206 親子の交流
帝都から直行して来たのだろう皇太子殿下を長々と拘束する訳にはいかないだろう
『調停者』とかいう不穏な役職にさせられそうだが仕方ない
優しめの訓練で既に目を死んだ魚のようにしているライゼル殿下を休憩させる為に案内させよう
そう思ってスゥに目配せすると、彼女は駄犬と違い見事な音で指を鳴らした
「皇太子殿下のご案内はこのカチュアが務めますのじゃ。殿下のお部屋をご用意しておりますのじゃ」
事前に打ち合わせをしていたのか、見事な連携でそう語るカチュア
ツインテールを元気に揺らして先ほどまでとはガラリと変わって余所行き用の笑顔である
訓練中は鬼のような形相だったからな
「よ、ようやく終わったのか!先日は失礼した、カチュア老。側室達に聞いたが、彼女達が子供の頃からエルフの最長老と名高かった貴殿に失礼した」
「……お気に……なさらず」
さっきとはまた違った意味で元気に揺れるツインテール
カチュアの周囲に黒い炎がユラユラと現れるのだった
……いっそ止めないで焼却した方が楽なんじゃなかろうか?
「旦那様、訓練が終わったのですからそのようなお顔をしてはいけません」
「……そんなに悪い顔をしていたか?」
「皇太子殿下が盛大に言ってはいけない言葉を放ちましたが、それは訓練で指導をお願いいたします」
「そうだな……気をつけよう」
ひきつった笑顔のカチュアに案内されて訓練場を出ていくライゼル殿下を見送りながら、ひっそりと小声でやり取りをする
「『周囲にはバレないようにする為』という大義名分がある訓練ならば大丈夫かと思いますが、ライゼル殿下の行動の裏がとれるまでは特にご注意くださいませ」
「ああ、今頃ターセルが調べているだろう。結果が出るまでは自重するさ」
ちょっとやそっとの相手なら問題ないのだが、さすがに皇太子殿下相手にやらかしてはゴメンでは済まない
適度なラインでストレス発散しつつ、裏取りは必要だろう
陛下の手紙があるからと油断は出来ないもんな
「そのようになさってくださいませ。あら、旦那様。汗が……お拭きしますね」
「ん?ああ、皇太子殿下の相手は楽だったがアルバートの奴が粘ったからな」
「重ね重ね、駄犬がご迷惑を……」
「はっはっは、最近はもう私が手こずるのはあいつくらいだからな。良い訓練になるさ」
俺のそのセリフを聞くとペコリと頭を下げて汗を拭いてくれる
大貴族様は自分で汗なんか拭かないで、拭かせるのが当たり前なのだ
近くに寄ったスゥのいい匂いを嗅ぎながら貴族でよかったと思うのだった
「あら、楽しそうな訓練ですわね」
「きっと激しい訓練の後だったのです、お養母様。お養父様に限って女性に鼻の下を長くするなどあり得ません。神も信じないでしょう」
一瞬で危機的状況になりかけたが、天使の心を持つアナスタシアのナイスアシストで助かった
これは流れに乗って話を合わせるしかないだろう
「そうなのだ、アルバートの奴が粘ったせいで……」
これで誤魔化せる
俺の中ではそう思っていたのだが、余計な横槍は予想外な所から出るのであった
「旦那様のおっしゃる通りなのです、奥様。兄のせいで汗をおかきになった旦那様のお世話は私の仕事ですから」
キリッと言い切ったスゥなのだが、手に持ったハンカチがまずかったのだろう
苦笑いだったベアトの表情から笑みが消えていく
「素敵な……ハンカチですね、ゼスト様」
(お母さん、あのハンカチ穴が空いてます!)
「お、お養父様……そんな……」
俺は悪くないと力説するスゥの手に握られていたハンカチ
それは当然のごとくパンツなのだった
うん、嫌な予感はしていた
「違うのだ、獣人族の風習を知っているだろう?」
「そうです。これは崇高な儀式に近い行いですから、いやらしい気持ちなどありません!」
半ばヤケクソな俺のセリフにスゥが被せる
何がどう崇高なのかさっぱりなのだが、彼女達の反応は素直だった
「獣人族の……そうでしたね」
「なるほど。崇高ならば仕方ないですね、神もお許しになるでしょう」
(そっかぁ。獣人族の儀式ならしょうがないです)
「わかっていただけましたか」
ウンウンと揃って頷く女性陣を『これで助かってもいいのだろうか?』という葛藤をしながら見つめる
助かって嬉しいのが2割、それでいいのか?という思いが8割だ
「旦那様がそのような目で私を見るのは、胸を見るときだけでございます」
助かっていなかったようです
満面の笑みで放たれた爆弾発言により、主に二人の顔がひきつった
「お養父様……やはり『大きな』胸がお好きなのですね……神の名の下に裁きの鉄槌を……」
(子供が出来る大きさの胸じゃないと見ないですか!お父さん!)
胸の平らな娘二人が怪しげなオーラを放つ中、豊かな胸のベアトならそんなに怒っていないのではと助けを求める視線を送る
しかし、家令の胸を見てニヤニヤしているという報告を受けた嫁が笑っている筈はなかったのだ
「ちょうどよく訓練場ですし……たまには親子水入らずの交流も必要ですわね?」
疑問文なのに選択権がない言葉と共に、訓練の延長戦は始まったのでした
……ベアトとトトのツートップでアナスタシアの回復支援付きとか……無理ゲーでした……
「戦争より命の危険を感じた訓練だった……」
「横で見ていただけの私でさえ命の危険を感じました、閣下!」
「辺境伯と師匠の二人を同時に相手取るよりも難易度は上だったな」
「奥様の闇属性魔力を纏った前衛とトトお嬢様の遠距離攻撃。そしてアナスタシアお嬢様の回復支援魔法の三人相手に戦えるだけでも脅威です、閣下」
俺との訓練で疲れ果てていたアルバートのおかげで、おかわり訓練は早目に終わった
流れ弾が駄犬に直撃して死にかけたのだ
「閣下が片手でいなしていたトトお嬢様の魔力弾一つがあれほどの威力とは……このアルバート、改めて閣下の実力に感服いたしました!」
「ああ。あれはエグイ威力だったなぁ」
思い出しながらスゥが用意した紅茶を飲む
ようやく帰って来た自室は本当に落ち着くよ
「あの魔力弾が膝に当たったときは死を覚悟しました。治療してくださった閣下とアナスタシアお嬢様には心からの感謝を」
「……頭に当たっても平気なのに膝は致命傷なのか……」
いまいち理屈がわからないが仕方ない
本人がそう言うのだから俺には何も言えないさ
「今、新しい鎧を作らせているので膝まで覆うように注文をしておきます」
「……好きにするといい」
本当にこいつはブレないなと、からかいながら話していたがスゥに止められてしまう
真面目な顔だから理由があるのだろう
「旦那様、駄犬の相手はこのくらいにして奥様の寝室へお向かいください」
「は?どうしてベアトの寝室へ?まだ寝るには……」
「いけません!せっかく旦那様の実力を皇太子殿下に見せつけられたのです。次は奥様と仲睦まじい様子を知らしめなければ」
「……訓練場に密偵が?あの流れは全部仕込みか?」
そういう事ならスゥの突然の失言も納得出来る
そうか、そういう策だったのか
「さすがだな。ならば素直にベアトのところへ向かう事にしよう……そんなに寂しい思いをさせてしまったか」
「それがようございます、旦那様。明日は仕事など一切しないで大丈夫なように調整してありますのでご安心を」
……そんなに頑張らなきゃいけないの?
え?そこまでなの?
そんな不安な視線を送るとスゥはにこやかに微笑みながら答えてくれるのだった
「奥様は旦那様と『ゆっくり』ご一緒出来るという事でご協力していただきましたので。二人目以降のお子様は必要でございます。明日は夕方までお部屋から出ないで結構ですので」
「……そうか」
その後、スゥの指パッチンで登場した戦乙女部隊に両脇を抱えられ移動した
夫婦仲がいいアピールは出来た
出来たのだが、不機嫌マックスな師匠との訓練も追加になったのは言うまでもない
……師匠、孫は欲しいけどベアトとあんまりイチャイチャするなって……どっちなんですか……




