業であり、祝うべき慶事なのだそうだ
記録にある精霊化は300年前で、疫病対策に尽力した治療魔法使いが最後だそうだ
精霊を伴い数え切れない人々を救ったらしいがそれからは精霊化は起きていないのだ
精霊化が起きるのは偉大な魔法使いの誕生と同じ事を意味して、伝説の再来と騒がれる
そう、師匠が熱く語っていた
なんだか予想とは違い喜ばれてしまったな、人形を愛でる変態扱いされないで良かったわ……
心底、安心しながら宴会を楽しんでいた
ふと見ると交換日記がケーキをパクパク食べて周りのメイド達が蕩けた笑顔でそれを見ている
微笑ましいな、名前もつけてあげないとなあいつに
そう考えながらワインを飲む
お嬢様も名前決めたいかな?帰ってから相談するか……
ツマミのチーズを一口
すると、ほろ酔いの師匠がやってきた
「ゼスト、謁見には当然あの子も連れていくようにね!」
そうだった……謁見が有るんだよな
知らない人から見たら人形好きの変態にしか見えない格好で城に行くのか……
チーズの味はいつもより塩辛かった
涙の味がする……